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第 5 話 知る



 ライセは簡易拠点へ戻って早々に、違和感のある光景を目の当たりにする。


 それは寝そべり、ウニの膝に頭を乗せるアリア。


 一見。羨ましいようにも思える体勢なのだが、アリアの表情は曇っている。というか、辛そうだった。だが、アリアとは対照的にウニはとても満足そうにしている。

 その表情の差が違和感であり、疑問に思ったライセは二人に聞くでもなくメイリーに視線を移した。


「なんでアリアさんは辛そうにしてるんだ?」


 ライセからの問いを受けてメイリーは微笑を浮かべると事の成り行きを話した。


「ライセが出て行って早々、腰を下ろしたアリアさんの隣に座ったウニさんが…………」



「アリアは疲れているでしょうから横になってください」なんて事を言いながら自身の膝を叩いて示した彼女に対して「もう疲れは取れたから大丈夫」とアリアは告げたのだが、「そんなわけはありません」と言ってきかないウニさんに「それにしたって膝枕は恥ずかしい」と負けじとアリアも拒否を続けた。



「……その後も数回、似たやり取りをした後でアリアさんが折れて今に至る。というわけです……」

「な、なるほど……」


 つまりはアリアが膝枕をしている。のではなくて、ウニが膝枕をさせている。と取れる状況であるわけだ。

 通りでアリアが辛そうな表情を浮かべるわけだとライセは納得して自身も腰を下ろした。


「あれ。ライセ殿……拙者の体は?」

「ああ。入り口の段差を越えるのがきつそうだったからな。外に置いてきた」

「もう少しの辛抱でござるぞ……」

「多分、元の場所に戻す方が楽だろうな。試してみるか?」


 にやりと笑うライセの表情に嫌な既視感を覚えたセキエンはすぐに原因を理解する。


「この短期間でもうアリア殿の悪影響を受け始めてしまったでござるな……」

「いえ。ライセは元からこういう人です」

「なるほど。メイリー殿も大変でござるな」


 笑うライセを横目にメイリーは微笑を浮かべたが、セキエンの言葉に同意の言葉は返せなかった。ライセの事はともかくとして、返してしまえばアリアの事も大変に思っていると認めてしまうからだ。

 それこそセキエンが言ったように短期間しか接していないが、アリアが聞いていたところで怒るとは思えない程には理解している。だけどまだまだ距離があることもまた事実。

 時として冗談がその距離を縮める最善手になる事はあるのだが、逆効果。ということもあるだろう。一か八かの賭けとまではいかないがギャンブルであることに変わりがなく、それを試せるほどの勇気がメイリーにはなかった。


「ふむ。メイリー殿が思っておるような事態にはならないでござるよ」

「私……そんなに顔に出ていましたか……?」


 心を見透かされたようにセキエンから言葉を投げかけられてメイリーは頬を押さえる。


「がっつりな。まあメイリーの気持ちも分かるけど……もう少し心を開いてもいいと思うぞ?」

「いえ。心を開いていないというわけではないのです」


 国の現状、自身の胸の内に抱く想いを曝け出した時点で、メイリーにとってはこれ以上ないくらいに心を開いている。それでもライセに思われている原因は、きっと自身が持つ元々の性格、育ちが問題だろう。


「ああ。()にもメイリーは王女だったな」


 ライセが告げたように王女であるメイリーは単純に育ちがいいのだ。礼儀を重んじて失礼のないように心を隠し、言葉を選ぶように躾けられてきた。感情すらも自由気ままに、とはいかないのだ。


 だけどライセにならば悪態を吐くことも可能だろう。幼少のころより今に至るまで長く過ごしてきたのだから。


「仮にってどういうことよ」


 ゴロゴロと暗雲立ち込めるメイリーの表情の代り映えにライセは身を仰け反らせ微笑を浮かべる。


「メイリー。落ち着け。それだ。俺はそれが見たかったんだ」

「……どういうことよ」

「ほら! 見ろ!」


 そう言ってライセが切った視線の方向へメイリーも視線をずらした。二人が視線の先で見たものは「きょとん」としている男女が二人。黒く怒りに染まったメイリーの顔は急激に温度を上昇させて真っ赤に染め上げた。


