#6
実技試験を無事終えたまではよかったのだが、僕はある悩みに捕らわれていた。
その悩みというのは、言うまでもなく。過去の自分の行動に対する後悔である。
朝目覚める、ご飯を食べる、勉強をする、お風呂にはいる、眠りにつく。何をしていても思い出されるのは昨日の事だった。
演者だからといって何をして良い訳はない。想像の空間でも五感もあるし、心もある。記憶にだって残る。
にも関わらず、物語の都合として、こころさんのアレルギーの記憶を知り、借り、それを再現した。CiIを利用し、その感情さえも想像し、彼女に押し付けた。
明日は筆記試験だというのに。……昨日のエミィの言葉は全て正しかった。
二人に謝ろう。
とにかくその日の夜は、そんな雑念にさいなまれながら、何も入らない頭に知識を詰めた。
・・・
寝不足気味で筆記試験当日を迎えた僕だったわけだが、後悔の念は若干弱まっていた。
ただ、試験の緊張に他の感情が敗れているだけであり、また別の意味で僕の心は暗い。
先日と同じ教室に入り、同じ席に座った。
あの日よりかは、殺伐とした雰囲気は幾分ましで、教室内にはいくつかの小グループが生まれていた。
グループが同じだったもの同士で楽しそうに話している様子が窺える。……もちろんそうで無い人たちもいる。
そんな視界の中、さりげなく二人を探して辺りを見渡していると、こちらに近づいてくる人影があった。こころさんだ。
「お、おはよう空くん……!」
目の下に隈を張り、不自然にこころさんは笑っていた。
「おはよ……う」
勉強を理由に寝不足であれと、心からそう願った。自分が引き出したトラウマに寝れなかったなら、僕はもう二度と、こころさんに頭を上げられない。
僕もこころさんと似たような顔つきをしている、笑顔も上手く作れない。
「昨日は本当にごめん」
独善的な言葉が口から漏れた。
恐怖を飲み込みながら上げた視線の先で、こころさんは笑顔だった。
彼女は、こちらを傷つけないようにと、ゆっくりと言葉を並べる。
「構成の話なら、空くんは何も悪くありませんよ。恥ずかしい話ですけど、自由にされてたら緊張で何もできていませんでした。それでも、自然体でいられたのは、空くんの想像に身を任せたからです」
どうしてそこまで優しくなれるのか、漂う雰囲気は和やかなものだった。
どこまでその言葉に真実が込められているかさえ一歳気にならず、僕の心は随分と救われた。
「確かに蕁麻疹のことは、びっくりしました。でも、それだけです。CiIも、空くんもすごいなって思いました」
そこまで言った所でこころさんはうつむいてしまった。が、すぐにその顔は上げられる。その視線は僕の背後をのぞいている。
「でも。やりすぎよ」
背後から声がした。
強い主張を有しつつも透き通る声は、振り返るまでもなく、誰か分かる。
僕が謝らなければならない、もう一人だ。
彼女にこそ、僕に言いたい事は多いだろう。
「し、試験頑張ろうね!」
そうこころさんは言い残し、空気を読んで自分の席へ帰っていってしまった。
「私には謝罪もないのかしら」
依然エミィの冷たい声が背後で響く。謝罪は、どこまでか、やはり全てを謝るべきだろうか。
構成と展開を任されたとはいえ、二人の一切の自由を奪った。セリフから歩き方、表情や感情の全ては僕は想像し、実行した。しかし、これは受験なのだ。できることをするのが正しい姿なんじゃないか。
振り返っても、謝る理由がどうしても絞りきれず、ただ目を合わさずに言った。
「ごめん」
短く切った言葉に、それでエミィは許そうとせず、僕に言及を続ける。
「何をして、ごめんなさい?」
僕とは対照的によく通る声は教室中に響いた。
教室のざわつきが鎮まり、視線が集まる。
こころさんだけはチラリとこちらを見ただけで、気まずそうに手元のテキストに視線を戻した。
「……おいあれエミリーじゃん!」「……本物!?ほんとにここに受験来てたんだ!」「……初めて見た!可愛いー!」
ひそひそと聞こえる話からは、そんなことばっかりが耳に入ってきた。
そう言えば聞いたことがあるような気がしないわけでもない。
天才子役エミリーだったっけ。いや、そんなに安っぽいキャッチコピーとかじゃなかったはず。
昨日は全部に気を取られて、考える余裕が無かった。今でさえ、そんな余裕はない。
「また無視。」
一層冷酷に低くエミィが耳元で囁いた。
「好き勝手して、ごめん」
振り絞った声はギリギリエミィには届く大きさだった。
「うん、こちらこそ言葉足らずでごめんなさいね。本当にびっくりして強く当たっちゃった。全部水に流して、これからは仲良くしましょう?」
そう言うと、いとも簡単に彼女はそっぽを向いた。
そのまま満足したようにそう言い残すとすたすたと自分の席へ戻っていく。
へたりと、自分の席に座り込む。
どうせ、許されてはいないだろう。
◇
そんな一件があり、試験が始まるまでの数十分。最後の詰め込む機械だと言うのに、僕はテキストさえ手につけられていなかった。
「君、何したの。あのエミリーを怒らすなんて」
ミカさんだ。知的で穏やかなその声に、自分のしたことの全てを伝える勇気は出なかった。
「演技の中でエミィをフった。アドリブで。」
何も気にしてない声で僕は言った。
本質ではないことだ。
こころさんのトラウマを利用したことも、二人の記憶を勝手にのぞいたことも、行動を全て矯正させたことも。ここでは黙った。
「え!?どうして!?」
さっきのエミィと負けず劣らず大きな声でミカさんは驚いた。今度はただその騒音に視線が集まってしまう。そんなことは全く気にせず、声のボリュームを変えないで、ミカさんは続ける。
「だってあのエミリーだよ!?キスでもしちゃえばよかったじゃない!!」
あぁ。
これ以上彼女との因縁を増やさないでほしい。年頃だとはいえ、今だけは気にして欲しい。
教室のざわめきがより一層大きくなる。エミィの方は怖くて見れなかった。
僕が絶望したような顔をしていると、さすがのミカさんもはっとしたような顔を浮かべる。
「……ごめんね?」
今度は常識的な声量で謝罪してくれた。
でもちょっとボリューム絞るのが遅い。
「うん……もういいんだ……」
笑ったつもりだったが、また顔がひきつって上手く笑えなかった。
そんなこんなで、扉が開き、教室に一際大きな声が響く。
「はいおはようー!さっさと座れー!昨日はお疲れ様!今日で長かった受験期間は終わるが、最後まで気を抜くなよー!!」
僕と対照的に、神崎さんは今日も元気そうだ。
とりあえず、ひとまずは筆記試験だ。
五教科七科目。さっさと済ませてしまおう。