有りのままに我が儘に貴女の物は私の物
「旦那様、一つ相談があるんですが宜しいですか?」
時は進んで夕暮れ。リースとコヨミを家に残し、ミコさんと二人で買い出しするために歩いている道中、ミコさんが唐突にそんなことを言ってきた。
「俺に相談してもなぁ……そういうのはコヨミに聞いてもらった方が良いんじゃないの?」
「いえ、コヨミさんでもリースさんでも駄目なんです。旦那様でなければ解決することは恐らくできないと思うんです」
「そ、そうなの? なら聞くだけは聞くけど……」
「本当ですか? ありがとうございます旦那様!」
ミコさんには酷い仕打ちをしてしまったんだし、その罪滅ぼしになれることがあるのであれば、俺は全身全霊を持って彼女の力になろうではないか!
……なんて、俺にできることなんてたかが知れてるが。
「実は私、私にとって重大な悩みを抱えているんです」
「悩み? ミコさんが?」
「はい……そうなんです……」
ミコさんが悩みを抱えていたなんて、そんなの気付きもしなかった。いつもニコニコしてるから悩みなんてない人だと思ってたけど、まさか困り事を抱えていたとは……。
なんたる失態! しょっぱなからこんなんでどうするんだ俺は! こんな器量で力になろうだなんて烏滸がましい!
「それで悩みって? まさか深刻な……?」
「そうですね。私にとっては深刻な悩みなんです。それは――」
ゴゴゴゴゴッ、という謎の効果音が何処からか鳴り、その空気にのまれて俺は思わず立ち止まってしまう。
俺はゴクリと固唾を飲み、ミコさんがそっと口を開く。
「私って……最近空気になってきてると思うんです」
「は? 空気?」
空気って……また予想外のところを突いてきたなこの人……。
「えーと……もっと分かりやすく言ってくれない?」
「あっ、はいすいません。なんと言えば良いんでしょうか……今日のリースさんの一件で思ったんですけど、コヨミさんは元神様という神通力の使い手。リースさんは宇宙一の大将軍だけど、実はとても可愛い普通の女の子。お二人共、一つ次元を越えたような位置に立っている人達ですよね?」
「まぁ、確かにそうだね。でもあの二人は特殊すぎるから……」
「そうですけど……なら私は一体何なんでしょうか……」
「何って……異星人?」
「そうですけど! でもそういうことじゃないです! 真面目に聞いてください旦那様!」
「ご、ごめんなさい……」
怒られてしまった。別にふざけてるつもりはなかったのに。ただ答えがなんなのか分からなかっただけなのに。
「私の特徴と言ったら、狐耳と尻尾が生えているのと、家事ができることくらいですよ? 言ってしまうとキャラというものが薄い気がするんです」
「キャラ……キャラねぇ……」
要はアレだ。つまりミコさんは、自分の個性があの馬鹿共よりもインパクトに欠けていて、このままだと印象が薄くなってしまい、そこにいてそこにいないような存在になってしまうのでは? ということみたいらしい。
ふむ……確かにミコさんは他の二人と比べたらキャラが弱いのかもしれない。でもそれが差す意味は印象が薄いということではない。
ミコさんは異星人組の中で唯一の常識人。だからキャラが弱いと感じてしまうのだ。でもそれは決して悪いことではない、むしろ今の俺にとっては最も大切に思っている最重要人物だ。
悩む必要なんてない、気にする必要なんてない、ミコさんは今のままが一番良いキャラしてるわ。
「深く考え込んでるみたいだけど、それは気にするだけ無駄な話だよミコさん」
「む、無駄って……酷いですよ旦那様! 何をしようと無意味に終わると言うんですか!?」
「いやそうじゃないよ。ミコさんは今のままで良いって言いたいんだよ」
「今のままで……ですか? でもそれじゃ……」
「大丈夫だって、ミコさんが空気になることはまずないから。只でさえあの二人の相手をしているんだから、黙っててもミコさんの個性も磨かれていくって」
「うーん……そういうものなんでしょうか?」
「そういうものだよ。あいつらはどう思ってるか知らないけど、俺は今のミコさんが一番好きだよ」
「…………」
カチンと急に固まってしまうミコさん。当たり前のことを言っただけなんだが、何かおかしなこと言ったか俺?
