閑話 スコーグル゠フローディ゠ウッルルな日々 Ⅰ
エルフ国は北西、山と緑の広がる一帯に大きな街が広がる地域。
光の土地リョースヘイムルの郡都郊外に、古くから続く貴族、スコーグル゠フローディ゠ウッルル家のお館がありました。
高い柵と木々に周囲を囲まれた、赤煉瓦の大きなお館です。
アイボリーと朱色のコントラストが素敵な建物は、上空から見るとロの字形に中庭を囲んでいて、その真ん中には背の低い小屋があります。
お館の周りはこれまた広い庭で囲まれて、草花が気持ちよさそうに春の風に靡いていました。
お館の西側には、白い光を浴びてきらめく、水路を通した庭園がありました。
そんな立派なお館のある一室。
当主を初めとした一家(このお館に住んでいる、当主と当主の妻と当主の父母、そして一人の侍女を指します)はソファや骨董品一式を備えた重厚な部屋に集まっていました。
革張りのソファに腰を下ろして、侍女の淹れた紅茶を啜りながら、当主は口を開きます。
「シャルノのやつは、うまくやってるだろうか」
「あら、貴方がそんなことを仰るなんて珍しい」
隣に座るコバルトグリーンの瞳の奥方が、そんな風に微笑みます。
「学業なら心配いりませんわ。騎士の役に就いている間も、シャルノはずっと勉強を欠かしませんでしたから」
「いや、そうではない」
レモンイエローの瞳を持った当主が、奥方の言葉をばさりと切り落としました。
「シャルノのやつはうまく、綿天さんをエスコートできているのかと──そう言っているんだ」
「おやおや。ガラクスフがそんなことを言うなんて、明日は火矢でも降るのかね」
当主と奥方が座るのとは直角に置かれたソファに座った当主の母君が、からからと笑いました。
「おまえが色恋の話を、それも息子のことについて自分から口出しするとはな。数年前なら考えられんかった」
その隣で、同じく侍女の淹れた紅茶に口をつけながら、前当主、つまり当主の父君は含み笑いをします。
「なんです、父上も母上も。息子のことが気にかかるのは、当然でしょう」
「おまえが心配しとるのは、シャルノじゃのうて綿天ちゃんのほうじゃろう」
「………」
「ふふふ」
口を噤んだ当主に代わり、奥方が楽しそうに笑いました。
「貴方、あの一件以来ずいぶんと責任を感じてらしたものね。綿天さんに申し訳ないことをしたって、綿天さんのご両親にも何度もお手紙も書いてらしたし」
「……その話はいい」
眉間にしわを寄せた当主は、ぐいっと一気にティーカップを空にしました。
そして、四人の後ろでずっと立っていた桃色の髪の侍女を呼んで、
「ブレイクル。紅茶のお代わりを頼む」
「畏まりました。お館様」
長い裾のエプロンをすすっと音もなく動かして、実に無駄のない挙動で侍女は当主の隣まで来て、手にしたティーポットから紅茶を注ぎました。その際、茶葉の味わいがいい按配になるように、紅茶を注ぐ高さに気を配ることを忘れませんでした。
「それと、お館様」
「なんだい、ブレイクル」
主から仰せつかった用を果たした侍女は、あくまで仏頂面を崩さず、二杯目の紅茶を楽しむ当主に、恭しくこう申し上げました。
「私のことは、フラム゠リョースフリョートとお呼びください。──せめて職務中だけでも構いませんから」
* * * * *
一服した一同は、夕食ができるまでの時間を同じように過ごします。
「それで? ガラクスフ、おまえはシャルノを誰とくっつけるつもりなんだ?」
当主の父君が、当主の横顔に楽しそうに尋ねます。
「べつに。どういうつもりもありませんよ。それは基本的にシャルノの自由です」
そっけなく、当主は返します。
当主の父君は長く伸ばした顎髭を弄りながら、
「おまえだって、次期当主の妻がどの女になるか、気を揉むだろうに」
「勿論、そういう意味では気にもなりますが」
「なら、おまえが今決めてしまえばいい」
「ちょっと、貴方」
当主の母君が、隣に座る夫を諌めようとしましたが、
「ブリクストのいなくなった今、この家を継ぐのはシャルノだ。その配偶者は、奴とこの家の全てを支える存在になるのさ。早い内に決めておいたほうが、あいつも楽だろうよ」
「…………」
奥方が、辛そうに眉を寄せました。
「ほれ、答えろ。華族のご息女か、貴族のご息女か。政界に通じる聡明な女か、はたまた単なる一般人か、この娘か。それともやっぱり、人間の綿天ちゃんにするのか。ん?」
「父上。それまでです」
ぴしゃりと、茶化すような当主の父君を、当主が退けました。
目を閉じ、硬い表情で俯いたまま、
「私は今は、シャルノを労るべき時期だと思っています。魂を削るような努力を成し遂げたあれに、私はひと時の自由を、与えてやっているつもりなのです」
当主の父君はそれを聞くと黙って、乗り出していた身体を元の位置へと戻しました。
「時が来れば、あれが拒んでも論争しても、否応なくそれは決まるでしょう。それまで、シャルノは淡い夢を見ていればいい」
「そうすると……貴方は、綿天ちゃんとの未来を、お考えではないの?」
隣からの奥方の質問に、
「……それも、最後はこの家を慮って、あれが決めることだ」
当主は、曖昧な答えしか返しませんでした。
誰もが言葉を失い、雰囲気の悪くなった部屋の中。
皆の後ろで、全ての経緯を黙って、仏頂面で聞いていた侍女は、やはり仏頂面のままで口を開き、
「ご心配には及びません。皆様」
当主が、奥方が、そして当主の双親が、首を回して後ろを見ました。
顔色を変えないピンクの髪の侍女は、やんごとなき方々から注目を集めながら、こんなことを言いました。
「〝賢しい人間〟たる綿天様も、無論シャルノ様も、動機は違えど誠の心で、貴なるこの御家を慕い、深く想っております」
そして、澄んだコバルトグリーンの瞳で遠くを見つめて申すのです。
「勿論、それはこの私とて変わらぬことですが」