〔1〕
打ち合わせ済みのように数分も経たず『T・アイズ』のスタッフが現れると、手際よく『ビースト』を連れ去った。
後ろ手に嵌めた手錠のようなモノは、獣人化を防ぐためだ。警察が欲しがっていると聞いたことがあるが、『T・アイズ』からの技術提供は断られているらしい。
メアリーもすぐにスタッフの手により応急処置がされ、病院側に引き渡された。『T・アイズ』の救急救命士は、有能なER並の技術を持つようだ。
最後にアリシアも連れていこうとしたスタッフは、ストレイカーの命令で引き下がりラウンジには三人だけが残された。
他のスタッフとのやりとりもストレイカーの地位を覗わせるもので、この少年は何者なのかと疑問が湧く。
あの戦闘能力にしても、普通ではなかった。
「いろいろと、説明が必要でしょう? 調査協力を惜しまないと約束しましたからね……とりあえず中庭に出ませんか?」
意外な申し出に戸惑いながら、カレンは頷いた。
もはやすっかり、ストレイカーのペースだ。
ナースステーションで毛布を借り、三人は病院の中庭に出た。
空は気持ちよく晴れ渡り、ゆったりと流れるイーストリバー向こうの高層ビル群が、くっきり浮かび上がって見える。冬のニューヨークにしては風も冷たくなく、柔らかな日射しの中で花壇のビオラやパンジーやマリーゴールドが美しく花開いていた。
ストレイカーは車椅子を病院のナースに任せ、カレンを川縁の遊歩道に誘った。アリシアに、聞かせたくない話があるのだろう。
「アリシアは、我々『T・アイズ』が探していた少女です。五年前に両親が殺害され、行方不明になっていました」
不思議な気持ちで、カレンはストレイカーの話を聞いていた。
自分の知らないところで、何か大きな力が動いている気がする。
しかしその手掛かりは、河から吹く風に柔らかそうな髪をなびかせた、優しい表情の少年だけだ。
「最初から、説明して。なぜアリシアの両親は殺されたの?」
カレンはストレイカーから目を逸らし、務めて冷静になろうとした。本心では首を締め上げて、洗いざらい話せと脅したいところだ。
「アリシアの両親である、ハートマン夫妻は『スリーピング・エッグ』の研究者でした。それも擁護派で、人類が『ハイパー』や『ビースト』と共存できる道を探していた。当人達は通常体でしたが、一歳半でアリシアは二週間の昏睡状態に陥ったのです……。夫妻はその事実を隠し、アリシアを『スリーピング・エッグ』のモデルとして研究することにしました。ところが五年前に研究施設が放火され、夫妻の遺体は見つかったのですがアリシアの遺体はありませんでした」
「アリシアは、どちらかの種族に拉致されたのね? まだ変化する方向が解らないから、両方に狙われている……?」
「ハズレ、変化した彼等は変化前の同種族を識別できます。アリシアは、『ビースト』の因子を持つと考えた方がいい」
「えっ? じゃあ……」
『T・アイズ』は、どこまで解明しているのだろう。アリシアが『ビースト』の因子を持つなら、なぜハイパーに襲われたのか?
次第に苛立ちを募らせ、カレンは声を荒げた。
「あなた達は、アリシアをどうするつもり? 自由を奪い、モルモット扱いするつもりでしょう? そんなこと、許されないわ! 私は許さない!」
一陣の風が、カレンとストレイカーの間を割った。
ストレイカーは真摯な目でカレンを見つめる。
「酷い偏見だな、僕等はアリシアの両親であるハートマン博士の意志を継いでいる。『T・アイズ』の目的は、種族の違いを超え共存の道を開くことだ」
「あははっ、共存ですって? 笑わせないでよ! 未だ国や血族や肌の色で差別化を図ろうとする人類が、『スリーピング・エッグ』と共存できるはずないわ!」
「では、カレン……あなたは『スリーピング・エッグ』を差別するのですか?」
「わたしはっ……!」
言葉を詰まらせ俯いたカレンは、きつく唇を噛んだ。
平静なストレイカーに、全てを見通されている気がした。
カレンの背負う、トラウマ……『ビースト』に変化し、警察に撃ち殺された妹の記憶。
『スリーピング・エッグ』の存在が、まだ公になっていなかった十五年前、八歳離れた妹が、生後十ヶ月の時に昏睡状態に陥った。あらゆる医療機関で検査しても原因が解らず、生命維持装置を付けて見守るより手はなかった。
ところが十日ほどして妹は、どこにも異常無く健康そのもので目を覚ました。
