〔2〕
アリシアの情報が、事件の鍵であることは間違いなかった。
ストレイカーの話によると、ハートマン夫妻が火事による事故死でなく殺人と断定された理由は、銃で撃たれていたからだ。
「銃で撃たれ、放火された……?」
『スリーピング・エッグ』の誘拐らしからぬ手口に、カレンは眉根を寄せ考え込んだ。
彼等は銃など使う必要がない。その身体能力だけで、十分だ。
「犯人も、その目的も未だ不明ですが、『アンチ・エッグ』である可能性も考えられます」
カレンの疑問を、ストレイカーが補足する。
『アンチ・エッグ』ならば、擁護派の夫妻を殺す動機がある。
アリシアは幼さ故に見逃されたのか?
夫妻の研究から、アリシアが『スリーピング・エッグ』であることは明白だ。『アンチ・エッグ』が犯人ならば、赤ん坊であろうと見逃すはずがないのだが。
「アリシアが、養護施設に預けられた経緯は?」
何を問いかけようとストレイカーは、コンピューター検索よろしく流れるように情報を提供する。
「養護施設園長、クラウス・ハイネマン氏が人権擁護世界会議でヨーロッパを訪れたとき、アリシアは両親と名乗るアメリカ人夫妻と三人で同じホテルに逗留していました。ハイネマン氏の立場を知ったその夫妻は、事情あって目的地にアリシアを同行させられないので五日間ほど預かって欲しいと相談してきたそうです。ハイネマン氏は一週間ほどヨーロッパに滞在予定で、現地の施設の園長とも親しかったため不便はないと思い快く引き受けたのですが……迎えに来るはずの日になっても両親は現れず、警察に届け出ても見つからなかった。アリシアの国籍はアメリカになっていたので、仕方なくハイネマン氏が保護し連れ帰ることになりました」
「そう……それで両親の手掛かりは?」
「残念ながら、『T・アイズ』の情報は以上です。これより先の調査は、警察の機動力と情報網に頼るしかありません」
肩をすくめ、ストレイカーが苦笑する。
確かに専門とはいえ、民間の委託調査機関に法の執行権も立ち入った捜査権も無い。その点では、カレンが優位と言えるだろう。
「現時点で、ハイネマン氏を事情聴取するのは難しそうね。国際警察機構を通じて、アリシアの両親を偽った人物は調べてみるわ。殺されたオッドマン夫妻に関して、特筆事項はあるかしら?」
「警察が、掴んでいる情報以外は何も」
「本当でしょうね?」
ストレイカーの口元が、僅かに緊張したのをカレンは見逃さない。
大人びてはいても、カレンと渡り合うには年季が足らなかったようだ。
かいま見た少年らしさは微笑ましく思えたが、容赦なく詰め寄るとストレイカーは辺りに視線を巡らせ渋々口を開いた。
「オッドマン夫妻は、擁護派のスポンサーだった可能性があります……」
「助けようとしている者達に、自らが殺されたってこと? ああ、もう、訳が解らないわ! それにしても、可能性ってどういう意味よ?」
するとストレイカーは小さく溜息つき、柔らかな亜麻色の髪がカレンの頬を撫でるほど顔を近付け囁いた。
「擁護派の情報は機密扱いで、僕も詳しく知りません。このことは事件解決まで、他言無用でお願いします。出所もどうか、追求しないで欲しいのです」
今のところ政府は、『スリーピング・エッグ』擁護の方針だ。
警察としても擁護派を守る立場にあるため、追求は出来なかった。いくら気を付けていても、聞いてしまった情報はどこで漏らすか解らないからだ。
オッドマン夫妻のことは、独自に調べた方がいいだろう。
真顔で思案を巡らし、ふと目を上げるとストレイカーが悪戯っぽい笑みを浮かべている。
考えてみれば、相手は十五・六歳の少年だ。目上の女性であるカレンの出方を覗い、関心を惹きたいのかもしれない。
「わかったわ、その件に関しては安心して」
カレンは敢えて、ストレイカーの思惑を受け流す返答をした。
つまらなそうな顔をするかと思いきや、ストレイカーは穏やかな表情で目を細める。それは年長者が、逸る子供を温かく見つめる寛容な眼差しに思えた。
また予想外の反応を返され、気恥ずかしさに全身が熱くなる。
子供相手に狼狽えるなと、カレンは自分を叱咤した。
「あなた……何者なの? 『ビースト』との戦い方からしても、普通の調査員とは思えない。『T・アイズ』っていったい……」
