隠れ人格発覚事件
俺は今、信じられない光景を目の当たりにしていた。
「師匠、この本は何処に置いたら良い? 本棚に戻しておけば良いかな?」
「…………」
「師匠? おーい師匠ってば~」
目の前にいる美少女が俺の眼前で掌を振る。しかし今の俺は、そんなことよりも気になりすぎる現実を目にしているので、視界に写っていても全く気に止めることはない。
これは一体どういうことだ? 何がどうなったらこんな事態に遭遇することになるんだ?
ぐっすりすやすやと眠っていた俺だったが、何やらゴタゴタと物音がして目が覚めた。そして起き上がって目を開くと、そこにはよく見覚えのある美少女が掃除をしていた。
それだけならまだ不自然じゃない。家にはミコさんという女子力神領域の異星人がいるので、頻繁に俺の部屋を出入りしては掃除をしにやって来てくれているからだ。俺は別に良いと言っているのに、それでも掃除をしに来る彼女は本当に愛おしいと感じている。まぁ、手を出す資格は微塵もないが。
だが、今俺の目の前にいるのはミコさんではない。だから俺は度肝を抜かれているのだ。何故なら、その美少女は自分から進んで掃除をするような奴じゃないからだ。
白のTシャツの上からチャックが開いているピンク色のパーカーを着ていて、青い短パンを穿いている。彼女がそんなラフな格好をしているところなんて初めて見た。
「どうしたの師匠? もしかして寝惚けてる? 顔でも洗ってきたらどう? ぱっちり目が覚めるよきっと」
そして、その美少女はこんな口調で笑みを浮かべるような可愛い奴なんかじゃない!
「誰だお前!?」
「はぃ? 今更何言ってるの師匠? やっぱりまだ寝惚けてるんだね」
勿論、俺は寝惚けてなどいない。既に意識ははっきりしていて、麻薬中毒者が見るような幻覚も見えていない。俺が今見ているものは全て現実だ。受け入れ難いリアルだ。
なら一体こいつに何があったんだ? 悪い物でも摘まみ食いしてしまったのか? 原因を教えてくれよ。なぁ――
「ほらほら早く起きて。今日はいつもより天気が良いから布団干したいんだよね。師匠もふっかふかの布団で気持ちよく寝たいでしょ?」
――リース大将軍。
「寝惚けてんのはお前だろ。つーかマジで誰だお前。俺はお前のような女知らねーぞ」
「だからさっきから何言ってるの師匠? 私はリースだよ」
「嘘つけ! 俺が知ってるリースはこんな可愛い奴じゃねぇ!」
「か、可愛いって……も、も~師匠ったら朝から止めてよ。そんなストレートに言われると恥ずかしいよ……」
何照れてんの!? 何で嬉しそうなの!? 何でそんな笑顔浮かべてんの!? 違う違う違う! 俺が知ってるリースだったらそこで傘を一撃を放って「寝言は寝て言え青虫が」くらいのことを言うはずだろーが!