すると否や、今度は目に見える湯気が頭の上から立ち上ぼり始め、顔を真っ赤にさせて俯いてしまう。人のこと言えないがリアクションに忙しい人だな。
「あ、あの……旦那様? 好きってそれはどういう……」
「……ち、違う違う! そういう意味じゃなくて! 人として……じゃねーや、異星人としてミコさんが好きって意味であってね!? すいません、誤解を生むような言い方して!」
「そ、そうですか~……それはそうですよね~……ア、アハハハハッ……」
「そうそう! アハハハハッ!」
馬鹿か俺は! 然り気無く告白じみたことしやがってよぉ? 今の俺にそんな資格はねぇんだよ! あの時の罪を全て償わない限り、俺がミコさんに好意を向ける言葉を言うなんて話にならんわ!
……でもこの罪ってどうしたら拭えんだろうか? もしかして一生引き摺るんじゃね? でもそれもまた人生なのか? 随分と残酷だなおい。
「……やっぱり旦那様は優しい人ですね」
「どうしたのまた急に?」
「いえその……私がつまらない悩みをあれこれ言っても全く嫌がらなかったじゃないですか」
「そりゃそうだよ。前にも言ったけど、俺は家族を大切にする主義者だからね」
「ふふっ、だから旦那様は周りの人達に慕われているんですね」
「慕われてるのか俺……? なんか良いように利用されてるだけだと思うんだけどなぁ……」
リースもそう、コヨミもそう、あいつらは自分の欲を満たすためだけに俺のところにいるような気がする。今となっては別にもう構わないんだが、弄られるこっちの身にもなってほしい。
「そんなことありませんよ。リースさん達もミーナさん達も旦那様のことを大切に思い、信用していますよ。それは旦那様が皆さんのことを大切に思っているからこその繋がりなんだと思います」
「おぉう……なんか照れるな……」
面と向かって褒められるのは慣れてないから困る。ミコさんは少し俺のことを買い被っている節があるような気がするなぁ。俺はミコさんが思ってるような立派な人間じゃなくて、時には外道じみた悪巧みを企てるようなクソ野郎なんだけどね実際。
「あっ、言い忘れてましたが、勿論私も旦那様のことを慕……し、信用していますよ」
「そ、そっか。なら敢えて言うけど、俺もミコさんのことは人一倍信用してるよ。リースとコヨミと比べてもミコさんが断トツで信用できるのは確かだと断言できる」
「買い被り過ぎですよ旦那様。私は旦那様が思ってるような異星人ではないです」
同じことを考えていたようだ。俺はともかく、ミコさんの人柄は間違ってないと断言できると思う。威張らない辺り、やっぱり良い人だよなぁこの人……。
「そりゃ謙遜だねぇ、ミコさんはもっと自信を持って良いと思うけど?」
「……謙遜なんかじゃありません。本当のことなんですよ……」
「……ミコさん?」
時折見せるその表情。口は笑っていても、その目には悲しみが写り込んでいるかように影が落ちる。
でも下手な詮索はしない。それでミコさんを傷付けるようなことになれば俺の主義が矛盾してしまうから。
ミコさんに何かがあるのは薄々感じているが……もしいつかそのことを知った時、俺に何ができるか分からないけど、できるだけ彼女の力になりたいと思っている。
身内の人が悲しんでいるところを好んで見るやつなんて、悪人以外いないのだから。
さて、この話は終わりだ。別の話に変えよう。
「あ~……そういえばミコさん。今向かってるスーパーの話なんだけどさ」
「え? は、はい」
俺は苦笑しつつ、何となく予想できるからこそミコさんにそのことを伝えた。
「今の時間帯は荒れるから覚悟しておいてね」
「……え?」
~※~
「それ私が先に目を付けていたのよ! 寄越しなさい!」
「何を寝惚けたことを言ってるのかしら!? これは私が最初に取ったのよ! 目を付けてたとしても結局は早いもの勝ちなのよ!」
