愛しているか分からない
思い付いた、ので、書いてみた。
「聞いてティアナ!」
いつもの決まり文句から、ロゼッタの話は始まった。
「私、旦那様に、愛しているか分からないって言われたの!」
そう言うと、ロゼッタは泣き始めた。
ティアナは心の中でため息をつくと、ロゼッタに向かって言った。
「それだけじゃ何も分かりませんよ、ロゼッタ」
「えぐっ、えぐぅ」
いや、実は大体分かるんだけど、この手の話は聞くだけ聞かないと先に進まないのよねぇ、とロゼッタの背中をさすりながら、ティアナはひとりごちた。
泣きじゃくるロゼッタを子供のようにあやしながら、ティアナが聞き出した話はこうだ。界隈ではバカップルで有名すぎるロゼッタとその旦那は、話で聞くだけでもとにかく甘い、雰囲気が。どうやったらそんなゲロ甘な雰囲気を作れるのかと、ティアナが客相手に密かに参考にしているのは内緒であるが。
ある意味専門家のティアナもうんざりするような、そんな糖分の過剰摂取で死にそうな雰囲気をまき散らしている夫婦に、最も似つかわしくない言葉を、ロゼッタはこともあろうに旦那から直接言われたらしい。
「聞き間違い、じゃないよねぇ」
「聞き、間違いじゃ、ない、ですぅ」
意外と肝が据わってるのか、聞き直して確認までしたというから、確かにそう言われたのだろう。
「愛しているか分からない、ねぇ」
正直に言うと、何で私にそういう話をするかな?というのがティアナの本音だった。あんなに情熱的に抱いてくれたのに、愛しているか分からないなんて、とロゼッタは衝撃を受けているようだが、ティアナにしてみれば、ふーん、で終わりである。
娼婦にそんなこと言われてもなぁ、と。こっちゃ毎日どころか、日に数度は愛してもない、好みでもない男に抱かれてるんだけど。そういう仕事だけどさ、うん。
まあ、雲の上は雲の上で色々大変そう、ってのは、ロゼッタと話してて分かったことだが。彼女は雲の上も雲の上、頂に居る存在だから、幾ら着飾っていたとしても、こうやってティアナが気安く話しかけて良い相手ではないのだ、本来的には。
なんで場末、でもないが、それにしたって娼婦と、筆頭侯爵家の御令嬢様、ああ、今は公爵夫人だったか、が優雅に?アフタヌーンティーと洒落こむ羽目になっているのかは、思い出すと長くなるから、まあ置いておいて。ティアナは話を進めた。
「旦那さんは、相変わらず優しいのよね?」
「はい、優しい、です」
「それは、貴族的な義務として?それとも妻を大切にする夫として?」
「わ、私は、後者だと、思いたいです」
ひとしきり泣いて吐き出して、ようやく落ち着いたのか、ロゼッタも普段通り受け答えできるようになってきた。
「それって、勘違いじゃないの?」
「私は、ちゃんと聞いたんですぅ」
聞いた言葉を思い出したのか、また泣きそうになるロゼッタをなだめつつ、ティアナは続けた。
「いやいや、ロゼッタ、あなたじゃなくて、旦那さんの方」
「え?」
意味が分からない、という風に呆けた表情で見てくるロゼッタを前に、ティアナは苦笑いした。
「会ったことは無いけど、あなたの旦那さん、話で聞く限りでは、かなり真面目で堅い印象があるんだけど、違う?」
「違いますよ、私にはとっても甘くて優しい旦那様です」
「いや、そうじゃなくて」
今はそういう惚気が聞きたいわけじゃなくって、とティアナは釘を刺す。
「仕事とか、考え方とか、そういうこと」
「うーん、どうなんでしょう」
首を傾げるロゼッタを見ながら、駄目だこりゃ、とティアナは紅茶を口に含んだ。自分だけじゃ絶対に飲むことも手に入れることも出来ない、超高級品である。最近はこの一杯の為に生きてるなぁ、私、とティアナはまたひとりごちた。
「そもそも貴族様って、見合い結婚ばかりなんじゃなかったの?」
「そ、そうです」
「愛し合って子作り、なんて夢みたいな話、とかじゃなかったっけ」
「そ、そうです…」
「優しくしてもらえればそれでいいの、とか言ってたのは誰だったかな」
「ううっ、ティアナが、ティアナが私をいじめるぅ…」
このまま弄り続けても楽しいんだけど、時間も限られているし、とティアナは本題に入った。
「実際どんな人か知らないからねぇ、断言は出来ないけど、多分大丈夫だと思うよ」
「そ、そうでしょうか」
「愛してるか分からない、っていうのがどういう意味なのか、聞いてはっきり教えてもらいなさいな」
「どういう、意味?」
「そうそう、言葉通りじゃないと思うよ、それ」
お貴族様なら分かるでしょ、とティアナは笑った。本当のところは、少し意図が違うけど、まあこれで思ったとおりにはなるはずだ。そう思うと、ティアナは、これまた高級品である茶菓子を堪能することにした。
◇◇◇
翌週。ティアナはまた、公爵家別邸でロゼッタとお茶を飲んでいた。最近は毎週定例のお茶会になりつつある。公爵夫人と場末の、でもないが、まあ娼婦が、毎週お茶会とか、どうなってるんだろう、とティアナは思わなくもないが、茶も茶請けの菓子も美味しいので、彼女は気にしないことにしている。
「聞いてくださる?ティアナ」
あ、これは長いやつだ、とティアナは悟ったが、こちとら拒否権なんてありはしない。仕方ないので拝聴の姿勢を示す。
「もちろん聞きますよ、先週の続きでしょ?」
「ええそうなの!」
そこから続いた話は、別に面白くもない話だったが、要はロゼッタの旦那が『愛する』という言葉を重く考えすぎていた、ということだった。神学における愛の定義とか持ち出されたら、そりゃほとんどの人は『愛しているとは言えない』という話になるわけで。
あんたはアホか、とティアナは言いたかった。
相手が神学者とか、ガチガチの教義原理主義者ならともかく、普通、ではないかもしれないが、まだ新婚の夢見る嫁さんに、そんな役所か頭でっかちの学者みたいな話するなよ、と。これだから現場を知らない生真面目坊ちゃんは困るんだよな。
どうせ何か本でも読んで、『俺は妻を本当に愛しているのか、この大切に慈しむ気持ちは、本当に愛なのか』とか考えちゃったりしたんだろう。
そんな世迷い寝言で大事な妻を傷つけ不安にさせるくらいなら、言わなけりゃいいのに、言わないのも誠意が無いとか、そんなことでも考えたのかね。
…はあ、そんなことさ、都合の悪い真実より、優しい嘘で固めとけばいいんだよ。それで誰が不利益を被るっていうのか。嘘だって、貫けば真になることもあるってのにね。要は時と場合を選べってことよ。
「で、ロゼッタ、結局愛してるって言ってもらえたの?」
「うん、きっと愛してるってことは、こういうことなんだろう、って抱き締めてくれたの」
そう言って自分の体に腕を回してキャッキャ言ってるロゼッタを見ながら、面倒臭いなぁ、とティアナは思った。そんなことをグチグチ考えるより、心のままに、感じたとおり表現すればいいのに。ただまあ、それが出来ないのがお貴族様なんだろうけどね、と彼女は思った。
『どっちにしろ、私には関係ない世界の話さ』
そんなティアナが、まさかロゼッタの旦那の知り合いに見初められて、あろうことか伯爵夫人になるなんて、本人も想像すらしなかったが、それはまた別の話。
思い出した、と言った方が正しいかも(ぅぁ)