無口で愛くるしいワンコ
結局、水の中では小虫程度の力しか発揮できない俺がいたため、子供の水死体はリースがどうにか確保してくれた。
「Zzzzz……」
「うわぁ……苦労して救出した結果がこれかよ」
「苦労したのは私一人だけどね~」
「悪かったな、俺は生まれつきカナヅチなんだよ。何の実も食べてないけどな」
「……何の話?」
水の中に入ってすっかりびしょ濡れになってしまったリースは、服を乾かすために下着姿になっていた。傘も身から外しているので、今は表リースになっている。
俺はできるだけリースの方を向かないように気を使い、呑気に眠っている子供の様子を見つめている。
この川のような綺麗な色をした水色のセミロング。女性の平均身長より小さめで、コヨミよりも小柄な体型。着ている衣服は何故かボロボロの布切れ。
そして最も印象深い特徴は、髪色と同じ色の柴犬のような耳に、これまた水色のふさふさした小さい尻尾。
「……てゆーかこの子さぁ」
どう見ても人間じゃない。誰が見ても分かりやすいくらいに異星人らしさを醸し出している。最近の俺は本当に異星人遭遇のエンカウント率が高いなぁ。
「前の時のキモオタクと言い、突然現れたこの子と言い、実は地球って既に色んな異星人が生息してたのかな?」
「それを俺に聞かれても困るんだが……」
「にしても可愛いね~この子、まるでぬいぐるみみたい。頬はこんなに柔らかいけど」
ちょんちょんと子供異星人の頬を突付くリース。見た感じ肌もぷにぷにしていて、揉み拉きたい気持ちに煽られてしまいそうだ。
何度も指で突っつかれていると、むにゅむにゅと口を動かした。寝返りをうち、またスヤスヤと寝息をたてる。
なんという破壊力だろうか……見ているだけなのに萌え死にそうだ。
「ねぇ師匠、この子お持ち帰りしようよ」
「キャバクラ通いの中年かお前は。自ら誘拐犯になりたいと願う馬鹿はここにいねーよ」
「むぅ……でも何処から来たんだろうねこの子。ま、まさか捨て子とかじゃないよね?」
「さあな……でも可能性としては無くはないかもしれないと思うぞ。身なりが酷い上にあちこち傷痕が見えるしな」
「ふむふむ……つまり、この子を連れ帰れる可能性が高いってことだよね?」
「くどいぞ犯罪候補生。どんだけ気に入ったんだよ」
「だって可愛いんだもん! さっきからキュンキュンしっぱなしなんだもん!」
確かにお持ち帰りしたい可愛さではあるが、それとこれとは話が別だ。かと言って放置するわけにもいかないし、どうしたもんか。
「……んん」
「あっ、起きた」
突っついた影響が及んだのか、子供異星人は目を擦りながら眠たそうに欠伸を漏らし、ゆっくりと身を起こした。
ボーッとした様子で俺達を見つめてくる。顔も知らない奴が目の前にいるから驚いている――わけでもない。何を考えてるのか分からない表情だ。
「えーと……こ、こんにちわ~」
「……(ぺこり)」
礼儀正しく御辞儀をしてくれた。人見知りというわけではないようで安心した。初見で「キャー!?」とか言われてたら間違いなく心が折れてた。
「くっ! 見ているのが辛いよ師匠! 抑えきれないこの気持ち!」
「馬鹿止めろ、不審者と誤解されたらどーすんだ」
「だぁーって可愛いんだもん! そこに山があったら登る登山家がいるとするなら、私はそこに可愛い子がいたら愛で尽くす可愛いもの主義者なんだもん!」
裏リースなら有り得ない反応だ。初めて見た時にも思ったが、表リースは随分と乙女度が高いようだ。これじゃ普通の女子高生と何も変わりゃしない。
「……二人は何処から来たの?」
「声まで可愛い! もういっそのこと舐めぐぇ!?」
「あ~、実はこの近くにあるはずの旅館に来た旅行者なんだけどさ。どれだけ歩いても辿り着かなくてここで休んでたんだよ」
暴言を吐かれる前に強引に身体を押してやり、無駄口を叩くことがないように口を塞いだ。相手は子供なんだから大人の対応というものをしてほしい。
「……お疲れ様」
小さな手で頭を撫でられた。やべぇ、俺もリースのこと言えなくなってきた。何だこの可愛過ぎる生物は? 是非とも部屋に飾っておきたい。
「……旅館ならもう近くにある……ゆっくりしていけば良い」
「そうなんだ。なら休憩しないでもう少し頑張ってれば良かった……」
「いやいや冗談よしてよ師匠。そんなに私のこと殺したかったの?」
「大袈裟なんだよお前は。それでも自称最強の将軍かよ」
