第 6 話 詠唱
山折りにした膝を抱えて座る六人の前にアリアは立つ。
ウニ、セキエン、メイリー、ライセに加えハイちゃんオキちゃんも今日の訓練に参加するため六人なのだが、昨日の訓練同様にセキエンはアリアと共に教官を務める。それなのにも関わらず地べたに腰を下ろす彼からは反省の色が伺える。
アリアとウニに狂人のレッテルを張り無視されていたことが原因なのだから自業自得と言わざるを得ない。
一人だけ項垂れているセキエンから視線を切りアリアは一同を見渡しておもむろに口を開く。
「昨日、ウニには伝えたんだが…………」
見渡し告げるその過程で彼女と目が合い、どちらともなく両者揃って顔を赤らめる。その二人の脳内では昨日の光景がフラッシュバックしている。
重なり合うことなく失敗に終わってしまったからこそ余計に感じる羞恥の心。
悶えるように折りたたまれた膝に顔を埋める彼女とは違ってアリアに隠せる場所はない。それでも今から訓練をしようというのだから胸の高鳴りは沈めなければならないだろうと空を仰ぐようにして顔を持ち上げる。
深く呼吸を数回してなんとか高ぶりを押さえられたアリアは、自身の挙動不審な様子に疑問を抱き首を傾げる者たちが視界の端に映ったけれど構うことなく話を続ける。
「――こほんっ。今日は詠唱について教えていこうと思う」
咳を打って強引に空気を払い、できる限り簡潔に伝えた。
「はい!」
元気よく手を上げる少女が一人。アリアの告げた内容に了解を告げる返事ではなく質問のための挙手だった。
「はい、ハイちゃん!」
だからアリアが指名する。
「えいしょう? ってなに?」
彼女の質問内容には全員、苦笑いを浮かべた。「そこからか」なんてことを言いながらもアリアは質問に答える。
「ハイちゃんの場合は、"水ビーム"って言うやつだな。魔術を使う時に喋る言葉のことを詠唱って言うんだよ……わかった?」
なるべく分かりやすいように伝えたつもりだったが伝わっただろうか。アリアは軽く不安に駆られたが、それはすぐに解消される。
「理解したー!」
なんだか返答が賢い気もするが、賢い分には気にする必要はないだろう。気を取り直してアリアは続ける。
「詠唱は、はっきり言って"別に"必要ない」
「あ、あのそれでは今までの言葉に意味はなかったのですか?」
アリアの断言にハイちゃん同様、メイリーが低くではあるが手を上げながら質問をした。質問を挙手制にした覚えはないのだが律儀にも手を上げる彼女からは、やはり育ちの良さが伺える。
「いや、意味はあるぞ? 今言ったように"別に"必要ないというだけだ。あった方がいいのは確かだよ。だけど……常に詠唱しなければ魔術、魔法が行使できない。となっては、突発的な状況において非常にまずい。そうだな……」
例えば。と前置いてから「セキエン協力してくれ」そう言いアリアは実演して見せることにした。
セキエンの魔力操作の腕前は熟練者の領域に足を踏み入れている。二百年にも及ぶ長き月日を生き抜いてきたのだから当然と言えば当然。
それでも特別な血を継いでいるというわけでもなく、アリアたち悪魔や天使たちと渡り合えるほどの領域に自力で辿り着くことは並大抵のことではない。セキエン以上に長き月日を生きていても力を得られない者たちは五万と存在している。
ではなぜ彼がそこまでの力を得られたかと言えば、偏に彼の過去、歩んできた道のりが高みへと至らせたわけなのだが、今はその話はいいだろう。
とにかく。魔力操作の技術においてアリアにも引けを取らないセキエンは彼が伝えたいことを正確に理解することができた。
「心得た。では……」
立ち上がりセキエンは腰に下げる刀に手をかけた。
「……参る」
言葉を発すると同時。セキエンは地を蹴りアリアの背後に一瞬で回り込むと首筋目掛けて刀を振るう。実演である以上、殺傷が目的ではない。見ている者たちが目で追ってこられるようにゆっくりと。それでも、講義に意味を持たせるべく息を吐く間を与えることなく迅速に。
隙だらけの首を刎ねんばかりに振り下ろされた刃がアリアに到達することはなかった。
地面より出でる樹木が首の代わりに刀を受けている。
