初めて見た阿修羅の鬼
さて、ミコさんの強い押しがあって、俺の連れとしてミコさんとヒナが付いてくることになったが……。
「……にぃに……防弾チョッキは必須だと思う」
「そうだな。それと迎撃できるように硬い棒状の物も欲しいところだ。奇襲を掛けられても、ひのきのぼうが一本でもあればどうにかなる自信はある……と思う」
矢を放って俺の命を平気で狙ってくるような人がいるんだ。武装の一つや二つしていかないと、いざという時に何も抵抗できずに終わりを告げることだろう。生存確率的な意味で。
しかし残念ながら、我が家には頑丈な防弾チョッキもなければ、金属バットの一本すらない。手頃な凶器代わりになるとすれば、その昔、修学旅行で購入した木刀くらいだ。
もっと準備を整えてから訪問したかったが、そんなものを用意している時間はない。止むを得ず、俺は木刀を持ち、ヒナにはおなべのふたを持たせ、ミコさんにはプラスチック爆弾を持たせた。
「……準備は万端」
「よし……行くか!」
「そうですね! 準備もできましたし、早速伺いに――行けるわけないじゃないですかっ!」
「ぬぉぉ!? あっぶねぇ!?」
ミコさんがプラスチック爆弾を床に叩き付けようとしたところ、ギリギリのところで回収するのが間に合った。
「なんてことしようとするんだミコさん。家が大爆発で木っ端微塵になるところだったよ」
「……どんな物も大切に扱うべき……これ常識」
「そんな破壊力あるんですかそれ!? てゆーか何でそんなものがこの家にあるんですか!? それ以前に、なんでこんな物騒な物を持って訪問しなくちゃいけないんですか! もう!」
ぷんすかぷんすかと頬を膨らませて足踏みしながら怒るミコさん。こういう仕草も全部天然でやってることなんだろうなぁ……萌える。
「真面目に考えてくださいよ二人共! こんな武装していったら返って逆効果じゃないですか! こちらは穏便に事を済ませたいと思ってるんですから、何か差し入れのような物があればそれで丸く収まると思いませんか?」
「あ、う、うん、確かにその通りだね。ごめんミコさん、色々と気が動転して冷静な判断ができなくなってたよ」
「しっかりしてください旦那様。あんなことがあって動揺するのは仕方ない事だとは思いますが、こんな緊急事態だからこそ冷静にならなくちゃ駄目ですよ」
いつになく……というか、これが本来のミコさんなんだろう。お惚けな様子はなく、誰よりも真面目に物事を考えている。
「……それで……差し入れはどうするの?」
「それについては大丈夫です。こういう時のために私は差し入れになりそうな品を一つ買い置きしてるんです。さぁ旦那様、木刀ではなくてこれを持って訪問しに行きましょう!」
張り切った様子で勢い良く差し出されたそれを手に取った。見たところ、どうやらこれはお酒のようだ。
そしてそのお酒の名前は、迫力のある達筆な字でこう書かれていた。
『御礼参り』
「結局アンタも冷静じゃないんかぃ!!」
ある意味こっちの方がタチ悪いよ! 完全に喧嘩売りに参ってるよ! 正面突破で掛かって来いやと言いに行くようなもんだよ!
「え? 何かおかしかったですかこれ? お礼というから、意味合いも良い意味が込められてるお酒だと思って買っておいたんですが……」
「……狐姉……ネットか何かで調べた方が良い……将来的にも」
「え? え? 一体どういう意味なんですか? う〜ん……」
真面目と思っていた俺が浅はかだった。やっぱこの人は底知れない天然要素の持ち主だ。また一つ教訓を覚えたな俺。ちゃんと生かさないとな、今後のために。
「しゃーない、さっき買って来たリース用の珍味を一つだけ持っていくか。わざわざこれもって死にに行くのは御免被るからな」
「……くれるの?」
「絶対駄々捏ねる思うけど、無理矢理にでも奪ってくる。命が掛かってんだから形振り構ってられんわ」
「……それもそう」
「あ、あの、旦那様。これが駄目でしたら、この『団地妻』と書かれたお酒は……」
「ねぇもしかしてボケたいがためにわざとやってない? もういいからミコさんは黙ってなさい」
「うぅ……やっぱり私はこういう扱いなんですね……」
「悪いのは自分自身でしょーが!」
「すみませんでした!」
この後、ヒナの予想通りにリースが珍味を引き渡すことに抵抗すると思われたが、未だに再起不能になっていたので何も苦労することはなく、珍味を手に入れられた。
~※~
一見はただの一軒家。異星人が住んでいそうな雰囲気は何一つないのだが、それはあくまで見た目だけの話。ここにはいるんだ、恐ろしい病み心を持つあのお姉さんが。
先程から玄関の前に立っている俺達だが、一向にインターホンを押す勇気が湧いてくれない。ここぞって時に俺って奴は!
