別れ
母の死からほんの数週間後の事だ。
気落ちしていたリチャードは半ば無理やり師匠であるエドガーやアルギス、友人のバルトにクエストに連れ出されていた。
少しばかり、いや、このメンバーでなかったなら達成は困難だったかもしれないクエストだ。
しかし、一度敵を目の前に据えればリチャードは生き残る為、剣を握り、魔法を使い、地を駆け、標的の魔物を狩り、依頼を達成した。
途中から才能の塊である師匠達についていくため必死になっていたリチャードは、依頼を達成する頃には母の死を乗り越えていた。
「どうだリック。今の気分は」
「最悪だよ。まあでもおかげさまで母さんとの約束を思い出したけどな」
倒した魔物、体長数十メートルにもなる巨大なムカデ。ジェネラルセンティピードの横で他の三人とは違い、息絶え絶えで地面に大の字で寝転がるリチャードはこちらを覗き込んで意地の悪い笑みを浮かべているエドガーに苦笑しながら答えた。
「約束? どんな約束だ?」
「師匠笑うから絶対言わねえ」
「笑わねえよ」
「ホントかよ」
「あったりめえだろ」
ふと意地の悪い笑みから真顔に変わったエドガーに、リチャードはかつて母に言った言葉と同じ言葉を口に出す。
「俺はいつかEXランクの冒険者になる。それで金を手に入れて」
「母ちゃんに薬買ってやるつもりだったんだろ?」
「まあそれが一番の目標だった。でも母さんにはもう一つ言ったんだ。EXランクになって俺が他国からの抑止力になって、この国を平和にするって」
「そうか。で? どうだリチャードEXランクにはなれそうか?」
呆気に取られていた。
リチャードはエドガーにこの母との約束を語った瞬間に笑われると思っていたし、なんならそれでもいいと思っていた。
凡人では到底たどり着けない頂を目指すのだ、笑われても仕方のない事だと。そう思っていたのに、普段は軽薄の化身みたいな男が、悲しそうにリチャードを覗き込んでいた。
「正直言うとちょっと無理そうだと思ってる。でも諦めねえよ俺。母さんが愛したこの国を、父さんが暮らすこの国を、俺は絶対守りたい」
「そうか……そんじゃあ! もっと鍛錬厳しくしねえとなあ!」
「ははは。頼むよ、師匠」
真っすぐエドガーの眼を見て言ったリチャードに、エドガーは背筋を伸ばすと大げさにそう言ってリチャードに背中を向けた。
この日を機に、リチャードはすっかり立ち直り、ギルドでも笑顔を見せるようになった。
自宅に帰って、父と話す時も母が死んだ直後の暗い顔を見せなくなった。
リチャードの父も気を持ち直したのか声は明るい。
しかし。それは父なりの息子への気遣いでしかなかった事を、リチャードは後に知ることになる。
ある日の事だ。
いつぶりだろうか、父の元に魔物の調査に同行してほしいという依頼が来た。
冒険者ギルドを介さない、領主直々の依頼だ。
東の山岳部の宿場町付近に正体不明の竜種の魔物が現れ、これを狩る為に派遣された近場の街の冒険者が返り討ちに合い、死者が多数出たそうで、これを重く見たこの国の女王が軍を派遣。
それにつき従う形でエドラの街からも軍を派遣し、学者たちには新種の竜種の生態解明のためこれに同行するよう要請があったらしい。
父はこれを承諾し、領軍と共に東の山岳部ブレスバレーへと向かうことになった。
「父さん、俺も一緒に」
「ははは。大丈夫だよリック。今回は軍も出ているが今後同一個体が現れても大丈夫なように生態解明を優先するという話だ。私たちは戦闘に巻き込まれない後方からゆっくりサンプルを回収するだけさ。なに、一週間もあれば帰ってくる。お前こそ無理な依頼受けて怪我なんてするなよ? 母さんが悲しむからな」
「あ、ああ。うん。わかったよ」
父の言葉を信じ、従軍する父を見送ったリチャードだったが、一週間後、帰ってきた父は布に巻かれ、片腕だけになっていた。
「シュタイナーさん、ですね。大変、申し訳、ありませんでした。新種の竜種が、我々前衛を突破し、学者たちの拠点を強襲。御父上は、あなたのお父様は、眼前に迫った竜に手を広げ、他の学者や兵を逃がす為に、自ら犠牲に。軍も多大な被害を受け――」
リチャードに父親の最後を語った兵士の言葉だ。
その日の晩、クエストに疲れて自宅のソファでうたた寝していたリチャードを、乱暴な玄関のノックが起こした。
父さんが帰ってきたんだ。あれ? 鍵かけてたっけ?
と、そんな事を考えながら玄関の扉を開くリチャード。
しかしそこには父の姿はなく。
変わり果てた姿になった父親の腕を差し出しながら、傷だらけの兵士はリチャードに苦しそうに口を開いて報告を始めた。
だが、その言葉はリチャードの耳には入ってこなかった。
母の死から約一か月、立て続けだ。今度は尊敬してやまない父が、死んだ。
吐き気と怒りでリチャードの目の前が霞む。
受け取った父の片腕を抱いたまま、両の膝を地面につき、声にならない声が嗚咽となって吐き出された。
「なんでだよ父さん。帰ってくるって、帰ってくるって言ったじゃないか。う、うう、あああああ!!」
咆哮にも似た慟哭。
その声と共に、リチャードは拳を振り上げ地面を叩いた。
その瞬間地面が揺れ、リチャードの叩いた地面が放射状に割れる。
「教えてくれ」
「は、はい」
「その新種の竜って奴、討伐はしたのか」
腕を抱いたまま立ち上がったリチャードが、兵士を見据えた。
初めて感じるほどの本気の怒りと憎しみで腹がよじれそうなほどの激情。
そんなリチャードの何も見ていないような目に、兵士は恐怖しながら口を開いた。
「いえ、討伐はなりませんでした、最初から片目に大きな傷があったので弱っていたか、どこかへと飛び去りまして」
兵士の言葉にリチャードはハッとした、この兵士の言葉で、バルトが出会った頃に言っていた事を思い出したのだ。
数年前、片目のないワイバーンに故郷の村を滅ぼされたバルト。
今回現れ、軍に多大な被害を与え、父を殺した片目のない新種の竜。
偶然か? いや、これは恐らく――。
「そう、ですか。ありがとう、ございました。ごめんなさい」
それだけ言うと、リチャードは父の腕を抱えたまま兵士の横を通り過ぎ、フラフラと力なく夜の街を歩き出した。
向かった先は街の外れにある、月明かりに照らされた母の墓地。
その傍らに穴を掘り、リチャードはその穴に父の腕を入れ、一晩中父母の墓の前でうなだれるように胡坐をかいて座っていた。