一品目☆デミカツ丼☆
桜が舞い、晴れやかな青空が広がる春の日。そんな季節と反して、彼の心は曇っていた。
真木孝介22歳。稲荷大学野球部の主将で、プロ最注目の捕手である。走攻守揃い、特に強肩とバッティングは学生屈指と評されている逸材だ。彼が所属する稲荷大学は、かつては関西屈指の名門大学で、プロの世界にも多数の選手を送り込んでいた。しかしここ10数年は1部リーグ残留もやっとの低迷ぶりで、かつての栄光は廃れ始めていた。そんな中真木は入学して直ぐにレギュラーを掴み、2回生の春にはチームを11年ぶりに優勝に導く。続く3回生の時には春秋と制覇し、プロ球団は真木のリーダーシップも高く評価していた。
そうして迎えた4回生の春。春のリーグ戦2戦目のK大学戦。誰も予想しない悲劇が待っていた。
稲荷大学1点リードで迎えた9回の守備。ツーアウトから同点を狙ったランナーとブロックに行った真木が激しく衝突。真木はその場で倒れてしまう。
「真木!しっかりせえ」
監督の広橋が声をかける。仲間も心配そうに集まる。
「あぁ、痛いわ。これヤバイかもな」
口に出した言葉は小さく声にならない。彼が抱いた懸念は、的中してしまうのである。
両肩の負傷と、右腕の骨折。それが彼に下された診断だった。日常生活に支障はない。但し、もう捕手としてプレーは不可、野球選手として生きるのは難しい。そんな残酷な現実が真木の目の前にいきなり表れたのである。
勝利と引き換えに自らの野球人生は終わり。彼にはまだ受け入れがたい現実だった。野球が出来ないならと、今までできなかった様々なことに挑戦した。音楽に釣りに……etc。しかし、そのどれもが心の空白を埋めるまでには至らず、結局すべてやめてしまった。
そんな彼に監督の広橋がコーチ就任を打診したのは、夏も終わろうとした8月後半の事だった。秋のリーグ戦を戦うチームの指導をして欲しいとの事で、副キャプテンの坂井も同じく頼みに来たのだ。しかし……
「コーチですか?お断りします。」
「真木、春から夏で時間も浅いし戸惑うやろうが……チームにはお前の力が必要なんや!」
広橋に続いて坂井も
「このチームのキャプテンは今でもお前や!プレー出来ひんくても、真木孝介という存在はチームに必要なんや」
真木を励ます気持ちもあったが、チームの誰もが真木を必要としていた。キャプテンとしての真木を。それでも、前を向くには彼には時間が短すぎた。
「キャプテン?プレーできひん奴がキャプテンでおっても迷惑かけるだけや!坂井、お前がやればええ。それにな、俺がコーチしてお前らが優勝する。そんなシーン見たないわ!」
野球が好き、だからこそ今の彼にはコーチ就任は酷だった。グラウンドでプレーする自分を諦めきれない今は……。
前を向けないままリーグ戦に入り、チームは快進撃を続けた。真木はそれを喜びつつも、しかし素直に感情には出せなかった。
彼がその不思議なものを見つけたのは、かつてのトレーニングの場所、今は散歩コースの伏見稲荷大社の境内を歩いているときだった。境内の端にポツリと一軒の店を見つけた。看板はなく、あるのは案内板のみ。ふと見てみると
「あなたの想い出の味提供します」
「ん?食堂かな?しかし、想い出の味とは……」
「いらっしゃいませお客様!」
言われて振り替えると、彼の後ろに小柄な男女が2人。行き着く暇もなく二人はこう続ける。
「ここは食事処メモリアル亭、お客様は1日1組限定。お代は頂きません」
お代はなし?それ大丈夫か?
「さぁさ、お席にどうぞ、すぐにご用意いたします」
不安は解消されぬまま、半ば無理矢理席にに案内されてしまった。店内は明るく上品で、よく手入れされていた。先に出されたお茶も香り高く美味で、それだけで先ほど感じた不安は消し飛ぶほどに。こうなれば料理も気になる。お代の要らない想い出の味とはどんなものだろうか。気になって仕方がない。
「お待たせしました」
待つことしばし、彼の目の前に置かれた料理。それは懐かしくもあり、彼にとって重要な料理だった。
「これは!?」
提供された料理はデミカツ丼。たっぷり盛られたご飯に、こちらもたっぷりの茹で野菜。その上に豪快に盛られた大きなカツと、溢れんばかりのデミソース。これ1膳で主菜副菜バランス良く摂れる、野球部に伝わる伝統のメニューである。
「お口に合うかわかりませんが、召し上がってみてください」
促されるまま1口。カラッと揚げられたカツはジューシーで肉汁が溢れ、デミソースの濃厚な旨味と共に舌の上に広がる。米と野菜を続けて食べると、ソースと油と肉の旨味を米が吸い、茹で野菜が口の中をさっぱりとさせる。添えられた冷たい味噌汁が濃いソースの味をリセットし、また再び丼を掻き込めば旨味がリピートされる。こうして食べているうち、真木の目には涙が。
「旨い、それに、この料理には想いが詰まってる気がする」
涙は止めどなく溢れ、春のあの日以来ぽっかり空いた心の隙間を埋めていく。
「本日の隠し味は、部員を想う監督の親心と仲間の友情です」
店主のその言葉も聞こえてない風に、真木は夢中で丼を掻き込んだ。
食べ終わった彼の目の前に現れた店主は……なんと狐。驚くのをよそに店主が説明する
「コンコン、驚かせてしまいすみません。私たちは稲荷大社に住む狐の夫婦で、大社の守り神です!この大社は、訪れる方の幸せで成り立っています。でも、皆さんそれぞれ悩み事や迷い不安もあるでしょう?そこで、それを解消するために旨いものでも食べてもらいたくて」
「なるほど!それで代金はただなんや?」
真木の納得したような顔に狐は続ける。
「そうです、笑顔や幸せが代金代わりで、お料理はその人の大事なもの、隠し味は大事な人の想いです!」
確かに、今の真木は迷いから解放されている。丼に込められた監督の想い、仲間の想いが心に届いたからだ。
「このお店は迷える方にしか見えません。もしまた見えたら、再びお立ち寄りください。心のこもった料理でおもてなしいたします。コンコン」
狐の夫婦、コン吉とあかねは言った。2人が立ち去ると同時に、お店の姿も消えていた。
また、桜が舞う春が来た。あの事故から1年、メモリアル亭での出来事から半年。真木は今、精力的に動いている。
「いくぞ外野、ちゃんと走れよ」
リハビリの結果、ノックを打てるまでに回復していた。秋のリーグ戦を最後に勇退した広橋監督のあとを継ぎ、この春から真木は監督を努める。あのデミカツ丼に込められた親心を継いで、広橋監督のように選手想いの監督を目指して。そしてもう1つ、練習が終わると向かう場所がある。
稲荷大社にポツリと佇む食事処。そこで働く真木の姿が。自らが救われたように、悩める人の為に彼は今日も料理を作る。コン吉とあかねと共に、隠し味の聞いた想い出の味を。
「いらっしゃいませ!コンコン」
今日もまた悩める客が訪れる。さて、今日はどんな想い出の味になるだろうか。隠し味は?その味によって救うために、メモリアル亭の開店が訪れるのであった。