遠足前夜は眠らないの法則
「というわけで、ミラクルを起こしたミコさんが温泉旅館券を獲得した。次の休みに皆で行くぞ」
「ウイェエエエエエ!!」
「静粛にしろ白髪、頭が高い」
「申し訳ありませぬ、お代官様」
「お代官様じゃない、独裁者と呼べ」
夕食を食べ終えてからのリビングにて緊急収集会議。議題は無論、温泉旅館旅行についてのことだ。
前に旅行に行こう行こうと言っていたからか、コヨミがこの場にいる誰よりも圧倒的なテンションの高ぶりを見せ付けている。どんだけ旅行したかったんだか。……人のことは言えないんだけどね。
「くじ引きと聞いて行かなかったことに後悔したと思ったが、中々やるのぅミコよ。この元神様が太鼓判を揉み……押してやるぞ~」
「すいませんコヨミさん。手付きが怪しすぎるので丁重にお断りします」
「まぁまぁそう言うなミコよ。よいではないか~、よいではないか~?」
うねりうねりと嫌らしい手付きでミコさんに近付いていくセクハラ神。楽しそうなので敢えて放っておく。
「温泉かぁ……それってフラグが立つのが見え見えだよね」
「フラグ? 何のだよ?」
「師匠が何らかの理由で覗きをするか、または混浴で女の子と鉢合わせしたりとか。ラッキースケベって師匠みたいな人にありがちでしょ?」
「そんな王道展開は求めてねぇし、過去に一度もそんな経験はなかったっつの。それに、昔の俺なら少しは反応してたんだろうが、今の俺は日頃の疲れを癒せるだけで充分満たされるわ。それ以上何も求めねぇよ」
「それはつまらんのぅにーちゃん。何ならワシからそっちに押し掛けてやっても良いんじゃぞ?」
「何故に上から目線? 人を性に飢えた獣扱いしないでくれます?」
「女の子との出会いが欲しい、みたいなことを狂いながら叫んでたくせに、よくそんなこと言えるよね師匠」
「うっせぇ! 痛いところ突いてきやがって! 消し去りたい過去を掘り返すんじゃない!」
と言う俺だが、あれがあったからこそ今の俺達があるわけなんだし、本当に無かったことにしたいというわけではない。でも黒歴史であることは変わらないわけで、絡まったイヤホンのように複雑な想いが絡み合っているわけだ。
……って、今はそんなことはどうでも良い。雑談はここまでにして本題に入ろう。
「こほん……では、次の休日の温泉旅行に向けて決めなくちゃならないことがある」
「はいはい先生~。ワシとしては、バナナは――」
「おやつに制限はねぇ。無駄な談義はしねーからな」
「私はバナナより鮭とばが欲しいところかな~。最近は全く珍味食べられてないからムカムカしてるんだよね実は。それに私が珍味好きっていう特徴も消え去りそうだし」
「メタメタしい発言は控えなさい。食べ物は自由っつってんだろーが」
「それなら部屋割りを決めるのはどうですか? 修学旅行とかでも醍醐味の一つですし」
「いや、部屋割りは普通に考えて男と女に分け――」
「待てぇぇぇい!!」
器量良くテキパキと話を進めたいというのに、さっきから横槍ばっかり入れてくる元神様が鬱陶しくてしゃーない。せめて計画くらいはゆっくり決めさせてほしい。
「さっきから何なのお前? 俺に対する嫌がらせ? もしかして喧嘩売ってんの? それとも単純にシバき倒されたいの? 生き地獄に合わされたくなかったら黙っててくんないかな」
「断る! 食べ物は二の次三の次じゃが、部屋割りの件に関しては譲らんぞワシは!」
「妙なケチつけんじゃねぇよ。どうでも良いだろーが部屋割りなんて」
「いやいやそんなことはないぞにーちゃん。つまらないことに、にーちゃんは男部屋と女部屋に分けようとしておるじゃろぅ? そんなの旅行として平凡すぎてつまらん。朝に起き、飯を食べ、仕事に行き、帰ってまた飯を食べ、そして寝る。こんな在り来たりな日常を送っているサラリーマン並に夢がないぞにーちゃん」
「うん、とりあえず全国のサラリーマンに頭下げようか」
