お節介だと分かっていても
「ハァ! ハァ! ハァ!」
ズキズキと足が痛むが知ったことじゃない。こんな怪我よりヒナの傷の方がもっと重傷だ。
「……足怪我してる」
「それは君も同じだろ! 痛みにゃ慣れてるから問題ねぇ!」
昔は空手や柔道の稽古でよく怪我をしていたし、こんな傷くらい何でもない。ミーナとかにぶん殴られるくらいの方がよっぽど危ないってな。
「よし、着いた!」
帰りの方が時間が早く感じるものだというのに、ヒナを抱えていたからか少し遅れてしまった。早いところ女将さんと合流しないと。
「――――あっ!」
「あっ、女将さん!」
旅館の入口付近の辺りに女将さんの姿を発見。どうやら外で待っていてくれたらしい。捜す手間が省けて良かった。
「っ!? そ、その怪我は!? それにお客様まで――」
「俺の方よりも早くこの娘の怪我を治療してください! 酷い怪我なんです!」
「わ、分かりました! とりあえず早く中に!」
「はい!」
ヒナの怪我の具合を見た瞬間に青い顔になる女将さん。しかし冷静は保っているようで、すぐさま旅館内の奥へと俺達を案内する。
そしてその途中、俺は奇妙な言葉を耳にすることになる。
「……ん?」
駆け足で走る途中、俺達に気付いた一人の男がこっちを直視してきた。
俺は構わず通り過ぎるが、その男はぼそっとこう呟いた。
「あぁ……もう一週間経ってたか……」
「っ!!」
「……女将さん?」
その呟きはどうやら女将さんにも聞こえていたらしいが……それを聞いた女将さんがその男を睨み付けるところを俺は見逃さなかった。
「あんな人……死ねば良いのに……」
「え?」
「そこの部屋がその子の部屋です! 私は治療道具を持ってくるのでお客様は先に待っていてください!」
「あっ、は、はい!」
気のせい……じゃないよな。今一瞬だけ感じた殺意は確かなものだった。
さっきの男が何か関係してるのか? 若干豪華な着物を着ていたけど、もしかしてこの旅館の関係者とか?
「……今は考えるだけ無駄か」
また気になることが増えてしまったが、最優先するべきなのはヒナの怪我だ。後のことは後に済ませよう。
ヒナの部屋に入ると、そこには既に一枚の布団が敷かれてあった。恐らく女将さんが用意してくれていたんだろう。
俺はヒナの身体をそっと布団の上に下ろした。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「くそっ、体調は悪化するばかりかよ……」
気付けば顔を真っ赤にして息苦しそうになっていた。怪我から発症している熱の影響で体温が上昇してしまっているようだ。こんな時に何もできない自分が歯痒い。
「……って、こういう時のための神頼みか!」
そういえば、月が過ぎて神通力がまた使えるようになったとか言っていたのを思い出した。あんまりあいつにものを頼みたくはないんだが、今回ばかりは例外だ。
「待ってろよヒナ! すぐに戻って来るからな!」
「……め……わた……は……」
「喋らなくて良い! いいから大人しくしてろよ!」
途切れ途切れに何かを伝えようとしているが、今は安静にするのが第一だ。俺はすぐさま立ち上がると、リース達がいる部屋へと引き返していった。
~※~
「やれやれ……急に首根っこ掴まれて何事かと思ったぞワシは」
「悪かったよ。でも緊急事態だったんだからしょうがないだろ」
「ま、それもそうじゃのぅ。別に責めてるわけじゃないし、にーちゃんのためならワシは喜んで裸になるぞ」
「裸にはならなくて良いが、正直助かったわ。ありがとなコヨミ」
「おぉふ……こ、これはまた何と言うか……素直に照れてしまうのぅ♪」
あの後すぐにコヨミを連れて戻ってくると、詳細を話す前にヒナの怪我を治療させた。流石は全知全能の元神様と言うべきか、ヒナの怪我にそっと手で触れるだけで完治させていた。使い方次第じゃ便利なもんだな神通力。
おまけに傷痕だらけの身体も元に戻してくれたようで、ヒナにとっても女将さんにとってもいたせりつくせりの対応だ。今回ばかりはコヨミに感謝しないとな。
「まさか、貴女達も異星人だったなんて驚きました……」
「フフフッ、そうじゃろうそうじゃろう。こう見えてワシは元々偉大な存在じゃったからのぅ。まぁ、今はただの白髪美少女なんじゃがな」
