貝原文嗣の悩み(後)
〈カレンダー薄暑など云ふ莫迦らしさ 涙次〉
【ⅰ】
貝原の惣領息子は武平と云つた。「たけひら」、と訓むのだが、仲間たちは「ぶへい」と呼ぶ。仲間とは、まあヒッピー仲間と云つてよい。世界を股に掛ける放浪者たち、と云へば格好いゝが、その實親の財産で所謂「ジェット族」をやつてゐる、不遜な連中だ。
武平は、若い頃訪れたニュー・ジーランドにすつかり馴染み(尠なくとも本人はさう思つてゐた)。マオリ族のキャンプ地に長逗留、娘(日本人女性との子である)に麻織と名付けるくらゐ、マオリ文化には入れ込んだ。
【ⅱ】
武平の坐右の銘は「人生の主役は自分」と云ふものであつたが、彼はこの物語では脇役に過ぎない。寧ろ娘の麻織の方が主役と云ふに相應しい。
彼女にはマオリの神が憑いてゐた。さう、その神、とは‐ マオリの外では、トリックスターと呼ばれる質の者らで、一般的な「神」の概念からは、はみ出る。その証拠に、今彼ら(マオリの神々)は、【魔】將軍ベルゼブブと手を組んで、貝原會長の悩みの素となつてゐるではないか!
【ⅲ】
大體からして、食人の傳統を持つ文化である。日本のやうな、社會通念としての正義と云ふ、闊達な心理の働きに支へられた文化圏 -つまり、儒教的しきたりに忠實な- には、そぐはないし、定着は無理であらう。孔子が食人を諫めた事は有名である。
マオリの神々は、惡魔と提携して、日本の文化にどつぷりと浸かつてゐた麻織(日本人なのだから、当たり前の事に過ぎぬ筈だが、彼らは彼女をマオリの者と勝手に思ひ込んでゐる)の命を脅かしてゐる- カンテラは、テオの調べから、その事を知つた。幾ら神と云へども、他處様で惡事を働けば、惡魔と同根である。
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〈もう寢やうもう寢やうとは思へどもYouTube鳴りなかなか寢付けぬ 平手みき〉
【ⅳ】
(ベルゼブブはマオリの神々に麻織の事を任せて、自分はとんずらしたつて譯だな)この事は、カンテラとじろさんの共通認識になつた。
さて、他國民が崇める所謂「カミ」を、手に掛けなければいけない。カンテラにとつては、神であらうと惡魔であらうと、自分の前に立ち塞がる者は皆、惡、なのではあつたが。
【ⅴ】
「ベルゼブブ、貴様の怯懦には呆れ果てたわ! もつと骨のある奴だと思つてゐたが...」麻織のベッドサイドで、カンテラ、大音聲を上げる。すると、
わらわらとマオリの神々が、代替で出て來た。イオ、パパ、アンギ、トゥマタウエンガ、パパトゥアヌク、その他異教(カンテラは無宗教者ではあつたが)の神がわんさと‐ だがしかし、彼らはカンテラ・じろさんのやうに、組織立つた武闘術(髙度に洗練された、と云つてもよい)を持つてゐなかつた。
勝敗は、闘ふ前に分かり切つた事だった...「しええええええいつ!!」
【ⅵ】
ベルゼブブは結局仕留められなかつた。が、孫娘を守つたカンテラ一味を見る目は、だうやら貝原の中で若干變化したやうだつた。
貝原、丁重に安保さんとカンテラに礼をし、感謝の念を金一封に込めて、金尾に手渡した。ビジネスマン・スタイルの金尾は、貝原には馴染み易かつたらう。所詮、人の格好から好惡を決める種族の貝原、であつた。
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〈かうもりや狂乱の晝終はる時 涙次〉
さて、麻織、すつかり元氣になると、今度は「カンテラをぢさま」と、カンテラを慕ひ着いて廻る有り様- カンテラ、*「女難の相」健在、である。笑。それでは、おあとが宜しいやうで、また。なほ、作中に出て來る、マオリの神々は、實際の彼らとは違ふ。フィクションなのだから、当然である。然し、マオリの人びとには謝して置きたい。
* 当該シリーズ第34話參照。