こっちじゃないよ
何も見えない真っ暗な視界が晴れていき、曇りがかった外の景色が見えてくる。
それは大勢の人達が賑わう祭りの中。その一部に小さな三人の子供が紛れ込んでいる。
これは恐らく、あの日の夢の続きだろう。迷子になっていた女の子と遭遇して、あいつと俺との三人で親を捜しに祭りに行ったんだっけ。
「……あのさ、これ捜すとか無理じゃね?」
迷子の親を捜すと言い張ったものの、祭り会場は人の群れで移動することすら難しい。子供の俺が言っていることは正しいとは思うが、やはりデリカシーに欠けていた。
「無理とか言ってる暇があるなら捜しなさい。この娘を不安にさせるようなことを言わないの」
「別にそういうつもりで言ったわけじゃないのに……」
「……何か言った?」
「いえ、何も言ってません。草の毛分けても捜し出します」
「ふふっ……宜しい」
逸れないように迷子少女を中心にして手を繋ぎ、アテもなく広い会場内を捜し回る。
しかし一向に見つかる気配はなく、空も段々と暗くなっていく。時間の経過と共に迷子少女の不安は増長していき、やがて会場内全体を歩き回ったところで膝を付つくと、また泣き出してしまった。
「うぅ……お母さぁん……」
「うーん……どこにも見当たらないね。もう一度引き返してみよっか」
「……もういいよぉ」
彼女が迷子少女の手を引こうとしたが、迷子少女はその場に蹲って動かなくなってしまった。
「きっとお母さんに捨てられたんだぁ……いつも良い子にしてなかったから捨てられたんだぁ……うわぁぁぁん……」
「……こいつ男だったら殴ってたわ俺」
そう呟いた瞬間、逆に彼女に頭を殴られた。発言を控えてくれ過去の俺よ。そういうことは思っても口に出しちゃいけないんだよ馬鹿野郎。
「君は女の子一人でさえ元気付けることができないの? あーあ、君がそんな人だなんて思ってなかったんだけどなー」
「ちょ、ちょっと待てちょっと待て! 分かったから! 今から頑張るからそんなこと言わないでくれ!」
「……それはつまり、最初から頑張ってなかったってこと?」
「ち、違う! 更に頑張るってことだし! ちゃんと見てろよお前!」
彼女の話術に翻弄されながらも、俺は威勢を張って蹲る迷子少女に話し掛けた。
「あのさ、一つ提案があるんだけど聞いてくれないか?」
「ぐすっ……なに?」
「ただ捜し回るのもあれだからさ。色んな出店があるんだし、色々食べたり遊んだりしながら捜してみないか?」
「で、でもぉ……私お金持ってないもん……」
「うっ……だ、大丈夫だ! 俺は持ってるからさ! 代わりに俺が金を払うから、一緒に行こうぜ! な?」
ここでようやく俺に活躍の場が訪れた。子供らしい無邪気な笑みを浮かべる俺は、迷子少女に向かって手を差し伸ばした。
迷子少女は少しだけ戸惑いしつつも、遠慮がちに俺の手を取った。
「よし! 行くぞ! 折角の祭りだから楽しまねぇとな!」
「わっ!?」
迷子少女の手を強く握り締め、彼女と共に再び祭りの中へと駆け出した。
「……ねぇ」
「うん? なんだよ?」
「ふふっ……さっきのはちょっと格好良かったかなって思って」
「なっ!?」
「え? あわわわっ!?」
思いもよらない事を言われて俺は戸惑い、その際にバランスを崩して転んでしまった。当然、手を繋いでいた迷子少女も俺の上に乗っかる形で転んでしまう。
「いってぇ……急に何言い出すんだお前は! ていうか大丈夫かお前!?」
「う、うん……大丈夫だよ」
すると、俺とべったりくっ付く形になってしまったせいか、迷子少女の顔が少し赤くなっていた。子供ながらに可愛い顔するなぁ。
……でもなんだろうか。あの笑顔を見るのは初めてじゃないような気がする。また何かモヤモヤしたものが脳裏に引っ掛っているような……?