「……あの、旦那様――」
「早まるなミコさん。少しでも急かしてみろよ? この扉を開けた瞬間、矢が飛んできてグサリッ! という悲惨な目に合うぞ」
「か、考え過ぎですよ。あまり肩に力を入れない方が良い気がするんですけど……」
「……その考えは甘い……そのままだといつか悪い男に騙される」
「ヒナさんや、それお前が言ったら説得力に欠けますよ」
「……ごもっとも」
やれやれ、こうして無駄話してる間にも死の宣告時間が近付いてるってのに。いい加減腹を括るんだ俺。大丈夫、もしものことがあれば俺の腕っ節でどうにかなるさ!
そう、俺はこういう事態に遭遇することも考えて強くなったんだ。今こそ、その力を生かす時よ!
「よし……押――」
ガチャリ
「…………へ?」
ようやく覚悟が決まってインターホンを押そうとした瞬間、不意に玄関が開けられて間抜けな声が思わず漏れた。
そして俺は……いや、俺達はその人物を目にして凍り付いた。
二メートルはあるであろう巨体。肩甲骨辺りから二本の腕が生えていて、合計四本の腕を持つ異人。鬼そのものの形相に、牛魔王のような二本の立派な角が生えている。
例えるならそう……魔王だ。RPGのラスボスに出てくるような魔王の風貌そのものだ。
つまり何を言いたいのかと言うと――
(滅茶苦茶怖ぇっ!!)
(あわばばばばば……)
(………………)
何とか小声の叫びに留めることができたが……ヤバい。今までの人生の中で、ガラの悪い奴や、背伸びした小悪党連中と喧嘩した経験が幾度と無くあったが、これはまるで格が違う。
殺される。逆らった瞬間に俺は片手で捻り潰される。勘違いでもなんでもない、確かな確証を持てた。
「ようやっと来たと思いきや、なんじゃぃお前さんら。いつまでもこそこそこそこそと、一体何を企んどるんじゃ? あァ?」
食い殺すような鋭い目付きでギロリと睨んでくるリアル阿修羅。この俺がここまでビビるだなんて、流石は異星人。世界は広いねぇマジで。
(旦那様、急用を思い出したので私は失礼しますね)
明らかな嘘をついて踵を返そうとするミコさんだったが、それはヒナの手によって遮られた。
(は、離してくださいヒナちゃん! 無理です! 私にはこの門を潜り抜ける度胸はありません!)
(……そりゃないぜ子狐ちゃん……ここまで来たら一蓮托生だぜ)
(なんですかその口調! 何処で覚えたんですか!)
(……昔見たドラマから抜粋)
(駄目ですよそんな言葉覚えちゃ! 社会に出て使うような言葉を覚えればそれで良いんです!)
「さっきから何ひそひそ話してんねん。もしや作戦の再確認てか? ワシを前に良い度胸やのぅ、おォ!?」
「ひゃい!? すすすすみませんすみません! そういうわけではないんです!」
「ならどういうわけなんじゃわりゃぁ!」
「そ、それはその……あの……だ、旦那様ぁ……」
こんな時に俺をそんな目で見ないでほしい。まぁ助け舟は出すけどさ。
「い、いえ、実はこれ引越し祝いに持って来たつまらない物なんですけど……あっ、いや! 本当はつまらなくはないんですよ!? でもつまらない物っていうか……これで不愉快な気分にさせるんじゃないかと心配してたわけなんですよ! ア、アハハハハッ!」
「何ワシの顔見て笑っとんじゃおんしゃァァ!!」
「違う違う違う違う! あぁもう被害妄想激しい人だなぁこの人!」
襟首を掴まれて綿毛を掴むように持ち上げられる。なんつー怪力の持ち主よ。流石の俺でも……いや、実際どうなんだろ……って、対抗心を燃やすんじゃない俺!