セキエンはその木を切ろうと思えば切断できたのだが、今は講義。その必要はなく、ただこの状況を見せる必要があっただけである。
オキちゃんが「おぉー」と真剣な眼差しで拍手を送り、それに続いて他の者たちもおもむろに拍手をする。照れた様子を見せるアリアを横目にセキエンは刀を鞘に納めた。
「こほんっ」
咳を打って空気と意識を切り替えるとアリアは続ける。
「今みたいな懐に侵入を許した状況や、とてつもなく速い攻撃。視覚外からの攻撃に対して、一々手を翳し詠唱をしていては間に合わない。だから、多少能力は落ちるが詠唱無しでも、魔術、魔法を行使できるようにしなければならない……ここまでは大丈夫か?」
セキエンを除いた五人が大きく頷いた事を確認してアリアはさらに続ける。
「今のは言わば守りのための知識。もちろん攻めにも生かせるが、攻める時は行使した魔術、魔法の能力がものを言う。能力ってのは力や速度だな。それらの能力を飛躍的に上げてくれるのが詠唱だ。とは言え厳密に言えば少し違うんだが……この解釈でいい」
少しの沈黙。アリアの思惑としては質問を待ったのだが誰も口を開かないことを確認してその時間を締め切る。「後は、そうだな……」そう呟きながらアリアは皆に背中を向け地面に手を当てる。
「生成――大樹。形成――"家"」
行使されたその術法を全員知っている。だけど聞き慣れた詠唱の中で一か所だけ違うこと。それは箱ではなく家。
そう唱えられ創り出された家は、今まで寝泊りしていた物が本当にただの箱だったと感じさせるほど出来栄えよく創られていた。装飾に凝り、扉がしっかりと取り付けられ、窓もあり、ただの四角い箱ではなく、三角に折られた屋根が、それは家だと教えてくれている。
眼前に建てられた豪邸に驚きを隠せないライセが口を開く。
「あ、アリア……こんなにしっかりした家が建てられるのに、なんで今まではあんな家しか用意しなかったんだ?」
もっともである。だが、アリアは真っ当なライセの意見を受けて肩を落とし嫌そうな表情を浮かべる。
「だって……形成――家ってダサくない?」
そんなことで……と、呆れながらもライセは断言する。
「箱も大して変わらないだろ!」
「お前! バカ! 箱はすげえんだぞ! 箱を馬鹿にするなよ!」
開戦の狼煙が上がったことで二人の不毛な口論が口火を切った。
ダサいかダサくないかはさて置き。箱に一体どんな思い出があるのやらと、メイリーは苦笑いを浮かべ二人の口論を見届けていた。
その後もしばらく続く不毛な争いはセキエンが宥めに入り一時、終結を見せた。
アリアはムスッと頬を腫らして話を再開する。
「……木よ成長して、グルっと囲んで家みたいになれ。とかそんな適当な言葉でもいいんだよ。ただ、長すぎると戦闘では役に立たないし……かっこ悪いし…………いかに短く自分がイメージしやすくなるかが重要だ」
「なるほどな。箱はともかくとして、確かに生成と形成はかっこいいし短いな」
箱はともかくと前置かれた事に、再度腹を立てたアリアがライセを睨む。
アリアの威圧を込められた視線を受け、ライセは口角を引きつらせ「悪い悪い」と謝罪をしたが、二度繰り返される言葉には良い印象を受けない事もまた事実。再戦の申し込みと受け取ったアリアはにやりと不気味に笑う。
「……アリア殿」
だが、背中に差し込む冷ややかな視線を感じ取りアリアは振り向いた。
「なんだ?」
「喧嘩を始めるのは結構でござるが……その程度の事で腹を立てている方が格好悪いと思わないでござるか?」
「…………」
もっともだった。何も言い返せない時点をもってアリアの敗北。湧いて出る怒りに蓋をして深く息を吐く。
落ち着きを取り戻すと共に、話を戻すため正面へと向き直す。
「……そういえば……お前らも詠唱して魔法を使ってきたんだろ? どんなのだったんだ?」
「…………」
アリアに尋ねられたライセが黙る。少しして、渋々といった様子で口を開いた。
「ディ、神々しい剣……」
「へーかっこいいな。どんな技なんだ?」
「……ひ、光る」
「ん?」
「……剣が光る」
「それで?」
「……それだけだ」
「……は?」