「それは裏の時の私であって、通常の私は普通の女の子と変わらないの! だから師匠に鍛えてほしいって言ってるじゃん!」
「お前何も分かってねーな。今すぐ強くなりたいなんて言っても不可能に決まってんだろ。日々の鍛練の積み重ねがあってこそ生き物は強くなれるんだよ。少なくとも、口だけで努力の一つもしようとしていないお前にゃ無理な話だっつの」
「うっ……な、なら今度からは師匠の基礎練に付き合えば良いってことだよね?」
「それは良い心掛けだが、基本毎日するからな? 風邪引いて具合悪くしようが何しようがお構いなし。それに付いてこられる自信があるなら好きにしろ」
「鬼だ! 鬼がいる! これが俗に言うクソ野郎だよ!」
「誰がクソ野郎だ貧弱将軍が!」
「ひぃぃ!? 暴力反対暴力反対!」
これだけギャーギャー騒ぐ体力があるんだから、もっとその素質を他のことに活かせば良いものの。才能を無駄遣いするのはもったいないと思う。
「……二人共仲が良い……カップル?」
「はははっ、吐き気がしそうな冗談は止めてね? こいつと付き合うくらいなら、俺はレイピアマスターと突き合う方を選ぶわ」
「あれぇ? 師匠照れてる? もしかして照れちゃってる? な~んだ、師匠にも可愛い一面があぐぁ!?」
重い一撃を野郎の腹に放つ。音もないその一撃はリースを沈めるのに充分すぎる特効薬だった。
これで良く分かった。リースは裏より表の方がストレスを感じさせ、ウザったい性格になると。軽い厨二病患者から今時のウザい女子高生になると。
「……磨かれた右ストレート……只者じゃない」
「い、いやいや違うよ? 俺は紛れもない凡人だからね? 今のは一時的に上がった気力が力を分け与えてくれた、みたいな?」
「……普段は大人しく……でもいざとなると強くなる……格好良い素質」
「……君、面白い子だな」
しかも凄い良い子だよ。今までディスられ続けてきたこの腕力だったのに、この腕を褒められたのは沙羅さん以来だ。まだ出会って間もないけど、気に入ったぜこの子。
「そう言えば近くに旅館があるとか言ってたけど、君ももしかして俺と同じ旅行者なのか?」
「……違う……私は旅館の関係者」
「え? それってつまり……」
「……ん……従業員の一人」
「な、何だと……?」
多くの就職失敗者がいるこの世の中だと言うのに、こんな小さな女の子が社会人デビューしてるというのか。
そもそも、本当にこの子は何者何だろうか? どうして地球にいるのか、こんな場所で何をしていたのか。謎は積もるばかりだ。
「……早く行くと良い……暗くなったらまた迷子になる」
「そ、そうだね、それじゃお言葉に甘えさせてもらうよ。おら行くぞリース」
「ま……待って師匠……私まだ着替えが……」
「そうか、なら先に行ってるぞ。ついでにミコさん達のことも頼んだわ。お前らの相手はもう疲れた」
「何それ……最早鬼じゃない……あ、悪魔……」
「……疲れてるなら川の水を飲めば良い」
「そういう問題じゃなくてぇぇ……」
未だにぴくぴくと痙攣しているリースを捨て置き、俺は一人旅館に向かうために歩を進める。
「……と、その前に」
くるりと身を翻して今一度小さな女の子の方を見る。肝心なことを聞いていなかったことに今更気が付いた。
「そういえば君の名前聞いてなかった! 教えてくれっか!?」
「……ヒナ」
ヒナ……か。見た目は雛じゃなくて子犬なんだけどなぁ……。
でも一つだけ確信して言えることがある。きっとリースも同じく思ったことだろう。
「「名前も可愛い……」」
「……?」
予想が当たり、俺達は首を傾げるヒナを見ながら密かに癒されていた。
~※~
一方その頃、リースよりも先に見捨てられていたミコとコヨミはと言うと――
「早く進んでくださいコヨミさん」
「ちょ……ま、待っとくれミコよ。ワシはもうとうに限界を越えて――」
「早く進んでくださいコヨミさん」
「い、いやだからワシの足も腕力も体力も無に等しくなっていて――」
「早く進んでくださいコヨミさん」
「うぅぅ……竜王じゃあるまいし、たまには『いいえ』で進行しても良いじゃろうにぃ……」
「早く進んでくださいコヨミさん」
「分かっとる! 分かっとるからその目をワシに向けるのは止めとくれぇ!」
リース一行が逃げるように去っていった後、疲労による理性の暴走により、ミコは色んな意味でコヨミに“襲われた”。