「世の中弱肉強食! 貴女のそれも私の物よ!」
「どきなさいメタボリック! 痩せたいために来ているのなら帰りなさい! 貴女にはバランスボールと共にその弾力性溢れるお腹んボールをバウンドさせているのがお似合いよ!」
夕暮れ時のスーパー。それは、おばさん達が一時的に戦国時代へタイムスリップする時間。ここはまさに、合戦の真っ最中だった。
このスーパーは夕暮れになると新鮮な食材をセールで売り込むシステムがあり、欲望と食欲にまみれた主婦達がわんさか群がるようになっている。
俺も食費を節約するためによくやって来るのだが、今日は今までと比べてもより激しさを増しているようだ。最近の野菜は萎れてるものが目立つし、仕方ないのかもしれない。
「邪魔! どんくさい若僧如きがここに来るんじゃないわよクソがぁ!」
「ひぃぃ!? すすすすみませんすみません!」
ちなみに、お試しとして先にミコさんに突撃させてみたのだけれど、群れの隙間を潜って野菜を取るまでは良いのだが、その後に横暴なババァに呆気なく取られてしまっているために、何一つ野菜を確保できていなかった。
まぁ、他人に優しいミコさんに強奪戦を強要してるのがまず間違ってるか。でも家事を担当しているミコさんだからこそ、この戦場を生き残れる体力と根性を身に付けて欲しいと願いたい。
「い、痛い……脇腹にひじ打ちしてきた人がいました……」
「飢えた猛獣達が餌を奪い合っているような場所だからね。下手したら怪我だけじゃ済まない可能性もあるくらいだし」
「そ、そんなリスクがあるのに凄いですね皆さん。私には怖くてとてもとても……」
「でもここを突破できるようになったら食費が少し楽になるんだよ。今は前の一件で四人分の食費が入っているから良いけど、節約するに越したことはないからね。今からお金を貯めておいて損はしないでしょ?」
「確かにそうですね……よ、よーし、旦那様はそこで見ていてください! 今日は私一人で頑張ってませますよ~!」
意気込んでからまた獣の群れに自ら突っ込んでいくミコさん。良いぞ良いぞ、そのガッツがこの場所において最も強い武器になるんだ。涙を飲む思いで俺はここで応援してるぞミコさん!
残り時間が少なくなってきて、食材も見える限りでかなりの勢いで減っていく。ラストスパートに差し掛かった今だからこそ、ミコさんには一度で良いから勝利を勝ち取ってほしい。
「よ、よし! この大根だけは死守してみせます!」
――が、その願いは幻想と化した。
「ひぇぇぇ!?」
突然の奇襲攻撃を受け、ミコさんが大事に抱えていた大根が上に跳ね上がった。いや大根だけじゃない、残っていた他の諸々の食材も全てだ。
そして、その食材達が手品のように一瞬で消え去った。一体何が起こったのかは、ミコさんだけ分からないことだろう。
ここには時折現れるのだ。相手がおばさんであれど、容赦しない若者が。
「悪いわね、今日はごっそり持っていかせてもらうわ」
ていうか、普通にそいつは俺の家族の一人なんだが。
沙羅さん達の元で家事の役割を手伝っている我が妹、ミーナである。
「ず、ズルいわよ貴女! それらは全て私の――」
「私の何? これはもう私の食材よ。もし強奪するために私と一戦交えようってんなら相手になるけど?」
サンタさんが担いでいるような袋に食材をパンパンになるまで積んだ女帝が、マナーの一つも知らずに堂々と宣戦布告する。親指を立てて左から右に首をなぞるという死の宣告までしてしまうくらい、ミーナの姿は猛々しく、そしてそれ以上にクソ野郎だ。
力じゃ勝てないと悟ったおばさん達はぞろぞろとレジの方に流れていき、最終的に残ったのは俺達二人とミーナだけとなった。
「あら二人共、奇遇じゃない。こんな日に来ちゃってたのね」
「こんにちはミーナさん。さっきの立ち振舞いは恐れ入りました」