「お、落ち着いておじさん! 俺達は決して怪しい者じゃないんです! ただお姉さんに今晩の夕食に誘われてまして……」
「んなもんハナから分かっとるわ! ワシの可愛い一人娘の誘いを断るもんなら……ワシはおんしゃぁを始末していたところや」
えっ、それってもしかして。
「……あの、一つ聞きたいことがあるんですけど、俺の家に矢を放った人って言うのは……」
「ワシに決まっとるやないかぁ。何せ、ワシの可愛い一人娘の気遣いを無下にしようとしたんや。その報いを受けてもらおうと思うたのに、的が外れて誤算やっ――」
「ざっけんなテメェゴラァ!!」
思考よりも先に本能が稼働し、気付いた時にはもう遅く、俺は阿修羅の化物の顔面に一発打ち込んでしまった。
二メートルの巨体が家の中に吹き飛んで行き、宙に上げられていた俺の身体は重力を浴びて地に降り立った。
……さて、遺書でも書いておくか。犯人は悪鬼転身阿修羅マン、と。
「な……何してるんですか貴方ぁぁぁ!?」
そりゃ当然の反応。顔色を真っ青にさせたミコさんがこれ以上にないくらい慌てて飛び付いて来た。
「何してるんですか!? ホントに何をしてるんですか!? 馬鹿なんですか!? 貴方はひょっとして大馬鹿なんですか!?」
「いや、あの、今のはちょ〜っと手が滑っちゃってね? こう……軽いコミュニケーション的な意味を込めて『ちょこん』と小突いたらこうなった、みたいな?」
「苦しいですよその言い訳! 何が軽いコミュニケーションですか!? 明らかにガッツリ入ってましたよ! 『ちょこん』じゃなくて『ドゴォンッ!!』でしたよ!」
「……バトル漫画のような音だった……格好良い」
「関心してる場合ですか!」
そうこうしている内に、吹き飛んで行った阿修羅が再び姿を現した。今の一撃が全く応えていないようで、首をこきこき鳴らしながらピンピンしている。
「上等やないけぇ小僧……これはワシらバーサク族に対する宣戦布告やで……」
「バーサク族……って言われてもなぁ。ミコさん知ってる?」
そうしてミコさんの方を見てみるが、その肝心のミコさんはこの世の終わりを見ているかのように目が真っ暗になっていた。
「えーと……まだ正気は残ってます?」
「……死んだ……まだやり残してることはあるのに……終わった……私は終わり……フフッ、フフフフフッ……」
駄目だ、既に狂気に飲み込まれてらぁ。それだけヤバい種族ってことを物語っているぜ。
どうしよ、マジで洒落になってない人に喧嘩売っちゃった。まぁ人じゃないんだけどね。
はははっ、このまま天国行って“あいつ”に会ったらどーしよ。死んでも洒落になってねぇや。
「戦争じゃァァァ!! 野郎共ォ!! この家の全勢力を持ってこの小僧共を――」
「すみませ~ん、お待たせしてしまいました~」
「むっ!?」
その時、聞き覚えのある間延びした声がこの空間を支配し、阿修羅の殺気を打ち消した。あのお姉さんの再登場である。
さっき出会った時の姿にエプロンを身に付けていて、その姿はさながら若妻だ。こんな時に目を奪われてしまう自分が情けなくてしゃーない。
「引っ込んどれぃロッカ! ここは危険じゃぁ! ワシらの戦争に巻き込まれる前に――」
「邪魔です~」
ニッコリと天使の微笑みを浮かべているお姉さん――が、阿修羅に道を遮られた瞬間、あの頭一つ飛び抜けた怪力が炸裂した。
脇腹に裏拳を一発。メキメキと骨が軋む音が聞こえたと思いきや、阿修羅が凄い勢いで地面に埋まった。お陰でこの玄関エリアは滅茶苦茶になってしまった。
「……上には上がいる……色んな意味で」
「……そうだな」
正気を失っているミコさんと、遺体 (になったかもしれない)阿修羅を見た後、ロッカと言うらしいお姉さんを見つめるヒナ。確かにこの人のスペックはここにいる誰よりも上だ。キャラ的にも、プロポーション的にも。
「あの、大丈夫なんですか? おじさんが死んでるように見えるんですが……」
「大丈夫です~。それよりも本当に来てくれて、私嬉しいです~」
ぽわぽわとしながら三度抱き付かれてしまう俺。あぁ……やっぱこの触感には抵抗できない。だって男の子だもの!
「……にぃに」
「どしたヒナ」
「……周りは常に見ておくべき」
「……あ゛っ」
お姉さんに抱き付かれて惚けていると、背後からまた違う殺気――いや、これは軽蔑だ。冷ややかな視線が俺の背筋を凍らせてしまう。
「……旦那様?」
「い、いや、これは違っ……」
「旦那様?」
「いやだからこれは俺からしたことじゃ……」
「だ・ん・な・さ・ま?」
「……お姉さん、そろそろ離してください」
「ん~、もう少し成分を補給させてほしいです~」
「成分って何? 俺は栄養ドリンクじゃないから!」
「……………………」
「止めて! そんな目で俺を見ないで! 違うんだミコさん! そんなつもりじゃないんだって! ねぇ聞いてる!? てか聞いてください!」
しかしそんな言い訳は通じることなく、お姉さんが満足して俺を離すに至るまで、ミコさんはゴミ屑を見るかのような目で俺を見続けていた。




