〜天才王子の訪問〜
めまいがするほど豪華で、迷路の様に長い道のりを歩く事、数分。
「ちょっと、おやすみ。」
私は、フリフリの制服を着たメイドさんにそう告げる。そして、前世でも今世でも寝たことのない位大きく、ふわふわとしたベッドに横たわる。横たわる、というより、飛び込む、といった方が正確かもしれない。
だが、幸い、皆、私が家出してきてだいぶ疲れていると思っているので、誰も私に何かを問う事はなかった。
初めて使う、レースのカーテンが付いたベットの上で、とりあえず私は今までの状況を整理してみた。
前世での私は………晩年、乙女ゲームにハマって、総プレイ時間1000時間越えの達人になったのだった。
一応、目は大きなほうだったし鼻も低くはなく、もともとの顔立ちは悪くなかったはずなのだが、睡眠不足によって常に目にくまがあって暗い印象だった気がする。だが、一年に一度くらいしかまともに鏡を見ていなかったので、本当はもっと可愛かったかもしれない。きっと学年一の美少女だったはず。
だが、そんな生活をしていた中、ある日、突然不慮の事故で命を落とした。車に轢かれて。そもそも何故事故に遭ってしまったのだろうか。まぁ、考えたところで、それはもうすでに終わった事。どうにもならないが。
そうして、目が覚めると、前世でプレイしていた乙女ゲーム内の世界に転生してしていたのだ。
だが、転生したのはゲームの主要人物ではなく、顔しか取り柄のないただの貧しい庶民だった。
ラノベなどでは悪役令嬢などに転生する事が多い中、私は庶民だったため、少し残念に思った事もあった。
だが、庶民として暮らしていくうち、平凡が一番、とポジティブに考えられる様になってきた____その矢先にこの様なことが起きたのだ。
フローレンスは、婚約破棄を王子から告げられて、追放された後は、よく分からないが、どこかで自由に過ごしたはずだ。
そこで、私は婚約破棄から逃れる方法を___考えなかった。
____婚約破棄って、それもいいんじゃない? なぜなら、私は悪役令嬢として暮らし始めてまだ一日目ではあるが、すごく大変だったから。部屋の中には常にメイドがいるからリラックスできないし、お母様やお父様に会ったら、疲れていても、ちゃんと挨拶などをしなくてはいけない。しかも敬語で。そして、これから王子様と婚約するとしたら、もっと大変になる。
これ……悪役令嬢ハードすぎじゃない?
そして何より、私が悪役令嬢をちゃんと演じないと、歴史が変わる可能性がある。
ここで歴史が変わったら、私が前世の記憶を持っている意味がない!
もう追放された方がよくない?
前世の記憶によれば、悪役令嬢、追放後は自由に暮らしたらしいし。
もしうまくいかなくても、私には庶民だった頃の元の家という居場所がある。
私は考えた。
アルバートとヒロインに嫌われて、追放される為の手段を。
まず、悪役令嬢は、ヒロインを陰湿な方法でいじめて、皆から嫌われる。そしてその後、いわゆる「断罪イベント」で、ヒロインが悪役令嬢がどんな酷いいじめをされてきたかを皆の前で言い放つ。
そして、私は婚約破棄、追放という流れだ。
____いい考えだ。いじめなければいけないヒロインには少し申し訳ないけど、私の自由のためだから、許してっ。
そんな事を考えていると、突然、アルバートがぐったりな私のお見舞いに来てくれた。
「フローレンス、久しぶりに、ナビエ・ストークス方程式について語りませんか。それが簡単すぎる様ならドレイクの方程式とかでもいいので。」
……ん?
今。王子様なんて言った?
ジビエ?ブレイク?
そんな、全く意味の分からない外国語の様な言葉を聞いて私の思考が一度停止する。
「どうかしましたか?」
王子は不思議そうに目を大きく開く。
「い、いえ。ちょっと疲れていてそんな気分じゃなくて。ごめんなさい。」
情けなく私は笑う。
「そうですか。それは申し訳なかったですね。でも、いつもならフローレンスは40度の熱を出しても語りたいとおっしゃっていたのに。」
少し残念そうな王子の発言を聞いて、脳天を撃ち抜かれた様な衝撃を受ける。
私は忘れていた。悪役令嬢が学園内で、成績学年一位の学者並みの天才だった事を。そして、同時に思い出す。王子は、悪役令嬢と同じ様な天才で、悪役令嬢と数式の話をするのが大好きだった事も。
もう、笑うしかなかった。
____うわぁぁぁぁ、どうしよう…
なんで頭の悪い私が天才のふりをしなくちゃいけないのよぉぉぉ
こんな事になるならあの時私は違います、ってはっきりと言っておけばよかった…
だが、そんな後悔をしたって後の祭り。
____でも…こんな学者並みの天才のふりをして生きていくなんて、私には出来ないよ…成績も中の下より下なのに…
そうだ、もう打ち明けてしまおう。
処罰を受けるかもしれないけど、仕方ないよね。悪は裁かれて当然だから。
「王子様、実は私……フローレンスじゃないんです。」
「家出して、頭をおかしくしましたね。」
「いいえ!本当に違うのです!」
今回はどもったりしなかった。はっきりと、大声で言うことができた。
すると、王子も私が真面目に話している事に気づいたらしい。
そして、私は王子に全てを話そうと決心した。転生したなんて言っても分かってもらえないとは思う。でも、このまま隠す事だけはしたくなかった。
「私は、実は………かくかくしかじか…」
私は少ない語彙力で必死に話した。私は公爵令嬢などではなく、庶民であるという事から、この世界が前世でプレイしていた乙女ゲームだという事まで。
「……分かりました。あなたが嘘をついていない事だけは。」
戸惑いながらもそう言って微笑む王子の顔からは、最初に会った時の冷え冷えとした印象は一切感じられなかった。
____なんだか、少し、すっきりしたな……