「よいしょっと。ったく、足元もよく見えないんだからそういうの止めろっての」
「そういうのって何のこと? 詳しく教えてほしいな〜?」
「だ、だからそのだな……やっぱ何でもねーよバーカ!」
「ふふっ……子供みたいだね君」
「子供だよ! 青臭いガキと一度言われたことのある子供だよ俺は!」
「け、喧嘩は止めてよぉ……」
「うっ……」
俺一人が大声を出すものだから、迷子少女が怯えてしまった。そのことに罪悪感を感じた様子を見せ、俺は素直に頭を下げた。
「わ、悪かったよ大声出して。それより、なんか寄ってみたい出店とかあるか?」
「その……いっぱいあるからよく分からなくて……あっ」
迷子少女が少しだけ周囲を見渡すと、一軒の出店に飾ってある一つの商品に目を奪われていた。
「どうしたの? 何か気になる物があったのかな?」
「……あれ」
迷子少女がそれに向けて指を差す。それは、子供サイズの可愛らしいピンク色のエプロンだった。
「あれが欲しいの?」
「う、うん……」
「そっかー。うーん……どうしたものかな?」
エプロンが置いてある出店だが、それはただお金を出せば買えるというものじゃない。小さな箱に入っているクジを取り、それに書かれた物が貰えるという仕組みの場所。別名・魔の貯金箱と呼ばれるくじ引きの出店だった。
「どうする? 一回百円みたいだけど、君は何円持って来て……あれ? そういえば君ってさっき……」
「…………おぉふ」
俺はさっき、お金を持って来てると確かに言った。
しかしそれは愚かしき勘違い。ここに来る前に俺は言っていたはずだ。「お金が無くても祭りは楽しめる」みたいなことを。
つまり、俺の持ち金はゼロどころか、財布その物すら持って来ていなかった。
黙り込んでだらだらと動揺の汗を流す俺。やっぱり俺は昔から決めるところを決められない残念系男子だったんだな……。
「やれやれしょうがないなぁ。ほら、実は私は持って来てるからこれ使ってあげて」
すると彼女は、迷子少女に見えないようにして俺に財布を渡してきた。
「で、でもこれはお前の金じゃ……」
「気にしないで。今はこの娘のために色々してあげようよ。折角君も格好良いこと言ったんだし。ね?」
「……ありがとな」
「うん。でも今度お礼を返してもらうから、そのつもりでいてね?」
「うっ……わ、分かった」
「ふふっ……ホントに可愛いんだから君って」
「こんな時にまでからかうな俺を!」
そう……あいつはそういう奴だった。普段は俺をからかってくるような奴だったけど、その裏で凄く優しい性格だった。俺が困った時には必ず助けてくれて、俺もあいつが困っていたら必ず助けるようにしていた。
そうして俺は、ずっとあいつと一緒にいられると思っていた。きっとあいつもそう思ってくれていたと思う。
「それじゃ丁度良く三人分引こうぜ。それで当たらなかったらその時はその時だ」
「よーし! まずは私から引いてみるね!」
彼女が威勢良くトップバッターとして躍り出た。
百円を出店のおじさんに手渡し、数ある中から一枚のクジを取り出す。
そしてペラリと中を見た結果、そのクジにはこう書かれてあった。
『ローション六本入りセット』
「「「…………」」」
この日、俺達は初めてローションという物を知った。この時のことは全然記憶には残ってなかったなぁ……。
彼女は白けた顔でローションセットを受け取り、無言のまま後ろの方に引き下がった。
「その……なんていうか……どんまい?」
「……次どうぞ」
あぁ、珍しく落ち込んだ様子だ。あの世界に実際に赴いて慰めてやりたい。それが駄目ならせめてツッコミの一つでもしてやりたい。
「よ、よし! それじゃ次はお前な!」
「う、うん」
二番目は迷子少女のようで、恐る恐るおじさんに百円を手渡すと、慌てて一枚のクジを引いて戻って来た。
そして今度は二枚目のクジが開かれる。中身に書いてあった内容はこうだ。
『穴の空いたコンニャク」
「……何コレ」
「さぁ? 普通のコンニャクなんじゃないのかな?」
この頃の俺達はまだ純粋だった。きっとその物の意図を理解できていたとしたら、俺は十中八九この店のおじさんを警察に突き出していたところだろう。