半年間、検査のため病院に通ったが問題ないと言われ、他の子供と同じように育って少々鼻っ柱の強い十四歳の女の子になった。
その頃になって、『ビースト』や『ハイパー』の存在が脅威として取り沙汰されはじめたのだ。
妹の学校で突如ワイルド・マン(猫科動物変化の総称)になった少年が、同級生を三人噛み殺した。
ベア・マンに変化した男が、スーパーで暴れた。
ある銀行では、警備員が影を残し消えてしまい金が持ち去られた。
人々はその出来事に震撼し、いつ我が身が犠牲になるか、人ならぬものに変わるか恐怖した。
疑心暗鬼は社会を歪め、隣人の監視や武器の携帯が日常となり、学校にまで警察が常駐するようになったのだ。
その日、妹は学校のランチタイムで友人達から十四歳の誕生日を祝ってもらっていた。
持ち寄ったサンドイッチやキャンディ・バーやチョコレート。コークとポテトフライ。ママが、妹のために持たせてくれたコールドチキン。
しかし、楽しいはずのミニパーティーは一転した。
突然、妹の姿が変化し始めたのだ。
顔に細かい毛が密生し、頬骨が張り出すと目がつり上がった。口が耳元まで裂け、鋭い歯が剥き出しになった。すんなりとして美しかった腕と足が、淡い光沢のある毛皮に覆われていった。
友人の一人が悲鳴を上げるとすぐに警官が駆けつけ、銃口を向ける。
自分の変化に驚き、恐怖と混乱で妹はその場を逃げだそうとした。
走り出した妹の足は常人の域を超え、ランチテーブルを飛び越えて軽々とフェンスの上に登った。そして学校敷地外へ出ようとした時……。
逃走を阻止しようとする警官の銃が、胸を打ち抜いた。
誰に危害を与えたわけでなく、助けを求めようとした可愛そうな妹。
警官になったばかりのカレンは妹を撃った同僚をなじり、悩み苦しみ、バッジを返そうと思った。そのカレンを見かねて、ニューヨーク市警特捜本部に誘ってくれたのが今の本部長なのだ。
本部長に諭され、カレンは考えを変えた。
得体の知れない恐怖が、差別と偏見を生むのだと。我々は妹のような犠牲者を出さないために、犯罪を犯す『スリーピング・エッグ』と無害な『スリーピング・エッグ』を見極める存在になるべきなのだと。
錯綜する思考に区切りを付け、カレンはストレイカーに視線を戻した。
いつのまにかストレイカーは、遊歩道にワゴンを出すキャンディショップの女性となにやら楽しげに話していた。
カレンが近付くと笑顔を向け、手にした二本の飴細工を差し出す。ピンクの繊細な花びらが重なる、バラの花の飴細工だ。
「一本はあなたに、もう一本はアリシアに。僕では受け取って貰えないだろうから、あなたから渡してください」
薄い花びらが、美しく煌めいた。
「変わらないと決めつけ何もしないか、変えたいと願い行動するか。どうせなら後者の方を、選びたいと思いませんか? この先の未来では、現在より多種多様の問題に直面する……だからこそ目の前にある問題から、少しずつ道を付けていかないと大変なことになる。我々の目的は同じです、その仕事を一緒にしていきましょう」
ストレイカーの魅力的な微笑みと、魔法の呪文のような言葉。
カレンの身体から力が抜け、足下がふらついた。
言っていることは理解できた、しかし、納得するわけにはいかなかった。
倒れそうになったカレンに、ストレイカーが手を差し伸べたが振り払った。
「私は刑事よ、私たちには私たちのやり方があるの。目的は同じかもしれないけど、仕事は違う。仲間意識は、ごめんこうむるわ!」
拒絶された手を引っ込め、ストレイカーが苦笑する。
「やはり貴女は期待通りの人ですね、カレン。では調査に全力を尽くすとしましょう」
「私はあなたのファーストネームを聞いていないのよ? 馴れ馴れしく名前で呼ばないでっ!」
ストレイカーは、常に予想外の反応を返す。
だが戸惑いながらもカレンは、以前ほど不快感を感じなくなっていた。
嫌みで生意気で食わせ物でありながら、あらゆる艱難辛苦を達観したように微笑む、穏やかで美しいエメラルドの瞳。不思議な親近感を持って、惹かれていくのを感じていた。
「失礼しました……僕の名はロジャー、ロジャー・ストレイカーです」
「オーケイ、ロジャー。あなた達の崇高な目的のために我々が出来る手助けは、オッドマン夫妻を殺した犯人を逮捕することよ。持っている情報を、全て明かして」
「了解」
改めてカレンはストレイカーに右手を差し出し、二人は固く握手を交わした。