「ショーン刑事が、子猫を連れていらしたようですね」
質問には答えず、ストレイカーはアリシアのいる方に目を向けた。
見れば確かに、カレンのパートナーであるリタ・ショーン刑事が大きなバスケットを抱えこちらに近付いてくる。
カレンはリタに向かって大きく手を振り、改めてストレイカーに向き直った。
「僕はハイネマン氏の様子を見てから帰ります。三日以内に襲撃してきた『ビースト』の調査報告をお届けしますから、アリシアの保護に関してはその時に話しましょう。では、いずれ」
何も、言う暇がなかった。気が付けばストレイカーの背中は彼方にある。
「カレン、カレン? ぼんやりしちゃって、どうしたの?」
リタの呼びかけに、ようやくカレンは己を取り戻した。
「えっ、ええ……何でもないわ」
カレンが見つめる先に気付いて顔をしかめたリタは、バスケットを足下に置くと大きく溜息を吐く。
「あの坊や、役に立ちそうなの? ひ弱で、頼りなさそうに見えたけど」
かぶりを振り、カレンは『ビースト』の襲撃とストレイカーの戦いざまを説明した。
しかし約束通り、オッドマン夫妻の擁護派情報は伏せておく。
話を聞いて目を丸くしたリタは、カレンが手にしている飴細工の薔薇に目を留め意味深に笑った。
「それは、彼からのプレゼント? 今の話からしても生意気な演出をする子ね。もしかしてカレン、ストレイカーが気になるの?」
「まさか!」
否定の言葉に、余裕はなかった。
動揺を押し隠すように、カレンは早足でアリシアのいる場所に向かう。
『T・アイズ』も、その調査官であるストレイカーも謎が多すぎた。多くを把握するには、長期戦を覚悟した方がいいだろう。
それでも全てを解明する事は不可能に思えたが、振り回されないようにしなくてはならないと、カレンは自分を戒める。
介護士の身分証を首から提げた私服の女性が、アリシアの車椅子をゆっくり押していた。年齢はおそらくカレンより若いだろう、ウェーブのある長い黒髪をバレッタで一つに束ねた東洋的な顔立ちの美人である。
「アリシアちゃんが私の髪を触りたがったので、手が届くようにかがんだんです。そしたら首に抱きついて、しばらく泣いていました。今は落ち着いていますけど」
亡くなったオッドマン夫人がアリシアと同じ黒髪だった事を思いだし、カレンは介護士に会釈をすると姿勢を低くした。
目線をあわせても、アリシアの表情は石膏像のように変わらない。全ての感情を凍結し、悲しみや恐怖を遮断しているのかも知れなかった。
目の前の幸せを奪われたあげく、恐ろしい獣人に襲われた。
八歳の子供にとって、昨夜からの出来事はあまりに過酷である。恐怖と混乱、悲しみから逃れるため全ての感情を凍結するのは、自己防衛本能のなせる技かも知れない。
カレンはバラの飴細工をアリシアの膝に置き、バスケットの蓋を開いた。
様子を覗うようにバスケットから顔を出した白い子猫は、恐る恐る這い出すとアリシアの足下に擦り寄り小さく鳴き声をあげる。
膝に掛けられた毛布を引っ掻く様子を見た介護士の女性が、そっと抱き上げアリシアに抱かせた。
子猫は膝の上で背を丸め、飴細工を小さな舌で舐めると満足そうに目を細めた。
「本部では餌を食べなかったから、お腹がすいてたのね。子猫ちゃんも、お友達のアリシアちゃんが心配だったのかしら」
リタの言葉で、宙にあったアリシアの意識が子猫に向けられたようだ。小さな手がゆっくりと動き、子猫の背を撫でる。
「……あたたかい」
やっと聞き取れるほどの声だが、初めてアリシアの言葉を聞いたカレンの胸に熱いものが込み上げた。
「安心して、アリシア。もう二度と怖い目に遭わせたりしない。どんなに辛いことがあっても、懸命に生きていれば必ず幸せになれるのよ? あなたの幸せは、私が守ってみせる。約束するわ」
表情の変わらないアリシアに、カレンの声は届いていないのかもしれない。
それでもカレンは本気で、アリシアを守りたいと思っていた。
『スリーピング・エッグ』であることは、罪ではない。普通に暮らし幸せになる権利を、誰も侵害してはいけないのだ。
背後にどのような思惑があろうと、自分は自分の正義の為に戦ってみせる。
意を新たにしたカレンは、もう一度ストレイカーの去った方角に目を向け唇を結んだ。