予想外の一撃
「……おじさん」
突如現れたこの温泉旅館の当主、須藤。ヒナの拾い親であり、この温泉にこの娘を招き入れた張本人であり、己の不幸を代償とする能力を利用してきた外道。
後少しだけゆっくりしたかったが、まさか相手から来るとは思わなかった。手間が省けはしたが……気分は乗らないな。
「ついさっき君を見掛けて声を掛けようとしたんだけど、随分疲れているようだったから遠慮したんだ。でもその様子だと回復したみたいだね」
疲れているようだった、ってか。大きな怪我で気を失っていたのは一目見て明白だろうに、こいつの目は節穴か? 胸糞悪い笑み浮かべやがって、やっぱ気にいらねぇこいつ。
「……まだ完全に回復したわけじゃない……翠華姉さんからまだ安静にしていないと駄目だと言われてる」
「でもそれは彼女から見た君の体調だろう? 僕から見たら君はすっかり元気になっているし、休む休まないを判断するのは彼女ではなく僕だよ」
「…………」
目を合わせずに俯くヒナ。なるほど、口調は柔らかい人を気取ってるらしいが、こうやってヒナはこいつの思い通りに動かされていたんだろう。
流石に黙っていられないと口添えしようとしたが、その前にコヨミが一歩前に出てヒナを背に隠すように立ちはだかった。
「ちょいちょい待たれよお主。此奴の体調は未だ不完全なのはワシらも確認しとる。お主の言い方からすると、まるでこれから働いて貰おうとしてるようじゃが、それは遠慮した方が良いと思うのぅ」
「……誰ですか貴女?」
「ワシか? なんてことはない、この旅館に宿泊しに来た、ただのお客様じゃよ」
相手がお客様でありながら敵意の眼差しを向けてくる須藤に対し、コヨミは臆することなくいつものニヤニヤ顔を浮かべている。
意外と度胸あるんだよなこの白髪。こういうところだけは好感が持てる。
「申し訳有りませんがお客様。これは私達身内の事情でありまして、部外者には関係のない話でございます」
「いやいやその理屈はおかしいじゃろぅて。これは此奴の体調不良の話じゃろぅ。旅館事情云々は関係ない、此奴自身の話をしとるんじゃからのぅ」
そう言いながらポンポンとヒナの頭を叩くコヨミ。だが、何度か触れられた瞬間に振り払われてしまう。
「……汚れた」
「お主、そんなにワシが嫌いか? 泣いていい?」
Mのコヨミでも、幼女から冷たい態度を取られると精神的にくるようだ。俺ならしばらく落ち込んで引きこもるだろうなぁ……。
「と、とにかくじゃな。此奴の体調はまだ不安定じゃ。“友人”として、此奴の身は一旦預からせてもらうぞ」
多少強引に話を終わらせてヒナを連れて行こうと手を取ろうとするが、やはり振り払われ――
バチンッ!
「……汚い」
「ねぇワシ何かした? お主自身に何か不愉快なことした?」
いや、今度はもっと攻撃的に弾かれた。あれは生理的に無理なパターンだ。こればかりは自業自得だからどうしようもない。
「にーちゃん、代わりにエスコートしてやっとくれ。ワシはなんかもう……駄目じゃ……」
「日頃の行いが災いしたんだろ。ったく、少しは反省しろお前。ほら行くぞヒナ」
須藤と一切目を合わせないようにしてヒナの手を取り、頷くことはないものの、固まったまま俺に引き摺られていく。
「……ヒナ。僕への恩義を忘れてしまったのかい?」
「っ……」
だが、須藤は黙って見過ごしてくれるわけがなかった。“恩義”という一言で軽かった身体が急に重くなり、引き摺るに引き摺れなくなった。
「……忘れたわけじゃない……あの時のことは忘れたことがない」
「なら今からでも僕の力になってくれないかな? 今日の旅館内を見て分かると思うが、まだまだ盛況とは言えない乏しさなんだ。そうだな……今度は一ヶ月で良いから頑張っては――」
「いい加減にしろよおっさん」
その物言いで流石に我慢ができなくなった。この野郎は、仕事人としても人としても、欠けているものが多過ぎる。
出会ってしまった以上はしょうがない。のんびり過ごした後にしようと思っていたけど、今この瞬間に色々とブチまけてやる。
ヒナを背に隠すように立ちはだかり、須藤の威嚇の視線に劣らないよう、俺からも睨み付けた。
「この旅館の主人だかなんだか知らねぇけどな。お前は一つ勘違いしてるようだから、ハッキリ言ってやるよ」
「説教ですか? 生憎ですが、子供に小言を言われるような歳ではないんですよ私は」
遠慮されていた威嚇の視線が変わった。物言いが少し変わり、俺に対する敵意が明らかに分かる挑発的な目。最早俺はお客様認定されていないようだ。
