僕を食べたって美味しくないよ!
ⅰ
「はっ!はっ!はっ!」
僕は一人真っ暗な洞窟を振り返らずにただひたすらに走っていた。
背後からは恐ろしい獣のような唸り声と、巨体が走る「ドスッ!ドスッ!」という音が離れず付いてきている。
「何で…っく…こんな…事に…!」
恐怖で涙が溢れそうだけれど泣いてる余裕なんてこれっぽっちも無い。
「こっちに来るなよ!来るな!僕なんか食べてもおいしくないぞ!」
人間以外に言葉を伝えても無駄だなんてことは判っているけれど叫ばずにはいられなかった。
今朝まで何の変哲も無い毎日を過ごしていたはずなのに。
朝日で目が覚めて最近ぺったんこになってきた藁のベッドから起きて
そろそろ寝藁の交換をしなきゃかなぁなんてぼーっと考えながら、起きたはずだ。
先月神父様から借りた本を読みながらさして美味しくもないスープを掻き込んで。
そういえば昨日仕上がった弓の性能を確かめるためにも今日はしっかり狩りを頑張らなくちゃ!
なんていつもの僕らしくなく張り切ったつもりなのに給仕のおばちゃんには
「今日も眠そうねぇ。寝ぼけ眼で間違えて麓の主にちょっかいなんて出さないでよ。」なんてからかわれて
相棒がいつもの調子で「今日も狩場へのエスコートお願いしますよ。小さな狩人さん。」
なんてからかってきたからちょっと憤慨しながら狩りに出ただけなのに。
冬に向けて備蓄を増やそうと草原での狩りだけではなく林の奥まで来てしまったからなのか。
昨日仕上がった弓とセットで頼んでいたショートソードの具合を確かめたくて調子に乗って洞窟に踏み込んでしまったからなのか。
こんなわけの判らない分厚い「本」を手にしてしまったからなのか…
そんな出口があるともわからない事を考えながらも必死に走る。
左手には愛用のランタン。
右手には子供の手には不釣り合いな分厚い「本」を持って直走る。
ランタンが僕の走るリズムに合わせて暗がりが照らされる。
足元は自然に出来た洞窟とは思えないほど平らで走りやすくそれだけはありがたかったが今はそんなことを感謝している場合じゃない。
目の前に左に曲がるカーブが見えたので全速力で走りながら壁を殴りつけるように手をついて速度を落とさず無理やり曲がる。
右手が痛むけど少しでも走る速度を落としたらすぐに追いつかれてしまう。呼吸も荒くなり狩人にしては小さな僕の体では後数分も走り続けることは出来ないだろう。
これで振り切れるなんて思っていないが少しでも時間が稼げれば、と全力疾走のまま進み続ける。
目を凝らして前を見ていた僕は突然見えた終わりに思わず声をだしてしまった。
「あっ・・・」
僕は絶望的な気分になる。
洞窟を走っていた僕の目の前にあるのは壁だ。
左手に持っていたランタンを左右に掲げて確かめてみたけれど進めそうな道が無い。
行き止まり。
後ろを振り向けばそこには暗闇の中、金色の瞳が悠然と僕を見つめている。
以前司祭様に見せて頂いた図鑑から具現化されたライオンのようだなとも思ったが
似ているのは四足歩行であることと、その見事な鬣だけであったことがランタンの明かりに照らされてわかった。
大きな口は耳のあたりまで引き裂けており、舌の先からだらだらとよだれが垂れている。
どっしりとした足の先には鋭利な爪がギラリと光っていて背中にはライオンにはあり得ない黒い翼まで生えている。
僕は「あぁ…明日の朝のスープは月に一度のベーコンスープだったのに…このままじゃ食べられないなぁ」
なんて場にそぐわないことを口に出していた。
本当になんでこんなことになったんだろう…
死を前にした人間は走馬灯を見るなんて眉唾だと思っていたけれど僕の頭の中に
今朝の様子が思い浮かんできてあぁ、これが走馬灯なんだ。と初めての経験へ戸惑いなのか意識がぼーっとしてきた。