全ては金を稼ぐため、生きるための行いだというのに、それをディスるような発言は頂けない。全員が全員同じ想いで仕事の日々に明け暮れていると思うなよ。社会人は常に必死なんだよ。
「とにかく、部屋割りは二人と二人に分けるべきじゃ。そう思うじゃろぅ二人共?」
「う~ん……まぁ相手は師匠だしね。夜這いをする度胸がないへっぴり腰な人間っぽいし」
「わ、私もどちらでも良いですよ。私は旦那様を信頼していますから」
「とのことじゃ。票は三対一じゃぞにーちゃん」
「ふざけんな。どっちも半々の意見だろーが」
しかもさりげに馬鹿にされてるし。沙羅さんと全く同じこと言いやがって……。是が非でもここは俺の意地を通してやる。
「冷静に考えろ成長期の若者女子達よ。俺も一人の男なんだ。邪な感情を抱いているのか、抱いていないのかを聞かれれば答えはNOだ。俺も年頃の男なんだし、場合によっては理性の崩壊も充分有り得るんだよ。な? そう考えると怖いだろ? 一緒にいてビクついちゃうだろ?」
「いや、むしろワシは興奮する」
「なるほど、とりあえずお前と同室は有り得ないということだけは重々理解したわ」
俺がコヨミに対して理性の崩壊は万が一にも有り得ないが、その逆は有り得ることが判明した。元神様の威厳も何もあったもんじゃない。ビクつくのはむしろ俺の方だったらしい。
「だとすると、師匠と相部屋になるのは私かミコってことになるんだね」
「ならねーよ。男と女に分けるって言ってんだろが」
「さっきからそれの一点張りだね師匠。でもそれは無理っぽいよ」
そう言うと、リースはいつの間にか取っていた俺のスマホを持ち出し、その画面を俺に見せ付けてきた。
載っていたのは『極楽庵』と書かれた公式サイト。俺達が向かおうとしている旅行先の温泉旅館の名だ。
そしてそこには部屋割りの情報が書かれていた。「当旅館は二人部屋と四人部屋しかありません」という都合の悪い注意書きが。
「追求すれば三人と一人に分けることが叶うんだろうけど、それって旅館で働いてる人達にとって迷惑でしょ。だったら四人部屋で大人しく纏まれよって思われるだろうし」
「で、でも世の中には『お客様は神様だ』という言葉が――」
「他人の都合を考えずに自分のことだけを最優先する人間なのかな師匠は~? B型なの? 師匠の意志はB型なの?」
「くっ……この野郎……」
明らかにおちょくられてるし、完全に舐められてる。何故にそこまで男女同室を求める? もしかしてこいつらの本性はビッチだとでも? それとも単純に脳味噌とろろな馬鹿? どちらにしてもロクなもんじゃねぇ。
「……分かった。でも俺と同室になる奴は俺が選ばせてもらう」
「ふーん……まぁ良いんじゃない? 割り切っただけ進歩してるみたいだし」
さっきから上から目線扱いされてるのはどういうことだろうか。この家の主は俺なはずなのに、いつの間に下克上が達成されていたんだろう……。
とにもかくにも、同室の相方を選べる権利を得たわけだが……さて誰にしようか。
「にーちゃんにーちゃん。ワシと同室になった暁にはアレじゃぞ。一発イれただけで欲求不満が――」
間違った。“誰にしようか”じゃなくて“どちらにしようか”だった。俺の選択肢は二つに一つ。
「…………(ぶるぶる)」
「肩がカチカチだよミコ。そんな強張らなくても不安要素はないってば」
「それは分かってるんですけど……いざとなると心の準備が……」
顔を赤らめてそわそわしているミコさん。それに対し、リースは余裕の振る舞いだ。それこそ、男慣れしている本物のビッチのように。
本当なら悩む必要なんてない選択肢。普通ならミコさんを選んで事がすぐに済む話だ。
だが、それは安易な考えだ。何せ、ミコさんを選ぶということは、ミコさんと二人きりで寝ることになる。それはつまり、前の時のようなシチュエーションになるということ。