「説教じゃねぇ、これは個人的な意見だ。いいか勘違い野郎、よく覚えとけ。仕事人の中でも上に立つ人物ってのはな、部下という下で支えてくれている奴らのお陰でそこに立っていられんだよ。お前はこの旅館で一番偉い位置について偉ぶってるみたいだが、部下を大切にしない社長にゃ未来なんてありゃしねーんだよ」
「何を言うかと思えばくだらない……。働いてくれてる分、金はちゃんと払っている。持ちつ持たれずの関係で一体何が悪いんですか?」
「持ちつ持たれず? 本気で言ってんのかお前?」
「事実本当のことですよ」
散々冗談半分で色んな奴に「頭沸いてんのか?」と言ってきたが、まさか本当に頭が沸いてる奴に出くわすとは思わなかった。
沙羅さんのような人もいれば、その逆の人もいるってわけか。嫌な世の中のシステムだ。
「だったら聞くけどよ。お前、ヒナを拾った後から、一体何をしてやった?」
「無論、盛大に歓迎してあげましたよ。部下の一人に世話役を頼みましてね」
「違うな。それは女将さん――翠華さんが自ら望んでしていたことだ。俺はお前自身がしたことを聞いてんだよ」
「だから部下に――」
「何も……してねぇんだろ? 後のことは全部他人に任せて、お前は散々ヒナの力を利用するだけ利用していた。そうだろ?」
「……あのお喋りが……クソ生意気な女め」
舌打ちをして視線を逸らす須藤。図星なだけに何も言い返せないんだろう。
「結局お前は楽して稼ぎたかったんだろ。面倒事は全部他人任せにして、都合の良いものばかり掻っ攫っていく。随分とまぁ良いご身分だなぁおい? パパの権力に縋って偉ぶる子供と何ら変わらねぇ。俺なら小っ恥ずかしくて人前に出られねぇよ」
「……図にのるなよクソガキが」
「クソガキで結構。俺もまだまだ未成熟な人間なんで」
今にも殴り掛かって来そうなくらいに須藤の様子が大胆なものに変貌した。目が血走り、虫を噛み締めるように歯を動かしている。
「大体、勘違いしているのは貴方ですよ。ヒナが力を使っているのは、自ら望んでしてくれていること。全ては僕に恩義を返すためにね。その心優しい行いを僕が止めるというのは、野暮な話じゃないかな?」
「あぁ、そのことなら……ほら、ヒナ」
「……っ!」
須藤の変貌振りを見て怯えていたヒナの背を叩くと、犬耳をピクッと立たせ、同時に背筋も伸びた。
恐怖心を和らげるために頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を瞑る。
「大丈夫だ、恐れるな。万が一のことになったら庇ってやるから、色々と溜まってた言いたいことをここで全部吐いちまえ。な?」
「……(こくり)」
いつものように無言で頷くと、俺の背から出て須藤の目の前に立った。
「……おじさん」
「何だいヒナ?」
俺と話をしていた時とは違い、ヒナには“威圧感がある”笑みを浮かべる須藤。
ヒナはグッと握り拳に力を入れ、今度は俯かずに須藤の顔を真っ直ぐに見つめた。
「……私……おじさんが拾ってくれたことには感謝してる……そのお陰で私は家族と呼べる人ができた」
「それは光栄だね。僕もヒナのことは――」
「……違う……おじさんのことじゃない……私の家族は翠華姉さん一人だけ……おじさんは私にとって……あくまで“拾ってくれた人”というだけ」
「……何だって?」
ヒナに対する笑みが曇り始める。何をしてきても大丈夫なように、即時動けるよう足首だけでも解しておこう。
「……おじさん……私はこれまで翠華姉さんに一番世話をしてもらった……だからこれからは翠華姉さんに恩義を返す……そして翠華姉さんと話して決めた」
須藤の面立ちに怯える様子はない。俺の目には、ヒナが吹っ切れているように見えた。
無表情ではない勇気ある強気な表情。それを見れば誰にでも分かることだ。
「……私……翠華姉さんと……ここを出て行く」
「……何を言ってるんだいヒナ?」
一歩ヒナに近寄る須藤。同時に俺はヒナの肩を掴んで一歩退かせた。
「君をここに招いたのは誰だと思っているんだい? 他でもないこの僕だ。あの女に君の世話を頼んだのも僕で、彼女と仲良くなれた原点は僕だ。なのにここから出て行くって? まだ僕は困ったままなのに、君は恩を仇で返すと言うのかい?」
「……さっきにぃにが言ってた……翠華姉さんが私の世話をしてくれたのは……翠華姉さん自身の意思だって……おじさんは関係ない」
「にぃに!?」
なんだその呼び名は!? 俺はいつの間に兄判定されてたんだ!? い、いかん! シリアスな空気なのに俺だけ異臭を放ちそうになっちゃう!