「……だから、ただ光るんだよ! それだけだ! 悪いか!」
悪いか悪くないかで言えば格好悪い。「ぷっ」と噴き出したアリアは腹を抱えて笑う。「箱以下じゃねえか」と言いながら。自身のネーミングセンスも巻き添えに傷つけながらもアリアは笑い続けた。
「神々しい剣!」
我慢の限界だと言わんばかりにライセは詠唱を済ませ、ピカピカと光り輝く大剣をアリアに向けて振り下ろす。
「うおっ! 危ねえな! なにすんだ!」
ヒョイと余裕で躱しておきながら文句を垂れるアリアに向けて、
「箱なんかよりは百倍マシだ!」
そう言い放ったライセの言葉を合図に戦いの火ぶたは切って落とされた。
とは言っても、この程度の事で命を取り合う戦いをするわけもなく両者、素手による殴り合いへと移行する。互いの詠唱への批判と共にポコポコと音を立てて殴り合う二人の男。その戦いはとても見苦しいものだった――。
「メイリーはどんな詠唱で魔法を使ってたんですか?」
子供のような喧嘩をする二人を他所に、ウニがメイリーに問いかけた。
「んー。実は天啓で風とは言われてたけど使ったことがないのよね」
「そうなんですか?」
「一応、王族だし。戦うための修行とかは全然してこなかったの。魔族とは違って人間の王は動かないから……」
自身に対する非難も含めて口にするメイリーは自身の表情が暗く沈んでいることに気付き、慌てて笑顔を作りなおす。
「なんて……これはただの良いわけよね」
「私も里長の娘でしたから……メイリーの気持ちがよくわかります。自身に使う言葉ではありませんが籠の鳥のようでした。大切にされてきたのですが……それのせいでウンディーネなのに水は生み出せず、操ることすらままならない。いけませんよね、誰かのせいにしていては」
ウニはそう告げるとメイリー同様に沈んだ表情を微笑みに変えて続ける。
「でも、アリアと出会って変わった。いつの日か肩を並べて、背中を合わせて戦えるように。アリアの力になりたい。……いいえ。力になる! そう決めました」
だから今は強くなるだけです――。
そう口にするウニの纏うオーラはウンディーネの……精霊のそれではなく。
あの日、本で見た魔王。アスタリアのようだと、メイリーは思った。
「……私も頑張るわ!」
決意を固める二人に気付きアリアとライセは見惚れ、争うのをやめた。
その後、詠唱についてある程度の説明を終えたアリアは、自分とセキエンが教官となり、それぞれに訓練を開始させた。
メイリーは無詠唱での花の生成。
ライセは神々しい剣の効果率の増加、つまり光るだけではなく属性効果を伴った、戦闘で使えるようにするための訓練である。
ハイちゃんとオキちゃんは無詠唱での水の生成。
ウニは以前と同じく吸収と放出、拡散を詠唱して繰り返し行っている。
メイリーとウニの心境を聞いたからか、訓練に励む者たちの表情はいつにも増して真剣なものとなっている。彼女たちの想いを無下にしないために教える二人セキエンとアリアも気を引き締めて指導に当たる。
「ウニは今まで俺と同じように詠唱してたけど、自分の言葉でいいんだぞ?」
アリアがふと思ったことを口に出した。その言葉通り彼女が詠唱している吸収、放出、拡散はアリアが教えた詠唱方法だった。
「いえ、私には才能がありませんから。アリアの指示通り詠唱します」
別段、というか差し当たった問題があるわけではない。彼女がそう言うのなら無理に強制させることもないだろうとアリアは深く気にせず、彼女の横で水の生成をする二人の元素精霊に目を向ける。
ハイちゃんオキちゃんは無言でただただ桶に水を注でいる。
何事も全力で楽しむハイちゃんの表情が、その単純作業のせいで若干やつれている気がする。見ていられなくなったアリアはすぐさま視線を逸らせた。
「アリアがウニのために技名を付けてあげればいいんじゃないか?」
才能がありませんから――ウニが言ったその言葉は魔術や魔法に対して言ったものであったが、その言葉を聞いていたライセは、詠唱のネーミングセンスに対しての物だと勘違いをして口を開いた。
「は? どういうことだ?」
勘違いしていないアリアは、何を言っているのか理解できず溜まらず聞き返す。