偽物。そう、こいつはリースのそっくりさんである偽物だ。きっと俺を驚かすためのドッキリなんだ。コヨミ辺りが神通力で悪戯したことによって生まれたんであろう、存在せぬ架空の人物なんだ。
よし、コヨミのところに行こう。そしてこの幻の人物をデリートしてやるんだ。
「師匠~! なんで怒ってるの~?」
「怒ってねぇ! 俺は至って正常だ!」
「正常ではないと思うんだけどなぁ……」
半場嘘を言いながら飛び出すように部屋を出て行く。そしてすぐ近くのコヨミの部屋のドアを乱暴に開けた。
「うぎゃぁぁ!? ワシの芸術作品がぁ!!」
乱暴に開けた時の物音に反応したのか、器用に机の上でトランプタワーを作っていたところ、ぱらぱらと音を立てて呆気なく崩れ落ちた。
「何するんじゃにーちゃん! 全集中力を注いで完成間近だったワシの努力の結晶がパーになってしまったではないか!」
「知らねーよんなもん。それがそのトランプタワーの定めだったんだよ。形あるものはいつか必ず朽ち果てるんだよ。どんなものにも寿命は存在し、そのトランプタワーの寿命が今この瞬間だったってことだ」
「酷い! 後もう少し手術が早ければあの子は助かったのに! お主の小さなミスで一つの命が尽きてしまった! 返して! あのハートとダイヤとスペードとクローバーが好きだったあの子を返して!」
「一度死んだものは生き返らない……分かるだろそんなことくらい……」
「そ、そんな……これが現実だというのか? 信じない! ワシは信じないぞ! 闇に染まった絶望の現実なんてワシは! うわぁぁぁ……」
悲しみに明け暮れたコヨミが泣き叫び、その悲痛の想いが痛いほど身に染みた。これが現実。されど現実。俺達は一生この現実を受け入れて生きていかなくてはならないのだ。例えそれが修羅の道になるとしても……。
「……だかなコヨミ。お前にはまだ残っているものがあるはずだ」
「な、何じゃと? ハート達を失ったワシに……我が子を失ったワシに一体何が残っていると言うんじゃ!?」
「よく考えるんだ。ないものはない。ならお前に残っているものは何か? あるはずだまだお前にもな……」
「っ!!?」
稲妻が迸ったかのように衝撃を受けた顔をするコヨミ。両膝から崩れ倒れ、今一度自分の仲間の数を指を使って数える。
「UNO……麻雀……花札……漫画……モノポリー……人生ゲーム……PC……バーチャルゲーム……」
コヨミにとって大切なものたち。指の一本一本で丁寧に数え、全て数え終えたところでコヨミは大粒の涙を流した。
「な……娯楽がいるよ!!」
「そうか……」
良かったなコヨミ……お前はトランプタワーを失ったが、まだお前には暇を潰すことができる娯楽が残っていたんだ。それだけあればお前はまた立ち直ることができるはずさ……。
「えっと……楽しそうですねお二人共?」
「お~、ミコさん。おはよ~」
「おはようございます。それでお二人は一体何をしてたんですか?」
「えーとそれは……あれ?」
そういえば俺はここに何しに来たんだっけか? 何か凄く重要なことを確認しに来たような気がするんだが……。
「……あっ! そうだった思い出した思い出した!コヨミてめぇ、俺を笑いの道に引きずり込みやがって!」
「ふっ……甘い甘~い蜜の味の罠に引っ掛かったにーちゃんが悪いんじゃよ。でも見事な演技じゃったと健闘を称えておこうではないか」
「くっ……実は楽しかった俺がいて強く怒れないぜ! お前も良い演技だったよ!」
ガシッと健闘を称え合う握手を強く交わす俺達。ふざけてる場合でもないのに、何でか今日はノリに飲み込まれやすいそんな気分だった。
「で、話を戻すんだがよ。コヨミお前、リースに一体何をした?」
「うん? リース将軍にか? 別にワシは何もしとらんぞ。昨晩、あやつの意外性ある悲鳴を聞こうと忍び込んだ結果、ボコボコにされたくらいじゃな」
「キャァァァッ!!」
「そうそうこんな感じのリース将軍の悲鳴が聞きたかったんじゃよ。しかしガードが固くてのぅ。身体の一部分すら触ることができなかったんじゃ」
「何してんだお前……って」
今のリースの悲鳴じゃね? だって明らかに俺の部屋から聞こえてきたし。
「師匠師匠師匠ぉ!!」
「おぐぁ!?」
部屋から首を出して覗いてみると、血相変えたリースが俺の部屋から出てきたと思いきや、俺に向かって勢い良く抱き着いてきた。突然の奇襲に受け止め切れなかった俺の身体は後ろに倒れ、思いきり後頭部を床に叩き付けた。
ぷっくりとたんこぶが腫れ上がり、クッション代わりに俺の頭が少し浮く。はっきり言って滅茶苦茶痛い。
「虫ぃ! 師匠の部屋に虫が出たぁ! 無理無理無理!あんなに足いっぱいある奴は無理なんだよぉ~!」
泣きじゃくるリースが重心を掛けて更に強く抱き着いてくる。眼前はふくよかな胸の感触が心地好いが、対称的に後頭部のたんこぶが圧迫されて尋常じゃない痛みが発生する。
まさに天国と地獄に挟まれた状態だが……でもやっぱり痛みの方が強すぎてむしろマイナスだっ!
