〔1〕
情報を手に入れたカレンは本部に戻り、リストに並んだ名前の検証を始めた。
オッドマン氏殺害に関わる情報は、期待できないかも知れない。だが、あらゆる方向から検証することが、最終的に真実を見出す手段となるのだ。
「『トゥルー・アイズ』、真実を見出す瞳か……」
優しいエメラルドの瞳が、カレンの脳裏を横切った。
不思議な魅力を持つ少年、ストレイカー。穏やかに微笑む瞳は、全ての真実を見透かしているように思える。
そう、カレンの心の中までも……。
「馬鹿馬鹿しい、私ったら何を考えているのかしら? あんな子供に、負けるものですか!」
意外にも、本部長のゲイリー・ロウはストレイカーを知っている様子だった。
信頼できる人物だと太鼓判を押されたが、子供の姿をした宇宙人と思わない限りやりにくくて仕方がない。
明日の午後に、拘束した『ビースト』の調査報告を持ってくると本部に連絡があった。それまでに、優位に立てる仕事をしておかなくてはならない。
考え事に気を取られていたカレンは、改めてモニターに集中した。
自動スクロールの画面はスポンサーと寄付金額のリストから、里親と養子のリストに切り替わっている。
「なに、これ……」
リストに並んだ里親の名に、見覚えがあった。
過去十年分の『スリーピング・エッグ』関連事件と思われる被害者名が、七件もあるではないか。
これは、ただの偶然だろうか?
『ハイパー』や『ビースト』に襲われ命を落としたのは里親だけで、子供に被害はない。生き残った子ども達は事件後、別の施設に引き取られていた。
しかも殺された里親は、いずれも社会的地位のある者や裕福な家庭ばかりなのだ。
「オッドマン氏と、同じケースだわ」
守る立場の者達が、守られる者に殺される。その因果関係が、解らない。
里親を失った子ども達は、ほぼ全員が同じ施設に保護されていた。アリシアがいた施設、クラウス・ハイネマンが管理する州立擁護施設である。
「やっぱり……直接手を下していないとしても、無関係ではなさそうね。だけど、いったい何が目的なのかしら」
カレンは『ベスト・パートナー』代表のニコラス・ハルトマン氏と、クラウス・ハイネマン氏の関係を探るため、あらゆる『スリーピング・エッグ』関係者の検索を始めた。
過去十年、二十年分を探しても見つからず、検索範囲を過去五十年分に広げたときだった。
「えっ?」
モニターに現れたニコラス・ハルトマンの顔写真を見たカレンは、思わず驚きの声を上げた。
「ニコラス・ハルトマンは『オオカミ男』の風評を立てられ、地域住民からリンチを受けた。その傷がもとになり、二十七歳で死亡……」
五十年前、二十七歳で死亡したはずのニコラス・ハルトマン。しかしその顔は、クラウス・ハイネマン氏のものだ。
報告された履歴によれば、クラウス・ハイネマン氏の年齢は三十八歳である。同一人物の可能性など、あるわけがない。
「身体的特徴や、血液型は同じね。五十年前じゃ、バイオメトリクス(生体認証)の記録はないし……それにしてもよく似ているわ」
『ベスト・パートナー』のサイトに、ニコラス・ハルトマン氏のプロフィールと顔写真はなかった。ハルトマンは死を偽装して生き延びた『ビースト』で、クラウス・ハイネマン氏と血縁関係にあるのかもしれない。
本部に戻る途中のデリで買ったパストラミサンドを頬張り、カレンはモニターを見つめた。
今夜中に入院しているクラウス・ハイネマン氏を訪ねるべきか、先にストレイカーに話すべきか考えているのだ。
「んー、どうしよっか? ストレイカーの手札を見てから、動いた方がいいかな。そう言えば、連絡先を聞いていなかったわね」
調べ物に夢中で、時間の経つのを忘れていたようだ。
気が付いて部屋を見回せば、部署に残っているのはカレンただ一人である。自宅に戻る前に、ストレイカーの連絡先を聞いておこうと『T・アイズ』本部に回線を開いたときだった。
「あら、リタの携帯電話の音?」
窓際のリタのデスクから、軽やかなメロディが流れてきた。
「忘れていったのね……帰りに届けた方がいいかな」
常に連絡が取れるように、携帯電話は肌身離さず持ち歩かなくてはならない。今夜は緊急の呼び出しはなかったが、手元に無いとリタも困るだろう。
カレンはリタのデスクまで行くと、違和感から窓の方向に顔を向けた。
ブラインドが開いている……?