「だからアリアがウニのために技の詠唱を考えてあげたらどうだってことだよ」
だが、何も感じ取っていないライセは多少、言葉を変えたが同じことを言った。だけど先程とは違いニヤリと微笑むライセの表情から、アリアは悪意を感じ取った。
(なるほどな、箱よろしくと言わんばかりのダサい技名を付けさせて、恥の上塗りをさせようって魂胆か。面白い)
「いいな。確かに戦闘中、一瞬でイメージがまとまるよう自分だけの詠唱を用意するのは悪いことじゃない。ただ他人が考えるものだからな。使うかどうかはウニに任せよう。どうだウニ」
よくわからないけど、アリアが自分だけのために技名をプレゼントしてくれる。そう判断してウニは微笑む。
「はい、お願いします!」
「よし」と意気込み、アリアが詠唱の思考に入ろうとした段階でセキエンがそれを止める。
「待たれよ。拙者、こう見えて命名には自身があるでござる」
ちっ。とウニは心の中で舌打ちをした。もちろん心の中の舌打ちにセキエンが気付けるはずもなく彼はそのまま話を続ける。
「拙者とアリア殿で考えても、ウニ殿はアリア殿の考えた名称がどんなに酷いものであったとしても、きっとそっちを選ぶでござる」
酷いものを考える前提で話す彼の口ぶりにアリアは怒りを覚えたが、黙って話が終わるのを待った。
「だから、拙者。アリア殿。それからライセ殿の三人で技名を考えメイリー殿に報告しメイリー殿から発表してもらう。もちろん誰が考えたものかは伏せて……どうでござるか?」
「乗った。面白そうだ」
ライセはすぐに提案を受けた。面白そうだと告げた言葉から分かる通り遊び感覚で気軽に。
アリアは考える。
(ディバインソード、能力はともかく名前自体はとても格好いい、ライセは選考の際に自身の前に立ち塞がる障害かもしれない)
アリアは考える。
(これで選んでもらえなかった時、どれだけ心にダメージを受けるだろう)
アリアは考える。
(逆に……ウニに選んでもらえた時、どれだけ嬉しいだろう……)
「よし、やろう。ウニもいいか?」
ウニは考える。
(アリアの詠唱を選べなかった時、どれだけ心にダメージを受けるのでしょうか)
ウニは考える。
(逆に……アリアが考えた詠唱を選べた時、どれだけ嬉しいのでしょう…………アリアも喜んでくれるはず……)
「はい。大丈夫です。やりましょう!」
こうしてアリアとウニの絶対に負けられない戦いが始まった。
詠唱を考えるにあたってベースとする技は放出――拡散である。地面と平行して水が飛び出し、穿つ。それらの情報をいかに短い文言で分かりやすくイメージできるかがカギだ。
口にする際の唱えやすさも重要だろう。
セキエンは早々にメイリーに報告を済ませ、鼻歌を歌っている。
ライセは地面に書いた二択を指差し、どちらにしようかなと最終選考に入っている。
アリアはなにも決まっていなかった。狭まった思考回路が焦りに駆られ、さらに細められていく。
(やばいやばい。どうしよう。やばいやばいよ)
やばいしか考えられず嫌われるかもしれないという絶望を抱き、真っ黒に塗り潰されていく頭の中に光が灯る。
(わ、私はアリアのことを……愛しています……今もこれからも)
光の正体は昨日、彼女から告げられた言の葉。
(そうだ。こんなことで嫌われるわけがない。落ち着け。落ち着くんだ)
そうして落ち着きを取り戻していくアリアの心にかかった暗く厚い雲を、ウニの言葉が魔法のような効力をもって払いのけ、晴れ間が差す。
(そうだ! これだ!)
そして出来上がった詠唱は会心と言ったほどに力作だとアリアは喜び、これで選ばれなくても悔いはないと満足していた。
三人の報告が済み、発表するだけだったはずのメイリーは、その場を包み込む異様な緊張感に冷や汗を流し息を飲んだ。
(なんなの。この空気。まるで一人の女性を三人が取り合っているかのような緊張感ね。言ってしまえば、たかが魔法の詠唱で……どうしてこうなったの…………)
メイリーはそこまで思考して発端であるライセとセキエンを見る。
(これでウニがアリアの考えた名称を選べなかった時、一体どうなってしまうの……? こっそり合図を送るべき……?)
