女か肉か
生まれたてのバンビのように足がガクガクと震え、ちょこんと赤子程度の力で小突かれたとしても、容易く倒れてしまいそうなくらいに今の俺は不安定な状態だ。
もう何時間経過したか分からず、歩いても歩いても一向に何も見えてこない。見えるのは広大な草原の景色だけ。車や電車に乗ってる時に景色を眺めるのと同じで、どれだけ綺麗な景色でもずっと見てれば飽きも出てくる。正直これはかなりしんどい。
喧嘩といった類いで身体を動かすならいくらでも動けるが、遠足のように長距離を長々と歩き続けるとなると話が変わってくる。こういう持久戦は昔からめっぽう駄目なんだよなぁ。
「同じ場所を永遠と歩いてるようだねぇ。大丈夫かぃお兄さん?」
隣を歩くアマナは俺と違って余裕の様子。こういうところも個人的に気に食わねぇ。
「なんでそんな元気なんだよお前……」
「こう見えて持久力は人何倍もあるのさ。三日間飲まず食わずなんて昔にゃザラにあることだったからねぇ」
「あっそ……そりゃ大変でしたね」
「素っ気ないねぇ。苦しいのなら私が背負ってやっても構わないが?」
「ハハハッ、冗談はその顔だけにしろよ」
「ひ、酷い事言うねぇ。仮にも私は女の子なんだけどねぇ」
女の子ねぇ……どの口がそう言うんだか。見るからに武闘派だし、俺に目にはそんじゃそこらの男よりよっぽど男らしく見える。いい例えるならイケメン女子ってところか。
男の俺よりイケメンって……腹立つわぁ……何から何まで腹立つわぁ……。
「ハァ……なんでこんな奴と二人きりに……これならまだリースから小言を言われてる方がマシだ」
「やれやれ……ここまで嫌われると逆に清々しいねぇ。どうしたら私の好感度は上げられるんだぃ?」
「俺が知るか。くだらない悩みに俺を巻き込むなボケが」
「取り付く島もないと? せめて1パーセントの望みくらいくれてもいいじゃないのさ〜」
アマナはからからと笑うと、ボディータッチを含めてベタベタと絡んで来た。
「えぇい、鬱陶しい! 気安く俺に触れるんじゃない!」
「よいではないか〜、よいではないか〜。少しはお姉さんにも優しくしておくれよお兄さ〜ん」
ふにょんふにょんと柔らかいものが肩やら背中やらに当たってくる。腹は立つが、その感触が気持ち良いものだという事実は認めざるを得ない!
と思いつつ、俺は多少の苛立ちを解き放つように、アマナの脇腹に肘打ちを当てた。
「ぐふっ!?」とアマナは脇腹を抱え、ぷるぷると震えてその場に屈んだ。
「うぅ……ついに暴力振るわれるとはねぇ。お姉さんの軽いジョークだったのに」
「そういうのは既にコヨミで懲りてんだよ馬鹿野郎。和服キャラは二人もいらねぇんだ。後から出てきた脇役風情がしゃしゃってんじゃねぇ」
「そ、そんなこと言われてもねぇ……」
これ以上の会話は不毛と判断し、一人屈んでいるアマナを置いて、俺は先へ先へと歩き出す。
体力はないし、腹も減ってきてる。水分も欲しいところだし、早く町や村的なところを見付けないとマジでヤバそうだ。
「待っとくれよお兄さん。気を逃れるためにも私とお喋りしようじゃないかぃ」
「嫌です。お前と話をするくらいなら、まだ草原の草の数を数えてた方がマシだ」
「またそういうことを……むむっ?」
苦笑しながら後を追い掛けて来たと思いきや、急に鼻をぴくぴくと動かして疑惑の表情を浮かべた。
「なんだよ? 鼻水でも詰まったってか?」
「……肉の匂いがする」
「へ?」
「いやだから、肉の匂いがするのさね。あっちの方角から」
そう言ってアマナは歩いていた方向の左側に指を差した。こいつの言ってることが本当だとしたら、もしや町か村があるのかもしれない。
「信ずるからな? 今はお前しか頼りがいないんだから、これで裏切られたら今度こそ許さねぇからな?」
「ほぃほぃ。じゃ、行ってみようか」
アマナの野性的な鼻の良さに賭けて、俺達は肉の匂いがするらしい方向に方向転換し、歩き出した。