「メイリーもそんな顔するんだな」

「ど、どんな顔でしょうか……」

「どんなって……んー。怒りを剥き出しにした? いや違うな。どんな顔だろう……」


 怒りも確かにあったのだろうけれど、彼女の心に存在していた想いは怒り一色ではないこともアリアには理解できていて、だけど表す言葉が見つからない。

 

「素顔。ではないでしょうか」


 そうして悩むアリアの顔を覗き込み、告げたウニの言葉について考える。


「……うん。素顔。で間違いないな」


 余すことなく(こころ)の中より浮き出した想いが表に立って表情となる。そこにどれだけの想いが共存していようとも一言で述べるのであれば素顔を措いて他にない。

 アリアとウニの言葉を受けてメイリーの素顔もまた赤みを強める。


「見ないでください……」


 両手で覆い隠された表情とは裏腹に、彼女の放つ雰囲気が彼女の思いを教えてくれる。多分に含まれた恥ずかしさの中に紛れ込む喜びを確かに感じて四人はそっと微笑んだ。




 少しして落ち着いた様子を見せるメイリーを確認したライセはハッとしたように思い出し、セキエンの体を持ち帰る最中に抱いた疑問を投げかける。


「そういえば……アリアさん()()師匠っているのか?」


「にもって……俺はお前たちの師匠じゃないぞ」


 未だウニの膝の上に頭を乗せるアリアが目を細めながら注釈を入れる。その言葉を受けて「ちっ」と舌打ちをするライセの思惑としてはどさくさに紛れて弟子の認可を受けようというものだった。

 狡賢(ずるがしこ)い思考を働かせたライセ。鋭い気付きを見せたアリア。両者、抜け目なさを披露したところで褒められることではない。


「アリア。よく気付きましたね。すごいです」


 アリアは褒められた。


「そうだろ。何せ俺は聡明だからな」


 鼻高々と言った具合に調子に乗るアリアは結局ウニの手のひらで踊っているだけに過ぎない。なぜならウニは調子に乗るアリアの表情が堪らなく好きなのだ。満足そうに頭を撫でられるアリア様を撫でている張本人の方こそ大満足と言った表情を浮かべている。

 結果、一番抜け目ないのは彼女だった。ということなのだろう。

 その事に全く気付くことなく上機嫌にアリアは話を戻す。


「それで、師匠なら……まあ一応いるぞ」


 一応という歯切れの悪いアリアの返事に疑問を抱きはしたが深く気にせずライセは続ける。


「やっぱりか。どんな人なんだ?」

「ん? 悪魔だ」

「まあそうなんだろけどさ、アリアさんの師匠なんだ。大悪魔どころか魔王の一人かもしれないだろ?」

「…………その辺のことはよく知らないな。あの頃は強くなりたいばかりで他の事を知りたいとは思わなかったから……」


 アリアの表情が影を踏む。原因は強くなりたいその理由が頭を過ぎったことだろう。全員、言葉を発せずに黙って続くアリアの言葉を待った。


「ただ、母さんの知り合いだったみたいだし、当時の俺とは比べ物にならないくらい強かったから。それなりに有名かもな」


 ライセとメイリーは唾を飲み込んだ。

 魔王の知り合いでアリアより強い悪魔って魔王しかいないでしょ――二人はそう考えてメイリーが恐る恐る口を開く。


「ち、ちなみに、名前とかって聞いてもいいのかしら……」

「んー。俺はずっと師匠(せんせい)って呼ばされてたからなー。何だったかな…………確かリリスにはベリアルって呼ばれてたかな」


 メイリーの悲鳴が家中に響いた。もしかすると森中かもしれない。ライセは「うおおおおお」と言いながら何もない空間を大剣で切り裂いている。

 未だ回復しきっていないセキエンは顔を伏しているため、よくわからない。

 差し当たりアリアにとっての問題はウニだった。


「ア、アリア! リリスって誰ですか! 女性ですか! どど、どういう関係なんですか!」


 そっちかよ――アリアは心の中でツッコんだ。セキエンはともかくとしてメイリーとライセは間違いなく師匠の名の方に反応しているはずなのに、自身の膝は痛くないのかウニはアリアの体を盛大に揺らしながら叫んでいる。