「己自身で美少女と言うか。痛々しくて見るに堪えられん奴だな貴様は」
「いやいやそれほどでも~」
「おい、褒めるどころか貶されてることに気付け」
「何を言っとるにーちゃんよ。だからこそじゃよ」
「あぁそう……お前がそれで良いならもういいよ……」
俺には変態の世界がまるで理解できない。もし分かってしまったその時は、きっと人間終わってるんだろうな……。
「そもそも何故この童子はこんな怪我をしていたんじゃ? 怪我をしやすい森なのは分かるが、いくらなんでもこの怪我は何かしたとしか思えんのじゃが」
「さぁな。少なくとも俺があった時にはもうこうなってたよ。悟られないように本人は平静を装っていたけどな」
そう言いながらスヤスヤと眠っているヒナの頭を撫でる。熱も冷めて身体が楽になったせいか、治療が終わった後もこうして熟睡している。余程疲れが溜まっていたんだろう。無理もない話だ。
「これは私の推測だが、この森には何匹かの獣の気配があった。しかし傷の付き方を見ると獣に襲われた可能性は薄いだろうな」
脹脛の怪我はいくつか穴が開いているような傷跡だった。しかしそれは獣の歯形というにはあまりにも大きな穴だったので、俺も獣に襲われたとは思えない。
……って、獣なんていたの? マジで何なのこの森? 熊とか現れたらどーすんだよ?
「従って考えられる可能性は限られてくる。例えば、誰かの手によって傷付けられた、とかだろうな」
「んだと? 誰がんなことしたんだゴラァ!?」
「私に当たるな騒々しい。あくまで可能性の話と言っただろう。貴様の脳はそんな簡単なことも理解できない脳みそ生クリームなのか?」
「うっ……わ、悪い……」
「ふんっ、愚図は愚図らしく黙って傍観者になっていれば良い」
普段よりピリピリしているご様子のリース。どうやら俺と同じなようで、ヒナがこんな状態になっていて苛立っているようだ。裏表関係無しに優しさがあるのは変わらないらしい。
「……色々と考えているところがあるようじゃが、その予測は間違っているようじゃぞリース将軍」
「何? どういうことだ白髪?」
「うむっ、つまりこの童子は誰かに傷付けられたわけではないということじゃ」
「……話が見えんな。何が言いたい?」
「分からんか? こやつは道端で怪我をしたわけでもなく、誰かに傷付けられたわけでもない。なら残された可能性は何がある?」
チラッと女将さんの様子を見るコヨミ。あまり良いこととは言えないが、事情が事情なだけに手段を選ばなかったんだろう。
コヨミが真相に辿り着いたのは簡単な話。つまり、女将さんの思考を読み取ったということに他ならない。
そしてそれは、女将さんが全ての事情を知っているということに繋がる。
「……女将さん。部外者が首を突っ込むのは場違いだとは思いますけど、ここまで関わった以上は聞かせてもらっても良いですよね?」
「…………」
女将さんは居心地悪そうに下を向いたまま口を開かない――と思われたが、やがて諦めたように小さな溜め息を吐いた。
「……分かりました、全てお話致します。この子のことと……この旅館のことも含めて」
そう言うと、女将さんは俺が知りたかったことの全てを話始めた。
~※~
女将さんがまだこの旅館で働き始めて間もない時、彼女はヒナと出会った。
酷く衰弱し切っていて虫の息だったヒナは、旅館の当主である男、須藤という人に介抱されてこの場所へとやって来た。
何処から来たのか、君は何者なのか、お父さんやお母さんとは一緒じゃないのか、等々、本人に直接聞いてみたのだが、ヒナは首を横に振るだけだった。どうやら記憶喪失になっていたようで、自分の名前しか覚えていなかったらしい。
それと、もう一つ。異星人である自分の力のことも覚えていた。
『己自身が不幸になる変わりに、他者の願いの手助けをする』という能力を。
どうやらこの旅館は当時、立地条件や場所が悪かったせいで稼ぎが良いものではなく、どちらかと言えば乏しい場所だったらしい。ここに来るまでの道のりを経験したからこそ、それは俺達にも分かったことだった。
だからこそ、そんな切羽詰まった状況でそんな能力を手にしたヒナが現れたのは須藤にとって幸運だった。
『こんな便利すぎる能力を捨て置くわけにはいかない。利用できるものは利用するべきだ』と考えた須藤は、ヒナにこのような提案を申し入れた。