そして、結果的にアマナが俺を裏切る結果には至らなかった。
峠を越えて辺りを見渡すと、少し先のところに村があった。数えられるだけしか家が建っていなく、見たところ小さい村ではあるが、他の人――異星人がいそうな場所を見付けられたのはでかい。
「よくやった孫の手。褒美に今度からは名前で呼んでやるよ」
「意地悪だねぇ。もう少し待遇を良くしてくれてもいいじゃないのさ」
「ふんっ、調子に乗るなよ。一つの難局を超えられたくらいで好感度が上がると思ったら大間違いだ」
「ぷっ……今の物言い、リースみたいだねぇ」
「馬鹿にしてんだろお前!」
「ニャッハッハッ、怒らない怒らない。ほら、善は急げだよお兄さん」
「あっ! 待てコラ! 抜け駆けは許さねぇぞお前!」
体力に余裕のあるアマナが走り出したところ、残りの体力全てを費やして背中に飛び付いた。
「なんだぃお兄さん。結局私の背中に背負われるんじゃないかぃ」
「……すいません、もう動けないんでこのまま背負ってください」
「おぉ……限界近かったんだねぇ。強がってないで最初からそうすれば良かったのに」
村が見えて安心し切ってしまったのか、只でさえ酷かった空腹感が悪化して動けなくなってしまった。命とプライドを選ぶのならば、俺は断腸の思いでプライドを捨てよう……。
そうしてアマナに背負われながら進んでいき、ようやく村に辿り着くことができた。
……だが、運悪くも村は取り込み中だったようだ。
「ガッハッハッ! もっと肉持ってこいテメェら!」
村には数十人の異星人達がいた。狐の耳に尻尾が生えているところをみると、どうやら彼らがこの星に住んでいるクリーナー星人らしい。
そのクリーナー星人達は、誰かを囲むようにして村の中心に集まっていた。何だかヤケに偉そうな口調の奴がいるみたいだが……。
「ふむふむ……どうやらここも支配区域みたいだねぇ」
「支配区域? まさかそれって……」
「お兄さんのご想像通りさね。ほら、あれを見てみなさいな」
村の中心が見えるところまで移動してくれると、そこには思った通り、一人のバーサク星人がいた。
玉座のような椅子に座っていて、その周りには大量の……骨付き肉が……置いて……あって……。
「お兄さん? 目が血走ってるけど大丈夫かぃ?」
アマナの呼び掛けは右から左に通り抜けていき、今の俺には肉の一文字しか目に映らない。
「おらっ、寄越せその肉!」
バーサク星人が皿の上に乗っていた肉を奪い、大きな牙を剥き出しにして喰い千切る。くちゃりくちゃりと音が鳴る度に脂身が飛び散るのを見て、俺の口内に溜まっていた涎が漏れ出した。
「もう勘弁してください! このままでは私達の食料が尽きてしまいます!」
「うるせぇ! テメェらはミルクがあれば生きるに事欠かない連中だろーが! 家畜は黙って俺に肉を献上してりゃいいんだよ!」
クリーナー星人の男を突き飛ばし、再び肉を頬張るバーサク星人。
「大丈夫ですか!?」
「うぅ……私達の食料が……」
突き飛ばされたクリーナー星人に駆け寄るクリーナー星人の少女。彼女はキッとバーサク星人を睨むと、恐れた様子を見せながらも一人前に出て立ち向かった。
「い、いい加減にしてください! 今日の分のお肉は既に奉納したはずです! これ以上私達の食料を食べ漁るのは止めてください!」
「……あァ?」
すると、バーサク星人の顔付きが変わった。ご機嫌な様子だった雰囲気に棘が混じり込み、手に持っていた骨付き肉を無造作に投げ捨てた。
「ぬぅぅ!!」
「……あれ? お兄さん?」
投げ捨てられて空中に浮いた肉。俺はその食い物に釣り上げられるようにアマナの背中から離れて走り出した。
クリーナー星人の輪に沿って駆け抜ける。血眼の目に映る肉は、後数秒で地面に落下してしまうだろう。
そうはいかない! そうはさせない! 捨てられた時点であれはもう俺の肉だ! 誰にも譲らんし、落とさせもしねぇ!