「ウ、ウニ落ち着いてくれ! 女性だが、ただの知り合いだ! いや……ただの知り合いではないか」

「いやああああああ! では、特別な知り合いなんですね! ど、どこまでですか! どこまでしたんですか!」

「え、なにを……」

「いやああああああ! とぼけようとしてるうううう!」


 元気溌剌(はつらつ)のウニさんだった。


「ま、待ってくれ! とぼけるってなんだ! リリスは師匠(せんせい)と同じ師匠みたいなものだよ! そ、それに俺はウニだけを! あ、あ、あいす……うおおおおおお!」


 アリアは勢いよく立ち上がり、ライセと同じく何もない空間を鞘に納めたままの剣で斬りつけ始めた。


 出来上がったその場所は、はっきり言って滅茶苦茶だった。


 アリアとライセは(くう)を切りつける舞を踊り、メイリーとウニは何かしらの叫びを思わせる表情を浮かべている。

 ただ一人、落ち着いているセキエンだけがその状況を楽しめている。



 十分後。セキエンを除いた四人は皆一様に頬を赤く染めていた。

 落ち着きがある程度回復した代わりに恥ずかしさが込み上げた四人は誰から言うでもなく、お山状に折りたたまれた膝に顔を埋めて座っている。


 沈黙。訪れた静寂に(らち)が明かないと判断し、しびれを切らせたセキエンが口を開く。


「拙者の師匠の話に興味はあるでござるか?」

「ない」

「ないな」

「ないです」

「ないですね」


 無いと宣言したアリアを筆頭にライセ、ウニ、メイリーの順に披露した無いの四段活用は、いずれにしても無いだけだった。言葉の持つ意味が一つだからこそ四人の想いは一つであると見せつけたチームワークは見事と称賛するに値する。


 結果、セキエンは泣いた――――。


「いや、あるぞ? あるけど今はないって意味だ。なあ皆」


 しくしくとすすり泣くセキエンの姿に心を痛め、アリアはすぐさま補足した。三人は大きく頷くと、慌てて各々の言葉でセキエンを宥める。


「ホントに? 拙者の師匠の話に興味ある?」


 少ししてから顔を上げたセキエンが、なにやら可愛げな声を発した。


「あ、ああ」


 キモチワルッ。アリアはそう思ったが、その想いを必死に抑え込み引きつった顔を悟られぬように返事をした。


「あれはまだ拙者が……」

「いや、さっきも言ったが今はいい」

「なんでござる、なんでござる。聞いてくれる流れでござったろう!」

「それとこれとは話が別だ」


 アリアは平坦な冷たい口調でセキエンの話を遮った。

 一応はセキエンのおかげで皆は落ち着きを取り戻し、一呼吸おいてメイリーが話を戻す。


「しかし……魔王アスタリアの息子が魔王ベリアルの弟子だったなんて。世界がひっくり返るような衝撃的な事実ですよ……」

「それはいくらなんでも、大げさなんじゃないか?」


 メイリーが表情に微かな怒気をはらませて、アリアに告げる。


「アリアさん。魔王ベリアルですよ、ベリアル。聞いたことないんですか?」


 グイグイと身を押し込んでくるメイリーの圧に、アリアは身を引かせながら考える。


「さ、さあ。俺はウニとセキエンとしか基本話して来なかったから……ウニたちは知ってるか?」

「はい。アリアと旅を共にする前の話にはなりますが。名前は聞いたことがあります。名前以外だと……謎の多い男。とかですね」


 謎の多い男。アリアはベリアルを思い浮かべ「確かに」と口にした。


「アリア殿。ベリアル様は魔族の二本の柱である心を担っておる存在でござるよ」

「二本の柱? 心となんだ?」

「もちろん体でござる。精神的(せいしんてき)支柱(しちゅう)ベリアル。そして神体的(しんたいてき)支柱(しちゅう)ルシファー。この二人の魔王のどちらか一人でも欠ければ、魔族は総崩れになると言われているでござる」

「ふーん」


 自分で聞いておきながら興味の薄そうな返事をするアリアを見かねて、メイリーは深い溜息をもらす。


「アリアさん。そんなすごい方から直に修行を受けていたんです。天使が知ればこう考える者も出てくるはずです……第三の支柱になる前にその芽を摘み取らねば。とね!」


(キャラが変わってる、こんな子だっけ?)