前は堪えてみせた俺だが、場所が場所だけに今回は不安しかない。旅館部屋で二人きりになり、なんか良い雰囲気に流されて理性崩壊して、ミコさんに襲い掛かってしまうんじゃないだろうか? そんなことになったら最後、俺は二度とミコさんに会わせる顔がなくなるだろう。
ここは致し方無いが、ミコさんを選ぶのは彼女にとっても俺にとっても危険だ。
「……よし。それじゃ部屋割りは俺とリース、ミコさんとコヨミで決定だ」
「「…………へ?」」
ミコさんとリースが同時に首を傾けて声を上げた。今更何を驚くことがあるのか。
「ほほぅ、これは意外じゃな。ワシはてっきりミコを選ぶと思っとったが」
「そうしたいのは山々だが……無理だ。楽しむための旅行で過ちを犯す可能性をわざわざ上げたくないんで」
「なるほど。つまりミコと同室になっていたら性的に襲い掛かっていたということか。思春期じゃのぅ」
「少しは言動を慎んでくれない!? しかも断定してんじゃねぇよ! あくまで可能性の話だ!」
「お、おそ、おそ、おそ……はわわわっ……」
ほら見ろ、余計なこと言うから当の本人が妄想して混乱しちゃったじゃん。取り乱してるよ。とある雷爺さんが愛して病まない鉢植えを割ってしまった小学野球少年の夏のように慌てまくってるよ。
「だから私にしたってわけね。でもそれだと今度は私が犯される可能性があるってことだよね」
「そうだな。お前の場合は、お前の態度によって俺が直々に殺してしまいそうなのが怖いわ」
「うわぁ……ストレートに物騒な当て字を垣間見たよ私。これまた人生初体験」
生意気な口は聞くが、脅しには弱いようだ。これなら他の二人に比べると対応が楽になるというものだ。
……まぁ、問題がないわけじゃないが、こいつも一応は年頃の女の子なわけだし。
「よし、次は旅館に着いた後のことだな。皆、何がしたいか各々意見を言ってくれ」
俺は一人離れてのんびりと寛ぐつもりだが、こいつらの動向くらいは知っておいた方が良いだろう。いつ何処で何をしでかすか分かったもんじゃない。
「私はひたすら旅館内巡りかな~。強くなるために腕の立ちそうな客人に片っ端から挑戦状を叩き込んで修行したい」
「盗聴機の取り付け作業じゃな。何処に仕掛けるのかは言えんがのぅ……フッフッフッ……」
「えっと……私は旦那様に付いていきます。実は旅行というものをしたことがないので、旦那様に是非レクチャーしてほしいです」
「そう……分かったよ……」
色んな意味で俺に休まる時がないってことがなっ!
冗談じゃない。旅行先に行ってまでこいつらの気を使うようなことなんてしたくない。心身共に休めるために行く場所なのに、そこでまた肉体的&精神的労働をするなんて馬鹿げてる。残業ばかりの社会人じゃねぇんだぞ俺は。
「お前らさぁ、旅行くらいはもっとこう……自分のキャラを忘れるくらいオフになる姿勢とかないわけ?」
「何を言うかにーちゃん。こんな時だからこそ自分の好きなことをするべきではないか」
「本能に忠実過ぎるのも難有りだろーが。たまには何もかも忘れて休みたい時とかあるだろ?」
「旦那様、それは更に自分を傷付けることに繋がるような気がするのは気のせいでしょうか? 一時は嫌なこと全部忘れても、何れはまた思い出して、最終的に一気に嫌なことが押し掛かってくる未来しか待ってないと思うんです」
「意外だねぇ!? ミコさんが確信を突くような発言するなんて意外性に長けてるねぇ!?」
本人に悪意がないことはよく分かるんだけど、だからこそタチが悪い。リースの憎たらしい言葉よりも深く心に傷がついたような気がする。
そうだよ、嫌なことってのは忘れてもまた降り注いでくるものだよ。酒を飲んで気持ち良くなろうが、たばこを吸ってストレス発散しようが、辛いことからは逃げられないんだよ。
でも良いじゃん別に! 誰にでも現実逃避したくなる時期があるんだよ! 賞に掠りもしない漫画家にも、就活が上手くいかない学生も、スランプ気味で声が出ないアーティストも、皆が皆疲れてるんだよ! それが何故分からないんだっ!
