喧嘩両成敗……?
立会人はリースの宿敵であるミーナ。場所は自由に走り回れるグラウンド。俺とリースによる決闘はそこで行われた。
そう、“行われた”のだ。既に俺達の決着はついたのだ。前回あれだけ展開を引っ張っておいて、一色触発の戦いは終えられたのだ。
そして肝心の結果を言うと――
「ぐふっ……くっ……ま、まだだ……まだ私は戦えるぞ……」
この俺の完全圧勝だった。
勇ましいことを言っているリースだが、その姿は実に無惨なものに変わり果てている。うつ伏せになって倒れていて、いつも被っている帽子が脱げて、変わりにその頭には無数のたんこぶが聳え立っている。無論、全て俺が作ってやったものだ。
流石に手や足を使って暴力を振るのは躊躇われたため、代用品として俺は、硬い画用紙で工作したハリセンを使ってリースと一戦を交えた。
別に弱いというわけではなく、リースはリースで良い動きをしていた――が、それはあくまで一般レベルより少し上というだけの話。俺と対等に戦えるまでとはいかなかった。
「ア、アンタひょっとして昔より強くなってんじゃないの? もしかして今も密かに何かしてるとか?」
ボロボロのリースを見ながら俺に少し引いた様子を見せるミーナ。人を化物か何かのように見やがってコイツ……。
「そんな暇があるなら将来のための知識を学んでるってーの。身体を鈍らせたくないから筋トレを続けてるくらいだけだ」
「……ちなみにその内容は?」
「あん? えーと……腕立て腹筋背筋50×3に5kmマラソンだが?」
「そ、そう……週何回してるのそれ?」
「毎日に決まってるだろ」
「いや真面目か! そりゃ身体も衰えるわけないわ!」
確かに身体が衰えることはなかったが、それでも“実戦”となるとやはり勘が鈍っている部分はある。もし相手が達人レベルの空手家だったりしたら、俺は恐らく敗北するだろう。
……多分。
「ど、どうした愚人……早く……掛かってこい……私はまだピンピンしているぞ……」
「アンタはアンタでさっきから何馬鹿なこと言ってるのよ。自分の身体をよく見てから言いなさい」
「だ、黙れ馬の尻尾……負けていない……心が折れぬ限り……私は負けていないのだ……っ!!」
すると、身体に鞭を打つかのようにリースは立ち上がった。傘を杖代わりにしてやっと立てているようで、その両足は老衰者のようにぷるぷると震えている。まるで安定感がない。
しかし言うだけあって、リースの目は確かに死んではいなかった。さっき怒った時のように瞳が真っ赤に染まっていて、今にも食い殺すとばかりに襲い掛かって来そうな力強さだ。
……よく分からないが、リースは意地でも勝負に負けたくない理由のようなものがありそうだ。でなければこんな無茶はしないだろう。
「リース。俺は俺で譲れない事情があるから負けられないんだよ。だから早く降参してくれ」
「断る!! 貴様に……たかが一人の人間に負けてはリース大将軍の名が廃る!! 例え腕や足をもがれようとも私は絶対に屈しはしない!!」
ふーん……“リース大将軍”の名が廃る……ね。
「スゲェ執念だなおい。何がお前をそこまで駆り立てるんだよ?」
「貴様には言っても分からぬことだ! 一度も敗北したことがなく、生まれた時からのうのうと生き、何も失った経験がない幸せ者の貴様には――」
バキィッ!!