 アリアはどこまでものんきであった。


(あ、聞いてないなコイツ)

 アリアの心をしっかりと理解していたメイリーは頭の中ではあるが、アリアをコイツ呼ばわりしてしまった事に気付き頭を振るう。

 そのメイリーの様子に疑念は抱いたが、問うことはせずアリアは口を開く。


「まあ、いずれ知られることなんだ。別にいいよ。探す手間も省けるしな」


 どこか不敵な笑みを浮かべて語るアリアの言葉にこそメイリーは疑問を抱いた。


「探す? 天使を探してるのですか?」

「ああ、言ってなかったな。俺の旅の目的は殺された街の皆の仇討ちだ。だからあの場に攻めてきた天使を探してる」


 何でもない事のように話すアリアにメイリーは絶句した。

 メイリーは言葉が出ない代わりに必死に身振り手振りで感情を伝えようとしたが、アリアは首を傾げるばかりで全然理解してくれない。深呼吸を三回して「あ、あー」と声が出ることを確認するとメイリーは告げた。


「自殺行為です! やめてください!」

「やめないよ。それで死ぬのならそれでもいい。じゃなきゃ俺が納得できない」


 即答。


 メイリーはアリアの表情と、その言葉を受けて何も言い返せなかった。


「自殺行為……か。もしかして知ってるのか? 誰がやったのか」


 アリアはメイリーが自分の実力を高く評価している上で自殺行為だと告げたことから、その天使の実力を理解していると判断して問いかけたが、メイリーは口を手で押さえながら首を大きく横に振った。


(まあ知ってても言えないか……)

 アリアはそう思い至り「無理に聞かないから安心してくれ」と、そう告げた。


「メイリー。ちょっと外に出ててくれ」


 雰囲気に重たいものを纏わせてライセは言った。


「ちょっと! 言う気? せっかくアリアさんが聞かないって言ってくれたのに」

「俺は使族の身で、今まで散々天使様に守られ責任を(なす)り付けてきたが。今はアリアさんの味方だ……それに俺たちの国を救ってくれようとしてるんだ。何の見返りも求めずにな。だから俺は誠実でありたい。もちろん俺の()(まま)にメイリーを巻き込むつもりもない。だから外に出ててくれ」


 ライセの言葉にアリアは驚き、ウニとセキエンは微笑んだ。


 メイリーはその場を行ったり来たりを繰り返している。()にも王女である以上、彼女が考えなければいけない事は自身の事ではなく国民の事。彼女自身もライセと同様にアリアの事は大切な仲間であると考えてはいるものの、それでもアリアは魔族なのだ。

 自身の国に関する事ならばまだしも、他国まで巻き込むような情報を話してよいものなのか考えるが、答えは簡単。良いわけがない。


 何度、自問自答しても理屈に勝ちきれない自身の感情にメイリーは無理やり結論を出す。


 勝てなくていいと。


 国民の事を二の次にしてしまった彼女は今をもって王女であることを辞めた。そして腹を括ったと言わんばかりに「どしんっ」と勢いよく座る。その様子からは王女らしさなど、下手をすれば女性らしさすら感じられないほどの格好良さに溢れていた。


「いいわ。話す。だけど、アリアさん約束して。死なないで、死んでもいいなんて思わないで」

「別に言わなくてもいいのに……なんなんだお前ら」


 俯き話すアリアの言葉は精一杯の照れ隠し。素直に嬉しかった。母親が死んでから独りだったアリアは師匠がいても同じ街で生きる者たちがいても、どこか孤独に感じて生きてきた。

 だけど、ウニとセキエンと出会い独りが三人に、そしてメイリーとライセが現れ五人へ。

 自分を心配してくれる存在が五倍へ。


 気を抜けば泣いていたかもしれない。アリアは笑って約束をする。


「分かった。死なない」


 死なないように頑張るよ――。


 