「師匠早く! 早くあの虫を退治してよぉ!」
「ぎゃぁぁぁ!? たんこぶ割れる!! たんこぶにヒビ入るぅ!!」
「あぁぁ!? 旦那様が! このままでは旦那様が死んじゃいます!」
「いやむしろ本望なのではないか? 女子の胸に挟まれながら死ぬとは、男冥利に尽きるものじゃと思うんじゃがのぅ」
「言ってる場合ですか! 早く助けてあげてくださいコヨミさん! もう月が変わったから神通力が使えるんですよね!?」
「貴重な手数だというのに、しょうがないのぅ~」
見えないタクトを振るように指を動かすコヨミ。すると、人差し指の先から光の粒子が発生し、その光が俺のクッションたんこぶを包み込む。やがて光で完全に包まれると、バカみたいに腫れ上がっていたたんこぶが風船のように萎んでいき、元の後頭部に戻った。
「マ、マジで脳味噌が出てくるかと思った……」
「虫ぃぃ! 虫ぃぃ!」
「虫はお前だ金切り虫が! 夏の夜の蝉合唱並みに鬱陶しいわ!」
「痛ぁ!?」
リースの脳天を叩いて密着していた身体を突き放す。痛みもそうだったが、前の方は前の方で窒息するかと思ったぞ……。
「酷いよ師匠……叩くことないじゃんか!」
「……誰ですかこの人」
俺と似たような台詞をぽつりと呟くミコさん。無理もない、普段の奴を見ている俺達としては全くの別人に見えているのだから。
「ほぅ……これはまた面白くなっとるではないか。何をしでかしたんじゃにーちゃん?」
「正直に答えてください旦那様。別に私達は旦那様を責めるつもりはありませんから」
「何故俺が何かをやらかしたみたいになってんだ! 俺が朝起きたら既にこうなってたんだよ!」
「朝起きたら……“どっち”が起きた時じゃ?」
「どっちってなんだ! 目だよ目っ! 朝からそういうネタに走るんじゃねぇよ!」
「や、やっぱり旦那様も毎朝“起きるんですね”……」
「それ目を覚ます方の意味じゃないよねミコさん!? しかも若干引いてるよね!? 自然の摂理なんだから仕方ないんだよ! 好きで毎朝“起きてる”わけじゃないからね!?」
「そうじゃぞミコよ。それに朝のにーちゃんはまだライト級と言ってもいい。ヘビー級なのは深夜の一時頃じゃ。どんなパワーファイターガールも一撃……いや、一発でシとめられる強度を誇っとるぞ。ま、日によるがのぅ」
「……ごくり」
「固唾を飲み込むな!」
何もかもコヨミのせいで人格が変わってしまう。ミコさんもそう、リースもそう、やはり全てはこいつの仕業だろう。日々の言葉巧みな洗脳によって目覚めてはいけないものに目覚めてしまった、みたいな?
「皆して酷い扱いしないでよ。でもまぁしょうがないのかな? 寝る時以外に“外してる”のはここに来てから初めてだし」
「外す? 何をですか?」
「気付かない? ここだよここ」
トントンと腰の部分を叩く。そこにはいつも差しているピンク傘がなかった。
「だから何だよ。それに何か意味があるのか?」
「あの傘は普通の傘じゃない特殊なものでさ。身に付けているだけでその人の身体能力を十倍にするという優れものなの」
「いやだからそれが何なんだっての」
「急かさないでよ師匠。結論から言うと、私って実は二重人格なんだよね」
「に、二重人格ってお前……」
一人の人物の中に二つの人格が存在して、一方は内気で物静かな子で、もう一方は勝ち気で暴力的な子、みたいなやつってか? ここに来てまた新しい個性を見付けちゃったよ。
「私って本来は今みたいに普通なんだけど、あの傘を身に付けた時だけ自分が強くなったって実感しちゃうから、その反動で強気な正確が極端に出ちゃうんだよ。あっ、でも二重人格と言っても別人とかじゃないよ? どっちもベースは私だから」
「へ、へぇ~……」
「……何その反応」
「いやだってさ……」
今さっきまでは異変が起こったとテンパっていたが、ネタが分かればどうということはない結論。謎が解けた瞬間から、既にリースに対する興味は皆無となっていた。
