折り紙
夏の日。わたしは、朝からの暑さを少し紛らそうと、近所のとある商業ビルへ行った。目的地まで、ゆっくり歩いて10分ほどだが、それでも着くころには汗が流れてくる。ビルの一階は、食料品などの店が入っていて、自動扉の前の張り出し部分の日陰には特売の文字を掲げて、箱に山と積まれた野菜や果物が並んでいる。自動扉の前に立つと、扉が左右にガガアアンと開いて、建物の中から冷たい風が吹き出してくる。そうすると、今までだらしなく汗ばんでいた肌が急に引き締まって、体中が冷えて乾いたようになる。中に進んで、少し立ち止まり、ひとしきり涼しさを満喫したら、二階にある雑貨などを売る店に入った。
店の客は、それなりにいたが、きっと全体の何割かは、自分と同じように、特に買いたいものがあるわけでもなく、ぶらぶらと涼みに来ているのではと、勝手に想像していた。
店の中は、親子連れが多く、あとは、わたしのような壮年の男女というところであった。
もともと、買いたいものがあったわけではないから、まずは、ただ商品を見て回る。興味を持って見て回れる場所は、限られていて、それは、どんな人でも事情は同じに違いないと思う。花の種、瀬戸物やガラスの器、文房具と目的もなく見ながら、色が目に付いて、何とはなしに折り紙のそばに立ち止まった。折り紙。最後に鶴を折ったのは、果たしていくつの時だったか。もう何十年も手に取ってみたこともない気がした。折り紙は、いろいろな色の紙を少しずつずらして広げ、それを薄いビニールの容器に敷き詰めて、よく見えるように壁に下げて売っている。それは、花火の印象にも似ていて、それで何か作るというよりも、まず、そうしておいておくだけでも、見ていて気持ちがよくなるようなものだ。こういうものは、大人も子供も目を引くのだろう、まだいくつにもならない少女が折り紙の詰め合わせを持って歩いて行ったのにすれ違った。色紙の詰め合わせは、金や銀の輝くものや、大きさ。単色や柄物、よく見れば、ずいぶんと種類が豊富である。子供なら、これらを見れば、それは気をひかれることだと思った。すこし、離れたところで、
「こんなに要らないでしょ。ひとつにしなさい。……どれにする。……じゃあ、これは元に戻してきて。」
母親と思しき声が聞こえてきて、さっきすれ違った少女が、折り紙の詰め合わせを抱えてやってきた。彼女は、それが元あった場所に返すべくやってきたのだが、壁の釘にかかっていた折り紙は、取るときは、勢いをつけてヒョイとなんとかとることができたのだろうけれど、今、返すこととなって、細い釘に正確にひっかけて戻すことが難しかった。彼女の背丈では、背伸びをして、いっぱいに手を伸ばしても、本当にあとわずかで届かないのだ。爪先立って、手を伸ばして、指先の折り紙の詰め合わせの、ひっかけるための穴をふらふらとしながら狙いを定めている。そして、ここぞというときに、もう一息の力を入れて釘に差し掛けるが、努力もむなしく、二度三度と外れた。
わたしの目の前で繰り広げられる、その、「何かの競技」のような挑戦は、どうも決着がつきそうになかったので、わたしは、彼女が釘に狙いを定めて、もう一度背伸びをしたのに合わせて、折り紙の容器に手を添えてやった。そうして、折り紙は元の場所に返された。わたしは、何も言わず、ただそうしたのだが、少女は、振り向きわたしを見上げて、
「ありがとうございました。」
とはっきりした声で、深々と頭を下げて見せた。わたしは、少女のこの行動に驚嘆してしまった。自分が年相応に一般社会人として申し分ない礼儀をわきまえていて、どこでだれと話しても、十分通用すると思っていた。ところが、この少女の行いを予想しなかったために、ドギマギとしてしまい、なんと返事をすべきか、すぐに言葉が出てこなかった。「どうせ子供」と見下していた気持ちと、「これほど正しく礼を言われたのだから相応に返さねば。」という気持ちが、わたしの中でせめぎあった。
「ああ、んん。」
何かよくわからないことばが自分の口から出て、妙に気恥しいことになった上に、少女は、わたしがなにかはっきりとした返事をくれることを期待したのだろう、少し間をおいて待っているようだった。だがそれでもわたしは、ただ頷いて見せるだけであったので、少女は、とうとうあきらめて、
「ありがとうございました。」
さらにもう一度、わたしに礼を言って、どこかへ走り去った。
わたしは、こうして、暑さをしのぐために冷房の効いた店を訪れ、暑さをすっかり忘れる冷や汗をかいて折り紙をまた見つめた。