余裕の笑みを浮かべるライセと、鼻歌交じりに発表を待つセキエン。気楽な二人に呆れを覚えメイリーは項垂れたが頭を横に振って思考を切り替える。
(いいえ。そんなズルで選べてもきっと二人は喜ばない。二人なら大丈夫よ。それに――)
自身の考えを胸の内に留めて、メイリーは深呼吸をして発表した。
雫射撃、横時雨、雨弓矢。
「ほう。アリア殿とライセ殿もなかなか良い名前を考えたものでござるな」
余裕の佇まいで口を開いたセキエンの言葉にアリアは反応せず、両手を握りしめ祈るように瞼を閉じる。
そのアリアを横目にゴクリと唾を呑み込んでウニは結果を告げる。
「で、では…………雨弓矢でお願いします」
アリアは崩れ落ちた。
それは、絶望した時のそれではなく。自身の考えた詠唱を選んでもらえた安心感のせいで力が抜け倒れてしまった。
ウニも崩れ落ちた。
アリアの心の内を知らない彼女は選択を間違えたてしまったと絶望して倒れた。
自身がへたり込んだことで同様に膝を折った彼女をアリアは慌てて抱き寄せる。
「ウニ、大丈夫だ。ありがとう」
「……あ、アリアの物だったのですか?」
「そうだよ」
「なんでへたり込むんですかーーー」
安心のあまり涙を流す彼女にまた愛情増してそっと微笑む。
「いや、安心のあまりつい……」
「びっくりさせないでください」
なんてことを言いながら、アリアの肩をポコポコと叩きながら告げるウニの表情は実に晴れやかで、まさに雨上がりの虹のような輝きを放っていた。
「せ、拙者の横時雨は……」
「あ、それだけは一番に候補から外しました」
セキエンが崩れ落ちた。
それは、絶望した時のそれだった。ポンと肩に手を置くライセの精一杯の慰めを受けセキエンはアリアたち同様に抱擁するべく両手を開いて彼を迎えるが。
「いや、それは気持ち悪い」
完全否定の言葉を受けさらに肩を落とした。
そうして項垂れるセキエンは放置して「さて」そう切り出してアリアは告げる。
「実践してみよう」
ウニは溜められた水の吸収が済むと前方に、まさしく弓を構えるようにして両腕を突き出した。アリアから与えられた詠唱に愛しさを抱きながら、行使する魔法の結果を自分なりにイメージして囁く。
「――レインボウ・アロー」
飛び出したものは水球ではなく、一具の水で作られた弓と矢。その時点で先の魔法と比べると大きく異なり見ている者は一様に驚きの表情を浮かべたが、ウニは驚くことはない。自身が描いたイメージ通りだからである。
弓を左手で構え、右手に握る矢を放った。
以前とは比べるまでもなく上昇したその威力は、前方に立ち並ぶ木々を"粉砕"しながら前進し続ける。
五百メートルは飛んだだろう。一矢の軌道上の木々が粉々に砕け散り視界が開けている。
その結果にはウニ本人も含めて全員、開いた口が塞がらなかった。
「完全に別物じゃん」
ボソッと呟かれたライセの発言に苦笑いを浮かべるアリアに
「あ、アリアどうでしょうか」
ウニが問いかけた。
「あ、ああ。概ね予想通りだ」
「な、なにが予想外だったんだ?」
概ね。と言ったことから少なからずの予想外があるのだろうと思いライセは言った。
「威力だな。発動は今みたいなのを想像して名前を付けたけど。威力は木を二、三本貫けたら上々だと思ってた」
「木を二、三本どころか十本以上薙ぎ倒した上に、地面まで抉ってるぞ!」
「いや、だから、俺も驚いてる」
驚きが足りねえよ。ライセはそう思ったが、そもそもアリアが規格外な存在なのだと思い出し胸に押し留めた。
「拙者の横時雨では、こうはならなかったでござるな。いやはや、さすがはアリア殿でござる」
「さすがなのは、俺じゃあないさ」
アリアはそう言い、ウニに目を向ける。納得したセキエンは「確かに」と頷き笑った。
ウニの魔法にそれぞれが感心している中でメイリーだけは疑問を抱いていた。
「ですがよろしいのですか? 詠唱から発動までの時間が遅くなってしまいましたが……」
放出、拡散とは違い、弓の出現、構え、放つ工程が増えており、確かに効果が発揮されるまでの時間は遅くなっている。
メイリーの疑問は、もっともだがアリアは「何の問題もない」と答えた。
それもそのはず。なにも魔法はその一つではないのだから。その魔法が最大限威力を発揮する場面で使えばいいだけである。
突発的な状況を打破する魔法は、また考え訓練するだけだとアリアは言い、メイリーは納得した。
アリアの予想外。ライセに問われ、威力と答えた事に偽りはない。