「ったくよぉ、情けねぇなぁお前ら。見とけよ男の背中ってやつを! ここで俺がビシッと格好良いところをまた見せてやるぜ!」
「余計なこと言わない方がいいよ? 当てられなかった時が恥ずかしくなるだけだと思うから」
「そういうこと言うなよ! お前も見てろよ? ちゃんと俺があのエプロンを当ててやるからな!」
「あっ……うん!」
迷子少女は嬉しそうに笑顔を浮かべ、その笑顔を背に俺はおじさんに百円を手渡した。
厳選に厳選を重ねて数十秒ほど悩みに悩んだ末、俺は「これだ!」と叫んで一枚のクジを手に取った。
二人の元に戻っていき、どきどきと胸の内を高まらせる。そして俺は勢い良くクジの中身を開いた。
「……っ!!」
そこに書かれていた文字はこうだ。
『“大人用”エプロン』
「んんっ……ぐぬぉぉおおお!?」
確かに宣言通り、エプロンを当てることはできた。しかしそこはやはり俺。最後の最後で番狂わせの競馬の如く、派手に転んで場内退場という結果で終わりを告げた。
可愛らしい子供エプロンとは違い、大人用のは純白な色合いだけが特徴といえる一般的なエプロンだった。俺は一人悶え苦しみ、迷子少女に向かって綺麗な土下座をしてみせた。
「すいません……使えるのはまだまだ先みたいですけど、よければ大人になった頃にお使いください……」
「……貰っていいの?」
迷子少女は戸惑っているご様子。俺はエプロンを持って立ち上がると、涙目になりながら少女の手を取ってエプロンを無理矢理持たせた。
「お前のためにやったクジ引きだしな。いらないと思うかもしれないけど、記念に貰っといてくれ」
「っ! ありがとう!」
「お、おぅ」
サイズは全く合わないはずなのに、迷子少女は凄く嬉しそうに微笑んだ。
そしてその笑顔は――ある人物の笑顔と重なっていた。
そうか……そうだったんだな。俺は過去に一度、彼女と出会っていたんだ。全く覚えてなかったのに、この夢が全てを思い出させてくれたみたいだ。
「お姉ちゃーん!」
「あっ……リコ!」
すると突然、遠くの方から俺達と同じくらいの年頃の女の子が走って近付いて来た。もしかしなくとも、あの娘は迷子少女――ミコさんの妹であるリコさんだ。
「良かったぁ見つかって! お母さんと二人で心配して捜し回ってたんだよぉ!?」
「ごめんねリコ。でもお母さんは?」
「お母さんなら出口の方で待ってるよ! ほら、行こ!」
「あっ……」
無邪気な妹に手を引かれていくミコさん。俺達は追い掛けることなく、笑顔で二人が遠ざかって行くのを見守っていた。
「っ……ちょっと待っててリコ!」
しかしミコさんはリコさんの手を離してそう言うと、また俺達の元に走って戻って来た。
俺から貰ったエプロンを抱き締めるように持ち、その腕にグッと力が入っていた。
「良かったね、お母さん達が見つかって」
「お礼ならもう言わなくていいぞ。ついさっき言ってくれたんだしな」
「……また」
「ん?」
ミコさんはまた泣きそうな顔になり、名残惜しそうに俺たち二人を見つめた。
「また……会えるかな……」
「……ったくよぉ、最後の最後まで世話掛けさせやがって泣き虫め」
俺は頭を掻いて困ったように笑う。それからミコさんの目の前に立ち、狐の耳が生えていないその小さな頭に優しく手を置いた。
「俺達は基本この町で遊んでるからよ。また会いたくなったらここに来ればいいさ。その時はまた違う遊びに誘ってやるよ」
「っ……うん……うん!」
「結局泣くのなお前……ほら、涙拭いてやるから動くなよ?」
純粋だった頃のミーナに接するように、服の袖を使ってミコさんの涙を拭き取ろうとした。
だがそうしようとした瞬間、不意にミコさんの方から俺に接近してきて――頬に触れるだけのキスをした。
「っ!!?」
「ま……またね!」
ミコさんはすぐさま俺から離れると否や、顔を赤くさせて妹のリコさんと共に去って行った。
ぽつんと取り残された俺は白目を剥き、耳まで顔を赤くさせたまま硬直している。
まさかこの時にもミコさんにそういうアプローチを受けていたとは……何故忘れていたんだ俺よ。一生物の思い出じゃねーかこれ。