だが、ミコの必死な抵抗もあってどうにか正気になったコヨミだった……が、一度犯してしまったその過ちを拭えることはできない。被害者として、ミコはコヨミを許すことなく敵視していた。
普段怒らない人ほどキレると怖い。コヨミは今まさにそれを体験しているようで、汚物を見るような視線を背中に感じながら四人分の荷物を背負って歩いていた。
「し、死ぬぅ……過労と脱水症状で死んでしまうぅ……最近の夏では熱中症で命を落とす者もいると言うのに、こんな目にあってるワシもその内の一人に仲間入りしてしまうと言うのかぁ……?」
「不老不死が寝言をボヤかないでください。その口を刺繍針で縫い付けますよ」
「うわぁ……暴力的な例えがにーちゃんに似とるよこの娘っ子」
「良いから早く進んでください。本気でやりますよ」
「わ、分かった分かった! 重々承知しとるからもうその視線を浴びせないでくれ! 意外と精神的疲労に繋がってるんじゃからなそれ!?」
四人の中で最も背が低く、実はミコよりも腕力がないコヨミにとってこのシチュエーションは最悪だった。只でさえ身体に負担が溜まっていて気を失いそうだというのに、自業自得の行いのせいで倒れようにも倒れられない生き地獄がエンドレスに続く。
「くっ……もうこうなったら致し方無い。こんなところで使いたくはなかったが、体力増進の力を――」
「駄目ですよ。ちゃんと自分の力で苦し……乗り越えてください。都合の良いものばかりに縋っていてはロクな人間になれませんよ」
「神通力ワシの力なんじゃけど!? 元神様なんじゃけど!? というか、大分黒くなってきておらんかお主!?」
「気のせいですよ、私は至って正常です。常にトチ狂って旦那様に迷惑掛けている誰かとは違って」
「も、もう許してくれぇぇ……」
「駄目です認めません」
頑なに敵対心を解かないミコ。それだけの屈辱と恥辱を味わされた証拠である。
何故あの時、あのような暴動を起こしてしまったのかと、コヨミは深く後悔しながら重い荷物と視線を背負いながら進み続ける。
それから数十分経過後、ようやくしてコヨミに救いが訪れた。
入り組んだ森の出口が見えて、そこを抜けた瞬間に広がっていたのは、中々広い草原に囲まれた大きな旅館だった。
「おぉ……ぉぉぉ……やはりラ○ュタは実在していたんじゃな……」
「よ、良かったです。もしこれで歩き損になんてなっていたらどうなっていたことか……」
旅館がまるで夢のお城のように見えている二人は、その旅館の眩しさに思わず膝をついて見惚れてしまう。一寸先は闇だと思われていた先には、確かに光が存在していた。その事実が二人に綺麗な涙を流させた。
「……あら?」
すると、旅館の入り口から一人の女性が姿を現した。和装に『極楽庵』と書かれた前掛けを掛けている。この旅館の従業員だという証だ。
コヨミ達の姿を発見したその女性は、疲労困憊な二人の様子を見て近寄ってきた。様子から見るに心配しているようだ。
「大丈夫ですかお客様方? 随分多くの荷物を持ってきていたと伺えますが……」
「お、おぉ……旅館の方か。一つ聞くが、先程ここに若いにーちゃんと将軍が来ておらんだろうかのぅ?」
「お兄さんと……しょ、将軍ですか? 今日は貴女方が初めてのお客様ですけど……」
「……あり?」
それもそのはず、リース達は道を外れて寄り道しているのだからここにいるわけもなし。今頃は余裕の体調でこの旅館を目指していることだろう。
「おかしいのぅ? てっきりにーちゃん達はワシらを置き去りにしてここに来ていると思ったんじゃが……」
「……もしかして旦那様は本当に川を捜しに行ったんじゃないですか?」
「その可能性が高いのぅ。でも他にもまだ可能性があるとも言える」
「他……ですか? それは一体……?」
「……駆け落ちとか――」
「っ~~!!」
その瞬間、ミコが物凄い勢いで道を戻り始めた。いつもほんわかしているミコとは思えない身体能力だ。火事場の馬鹿力と似たようなものなのかもしれない。
「……最初から発揮して欲しかったぞあの体力」
「え、えーと……」
「あっ、ワシは部屋に行きたいから部屋の案内を頼むぞ。もう歩くのは懲り懲りじゃ」
「わ、分かりました! でも大丈夫なんでしょうか……?」
「大丈夫じゃろぅ。きっとにーちゃん達といずれ合流して戻ってくるじゃろうしのぅ」
しかしこの後、ミコのちょっとした冒険が始まるのは本人含めて誰も知らない話である。