「いやちょっとミーナさん!?」
リースが語っていた途中、不意打ちを掛けるかのようにミーナがリースの頬を殴り飛ばした。面白いくらいにリースの身体は宙を舞い、そして為す術無く落下した。
しかしミーナはそれで満足していないのか、地に倒れるリースの胸ぐらを乱暴に掴み上げた。鬼だ、鬼がいる。いくらなんでもあの執行はやり過ぎだろ……。
「アンタ今、なんて言った? もっぺん言ってみなさいよクソ野郎」
「ぐっ……な、なんだ貴様。勝負に水を差すなど言語道断――」
「言えっつってんのよ。勝負なんて知るかクソが」
遠くで話してるからよく聞こえないが、それでもミーナが乱暴な物言いをしてることだけは伝わってくる。絶対に近付かねーぞ俺。
「生まれた時からのうのうと生きてきた? 何も失った経験がない幸せ者? あの馬鹿の何を知ってそんなこと言ってんのよアンタ? ふざけんじゃないわよ、ぶっ殺すわよ」
「な、何を言ってるんだ貴様は……?」
「あの馬鹿はね。生まれた瞬間から親に捨てられてんのよ。つまり親の顔を知らないわけよ。それがどれだけ辛いことかアンタに分かる?」
「っ……」
「あいつは私達と出会えたから何も気にしてないって言ってるけどね。それでもたまにはあったのよ。道を歩く親子を見て哀しい目を浮かべる時が。それをアンタは……それにあいつはまだ……」
何々? 何か深刻そうな雰囲気なんですけど? 何話してんだアイツら? 聞きたいけど聞くのが怖いという矛盾が生じて近付けないよ。
「……それにね。あいつは自分の傷を抱えながらも、自分の殻に閉じ籠って一人だった私を無理矢理外に連れ出して救ってくれた恩人なのよ。あいつも何か複雑な事情があるからそんな片意地張ってるのかもしれないけどね。それがどんな理由だろうと、あいつを侮辱するような発言を私は絶対に許さない。それが例え、の義理の家族になってるアンタでも同じことよ」
「…………」
「謝るんなら今のうちよ。もしさっきの発言を取り下げないってんなら……ボロボロなその身体が二度と動けなくなるまで殴――」
「すまなかった」
な、なんだなんだ!? あのリースが! あの意地っ張りで頑な大将軍様が頭を下げてやがる! しかも犬猿の仲であるミーナに対してだと!? この青空から槍でも降ってくると言うのか今日は!?
「冷静さを欠いて我を見失っていた。さっきの発言は素直に謝る。すまなかった」
「な、何よ急に。アンタなら『その前にこの私に乱暴を振るったことを土下座して謝罪しろ馬の尻尾』くらいのことを言ってくると思ってたのに、とんだ拍子抜けしちゃったじゃない」
流石に頭を下げてきたリースに暴力を振ることなく、ミーナは掴み上げていた胸ぐらを離していた。良かった修羅場にならなくて……。
「普段ならそうしているところだがな。でも事情が事情だ。本気と冗談の区別くらいはできるつもりだ」
「ふーん……なら私に対する敵意は冗談だと?」
「ふっ……何を言うかと思えばそんな分かりきったことを……。本気に決まっているだろう。貴様はいつか必ず私が打ち負かすつもりだ」
「そりゃ奇遇ね。私もアンタのことは大っ嫌いよ。今すぐにでもぶっ飛ばしたいくらい」
「さっきぶっ飛ばしたばかりだろう。それなのにまだ物足りないと?」
「えぇ。まだ数十……いや、数百回は叩き込んでやりたいわ」
「そうか……なら私は数千回だ」
「……あァ? なら私は数万回よ」
「ふんっ……今なら喜んで喧嘩を買ってやるが? 時間が経って傷も癒えたことだしな」
あれ? そういえばいつの間にかリースの様子が元気になっているような?……あぁ、そういえばあいつって身体の傷の治りが異常に早いんだったな。
しかもあの様子だと、敵が俺からミーナに目移りしてるよね。最早俺は蚊帳の外ってか? ならこの試合は一体何だったんですかね? 全ては食費のために頑張ってた試合だったってのにさぁ?
「上等よコラ。先に言っておくけど、前の屋上で殺り合った時の私とは違うわよ? これでも昔はあの化物と対等に戦えてたんだからね」
「ふっ……しかし所詮は過去の話。貴様のような小虫程度であれば、傷一つ負うこと無く終わるだろうな」
「あァ? 半端乳の分際で生意気言ってんじゃないわよ?」
「極端な断崖絶壁がそれを言うと説得力に欠けるな」
「あァ!?」
「なんだ貧乳?」
どうやら本当に俺の存在は無き者になってしまったようで、リースはミーナと殴り合いを始めてしまった。
仕方無い。熱りが冷めるまで待つしかないな。今俺が横槍を入れたら火に油を注ぐだけだ。
俺は二人を目尻に見つめながら、虚しくなった気持ちを抱えて家の中へと引き返して行った。
~※~
「やれやれ、あいつらときたら……これじゃ信用も何もあったもんじゃないじゃんかよ……」
開幕一番からこの有り様だ。少なくとも、あのリースが沙羅から信用を得るにはかなり骨を折らなくちゃいけないようだ。こんなんじゃいくつ骨があっても足りないじゃんか。複雑骨折で済む問題じゃないんですけど?