 そしてまずはメイリーが話し始めた。


「十年前、お父様。国王メルド・フィリアが天使様と話しているところを偶然聞いたの。毎日のように起こる戦争の話に興味はなかったけど、国王が話している相手の声は自国の守護天使であるラファエル様のものではなく男性のものだった。不思議に思った私は隠れて話を聞いていた。その内容は、魔族領域の大国ディアリスヘルンに攻め込むから、この国の人間からも人員を出せ。そういう内容だった」

 ライセが続ける。

「俺には年の離れた兄がいる。名前はトリオン。トリオンはその戦争に参加して生きて帰ってきた。だからこれは兄から直接聞いた話だ。その戦争に参加した人間は、周辺三ヵ国からなる合同軍で、その数は百万。……ありえないと思ったよ。そんな馬鹿げた数……だけどトリオンは言った。見渡す限り人間で埋め尽くされ、何が何だか、自分が今どこを歩いているのかすら分からないって…………だけど一つだけ分かったことは上空から進軍する天使の兵が五万ほどいたらしい。目算だから正確ではないけれど五万は確実だってそう言っていた」


 百万の人間だけでも過剰戦力と言って差し支えない。それに合わせて最低五万の天使軍。


 明らかに不自然。国など余裕で落とせるほどの戦力で仕掛けておきながらディアリスヘルンは滅びていない。滅びたのはディアリスヘルンの首都フェリーチアのみ。


「国王と話していた天使こそが、その軍の指揮官であり事を起こした張本人…………」


 メイリーは瞼を固く閉ざして続ける。


「そ、その天使の名前はミカエル。大天使ミカエル」


 アリアは思い出す。遡る事十年前、十空にて佇む天使が放った言葉を。


「そしてミカエルを支える二対の副官。カマエルとクシエル」


 さらに深く思い出す。言葉を放った天使の姿と、後ろに控える二人の天使を。


「アリアさんのお母様。アスタリア様と対等に戦えるのは恐らくこの三天使だけ。なぜ、ディアリスヘルンを攻めたのかとか、そういう細かい理由は分からないけれど……これが私たちが知る、あの戦争の経緯(いきさつ)よ」


 アリアは再び考える。国など余裕で落とせるほどの戦力で仕掛けておきながら国は取らず、フェリーチアだけを魔王アスタリアだけを滅ぼし去ったその訳を。だが、そんな謎は今はどうでもいいとすぐに思考を捨て去った。


 ミカエル、カマエル、クシエル。思い出した記憶の中。上空で佇んでいた三人の天使の数と一致する。ならば、その三人が仇の名前だとして間違いないのだろう。


 仇の明確な情報が手に入ったことでアリアの中で誰にも気付かれず揺らぐ灯火は、その熱量を増して炎へ。




「アリア、大丈夫ですか?」

「ん? ああ、大丈夫だ。ウニ」


 話が終わった後、ずっと黙ったままのアリアにウニが声をかけた。アリアは思考に幕を引きながら意識を戻し返事をすると、床へと落とした視線をメイリーとライセに移す。


「メイリー。ライセ。ありがとう」

「アリアさんの役に立てたのなら光栄です」


 そう言って微笑むメイリーを見てアリアは頬を赤く染める。


「今更だけど……アリアさんはやめてくれ。アリアでいい。こっちは最初から呼び捨てだったしな」


 メイリーとライセは顔を見合わせ驚きながらも口角を上げて口を開く。


「アリアが、そう言ってくれるのであれば、お言葉に甘えるしかありませんね」

「そうだな。これからもよろしくな! アリア」

「それでは、拙者もお言葉に甘えるでござるよ。アリア」

「調子が狂うからお前は殿をつけろ」

「それでは私はアリア様と呼びますね。アリア様」

「珍しくウニがボケた!」

「いや、これは割と本心が混ざっておるでござるよ」


 笑う。ここにある幸せを五人は確かに感じながら――。



 