本部の窓には全て、分厚い防弾ガラスが填め込まれているため、それほど神経質にならなくても良さそうなものだが防犯上の理由から今までブラインドを開けたことなど無かったのだ。
向かいにある証券会社のビルには、幾つか明かりが灯っていた。
手を伸ばし、携帯電話を掴んだ途端。
「伏せろっ!」
その声を聞いたカレンは、反射的に腹ばいになっていた。
次の瞬間、背中の上にある空気が持ち上げられ渦巻く感覚が伝わってくる。そして周波数の高い音が、鼓膜を引き裂いた。
「いったい……何が?」
耳鳴りの治まらないまま、カレンは腰のホルスターから銃を引き抜くと身体を起こした。リタのデスクの上には、取り落としたパストラミサンドが黒い痕跡と変わっている。
「まさか、『ハイパー』?」
「身体を起こすな! 低い姿勢で、早く部屋の外に出るんだ!」
聞き覚えのある声。
カレンは言われるまま床を転がり出口ドアにたどり着くと、廊下に這い出た。その間も、背後で何かが裂けるような破裂音が断続して鳴ったが、ふり返る余裕など無かった。
「『ハイパー』です、あなたを窓から視認して狙ってきました」
廊下の壁際に立つストレイカーが、カレンに手を差し伸べ立ち上がるのを助けた。
「……」
なぜストレイカーがここにいるのか、なぜ『ハイパー』に狙われたのが解ったのか?
カレンの頭に、疑問が渦巻く。
「僕がここにいる理由を、知りたそうですね? 答えは簡単です、あなたを守るために向かいのビルの屋上で見張っていたからですよ」
「ふざけないで……向かいのビルから、間に合うわけないでしょう!」
憤るカレンに向かって、ストレイカーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「『ハイパー』は向かいのビルから私を視認した……ストレイカー、あなた本当は犯人を知っているんじゃないの?」
「いいえ、わかりません。僕が『ハイパー』の気配を知ることが出来たのは、彼等が消滅対象をロックオンすると空間に歪みが生じるからです。『T・アイズ』の人間は、その歪みを察知する訓練を受けています」
「へぇ、そう? それは便利な特技だわ。ぜひ警察にも伝授してもらえないかしら?」
「残念ながら、誰にでも出来ることではないので」
人をくった態度に、カレンは沸き上がる苛立ちを抑えられなかった。握りしめた拳を、思い切り壁に叩き付ける。
まるで車が突っ込んだように重い音をたて、壁は大きく振動した。壁の向こうで棚が崩れる騒音が響くと、ストレイカーが唖然とした表情で目を丸くする。
「いい加減に、してよね……この、クソガキッ! もういいわ、アンタと仕事は出来ない。私はこれから、一人でハイネマンが入院している病院に行く。意識不明だろうと、知ったことか! 聞きたいことが山ほどあるのよ、叩き起こしてやる!」
一介の刑事でしかない自分が、蚊帳の外に置かれているようで悔しかった。
『T・アイズ』と本部は繋がっていて、肝心な部分を組織の下層部に知らせないまま情報だけ集めさせるつもりなのだ。
上層部がそのつもりなら、カレンには覚悟がある。『スリーピング・エッグ』の深層部を探り、組織に切り込んでやるだけだ。
困惑の笑みを浮かべるストレイカーを睨め付け、カレンは踵を返した。ところが正面に、意外な人物が立ち塞がった。
「深夜に署内が騒がしいのは、事件の他にも原因があるようだな。備品を破壊しないでくれよ、カレン?」
品の良いスーツを着こなした背の高い紳士は、アジア系の血が混じる整った顔立ちを少しだけしかめて見せた。
「ロウ本部長……」
気勢を削がれ立ちつくすカレンの脇を通り過ぎ、『TIDE』本部長のゲイリー・ロウはストレイカーに握手を求める。
「久しぶりだね、ストレイカーくん」
「ご無沙汰しています、ロウ本部長」
今度はカレンが、唖然とする番だった。