そうして少女は不幸になる
人にとっての幸運とは何だろうか?
好きな娘と付き合えた時。珍しい美味な食べ物を食べられた時。当たるはずもない宝くじが当たった時。凄みの大きさは違えど、それらは全て幸運な出来事と言えよう。
しかし、この世には不運を幸運と思ってしまう者がいる。
「…………」
人里離れたとある場所。そこに一人の見た目幼い少女がいた。
畳が敷かれた個室にぽつんと座っていて、何も見えるはずもない天井を虚ろな瞳で見上げている。何を想い、何を見ているのかは彼女にしか分からない。
「おや、こんなところにいたのか。探したよ」
「っ!」
すると、突如個室の襖が開き、和装をした中年の男が入室してきた。少女は肩を跳ねさせて驚いた様子を見せるが、すぐに佇まいを直して大人しくなった。
「知っているかい? 最近また儲けが少なくなってきてるんだ。でもそれはしょうがないことなんだよね。何せここは町から離れ過ぎているから。このままだと閑古鳥が鳴き続ける一方なんだ」
だから何なのか、と普通の人なら思うだろう。しかし、少女は彼の事情の全てを知っている。
知っているからこそ、少女は次第に身体を震わせた。
「辛いのは百も承知だ。ここにいる皆が君のことを心配してくれている。だが、このままだと僕達は飯一つも満足に食べることができなくなってしまうかもしれないんだ」
少女にとって彼はこの世で最も大切に思っている人物だった。だからこそ、少女はできるだけ彼の力になりたいと思っていた。
たとえそれが、自分の身を滅ぼすことに繋がるとしても。
「どうだろうか? また僕達の力になってはくれないだろうか? もし本当に辛くなったらその時は必ず助ける。だからお願いだ。僕達のために“不幸”になってはくれないだろうか?」
「……(こくり)」
少女は怯えている自分を自覚しながら頷いた。明らかに無理をしている様子の少女。しかし男はそんなこと気にもせず、少女とは対称的にニッコリと笑っていた。
「そうか! 本当にどうもありがとう! なら早速、今晩から始めたいんだが、君はそれでも良いかな」
「……(こくり)」
「分かった。それじゃ今日から部屋を出てもらうよ。さぁ出てった出てった!」
すると、少女に対する男の態度が一変した。優しかった口調が代わり、少女を見る目も軽蔑の想いが込められているようだ。
少女は強引に髪を引っ張られて無理矢理立ち上がらされると、そのままの状態で連れられて行き、数秒もしない内に外に出された。
背中を蹴り飛ばされて地面にうつ伏せに倒れ、近くに置いてあった塩を掛けられる。
「一週間、近くの入り江に住んでいろ。そこで何をされても、お前は絶対に抵抗せずに全てを受け入れろ。いいな?」
「……(こくり)」
「さぁ行け! 期間内にここに来たら罰を受けてもらうから決して近付くな!」
「…………」
少女は細い二つの腕を伸ばして立ち上がり、フラついた足取りで男の元から去っていく。
端から見たら何がどうなっているのか分からない出来事だ。まるで少女を疫病神か何かのように扱い、厄介者払いをしているように見える。
しかし少女は知っている。この扱いが一体何を成すのかを。
「うっ……くっ……」
少女は足場の悪い森の中を歩いていく。着ているものは布切れ一枚で、道端に転がっている先が鋭い枝で切り傷が付いてしまう。だが少女はその痛みに耐えながらも、ひたすら森の奥へと進んでいく。
それから数十分も掛からない内に広い川に出た。天然の水が何処までの流れていて、何匹かの小魚が泳いでいるところが見える。
綺麗な自然に囲まれた川と森。それを見ているだけで心安らぐ光景だ。
しかし、少女の瞳は虚ろなまま。何を見ても魅了されることなく、ただただ虚空を見つめている。
「……また一週間」