 ――使族領域のとある国の熾天宮(してんきゅう)にて。


 天窓より差し込む光が炎のように赤い髪をさらに紅く際立たせ、その天使ミカエルが告げる。


進捗(しんちょく)は」

「はっ。メイルシュトロム、アンティアキア共に予想通り、縦深防御(じゅうしんぼうぎょ)を徹底しており、敵戦力の被害は甚大です。ですが、こちらの犠牲者の数も凄まじいものに……」

「構わん、続けろ」

「はっ」


 ミカエルは従者が去り一人となった、その場所で上着を脱ぎ捨て上半身を()き出しにする。そして、背中へと意識を集中させ《純白》の翼を展開する。


 震えるその場の空気に気圧(けお)されて天窓のガラスがひび割れる。ミカエルだけを照らしていた光が散乱し室内を散り散りに照らし出す。


 一卓の机と一脚の椅子。壁面同様に装飾が施されたそれらの物は華やかな物に見えるのだが、それ以外には何もない室内の様子から得られる感情は虚無感。華やかな装飾を模った机も椅子も壁も。ミカエルが背負う純白の翼さえも虚飾(きょしょく)に思え空虚(くうきょ)を抱き無情(むじょう)な事に虚無(きょむ)と成る。


 彼が立つ部屋の中心に光は届くが日は差し込まない。その場所で薄く笑みを浮かべたミカエルは、静かに呟く。


「……動け。ルシファー」


 その独り言はやがて消える。

 天窓より差し込んでいた光は、ゆっくりと空を覆う雲に隠されていく。そして完全に光が遮られた事により今は、静寂だけがミカエルを包み込んでいる――――。




 メイリーとライセはセキエン指導の下、修行を再開していた。

 セキエンはノリノリである。


「さあ、二人とも。休んでる暇はないでござるよ! メイリー殿、その手に持つゴミは捨てて! 次を作るでござる! ライセ殿、イメージはフラフープでござる! もっと腰を回さないと落ちるでござるぞ! そうでござる、そうでござる、いい感じでござるなー!」


 セキエンは、どこからともなく取り出した鎖を鞭のようにして地面を叩きつけ、教官のごとく振る舞っている。


 ござるござる、うるせえ。


 教官とは関係ないことに二人は限界を感じていた。ござるのゲシュタルト崩壊を起こしかけているライセは恐る恐る口を開く。


「セキエン。アドバイスはありがたいんだが……」

「そこ! 私語は慎むでござるよ! スパルタでもいいと言ったのはそっちでござる! やめるでござるか!? 拙者はいつでもやめていいでござるよ!」

「い、いやそうじゃなくて……ござるを控えめに頼む」

「ござるでござるか?」

「あー! もういい!」


(無になろう……)

 すでに無になっているメイリーの隣で、心に決めたライセであった。



 アリアとウニは近くを流れる川まで来ていた。


「ウニの次の訓練は自然が生み出したものの操作だ」

「はい。頑張ります」


 魔術によって生み出されたものと、自然が生み出したもの。含まれる魔力は自然によって生み出されたもののほうが著しく低い。それに伴い、魔法で操る難易度は著しく高くなっている。


「とりあえずやってみるから、そこで見ててくれ」


 アリアはそう言うと川から少し距離をとった。そして川に向けて右手を伸ばすが……無論、届いてはいない。


「どうしようか……じゃあ、上昇――止まれ――丸――ドーン」


 ウニは目を丸くして見ていた。


「上昇」で川の水が引っ張られたように上に上がり、「止まれ」でその動きを止めた。「丸」と唱えたら引っ張られた水が丸く集まり、「ドーン」と言うと花火のように集まった水が飛散した。