「君の身を引き取る変わりに、僕達を助けてくれないか」と。
ヒナはその提案を快く受け入れた。自分の命を助けてくれた恩義を返すために、須藤のことを“本当の家族”のように思いながら。
そうして時は流れていき、ヒナの能力のお陰あってこの旅館が繁盛するようになったらしい。その裏で、ヒナ一人が辛い思いをしていることを露見させないように。
「なるほど、通りで妙だと思ったのだあの川は。あれはその能力の影響を受けていたものだったのだな」
「はい。この子が須藤……当主様のことを思いながら不幸になることで、あの川は“一時的な期間だけ”飲んだ人の願いを手助けするという不思議な川になっているんです」
「そしてその川のお陰で知名度が上がり、険しい道と分かっていても来る客人が増えた……そういうことじゃな?」
「はい……これがこの子とこの旅館の真相です」
これが事の真相。こんな幼い子供が通ってきた経路であり、俺の想像を遥かに凌駕する事実。
つまり、ここの当主である須藤という男は、たかが自分の稼ぎのためだけにヒナを利用していたということ。
気に入らねぇ。まったくもって気に入らねぇ。
「それで何だ? それを知っておきながら貴様は今の今まで見て見ぬフリをしていたということか? 人柄が良さそうに見えて貴様もここの当主と大差ないクズの輩の一種だな」
「っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、俺はリースの胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
「リースてめぇ!! 言って良いことと悪いことがあるだろ!! 女将さんがどれだけこの娘のことを心配して――」
「止めてくださいお客様! その方の言う通りなんです! 貴殿方が喧嘩してもしょうがないじゃないですか!」
「うっ……」
リースのことが正しいか正しくないかは分からないが、確かに俺達が喧嘩しても何の意味もない。
リースの胸ぐらを離すと、俺はすぐに頭を下げた。
「……悪いリース。頭に血が上った」
「気にしていない。私も考え無しの発言をした」
そう言ってリースは腰に差していた傘を床に置いた。裏のままだとまた余計なことを口走るかもしれないと思ったのかもしれない。
「ごめんなさい女将さん。女将さんの気持ちを考えずに勝手なことを言いました」
「そ、そんな! 頭をお上げください! 悪いのは私なんですから!」
「待て待てお主ら。今は誰が悪いとかそういう話ではなかろぅに」
見かねたコヨミが仲裁に入って二人を落ち着かせた。流石のコヨミもこういう時は冷静だな。
「女の争いはキャットファイトだけで充分じゃ。萌えない争いに何の意味がある? そうじゃろぅ? ムフフッ」
前言撤回、やっぱこいつはどんな時でも平常進行でした。少しは空気を読んでほしい。
「とまぁ冗談はさておきとして……少々複雑な事情を知ってしまったようじゃのぅワシらは」
「何が複雑だ。要は須藤というクズ人間が悪事を働いているだけのことだろう。ならば奴をこの手で粛清すれば良いだけの話ではないか」
傘の柄を掴んでキリキリと腕に力を入れるリース。放っておけば本当に暴力沙汰を起こしかねないご様子だ。
いや、本当なら俺だってリースの意見に賛同したい。何もかも須藤っつー糞野郎が悪いのだから、あの野郎をとっちめてこれまでの行いを反省させてやりたい。
だが、それは俺にとって絶対に無理な手段だ。
「気持ちは分かるけどよリース。暴力で解決するのは俺が許さねぇからな」
「ふんっ、私が貴様の言うことを聞く道理が何処に――」
「リース、頼むから」
「……ふんっ」
正直に頭を下げると、リースは傘の柄から手を放した。
俺の誠意が届いてくれたのか、それとも単なる気まぐれか、何にせよ暴力が良くない選択だということは理解しているらしい。
「意外と冷静じゃのぅにーちゃん。身内の誰かに関することではないから、そこまで感情移入していないということかのぅ?」
「そんなことねーよ、俺だってリースの意見を尊重してあの野郎をぶん殴ってやりたいさ。でもそれをしたら、俺達は一生ヒナに恨まれることになるだろ」
「……なるほど、確かにそうじゃな」
女将さんのように心の底から嫌っている人だけだったら良かったが、明らかにヒナは違う。