ぽつりと呟く一言が川の音に消え入る。それから、身体を傷付けていた枝の一本を適当に選んで手に持ち、川の中に入って大きな岩場まで泳いでいき、辿り着いたところでその上に座った。
「ふぅ……」
一息付いて枝を近くに置いて、濡れた身体を手で優しく擦る。
「っ!」
だが、すぐにハッとなって身体を擦るのを止めた。少女にとって、それは“してはいけない行為”だから。
「っ……」
風が吹いて冷えた身体を撫でる。まだ完全に暖かい季節にはなっていないので、さぞかし寒いに違いないだろう。
しかし少女はもう身体を擦ることをしなかった。ガクガクと身体を震わせながらその場に座り込み、置いていた枝を再び手に持つ。
グッと枝を持つ手に力を込める。寒さで感覚が感じられなく、少女自身もどれくらい力を入れているかは分からない。
そして彼女は――
「っ!!」
枝の先を自分の右膝に突き刺した。
膝からどくどくと血が流れ出る。致命傷とまではいかないが、不自由に歩けなくなるだけの怪我としては充分過ぎる傷だ。
少女は虫を噛み締めるような表情で枝を引っこ抜き、そこら辺に枝を投げ捨てた。川の中に落ちると真っ赤な液体が浮かび上がり、川の流れと共に消えた。
「うぅ……くぅ……」
あまりもの痛みに涙を流すが、少女は流血する膝を手で抑えようとはしなかった。それも少女にとって“してはいけない行為”だったから。
時が経つに連れて顔色が悪くなっていき、息も荒くなっていた。まるで死と生をさ迷っているかのように苦しみ悶えている。
「――見付けた! やっぱりここにいました!」
すると、何処からか和装の女性が息を切らした状態で現れた。
彼女は少女を見付けたと否や、濡れることなど気にしない様子で少女の元に近寄っていき、横に倒れている身体を抱え起こした。
「また自分で傷を作ったんですか!? 何度も言ってるじゃないですか! こんなことしても誰も幸運になんて恵まれないんですよ!?」
「……ダメ」
少女はすぐに彼女の腕の中から離れた。しかし彼女はまた少女の手を掴み、離さないとばかりにその小さな身体を抱き締めた。
「なんで分かってくれないんですか……貴女はあの人にずっと騙されてるんです。あの人は貴女のことを――」
「……違う……おじさんは……優しい人……」
「どうして? どうして貴方はそんなにもあの人のことを……?」
「……何度も言ってる……“親”だから……」
「だからって……」
彼女はそれ以上強く言うことができず、少女は今度こそ彼女の身体から離れた。
「……私に……優しくしちゃダメ……おじさんが不幸になる……」
「不幸になっちゃえば良いんですよあんな人! 私は……私は貴女を利用しているあの人が許せないんです!」
「……違う……利用じゃない……これはおじさんの願い……」
「それこそ違います! お願いだから私を信じてください! 私はただ貴女を助けたいから――」
「……話は終わり……もうここには来ちゃダメ……またね……」
「待って! 私の話を――」
しかし少女は最後まで彼女の話を聞き入れず、川に飛び込んで川の流れに乗ってこの場から去っていく。彼女は追おうとしたが、追えなかった。追っても返される答えは同じだと思ったから。
「どうして信じてくれないの……私はただ貴女に幸運になってほしいのに……本当の幸せを手に入れてほしいのに……」
彼女は顔を覆って嗚咽を漏らしながら涙を流す。手の隙間からぽろぽろと涙粒が落ちていき、涙で少し歪んだ視界で少女が去っていった方向を見つめる。
「誰か……誰かあの娘を……助けてあげて……」
そうして少女はまた不幸になる。それが少女の大切な人のためになることだと信じて。
大切な人の幸運のため、少女は何処までも不幸になる。
――そして、少女の運命が変わることになる出来事が訪れるのは、近い未来の話。