アリアの予想では矢のような水が、翳した手のひらから放出されるだけだと思っていたが、結果は違うものとなった。
弓の生成。その結果から分かる彼女の魔法の本質。
それは、水の固体化。
冷えて氷にしたわけでもなければ、ほかの物質を混入させたわけでもない。
その水はただの水としてウニの手に今も形を変えることなく握られている。おそらくそれこそが魔法ではなく、ウンディーネの本領。
アリアはそう見切りをつけて口を開く。
「ウニ、その弓をちょっと貸してくれ」
その水の弓、水弓と呼ぶべきそれをアリアが握ることができたのならばただの魔法として認識することができる。
だが……いや、やはり。アリアに水弓が手渡されることはなかった。
触れることはできて、握ることもできた。だけど、ウニが手を離すと水弓は弓の形を崩し、重力に従って地面に流れ落ちた。
――アリアは自身の予想通りの結果に、苦笑いを浮かべた。ウニは何が何だか分からず、と言った様子で謝る。
「あ、あれ? ごめんなさい。すぐ作ります」
「いや、大丈夫だ。その弓はウンディーネにしか持てない」
あからさまに疑問の表情を浮かべるウニ。アリアは少し迷ったが説明することにした。
「ウンディーネの特殊能力の一つだ。水の固体化。今回は魔法の流れで弓を作ったが、多分なんでも水で作り出せる。というより触れていれば固められる。そうだな…………ぱっと思いつく用途だと水の上を歩ける。とかだな」
アリアのその言葉を聞いてウニはハッとした。水面に立つ父の姿を思い出したから。
「その様子だと心当たりがあるみたいだな。なんで教えてくれなかったんだ……隠してなきゃいけない事だったか?」
「い、いえ。そうではありません。ち、父が水の上を歩いていました。なんで疑問に思わなかったんでしょう」
物心ついた時から当たり前の事実があったとして、それが自分にはできなかったとしても、それが当たり前として記憶に保管される。そういうものだと認識している記憶の引き出しを、きっかけなく自力で開けることは非常に困難だろう。
そしてなにより、ウニの場合は自身で気づく前に、教わる前に里を出た。
「とりあえず、俺たちと同じやり方で訓練しない方がいいだろうな。というか……ハイちゃんオキちゃん水をくれー」
「あいあいさー!」
若干やつれ気味だったハイちゃんは、自分の出番だと喜び勇んで飛んでくる。アリアはそのハイちゃんの様子を微笑ましく思いながら、木で直径二メートル程の特大の桶を作った。
「実験してみよう」
出来上がると同時にアリアはそう告げ、二人の元素精霊は水を注ぎ始める。底から二十センチ程の水が溜まったところでアリアは悪魔のような笑みを浮かべ、ウニに告げる。
「よし。それじゃあ歩いてくれ」
そんな無茶な。とウニは言いたかったのだろう。若干頬を引きつらせてながらも口にはせず、履いている靴を脱ぐと水に足を付けた。
「それは床だ! そう思い込め―」
なんだか聞き覚えのあるセリフに笑みを浮かべ、床を探すように右足を動かす。チャプチャプと音を立て足先で床を探すが見つからない。床どころか、水以外の感触を得られない。
そのまま、しばらく片足立ちを続けていたウニだったが、風が吹きウニの体を煽った。
大した風力ではなかったが長く片足で立っていたために疲労の色濃く、すぐにバランスを崩し勢いよく桶の中――水の中へと倒れこんだ。
はずだった。
「きゃ……あ、あれ?」
痛みもなければ全身が濡れることもなく。桶の底から二十センチ上空。ウニは水面に体を浮かせていた。
う、羨ましい――アリアはそう思ってしまった。
水面を歩く、誰もが一度は抱く夢ではないだろうか。目の前の少女はアリアの夢をあっさりと達成していた。
「う、羨ましい」
ライセだった。アリアとまったく同じ感想を抱いたライセは思わず口に出していた。
「ウンディーネにはこんな力があったのね……すごい……」
そう呟いたメイリーに限らず、各々が感嘆の言葉を口にしている中で、アリアだけは驚きや称賛の声を上げず、ただ考えていた。
そして理解する。ウンディーネの持つこの能力の凄さは"こんなもの"じゃないと。
力の可能性を余すことなく理解したアリアは、苦笑いを禁じえなかった。
魔術、魔法の詠唱を決める過程。この世界ではこんな風に各々が独断と偏見を用いて決めています。
個人的には横時雨がお気に入りですが、ウニはレインボウアローを選ぶはず……