世界がスローモーションになり、肉との距離まで後数メートル。肉はくるくると縦に回転し、地面との距離を縮めていく。
走るだけじゃ駄目だと悟り、咄嗟の判断で肉に向かって飛び出した。身体は一瞬の時だけ低空飛行し、思い切り右手を伸ばした。
そして俺は――寸前のところで肉のキャッチに見事成功を収めた。
「っ〜〜〜!!」
顔を埋める勢いで肉に喰らいつく。ガツガツと肉の一片も残らないように食える部位を全て食い漁る。
「テメェ……そりゃ俺をバーサク星人のヴァンダレイと知って口聞いてんのか?」
一方その頃、村の中心では熱り立ったバーサク星人が、クリーナー星人の少女の胸ぐらを掴み上げていた。
「わ、私は間違ったことなんて言ってません!」
「家畜が俺様に口答えしてんじゃねぇ! 女だからって俺が手を出さないとでも思ってんのか? あァ?」
バーサク星人がもう一方の腕を上に振り上げる。しかしまだ俺は骨付き肉に夢中になっている。女っ気よりも食い気が活性してしまい、他のことに一切目が映らない。
そして、振り上げられた腕が少女に向けて振り下ろされかけたその時、村の中心に一つの影が通り抜けた。
「がへぇ!?」
「きゃっ!?」
傍観者から加害者となったアマナがバーサク星人に向かって飛び蹴りを放ち、バーサク星人の身体が吹き飛ばされる。
「……え?」
肉を食いながらその光景を見ていると、バーサク星人の吹き飛び先は俺に向かって一直線。
「ちょ、待っ――げふぁ!?」
当然のことに呆然とすることしかできず、俺はバーサク星人の下敷きとなって遠くへと吹き飛ばされた。
「大丈夫かぃお前さん?」
「あ、ありがとうございます! しかし貴女は一体……」
「私はあれさね。ほら……通りすがりの旅人みたいな?」
あの野郎……俺が真っ先に助けに行かなかったことは悪いものの、普通こっちに蹴り飛ばすか? こっちはひもじい思いをしてたってのに、慈悲も何もあったもんじゃ――
「野郎! やりやがったな!」
「めごぉっ……」
俺の上に乗っていたバーサク星人が立ち上がり、俺を踏み台にしてアマナの方に戻っていった。
……どいつもこいつも俺をコケにしやがりますか。ほぅほぅそうですかそうですか。
「何処のどいつか知らねぇが、この俺様に逆らったことを後悔しやがれ!」
「あらら〜、相変わらず頑丈な一族だねぇ。下がってなお前さん」
「は、はい……」
アマナはやる気満々なようで、手の骨を鳴らして戦闘のスイッチを入れたようだ。
「……おい」
だがその前に、バーサク星人の背後に回った俺の方が早かった。
「あァ? 誰だテメェ?」
「俺が誰かなんてどうでもいい。それより俺が言いたいことを一言だけ言わせろ」
「はっ! んなこと知ったことじゃ――」
その刹那、バーサク星人の急所に拳を減り込ませる。バーサク星人の顔は歪み、何が起きたのか分からないと顔に書いてあった。
「食い物を粗末にしてんじゃねぇぇぇ!!」
でかい頭を片手で鷲掴みにして、身体ごと持ち上げて思い切り地面に叩き付ける。
ミシミシと地面に亀裂が入り、百八十度に頭から地面に突き刺さった異星人という異様な光景が完成した。
「家畜の有り難みが分からん奴に、飯を食べる資格はありません。百姓になって出直してきなさいバカタレ」
「ひゅ〜、やるねぇお兄さん。流石は私をぶっ飛ばした男だねぇ。口調はおばさんっぽいけど」
「一言余計だっつの。で、あの人は大丈夫だったのか?」
「勿論さね。お兄さんが女より食い気を優先したから、仕方なく私直々に助け舟出したんだからねぇ」
「しょうがないだろ。死ぬ程腹減ってた上に、あんな美味そうな肉をチラつかせられてたんだからよ。我慢しろってのが無理な話だろーが」
「ま、確かにお兄さんにとっちゃ難儀なことだったのかもねぇ。でもそこは男として女を助けなくちゃいけなかったんじゃないかぃ?」
「……すいませんでした」
「あっ、そこは折れるんだ……」
悔しいがアマナの言う通りだ。赤の他人とはいえ、女より肉を優先してしまったさっきの俺はどうかしていた。本能に忠実になってしまったことは素直に反省しよう……。
アマナに助け出されたクリーナー星人の少女に身を向け、俺は深々と頭を下げた。
「なんか……すいませんでした。でもしんどかったんですよ。完全に言い訳なんですけど、たんぱく質が欲しくて欲しくて仕方がなかったんです! 分かってくださいこの気持ち!」
「は、はぁ……よく分かりませんが頭を上げてください。こちらこそ危ないところを助けて頂いてありがとうございました」
ペコリと頭を下げ返してくる少女。ミコさんといい、クリーナー星人ってのは律儀な人ばかりなんだろうか。前から思ってたけど、好感が持てる種族だなぁ。
「私はリコと言います。貴方達のお名前を聞いても宜しいですか?」
「あぁうん。俺達は……え?」
そこで俺は少女を凝視して思わず目を見開いた。
よく見覚えのあるその顔に唖然としてしまい、一瞬思考回路が停止してしまった。
「……ミコさん?」
「え?」
リコと名乗る少女の顔は、クローンと思わせるくらいにミコさんと瓜二つの顔をしていた。