残るは白髪神と嘘吐き女狐か……。女狐の方は外面は良いから大丈夫そうだけど、問題なのは白髪の方だ。下手すりゃリースよりも厄介かもしれないし……。
つーか、あの二人は何処に行ったんだ? 子供達のところにはリースしかいなかったし、なら他に宛のある場所といえば――
「わぁ……懐かしいなぁ。これがまさか地球産だったなんて知らなかった……」
「……ん?」
その時、不意に聞き覚えのある声が聞こえた。今のは……女狐の方か?
聞こえてきた場所は、誰も使っていない物置からだ。こんなところで何してんだあいつは? アレか? 俺を上手いこと騙せるような道具でも弄ってるってか? 性格の悪い女狐め……。
これ以上、奴の掌で踊らされてたまるか。反逆の狼煙を上げるのは今ぞ!
俺は物置へと続くドアを勢いよく開いた。そりゃもう、ドアがぶっ壊れるくらいのつもりで。
「誰かと思えば……掘り出し物探しで安物ゲットってか? お前はネズミ小僧ですかコノヤロー?」
「えっ……あっ! だ、旦那様!? す、すすすすみません! これはその……なんというか……」
言い訳する余裕もないのか、女狐はかなり慌てているご様子。ざまぁねぇ、復讐としてもっと煽ってやろう。
「他人の家に入って物置漁りとは見過ごせねぇなぁ? 下手すりゃ泥棒扱いだぜ? アレか? 刑務所の世話になってカツ丼でも食いたいってか? 定食屋に行けバッキャロー」
「あの……その……ごめんなさい……」
「謝らなくて良いから何してたのか言ってくんねーかな? 場合によっちゃ本当に通報すんぞコラァ?」
「うぅ……本当にすみませんでした旦那様……いまからお話しします……」
泣きべそを掻きながらも、追い詰められた女狐は面と向かって俺に事情を説明し出す。
「じ、実は出来心で色々置いてあるここが気になってしまいまして。そしたら偶然これを見付けて浮かれていたんです……」
「……これって」
そう言う女狐が胸に抱えるように持っていたのは、子供向けの絵本だった。昔話と言ったようなメジャーなものではなく、一般の人が書いたようなオリジナルの絵本だ。
「は、はぁ……それで何で浮かれてたんだよ?」
「それは……実はこの絵本、私が子供の頃に毎日のように読んでいた物なんです。と言っても内容は在り来たりなものでして、勇敢な王子様が魔王に拐われたお姫様を助けに行くというお話なんですけど……」
「本当に在り来たりだな。何か特別な思い入れでもあったのか?」
「は、はい。私は子供の頃から王子様という存在に憧れていたんです。それにこの王子様……ルーカスと言うんですけど、お姫様を助けに行く途中で命の危険に何度も晒されるんですが、それでもお姫様を助けたい一心で傷だらけになりながらも乗り越えて、最後には魔王を倒してお姫様を――」
「ストップミコさん、ちょっと待って。少しだけ俺にタイムをください」
「へ? は、はい……」
ぐっちょりだ。気付いたら俺の手やら額やらが汗でぐっちょぐちょになっている。服の袖で拭いても後から後から流れて出てくる。
聞き間違い……? いやどうなんだろ? でもまさかそんな……いやいやいや、あり得ないって。うんうん、そんかことがあるはずないじゃないか。
俺はできるだけ冷静さを保ち、改めて女狐――ミコさん――ミコ様に問う。
「ミコ様……その……もっかい今のを最初から言ってくれる……くれますでしょうか?」
「へ? わ、分かりましたけど……どうしたんですか旦那様? 汗が凄いですし、それにミコ様って……?」
「気にしないでください。それよりもう一度だけお願い致します」
「は、はい……」
大丈夫。大丈夫だ俺。きっと俺の幻聴だったんだ。そう、あれは単なる俺の聞き間違えだ。