つまり、「二重人格? だから何?」ってことだ。
「つーか、それって今のお前が素だってことだよな? ならなんで今まではずっと傘を身に付けてたんだよ?」
「ん? あ〜……別に意味なんてないけど? 外しても外さなくても生活に支障は出なかったし」
「何処が!? 学校の屋上で暴れたりしてただろうが! ミーナとも犬猿になってるしよ! 俺は俺で色々と痛い思いしたし!」
「そ、それは……か、過去のことを持ち出すなんて師匠らしくないよ~? 師匠は前だけ見て生きてるような人じゃないの~?」
「それが出来たら人間は苦労と後悔なんてしてねーわ!」
「お、怒らないでよぉ……悪かったよぉ……」
涙目になりながらペコリと頭を下げるリース。裏リース(今までの方)は裏リースでひっでぇ性格していたが、表リースは表リースで調子が狂う。
今まであれだけ偉ぶっていた生意気将軍だったのに、今じゃすっかり素直になった普通の女の子になっている。このギャップがなんというか……効く。
「時にリースよ。さっきから思っとったが、その師匠というのは何なんじゃ?」
「あっ、それ私も気になってました。どういう意味なんですか旦那様?」
「それは俺が聞きたいよ……」
そういや呼び方が愚人から師匠になってたっけか。愚人という名称よりはマシだが、師匠って何? 俺はお笑いに優れた芸人顔負けのクオリティは持ってないんだが。
「師匠は師匠だよ。私の心の師ってやつかな」
「心の師とな? 具体的にはどういう?」
「ふぅ……ミコもコヨミも分かってないな~」
やれやれといった具合に手を上げながら首を振る。その見下してるような顔がかなりウザい。
「二人は今まで師匠の何を見てたのさ? いつもガミガミと怒ってるところ? それとも小さなことにいちいちギャーギャー喚いているところ?」
「なるほど、お前の中での俺がどういう見方をされてるのかよーく分かったわ」
「え? だって師匠いつもそうじゃん。事あるごとに怒鳴ってるでしょ?」
「誰のせいだと思ってんだテメェ……」
性格が変わっても俺をディスるのは変わらないらしい。これはこれでイラッとくるな。
「二人も見てきたはずでしょ。時折サラッと見せる師匠の強さってやつを」
「そういえばそうですよね。私もいつかは聞こうと思っていました」
「でしょ? それで師匠、一つ聞きたいんだけど――」
「断る」
「うぇえ!? まだ何も言ってないじゃん!」
聞くまでもなく、どうして俺が優れた身体能力を持ってるかと聞きたいんだろう。それはつまり、その力を付けた理由も聞かれることに繋がるのは自然な流れだ。
言わねぇ。こいつぁ誰にも話したことのない秘密なんだよ。口が裂けても俺はカミングアウトなんて――
「…………乙」
「あ゛っ」
どうやら俺も学習しない馬鹿野郎だったようだ。コヨミ相手に秘密を死守するなんて、ナイフ一本でウェ○カーに打ち勝つくらいの難易度だ。
いつものニヤケ顔で俺を見つめてくるクソ白髪。こいつの神通力、マジでどうにかならんのか。
「なるほどなるほどそういうことか。にーちゃんにも事情が色々あるんじゃのぅ」
「うっせぇ! 黙れ! もう出てけよお前! 神通力乱用しやがって、お前が一番の悪影響の塊の権現だバッキャロー!」
「そう照れるでないにーちゃん。安心せい、これはワシの胸の内にしまっておくからのぅ」
「そんな! ズルいですよコヨミさん! 分かったなら私達にも教えてください!」
「駄目じゃ駄目じゃ。というか、そんなことよりも優先すべきことがあるのではないか?」
「話をはぐらかそうとしても無駄だよコヨミ! さぁ早く師匠の強さの秘訣を――」
「虫は?」
「……いやぁぁぁ!?」
この後、俺は再び暴走するリースに間接的暴力を受けながら小虫を退治することとなった。
何はともあれ、例外を除いて俺の秘密を死守できたことに安心した俺がいた。
この話をしたところで何の需要もないし、意味を持ち合わせない。どう足掻いても“帰って来る”ことはないのだから……。