「そうでしょそうでしょ? これが今でも身体を鍛えている証ってやつよ!」
自慢百パーセントの笑みを浮かべて笑い上げる。問答無用でハッ倒したくなるなこいつ、毎度毎度全部持っていきやがって。
「あ、あの……ミーナさん。できたら大根の一本だけでも譲ってくれたら嬉しいんですが……」
「へぇ……あのひ弱なミコが確保できてた食材があったのね。良いわよ一本くらいなら」
「ありがとうございますミーナさん」
「いいわよお礼なんて。アタシはこう見えて懐が広いんだから」
こう見えてっつーか、どう見たらお前が懐の広い人間に見えんだよ。本当に懐が広いんだったら、その食材の三割くらいは譲ってくれるところだぞ。ミコさんをひ弱とディスったり、本来はミコさんのものだった大根を奪っておきながらお礼を言わせたり、何様なんだこのぬりかべ。
「何よやっさん? 何か言いたいことでもあるのかしら~?」
「……別に」
う、うぜぇ、マジでうぜぇよこの女。こんなウザい妹なんて俺はいらねぇ。もっと俺にべったり甘えて来るような可愛い妹が欲しかったぜ。
「まぁいいわ。悪いけど今日は普段以上に譲れない陣地争いだったんだし、力不足だった自分達を恨むことね」
そう言うとミーナは、とある方向にビシッと指を差した。その先にあったのは、無垢な子供なら何度でも回したいと思うガラガラくじの現場だった。
「今日はこの野菜達の購入数だけあれを回すことができるくじ引きの日なのよ。三ヶ月に一回のこのイベントを逃すわけにはいかないのよね」
「くじ引きですか。ちなみに一等を当てたら何が貰えるんですか?」
「えーと……今回は温泉旅館無料チケットね。有名な温泉旅館らしくて、温泉好きの客には特に人気って聞いたかしら。繁盛するのは一時的だとも聞いたけどね」
「温泉ですかぁ~……それは是非とも当ててみたいですね!」
純粋な想いでキラキラと瞳を輝かせるミコさん。どっかの自己中女帝にもミコさんの有り方を見習ってほしいもんだ。ミコさんの垢を煎じて飲ませてやりたい。
「悪いけど温泉旅館は私が頂くわ! 貴女はせいぜいポケットティッシュの一枚でも当てて帰れば良いわ」
「うーん……できれば米の一俵でも当てられたら良いんですが……」
「たった一本の大根なんだから引けるのは一回なのよ? 流石にそれは無理があるんじゃなーい? アーハッハッハッハッ!」
「あ、あははっ――だ、駄目ですよ旦那様! 大切な家族を殴るのは駄目です!」
「離してくれミコさん! 今この瞬間からこいつは俺が八つ裂きにしたい奴ランキング一位なんだ!」
黙って聞いてれば好き勝手言いやがって! 確率はゼロじゃねーんだし、無理がないわけじゃねーだろーが! 上からもの言いやがって! こいつこそ全部ポケットティッシュに溶かしてしまえばいいんだ!
「ま、健闘を祈ってるわ。それじゃ私は会計に行くんで、また後でね~」
そうしてミーナは最後まで余裕満々の態度で居続け、後ろ手でヒラヒラと手を振りながら去っていった。
~※~
ガラガラガラ……コトンッ……
「はい残念賞~、また今度頑張ってね」
ガラガラガラ……コトンッ……
「おめでとうございまーす! 一等の温泉旅館四名様ご招待券大当たりでーす!」
結果、ミーナは数十回回しておきながら全てをポケットティッシュに溶かし、ミコさんは一発勝負で旅行券を引き当て、カランカランと店内にベル音を響かせた。
「…………」
「あ、あの……ミーナさ――」
「行こうミコさん」
「で、でもミーナさんが……」
「ほっとけ。あれは日頃の行いが悪いからこその結果だ。同情する必要なんてないよ」
「そ、そうですか……。すいませんミーナさん、今日はこれで失礼しますね」
「…………」
ショックのあまりに虚空を見つめるミーナを放置し、俺達は奇跡的に手に入れた夢の券を手に家へと戻って行くのだった。