「えっと……私は子供の頃から王子様という存在に憧れていたんです。そしてこのルーカスという王子様なんですけど――」
「ミコ様、一つ質問があるのですが宜しいでしょうか?」
「良いですけど……本当にどうしちゃったんですか旦那様? 流石に心配になってきましたよ? 只でさえ、最近の旦那様はイライラしていて、何か嫌なことがあったのなら相談に――」
「お願いします……お願いしますから何も言わずに俺の質問に答えてくださいっ……!」
「だ、旦那様!? 頭を上げてください旦那様! 分かりました! 分かりましたから!」
自然と俺の身体は土下座スタイルに早変わり。恐らく察していたからだろう。この質問の答えがどういうものだということを。
「ミコ様は……その絵本に描かれているルーカスという名の王子様と結婚したいとか思っていましたか?」
「結婚……ですか? じ、実は子供の頃にそんなことを思っていました。絵本のキャラクターなのにおかしな話ですよね? 存在するはずのない人に恋するだなんて。でも何も知らない子供だったからそのような夢物語を抱けていたんだと今は思います」
「……………………」
今思えば、俺はあの時に冷静になって気付くべきだった。
『愛しています……ルーカス様ぁ……』という台詞。あれはミコ様が意図的に言ったものではなく、ただの寝言――“妄言”だったということを。
つまり……つまりはこういうことだ。
俺は存在するわけがない架空の人物に嫉妬しまくり、更にはミコ様を嘘に染まった女狐扱いし、理不尽な私怨で何の罪もないミコ様に冷たく当たり、何度も何度も嫌な気分を与えていた……ということだ。
「……ははっ……はははっ……」
「だ、旦那様?」
さてと……全ての誤解が解けたところで、やることが一つできてしまったな。
とりあえずあれだ。早急に道具が必要だ。
「ミコ様。この物置に硬めの縄をお見かけ致しましたでしょうか?」
「縄ですか? 特に見掛けませんでしたけど、一体何故縄を?」
「大したことではないです。ただ自殺しようとしただけですから」
「……はぃ!? な、何を言ってるんですか旦那様!? 笑えない冗談は止めてくださいよ!?」
「はははっ……今の俺が冗談を言ってるように見えますか?」
「いえ見えません! 眼球が真っ暗になってて白い部分が見えなくなっちゃってます! まるで闇に染まってしまったように見えてます! それはもう誰が見てもハッキリとです!」
「そうですか。じゃあ縄は良いですので、ミコ様の手で俺を殺してください。できるだけ死ぬ以上の苦痛を与え、生き地獄を味合わせる感じで」
「本当にどうしちゃったんですか旦那様!? しっかりしてください! しませんよそんなこと!」
できない……だと? だったら……だったら俺は――
「俺のこの罪をどう裁けってんだァァァァァ!!?」
「うわぁぁぁ!? 旦那様がぁ! 旦那様が発狂してしまいましたぁ!」
最低だ! 俺は最低の人間だ! もう生きる価値すらないクズの中のクズ野郎だ! 生きてるだけで犯罪だと言われても良いくらいの病原菌だ!
俺は……俺はミコ様になんという所業を働いてしまったんだ! もう死んで詫びるしか選択肢が思い付かないよ! それだけ俺はあの天使のような優しさを持つミコ様にトチ狂ったことをしてしまったぁぁぁ……。
「殺してくれぇ!! 頼むからミコ様の手でこの罪人を断罪してくれぇ!! じゃないと俺の気が収まらねぇんだよぉ……」
「落ち着いてください旦那様! まずは何故、旦那様が泣き喚いているのか理由を教えてください! じゃないと納得できませんって! 旦那様! 旦那様ってばぁ!」
この後、俺は冷静になるのは三十分も後の話で、それまで俺は何度もミコ様に頭を下げて命を差し出そうとしていたらしい……。