「……それに……恩を仇で返すというのはおかしい……おじさんはただ私を拾ってくれただけ……それ以上のことは何もされた覚えはない……私が一番世話になったのは結果的に翠華姉さん……だからこれ以上ここで“苦しむ”必要は無い」
「苦しむ? それはどういうことだい? 君は進んで僕のために力を使ってくれたじゃないか」
「……それは最初の頃の話……後になってからは自分から進んで力を使った覚えはない」
「ヒナ! 一体誰に間違った入れ知恵をされた!? そこのクソガキか!? それともあの女か!?」
ついに本性を見せたか。これでもう、まともに話をする必要は無くなったな。
「……今までお世話になりました」
ヒナはぺこりと律儀にお辞儀をすると、俺の手を握って須藤に背を見せた。
瞬間――
「ふざけるなァァァ!!」
とうとう須藤がブチギレ、ヒナに取って掛かろうとした。
「させるかっての」
すかさずヒナを後ろにやり、お留守な足元に足払いをして転ばせる。態勢を崩したところで羽交締めをして、須藤の身柄を拘束した。
「くそっ! 離せクソガキ! 余計なことを吹き込みやがって!」
「やかましいんだよ悪代官、お前はもう終わりだ。ヒナはこれから翠華さんと新たな一歩を踏み出し始める。それを阻もうとするお前を俺は見過ごさねぇ。もう諦めろ」
「黙れ黙れ黙れぇ!! そいつの能力があれば僕は一生遊んで暮らせるんだ!! その能力さえあればお前なんて不要なんだよ!! その能力を寄越せ!! 僕の恩義のためにその能力を一生使い続けろ!! 妙な誤解を抱きやがって、ガキは黙って大人の言うことを聞いていれば――」
そこで我慢の限度を越えた。勝手な物言い。ヒナを道具扱いするその考え方。自分を大人だと勘違いしている腑抜けた脳味噌。どれを取っても、この外道に一発入れる理由は十分過ぎた。
「げほぉっ!?」
「……え?」
ただ、俺が一発ブン殴ろうとした前に、さっきまでずっと黙り込んでいた人物が須藤を殴り飛ばした。
普段は絶対にそんなことはしない人物。本気で怒ることなんてあり得ないというくらいに、その人物、コヨミは須藤を力一杯殴り飛ばしていた。
「さっきから黙って聞いていれば……やっぱり地球にもこういう輩はいるのか……」
「お、おい、コヨミ?」
驚きを隠すことができなかった。大概のことはヘラヘラ笑って流すようなことしかしてこなかったコヨミだったから、こんなに憤怒している姿が新鮮……いや、こいつの場合は違和感と言った方がいいのかもしれない。
仰向けに倒れる須藤の元にゆっくり近付いて行くと、乱暴に胸ぐらを掴み挙げて、ギロリと鋭い目付きで睨み付ける。
「ワシはな、お主のような自己中心的な馬鹿が大っ嫌いなんじゃよ!! 僕のために能力を使え? 僕だけのために能力を使え? ふざけているのはお主じゃ!! 何が恩義じゃ!? 都合の良い時だけ縋り付かれ、悪くなると全責任を押し付けられる!! お主らはワシらを何だと思ってるんじゃァ!!」
二度須藤の顔面を殴り飛ばし、馬乗りになって更に猛攻を掛けるコヨミ。冷静さを欠き、我を忘れているのは明白だ。
「コヨミ! 落ち着けってコヨミ! おい!」
乱心状態のコヨミの手首を掴むと、荒い息遣いのまま俺の顔を見つめ返してくる。
「どうしたってんだコヨミ、お前らしくもねぇ。確かにこいつは地獄に落ちるの確定済みなクソ野郎だけどよ……」
「……すまん、にーちゃん」
そこでようやく落ち着きを取り戻したのか、既に伸びている須藤の身から離れて立ち上がった。
俺が殴る手間は省けたものの、何処か釈然としない。予想外の出来事に面食らっているだけなのか、それとも別の……。
「……大丈夫かコヨミ?」
「お、おぅ、もう大丈夫じゃ。いやぁ、気が付いたら手が出てしまうなんて、自分のことながら珍しいのぅ」
そう言っていつものように笑ってみせるコヨミだが、俺にはその笑みがぎこちなく見えた。まだ今さっきの余韻が残っているからだろう。
「あ~……何も気にすることはないぞヒナよ。ワシらの価値観は能力だけではない、他にももっと存在意義はあるんじゃからのぅ」
「……ワシら……どういうこと?」
「さーて、旅館の当主をぶっ飛ばしてしまったことだし、ワシらはもうここにはいられんのぅ。早いとこ巻き上げないと面倒なことになるぞにーちゃん」
「え? あっ、あぁ……そうだな」
まだまだ知らないことがある異星人の皆。なのにまた、この意味深な出来事で疑問が一つ出来てしまった。
今のこの態度からして、コヨミに問い質しても上手いこと誤魔化されて話してはくれないだろう。それはきっと、触れられたくない部分なんだろうと確証を持てる。
今はまだ何も知らない俺だが、いつの日か話してくれる日を気長に待とう。別に焦ることでもないし、何もないならそれが一度だから。
「それじゃ戻るか。あーあ……ミコさんもリースも滅茶苦茶怒るだろうなぁ……」
「そこはほれ、ワシが上手いこと言ってやるから安心せい。にーちゃんが鮮やかなアッパーカットを決めた、とのぅ」
「決めたのは俺じゃねーし、決まったのは右ストレートだけどな」
こうして、この事件は無事にヒナを救い出すことができた結果で幕を閉じた。
この出来事がいずれ、思わぬ事態を引き起こすことになることも知らずに。