「あ、あの。今のは……」

「言葉は適当だ。頭の中でイメージさえできていれば言葉は何でもいいってことを教えたかったんだが……何でもいいというか、言ってしまえば必要ない」


 再度アリアは川に向けて手を翳し「いくぞ――」と告げた。


 終始、アリアは無言だった。

 だが、詠唱をした時と同様に水は持ち上がり止まり丸くなった。その様子を見てウニはまた目を丸くする。


 少ししてウニは首を傾げた。丸くなった水は弾けずに、ぷかぷかと自身の方へとゆっくりと近づいてくるからだ。


「あ、あの…………」


 近づいてきた水に疑問を抱いたウニは人差し指で触れてみる。


「きゃっ!」


 触れた瞬間、水は弾け飛散した水がウニにかかる。


 アリアは笑っている。わざとである事をすぐに理解したウニは「もー」と頬を膨らませているが、纏う雰囲気は楽しげである。


「――悪い悪い。まあ、言葉にすることで音を発し、耳から取り入れ、頭の中で反芻(はんすう)する。そうすることでイメージが固まりやすくなるわけだな。だからウニも初めは自分の言葉で練習すればいい。さっきみたいに"ぷかぷか"とか、言葉で表現しにくい動作とかどうすんだって話のためにやって見せただけだ。そういう時以外は唱えたほうが効率はいいよ」

「ふむふむ。勉強になります」

「まずは水と手を繋ぐ感覚からだな。手を繋げられたら上昇と停止。これが案外難しい。というか重たい……」


 物は試しと早速、ウニは手を川に向けてみるが……もちろん水が自ら手を差し出してくれることはないわけで何が何だか分からない。


「その水は手だ。そう思い込め―」

「そ、そんなこと言われても……」


 アリアの説明が下手なのか自身の理解が悪いのか、何も分からないウニはとにかく挑戦するだけだ。「うー」と唸りながら水の手を探すウニ。アリアは唸る彼女の様子が可愛すぎて見惚れていた。


 そのウニがパーッと表情を明るくさせた。


「あ、ありました!」


(やっぱりウニは呑み込みが早いな。さすがだ)

「可愛い。好きだ」


 はっとして我に返り、顔を真っ赤に染めているウニを見てアリアは視線を泳がせた。

 思っていることを言葉に出し、言葉にすべき感じたことを思ってしまった。アリアは取り(つくろ)う言い訳を必死に探すが。


「……あ、ありがとうございます。嬉しいです」


 ウニの言葉を聞いて、アリアはあたふたするのをやめた。もう言ってしまったのだ。「冗談だ」なんて嘘は口が裂けても言ってはいけない。

(ところでアリアさんとウニさんはお付き合いをされているのですよね?)

 そしてメイリーの発言とその後の二人の会話を思い出し覚悟を決めた。


 ウニはなにやら覚悟を決めたような様子で近づいてくるアリアをチラチラと見ることしかできなかった。


 あと一歩。というところまで接近したアリアは一呼吸おいて尋ねる。


「う、ウニは俺の事をどう思ってるんだ?」


 分かってはいる。ウニはサキュバスではないのだから今までの言動でその気持ちに嘘はないと確信もしている。

 アリアはウニに「好きだ」とちゃんと口にしたのは先程が初めてで、ウニからは実のところまだ一度もない。ちゃんと言葉を聞いてから告げよう。そう思っての問いかけであった。


「わ、私はアリアのことを……愛しています……今もこれからも」


 見つめあう二人。

 少しだけ震えるウニの体を押さえるようにアリアは両手を肩に置く。その先何が起こるのか理解を示したウニは緊張した様子で瞳を閉じた。


 早鐘のごとく脈打つ心臓。ドクドクとお互いの鼓動が騒がしい。だけど、そんなことは気にするなとアリアは顔を近づける。




 唇の接触まで――――あと一秒。




「アリアどのー! 聞いてくだされ―!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおお」

「きゃあああああああああああああああ」


 アリアは華麗なドラミングを披露し、ウニは両手を上げ、お尻に火をつけられたかのように駆け回っていた。


 その二人に狂人の意を見た(のち)のセキエンはこう語る。


「ええ。あれはまさしく狂人、バーサーカーでござった。二人は水を操る訓練のはずが、一人は胸筋を激しく打ち付け、もう一人は凄まじい速度で走り回り下半身を苛め抜いておられた。魔力だけでなく体力まで。限られた時間の中、(おの)が成せる最大限まで鍛えぬく心意気には感服せざるを得ない。だが、やり方は考えたほうが良いでござるな……」


 それから数時間、セキエンはアリアとウニに口をきいてもらえなかったという。



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