プライドもクソも無く、気付けば俺は皆に向かって頭を下げていた。というか、絶対にしないであろうと思っていた土下座をしていた。
「皆さん……本っ当に頼むから今回は大人しく俺の言うこと聞いてください。もう限界なんです。今脳内メーカーしたら中身が全部『腐』になっててもおかしくないくらい疲れ果ててるんです……」
「だ、旦那様……まさかそこまで疲労していたなんて……」
「これは重症じゃな。やれやれ、これだから最近のヤングな者は根性がないだとか貧弱な奴だとか言われ――」
「コヨミさん自重してください。そろそろ私も怒りますよ」
「お、おぉう……目が笑ってないところマジじゃなミコよ……」
さっきは思いがけない精神的奇襲を仕掛けてきたミコさんだったが、やっぱりこの人は唯一の味方だ。俺の誠意を良く理解してくれたのか、冗談で言ってるわけじゃないと悟って本気でコヨミを叱ってくれている。
「うん……旦那様の気持ちは良く分かりました。確かに最近のコヨミさんとリースさんは目に余る行動が多すぎると私も思っていました。主にそのせいで旦那様が疲れているのも明白でしたし、特にコヨミさんは日頃の行いを見直す必要があると思います」
「え? ワシ? 特にワシだけなの?」
「ぷぷっ……元神様とか言ってたくせに、人に迷惑しか掛けない神様ってどうかと思うな~私」
「私には関係ないみたいな素振りしてますけどリースさん。貴女も大概だと言うことを自覚してください」
「え……ちょ、ちょっとミコ? なんかちょっと気が強くなってるような気がするのは気のせい?」
「話を逸らそうとしないで真面目に話を聞いてください」
「あ……は、はい……」
スゲェこの人……本気になってくれているからか、いとも容易く問題児二人を縮こませちゃったよ。普段大人しげな人ほど怒ると恐いと聞くが、今のミコさんを見て改めて知り直した。
「かと言って私も例外ではありません。少なからず私も気付かない内に旦那様の負担になっていたと思うんです。だから今回の旅行では一つのルールを定めたいと思います」
「ルールって……どんな?」
「旅行先で旦那様を怒鳴らせた回数が一番多かった人は、旦那様の全力の正拳突きを急所に受けるというルールです」
「「…………」」
まさかの脅しのようなルールだった。ミコさんがこんな提案を持ち出すとは、そこまで俺の身を案じてくれているのか……アカン、嬉しさあまりに涙が出そうだ。
ディランに放ったあの一撃を見たことを思い出しているのか、コヨミとリースは青い顔になって肩を震わせていた。どんなに調子の良いことを好き勝手言えても、制裁という名の暴力には屈してしまうようだ。
「ぜ、全力って……それってアレだよね? この前の一件で放ってたあの……」
「そうです。私もあの時の旦那様が格好良……じゃなくて、凄くて目に焼き付いて離れていません。強い強いと思っていましたが、まさか旦那様があそこまで強いと思っていませんでした」
「た、確かにアレは強烈じゃったのぅ……そしてそれがこの旅行先での罰ゲームだと言うのかミコよ?」
「はい。お二人に文句があろうと無かろうと関係ありません。私も含めて三人でこのルールの中、旅行に行きたいと思います。宜しいですよね旦那様?」
「え? あ、あぁうん……ミコさんが言うことだから俺は従うけど……」
いつものちょっと抜けたようなミコさんも良いが、テキパキとした真面目なミコさんも良い……。もう惚れてしまいそう……というかもう惚れてるんですけどね。“異星人的”に。
「で、でもさぁミコ。本当に良いの? ちょっとした言動が死に繋がるかもしれないんだよ? 命を賭けた旅行ってどうかと思わない?」
「心配には及びません。トラブルを起こすこと無く普通に旅行を楽しめば何事もなく平和に終わるはずですから。そうですよね旦那様?」
「全く以てその通りだな。ただ身体を休めるために行く場所なのに、どうして死に繋がることになろうか? いや、有り得ないよなぁ~?」
「うぐっ……私の話術じゃ論破ができない……」
そりゃ当然のことだ、これは至って正論なことなのだから。仮に論破しようとしたところで、それはただの屁理屈に過ぎない。
「やれやれしょうがないのぅ。なら今回は夜這いしに行くだけに留めるとしようかのぅ」
「ミコさん、この変質者が妙な行動してたら3ポイント加算しといてくれ。独断で更に追加しても良いわ」
「……最近ワシだけ特に酷い扱い受けてるのは気のせいではないのぅ」
「自業自得だろーがっ!」
とにもかくにも、こうして俺達の旅行計画がご丁寧に立てられていき、ミコさんのお陰あって計画だけは俺にとって平和的な安らぎ時間に企てられた。
だが、この時の俺はまだ知らなかった。安らぐための旅行先で思わぬ事態に遭遇することになることを。
~おまけ~
日が過ぎて旅行一日前の夜のこと。
「……何してんだお前」
丁度深夜の十二時頃に妙な違和感を感じて布団を捲ると、そこには振袖を開けさせた艶かしい元神様が。
「うむ、旅行先では禁止されてしまったからのぅ。ならば前日が勝負所じゃろぅと思ぅてな」
「そうか。それがお前の遺言ってことで良いんだな?」
「え? いや、ちょ、そこは己の分身を山にして全て曝け出すところ――にーちゃんそれは駄目じゃ、洒落になっておらん。ちょ、少しは慈悲を……ァァァァァ――」
この時を境に、コヨミは二度と俺に夜這いを仕掛けなくなった。




