恐怖する者
本気で殺そうと思っていた。
目の前には、真っ白な髪をフードから露にした殺意の対象である侵入者。
顔立ちは中性的で、同じく男女の中間と言える声のトーンと相まって、性別は男と女のどちらにも見える為に判断がつきにくい。
が、体の骨格から考えるに恐らく男だろう。
年齢は恐らく同じくらいではあるが、彼の言動と戦い方が育った環境の違いを物語っていた。
この私――セイラ・アムリスクと、この侵入者は敵対する理由がハッキリしている。
何人もの学生が傷つき倒れたし、侵入者も魔法使いを目の敵にしている。
一番許せないのは、私の名を……私の家系を侮辱されたこと。アムリスク家が、魔法の発展の為にどれだけ尽力してきたのかも知らないくせにっ……!
躊躇はない。
侵入者は既に虫の息になりつつある。
あとは魔力を濃縮した槍を叩き込めばいい。
広間には多少の被害は出てしまうかもしれないが、私が槍を向けた先には、侵入者の姿、更に奥には外が見渡せる広いガラス張り。
力をそのまま奥へと放出してやれば広間が少し散らかる程度で済む。
「さようなら」
槍を投げつける。
極光が広間を包み、空間が震え上がった。
ひびが入る程に壁が軋み、光源を中心に崩壊が始まる。
もう侵入者が助かる可能性などない。
誰がどう見たってそんなことは明白。
私はこの憎き侵入者を消し去ることに成功した。
…………その筈なのに。
ガラスが割れるような音が木霊する。
一体何が起きたのか理解ができない。
ただ、事実として起きた現象を正確に語るのであれば、私の発現させた光が――割れたのだ。
魔法の管轄から大きく外れた事態に、思わず恐怖する。
そして私の恐怖を裏付けるように、よく知る冷たい気配に包み込まれた。
「な、ぜ…………?」
気配に圧迫されながら、なんとか声を絞り出す。
すると、暗闇の奥から「ククッ……」と私を嘲笑う声が聞こえた。
直後に響くヒールの音。
近づいてくる一歩一歩の音を聞くたびに、圧力に縛られて動けない私に更なる恐怖心を煽られる。
「今宵は随分な荒れ様よなァ、セイラ?」
声の主が喋ると、気配が蛇のように私の体を這いずり回る感覚に囚われる。
腰にまで届く濡羽色の髪。
シルエットは不気味な気配に反して凄く女性的な特徴をしていて、女性なら羨むか妬むかのどちらかを必ず心に抱いてしまいそうなほど。
顔は暗がりに隠れて見えないが、刃物を思わせる金色の二つの双眸が、こちらに向けられている。
確かに、この方ならあの不可解な現象にも納得できてしまう。
「何故、ここにいるのですか? 学生会長様」
「あれだけ魔力を昂らせていては興味本位で野次馬も沸くと言うものだろう? ましてや、私が気になって原因を探ろうとするのは当然じゃあないか」
いや、そんなはずはない。
確かに立場的には理屈が通りそうだ。
だが、この人はそんな当たり前に人間臭い原理で動かない。
ましてや、魔法使いの敵を庇うために動くなど。
「ほぅ、まだ言い足らぬようだなァ? 言ってみろ。聞いてやるぞ?」
「……どうして、邪魔をするの、ですか?」
「前の玩具が使い物にならなくなった。故に代わりを取りに来た」
「それは、この侵入者を手元に置く、ということですか?」
肯定と言わんばかりに学生会長の口角が釣り上がる。
「中々面白そうじゃあないか。簡単に屈するか、壊れるような奴は見飽きていた所よ。まぁ。それはそれで使いようはあるがなァ」
「この侵入者には、多くの学生がやられました。ましてや、魔法も使えないような価値の無い者など生かしておく意味はありません!」
「ほう? 言うじゃあないか」
学生会長の白い指先が頬に触れてくる。
それだけで処刑寸前の罪人のような気持ちに潰されそうになるのをグッと堪えた。
「おいおい、同じ学生じゃあないか。そう構えてくれるなよ。私とて寂しくなってしまうだろう?」
そう言いながらも、まるで楽しむかのように彼女の細い指先が頬から首筋をなぞり、やがて侵入者につけられた切傷に到達する。
「貴方と私ではそもそもの格が違うではありませんか! 本来、貴方様は学生にならずとも――――」
「なぁ、セイラ。少し無粋が過ぎやしないか?」
ブシュッ!! と嫌な音がした。