「……えいっ」
「いでっ!?」
固まって反応がない俺に対し、彼女は俺の片頰を引っ張ってきた。その痛みで我に返り、落ち着かない様子で彼女の方に振り返った。
「……人生初めてのキスだった」
「お母さんにいつもされてるでしょ?」
「あれとは全然違うって! ふ、普通の女の子に、頬だったけどキスを……しかも可愛い奴に……へっ……へへへっ……」
「……えいっ」
「いでっ!? だから痛いって! 何なんだお前!」
「さて、何なんでしょうね? 子供の君には分からないよーだ」
「あっ、待てこのやろー!」
微笑ましい光景をジッと見ている最中、子供の頃の俺達が俺の方に向かって走って来る。
夢の存在である俺は二人の目に止まることなく、二人が通り過ぎて行くのをただ黙って見ていることしかできなかった。
だが、彼女が俺の横を通り過ぎた瞬間――
「待ってくれ……李音!!」
咄嗟に彼女の名を叫んだ。
あいつは――イオンはあくまで俺の中に出てきた夢の存在。呼んだところで返事を返してくれるはずもないのに、俺は心の何処かで期待していた。
イオンが俺達の……俺の元に戻って来てくれることを。
「…………っ!?」
そして俺は、信じられない光景を目にした。
俺と同じくらいの年頃の姿になったイオンが俺の呼び掛けに応じ、後ろを振り向いて笑ったのだ。
自然と俺の目から涙が溢れた。答えてくれると思わなかったから。もう二度と会えるはずがないと思っていたから。
「イオン……」
また彼女の名を呼び、ゆっくりと一歩ずつイオンの元に近づいて行く。
だがその途中、イオンは少し切なそうな表情を浮かべた。
「……こっちじゃないよ」
「え?」
「君が来るのはこっちじゃないよ。ほら、後ろを見て」
イオンに言われるがままに後ろを振り向いた。もうそこには先程の景色は残っておらず、代わりに一人の人物が泣き顔で俺のことを見つめていた。
「ミコ……さん……」
その人物はミコさんだった。必死に何かを叫んでいて、しかしその叫び声が俺の元に届くことはない。
「ほら、行ってあげて。あの人は君のことをずっと待っているから」
「で、でも……俺はお前といたいんだ!」
イオンは首を横に振り、優しく微笑んで俺の頬に触れた。
「今の君には、向こうの世界に沢山の大切な人達がいる。だから行って。君がこっちに来るのはまだ先の話よ」
「っ……駄目だ!! 俺はお前がいないと……駄目なんだよ……それに俺はまだ……お前に許してもらってない……」
「……もぅ。君は大きくなってもそういうところは成長してないんだね」
後から後から涙が溢れて出てきて、何も見えなくなっている俺を、イオンがそっと抱き締めてくれた。
「私は何も怒ってなんかいない。君を恨んだことも、憎んだこともない。だからもう……自分を許してあげて。私は貴方といられて幸せだったんだから」
そこで、イオンの姿に異変が訪れた。足先から薄っすらと透けていき、光の粒子となり始めたのだ。
「っ!? 待ってくれイオン!! 行くなっ!!」
「私はいつまでも君のことを見守ってる。だからお願い。もう誰かを好きになることを恐れないで。君がもう一度好きになることができた女の子を……ずっと君のことを待ってくれているあの娘のことを……支えてあげてね……」
それが彼女の最後の言葉。イオンは俺の身体からそっと離れ、完全に光の粒子となって天へと登って行った。
自分の手のひらをじっと見つめる。もう一度触れることができたイオンの温もりがまだ残っているような気がして、今すぐにでも泣き叫びたい気分だった。
でも俺には泣いている暇なんかない。俺には待ってくれている人がいると、イオンが教えてくれたから。
涙を拭いて後ろを振り向き、俺を見つめている彼女の元に駆け出した。
走っても走っても一向に近付ける気配はない。それでも俺は走り続けた。彼女が手を伸ばしてきて、その手を握るために俺も大きく手を伸ばした。
近そうで遠かった長い道。その手は段々と彼女の手に近付いていく。
そしてようやくその手に触れられた瞬間――俺は真っ白な光に身を包まれていった。




