第四話
何事もなく街中を抜けて、人通りの少ない住宅街を日宮さんと歩く。
「……そう言えば、日宮さんの家ってどこ?」
「あれ」
「え? あれ?」
日宮さんの指は空中に向けられており、その先には周囲のマンションの中でも一番の高さと大きさを誇るものだった。……でかすぎじゃね?
想像以上な物件に目を奪われていると、隣から肩を叩かれた。
「向坂、ここでいい」
「え、ここ? もう暗いし家まで送るよ?」
「いや、いい」
「でも……」
「マンションの前にはマスコミがいるんだ。それで、お前と私が撮られたらどうする。そのせいでネットに個人情報が流出するハメになるかもしれない」
だからいい、と日宮さんは強い意思を持った目で僕を見た。
「今日の事は感謝している。だが、私とはこれ以上関わらない方がいい。学校で会っても、私に話しかけるな。……分かったか?」
「日宮さん、優しいね」
「――はぁ?」
無表情が困惑したものに代わり、訝しげな目を向けられる。頭おかしいんじゃないのかコイツ――まるでそう言わんばかりの顔だ。
ああ、この子は自分の優しさに気付いていないのか。
「私は優しくなんか――」
「優しいよ、日宮さんは」
「優しくない。私は、自分勝手な人間だ」
――ああ、もう。
「周りに迷惑かけないように――って、そう思ってるでしょ? そんな所が優しいんだってば」
「思ってない」
「嘘」
「……お前、意外と頑固だな」
「日宮さんこそ」
「……くっ」
「……ふっ」
二人で一瞬だけ睨み合い、すぐさま堪えきれずに吹き出した。お互い同じタイミングで。
「くっ、ははっ。さ、向坂、お前……変な顔してたぞ……くふっ。わ、笑わせるなよ……っ」
「ひ、日宮さんこそ……ははっ。無表情でじっと見るのはやめてよね……っ」
「あ、あれでも精一杯睨んでたんだぞ……ふはっ。それを言うならお前だって――」
お互いのおかしかった点を挙げ、近所迷惑にならないよう忍び笑いをする事、約数分。
ようやく落ち着きを取り戻した僕らは、まだ笑みの残った顔で向き合っていた。
「お前のような奴は初めてだ、向坂」
「それはどうも」
「変な奴だと汐先輩から聞かされていたが、実際会ってみると予想以上に変だった事には驚いたぞ」
「それヒドい……。っていうか日宮さん、汐姉と知り合いなんだ」
「まあな。……さあ、もう遅い。お前には家で待ってる家族がいるだろう? さっさと帰れ。私はここでいいから」
「仕方ないね。じゃあ、今日はここまで、という事で。次はちゃんと家まで送るからね? それじゃっ!」
「次って――あ、おい!」
次の機会。その可能性を否定される前に逃げ去ってしまおうと、日宮さんの返事も聞かずに走り出す。制止の声に止まろうとする足を無理やり動かして、距離を進める。
「おいっ、向坂っ!」
焦りの混じる声。
「向坂ってば! ああ、もう!」
その中にほんの少し、苛立ちが混じって。
「――秋!」
「――っ!?」
これには、さすがに足を止めるしかなかった。振り向けば、してやったりと不敵に笑みを浮かべる日宮さんが目に入る。その手に持つのは、見覚えのあるものだ。
「帽子! どうするんだ!?」
「日宮さんに、―― 千歳にあげるよ!」
走り出した足は止まらない。多分、今の自分は今までにないくらい楽しそうに笑っている。
轟々《ごうごう》と唸る風の中、ありがとうと言う声が、聞こえたような気がした。