見ると、学生会長の指先が私の肩に出来ていた傷口に深く入り込んでいる。
「あ…………ああぁぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
理解すると同時に、雷に打たれたような痛みに全身が悲鳴を上げた。
「ほほぅ、なかなか深く切り込まれたものよ。お前にとって最も不利な環境下だったとは言え、ここまでの傷を与えるとは……これは捨て置くには惜しいと思わないか? なぁ、セイラ?」
くつくつと笑いながら、楽しそうに会長は聞く。しかし私は、急激に思考を食い潰していく痛みのせいで何も考えられなかった。
「や、やめ…………お願い、します……」
本能による、痛みからの逃避。それが私を支配している。まともな思考なんてできるわけない。それを承知の上でか、目の前の女は感情の読めない目を細めた。
「お前がこの者を嫌うことは理解しようさ。ならば無理を押し通すのも少々傲慢が過ぎると言うもの。だが、やはり生身で魔法使いに立ち向かおうなどと考える阿呆はそういないだろう?」
指を動かし、痙攣するように体を強張らせる私の反応を楽しみながら、学生会長はティータイムの語らいのような口調で訪ねて来る。
しかし生憎、激痛に襲われ続けた私には真面目に答えるだけの余裕がない。
この痛みから逃れたい。
ただ、それだけの為に頭を縦に振るだけ。
「どうしてもと言うのであれば私も折れるしかあるまい。しかしなぁ、やはり押され切れぬものはある。……何よりお前の反応は中々初々しくて好きだぞ」
ひっ!? と情けない声が漏れる。
学生会長が何を言おうとして来るのか、想像が容易についてしまう。
「なぁ、その者を私にくれはしないかね? 私の気が変わる前に」
お前が代わりになるか?
遠回しではあるが、そう言っているのだ。
私を尊重しているような台詞を吐いておきながら、最初から選択肢など与えられていなかった。
絶望しきって僅かにあった抵抗が完全に消えた私を見て、学生会長は満足そうに指を引き抜いた。
そのまま血のついた指先が口に運ばれ、静かに舐め取られる。
「そこらに散らかってる奴等を運んでおけよ? 学生どもが自由に横たわってる学園ほどシュールなものはないからな」
言い残すと、会長は侵入者の首元を掴むと、獲物を引きずり込む蛇のように影の中へと姿を消してしまった。
私はガクリと膝をつき、同時に緊張が解けた口が思い出したように荒く呼吸を始めたせいで噎せ込んでしまう。
――頂点には立てない半端な血族。
侵入者の言葉が頭を過る。
ギリッ、と歯ぎしりをした次の瞬間、私は魔力を込めた拳を床に叩きつけた。
絨毯の敷かれた床には大きな穴が開き、広間に張ったヒビが軋む。
何故、誇り高い血を受け継ぎ、魔力も適正もより優れた才能を持っているのに、会長に勝てるイメージが沸かない?
何故年も大して離れていないような輩とここまでの差がある?
私には、家から受け継いだ最強の力さえもこの手につかんでいると言うのに。
「…………私は」
血に染まった自分の肩に触れる。
侵入者に傷つけられた場所だ。
――――と。
「えっ?」
感傷に浸る直前に違和感を覚えた。
痛みが――いや、傷その物が無い。
思わず目を剥いて制服から肩を曝け出す。
「これは……一体?」
やはり傷は痕跡さえ残らずに消えている。
これだ。
この不気味さが私にとって恐ろしい。
得体が知れない者、その中で学生会長は最も代表的な存在。
魔法で傷を治す術は存在しない――いや、してはいけない。
死者を蘇生させることは勿論、瞬時に傷を癒す事は魔法の領域から大きく外れている。
あくまでも魔法は攻撃の為の手段でしかない。
幼い頃に夢に見たお伽噺のような力とは違い、そこまで魔法は万能ではないからこそ、魔法の発展の為に悲願を掲げて人生を費やす者達がいる。
だが、これはなんだ?
魔法使い達の努力を踏みにじるように、あり得ない現象が起きる。
特にあの人が関わると。
「学生会長、貴方は…………」
その人が消えた闇を見ながら呟く。
だが、当の本人は既におらず、投げかけた疑問と虚しさだけが空間に残った。
お布団とゲームの魔力から解放されたい!