明けぬ夜がないように
・ 次に目が覚めた時は 今度こそロングライド家の天井がまず視界に入った。
エッグベネディクトも、クリスやベルのモーニングコールもなかったが、帰ってこれたという事実が、 俺の心を十分すぎるほどに安定させた。
安定させた、と言うと間違いかもしれない。恐怖のあまり、錯乱するのをかろうじて押さえ込めたのだ。
その手に握った刃の感触も、自分がつけた傷から溢れ出る鮮血の生臭さも、何一つ夢ではない。
呼吸が荒くなるのが、自分でも良く分かる。
「オレ……殺したんだな。放火魔を……。」
お兄ちゃんの異変は、家に戻ってからずっとだった。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おおベル、おはよう……。」
受け答えも、優しい笑顔も確かに元に戻った。
でも、その瞳には色がなかった。柔らかくて暖かい、話し相手に元気をくれる、その色が消えていたのだ。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「おお、大丈夫大丈夫……。」
精一杯明るく笑う彼を見ただけで、今の一言がウソだと分かる。
その笑顔も、感謝や感激も、なんだか空っぽのように思えて、まるで家族に心配をかけないように作り上げた、偽物の感情のように見えた。
ママが家事を一日休ませ、宿題を休む時間が与えられる様に学校に欠席の連絡を入れても、一日中窓際で外を見てボーっとしている。
ルッキーやクリス君が話しかけても、素っ気無く返すばかり。
「無理もないわ。正当防衛とは言え人を死なせてしまった。ただでさえ優しいジョー君には、よほどショックだったでしょうに。励ます事しか出来ない自分が憎いわ。」
ママはそう言って、歯痒そうにお兄ちゃんを見つめている。
事件の事は、昨夜遅くに第一屯所の所長、ロランゼさんが、お兄ちゃんを届けた時に教えてくれた。
第二屯所のライアン隊長は、どうやらマフィアの『デットナイト』と繋がってたみたいで、放火魔も団員の一人だったみたいだ。
二人の身柄は火消し組によって運ばれたらしい。
『放火魔の逮捕は君の手柄だ。ジョーが目覚めたら、そう伝えて貰いたい。』
ロランゼさんは誇らしげに言った。でも、私は思う。
そういう問題じゃない。誰のお陰とか手柄とかそれ以前に、一番ひどい目にあって、一番頑張ったハズのジョーお兄ちゃんが、一番落胆してるなんて不公平だ。
ちょっとしか会っていないとは言え、あの人は事件が解決した後の配慮が足りてない気がする。
凶悪犯の命を奪ったジョーお兄ちゃんが、誇らしげに高笑いでもするとでも思ったのかな。
やるせない気持ちのまま、為す術なく一日が過ぎていく。
その晩は、やはり眠れなかった。長い事目を瞑ったり、ヤンバルクイナ(なんだろうその鳥)を数えたり、ジョーお兄ちゃんが教えてくれたやり方を試して見たけど、全部がダメだった。
「眠れない……。」
どうにもならなくなって、廊下からベランダに出ようとしたら、お兄ちゃんの部屋から物音がした。
(お兄ちゃんも眠れないのかな……。)
恐る恐る部屋の扉を開けてみる。窓からの冷たい風にゆれて、カーテンがたなびいている。
やっぱりまだ、起きてるみたいだ。
「お兄ちゃん……?」
お兄ちゃんはベランダに立っていた。でも、それは星を見てるワケじゃない。身を乗り出そうとしている格好だった。
私の背筋がぞわっとなって、気がつけばベランダに飛び出していた。
「お兄ちゃん!!」
どうやったのかよく覚えていない。お兄ちゃんを急いで手すりから引きはがし、その場に座らせた。
彼の目はやっぱり虚ろで、焦点が合わない。
「お兄ちゃん!?お兄ちゃん!!」
「……ベル。やっぱ止めてくれるんだ。優しいなお前は……。」
その虚ろな目を見て、言葉が出なかった。作り物の空元気を一枚めくった素顔は、ここまでボロボロに壊れていた。
何で、何でこうなるまで気付いてあげられなかったんだろう?
「なァベル、オレ、人殺しちゃったよ。」
「……うん。」
「放火魔は死者を出さなかったけど、オレは殺しちゃった。」
「うん。」
「ダメかなァ、オレ、死んじゃ。」
パァン!
我ながら、良い音がしたと思う。気が付くと、思いっきりジョーお兄ちゃんに平手打ちをしていた。
「ダメに決まってるでしょ!?殺しちゃったね!命を奪ったね!でもだから何!?そりゃ誰かが悲しむかも知れない!恨まれるかも知れない!でも、あなたは頑張った!出来るだけの事をしたじゃない!
それを全部なかった事にして、あるかどうかも分からないあの世に逃げちゃうの!?
あなたを必要としてる家族や友達はどうなるの!?友達や後輩たちは!?町のみんなは!?何より……こんなにもあなたを好きな……私の気持ちはどうなるのよ!!」
言いたい事を言いたいだけ言って、息切れする私を見ながら、お兄ちゃんはしばらく呆然としていた。
「だよなぁ……自殺だって結局、オレのワガママだもんな……。」
お兄ちゃんは、ゆっくりと立ち上がり、月を見上げ、すぐに泣き出した。
「何でかなぁ……オレァいつも、自分の事ばっかで……。」
愛情とか、哀れみとか、言い表せない感情が次々と押し寄せて、私はお兄ちゃんに抱き着いていた。
でも、それは返ってお兄ちゃんの涙の水門を開けてしまったらしい。
「ベル……オレ……どうしたら……いいかな……?」
「亡くなった命は取り戻せない。だからあなたは、同じ分だけ救えば良いじゃない。その十字架、私も一緒に背負っちゃダメ?」
必死で涙と鼻水を抑えながら、それでも顔を上げて月を見上げるお兄ちゃん。
その瞳には光が灯り、ちゃんと前を、ううん、ちゃんとそこにある明日を見据えていた。
「ありがとな、ベル。元気出たわ。」
「……良かった。」