自分が不幸になってまであの野郎の力になりたいと願い、今までずっと一人で頑張っていたんだ。
他でもない、“家族”に恩義を返すために。
その志はよく理解できる。俺も沙羅さんに恩義を感じながら生きているから。
だからこそ、ヒナは間違ってしまったと断言できる。“運悪くも恩義を売る相手を間違えてしまっている”と。
これは俺のお節介。赤の他人の事情だし、ヒナには余計なお世話だと思われても何らおかしくはない普通な道理。
だとしても、ここまで知ってしまった以上は見て見ぬフリなんて出来やしない。
ヒナが俺を何と思おうが構わない。それでも俺はヒナをここから救い出したい。
須藤という拘束の鎖から解き放ってやるために。
「きっと他の人からも物凄く恨まれるハメになんだろなぁ……あ~憂鬱だ」
「うん? 何の話だ?」
「何って、んなの決まってんだろーが」
ヒナの額にそっと手を置き、途方に暮れたように溜め息を吐く。
「この旅館を潰すって話だっつの」
~※~
一方その頃、ミコはというと――
「うぅん……んん?……何処ですかここ?」
狼の襲来によって気絶してしまっていたミコ。目が覚めると、視界に入ったのは洞穴の中だった。
「おぅ、気が付いたかぃ異星人の嬢ちゃん」
「……へ?」
すぐ隣なら聞こえてきた声。その声の主を確認するべく振り向いてみると、そこには一匹の狼の顔が。
「ひゃぁあぁああっ!? 私は不味いです私は不味いです私は不味いです私は不味いです……」
食い殺されると思い、呪いかお経のように何かを唱え出すミコ。まるでオカルト宗教者のようだ。
「静かにしてくれんか嬢ちゃん、俺の妻の傷に響くかもしれねーだろーが」
「あっ、すいません――って、狼が喋ったぁぁぁ!?」
「うるさい言ってんだろーが!! 言語理解しろやボケが!!」
今更なことに大慌てするが、狼の威嚇によって口を押さえるミコ。涙目になって悲鳴が漏れてしまいそうな様子だが、必死こいて堪えている。
「いや貴方の方がうるさいから……静かにしてくれません?」
「……?」
その声は狼の更に後ろの方から聞こえた。
ミコは少し身を傾けると、そこには葉っぱのベッドに横たわるもう一匹の狼の姿が。
「あっ……」
左後ろ足が傷だらけになっていて、じわじわと血が滲み出ている。重症というわけではないが、軽傷というわけでもない。少なくとも、満足に歩くことができないような傷だ。
「酷い怪我ですね……大丈夫なんですか?」
「これが大丈夫に見えると!? どんな目しとるんじゃ嬢――」
「うるさいっつってんのよ。大事な部分だけ毛皮削ぐわよ貴方」
「何言ってんだお前よぉ。それは削ぐんじゃなくて剥ギャァァ!?」
横たわる狼が右足の爪をたてて男狼の顔を引っ掻いた。結構深く入ったようで、泣き叫びながら洞穴の外まで転がり出てってしまった。
「よ、容赦ないですね……無理に動いて大丈夫なんですか?」
「私は大丈夫よ。それにしてもごめんなさいねお嬢ちゃん。何かうちの夫が色々と迷惑を掛けたみたいで」
「いえ私は別に……そ、それよりも貴方達は一体……?」
「そんな驚くことじゃないわ。私達も貴女と同じ異星人ってだけの話よ。ま、見た目は明らかに“人”じゃないけどね」
狼なのに人語をペラペラと喋る理由。そのタネは至って簡単なことだったようだ。
「そうだったんですか……まさか異星人の中に人型ではない人達がいるなんて知りませんでした私」
「あらそうなの? でも私達のような種族も意外と多いのよ? ……なんて世間話はどうでも良いわね。良いわよお嬢ちゃん、もう行っても」
「え……で、でもその傷……大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。ちょっと下手こいて転んでできた傷だし、治療してくれる人を探すとか言って出てった夫がいたけど、見た目ほど大した傷じゃないから」
「は、はぁ……」
そうは言うが、ミコから見てもその傷は決して軽いものではない。彼女が強がっているのは明白だ。
(こんな時、旦那様なら……いえ、考えるまでもないことですよね)
困っている人を見たら放っておけない。それは、良心の塊と言われているミコには当然のように該当すること。
ミコは言われるがままに出ていくことなく、女狼の方へと身を寄せた。




