第三話
キャップを被った日宮さんを連れ、街を歩く事数分。黒のカーゴパンツに淡い水色のパーカーという日宮さんの格好はまるで少年のようであったが、それがまた可愛らしくてお母さんどうしましょ。……まあ要するに、僕のキャラを崩壊させるほどの威力を持っているのだ。
思わず愛でたくなる。そんな事を思いつつ目を動かせば、こちらを仏頂面で見る彼女と目が合った。
「……こっち見るな。前向いてろ」
こういう一言までいちいち可愛らしい。テレビで見る姿は綺麗とかカッコいいとか思っていたけど、実物と話しているとそうでもないって分かった。いや、綺麗には綺麗なんだけどさ。とにかく言動が可愛いんだよ。
「――あ、ここだよ。日宮さん」
「ここか――って、バーじゃないか。私は未成年だぞ」
「いや、僕もだから。それに、お酒を飲みに来た訳じゃないって。ジュースもちゃんと置いてあるしさ」
「む。そ、そうか……」
そうだよな、と口にしつつも、木目調の扉を開けようとしない。まだ躊躇しているのだろう。仕方なしに、彼女の横から腕を伸ばして扉を押す。
あ、という呟きは聞かなかった事にしましょう。
店内に足を踏み入れれば、お目当ての人物はすぐに見つかった。カウンターに背を預けてグラスを拭く後ろ姿は、間違いなく従兄だ。
「あ、ごめんなさーい。うちは今――」
音もなく振り返ったその顔の、なんとまあ整った事。本当に血が繋がっているのか疑いたくなる。驚いた顔も美形なら使いこなしてしまうのか。
「なんだ、秋か。珍しいじゃん、お前がこっちに来るなんて」
しかも女の子まで連れてきて。
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる従兄に、呆れを通り越して諦めの感情を抱いた。何でもかんでもそっちの方向に持って行きたがる悪い癖だ。
「――それで? お嬢さんは俺の可愛い従兄弟とどこまで進んだのかな?」
「え、あの、えっと……。ど、どこまでって……どこまで?」
「いや、どこも進んでないからね? タケちゃんも、変な質問やめて」
非常に言いにくい日宮さんの問いに頬を引きつらせ、とんでもない質問をしてくれた従兄を睨みつける。初対面でそれ言うか、普通。
「はいはい、悪かったって。ちょっとふざけすぎた。……んで、お前らは何しに来た訳?」
ニコリと爽やかな笑顔を浮かべるタケちゃん。さすが人気バーテンダー。この笑顔で何人もの女性を虜にしてきたのだろう。中身はちょっとアレだけれども。
「タケちゃん、開店時間までここにいていいかな? お客さんが来る前に帰るからさ」
「なんだ、そんな事か。いいよいいよ、好きなだけどうぞ」
「うん、ありがとうタケちゃん」
「あ、でもその前に」
チラリと僕の隣の彼女へ流し目を向けて。
「そこの可憐なお嬢さんの名前、教えて欲しいな? その野暮ったい帽子を脱ぎ捨ててさ」
キラリと光る白い歯。爽やか度が大爆発だが、身内としては痛すぎるその姿に目も当てられない。ああ、なんて恥ずかしい奴なんだ。
「……日宮さん、どうする?」
「まあ……正体をバラしても別に問題はないだろう」
そう言うが早いか、日宮さんはキャップを取って頭を下げた。
「日宮千歳です。初めまして。向坂くんとはつい先ほど、道端で知り合ったばかりの仲ですが、よろしくお願いします」
「……」
タケちゃん、口、口。半開きどころじゃないよ。顎が外れるんじゃないかってほど開いてるよ。だらしないから早く閉じなさい。
「……秋、俺は、夢を見ているのだろうか」
「しっかりしてよ」
「しっかりしてください」
まったく、と呆れた視線を向けるのは僕と日宮さんを合わせての二名だけ。
「――ん。このケーキ、美味しい」
開口一番に出た日宮さんの賞賛の言葉。タケちゃんは嬉しそうにだらしなく笑った。
実はタケちゃん、お菓子作りが趣味である。日宮さんの口に運ばれていくチーズケーキもタケちゃんが今日の朝作ったものだとか。
「しかし、日宮さんも大変だね。マスコミが家の前で見張ってるんだって?」
「あまり気にしてはいないのですが、こう何ヶ月も続くとなるとうんざりします」
僕と話していた時とは打って変わり、日宮さんは敬語だ。礼儀作法や上下関係を気にする人なのだろう。改めて尊敬する。
チーズケーキの最後のひとかけらを口に放り込んで、もぐもぐと咀嚼する大変微笑ましい日宮さんを見つめつつ、タケちゃんがサービスしてくれたコーヒーに口づける。バーにコーヒーがあるのか、と聞いたらなんとタケちゃんが飲む為に置いてあるらしい。もう完全に私物化している事はツッコんでもいいのだろうか。……いや、面倒だからやめておこう。
「あ……もうそろそろ開店しなきゃな」
タケちゃんのその呟きに、ぼうっとしていた意識が覚める。
「もうそんな時間?」
「ああ。さーてと、これから朝まで働き詰めだなー」
「じゃあ、僕たちも帰ろうか。ありがとね、タケちゃん」
「ありがとうございました」
「日宮さん、また気が向いたら来てよ?」
「はい、時間が空いたら、また」
それじゃあ、と言って僕たちはタケちゃんに背を向けた。
扉を開けたその先は、ネオンの明かりとに暗闇に包まれる春の夜。