第九話 海に消える
「これ……大丈夫なの?」
「ボロ船だな」
エリーゼに連れられて港の端の桟橋に行くと、今時珍しいレベルのボロ船が泊っていた。木造の船体はところどころ苔生していて、元帆船だったのかマストの跡がある。一応、魔導機関は積んでいるようだが後付けのかなり小さなものらしく、細い煙突がぽつねんと伸びているだけだ。
こんな船で荒れた海を越えられるのか――? 一同は不安に思って、エリーゼの方を見た。
「大丈夫ですよ、見た目はボロイですが丈夫な船ですから。いままで沈没したことは一度もありません!」
「それ、当たり前のことよ……」
フィーネはうんざりしたように言いつつも、船に乗り込んでいった。マルとケインもその後に続く。私もミシミシと軋みを上げる木の板に不安を覚えつつも、船へと乗り込んだ。
船の内装は存外に良かった。割り当てられた船室には小さなベッドが一つと鏡台が一つ、さらにはクローゼットが一つある。もちろん、風呂とトイレは共通だ。しみ込んだ潮の匂いが少しきつかったが、こじんまりとしていてとても落ち着いた雰囲気の部屋だ。広さは多少窮屈ではあるが不自由ない程度には確保されている。
「ふあァ……」
大きなあくびを一つ。私は注意深くコートを床に置くと、ベッドの上に横たわった。そこから壁掛けの時計を見ると、夕食までにあと二時間ほど時間がある。一休みするか。手持無沙汰な私は、そのまま意識を放り出した。
まずくもなく旨くもないという微妙な夕食を食べ終えた私は、甲板で夜風に当たっていた。嵐の前の静けさか海はとても凪いでいて、黒い腹を晒している。その上を渡っていく風は冷やっこくて、肌に心地よかった。
手すりにもたれ、月を眺める。そうして青白い光に照らされていると、気分が何とはなしに落ち着いた。ここで向こうからガタリと音がして、小さな黒い影が下からでてくる。ローブを風にはためかせる姿は、マルだ。彼女は頭に羽織っているケープを取り、銀髪を風に揺らす。
「一人か。月でも見に来たのか」
「あなたと少し話がしたかっただけ」
「私に話?」
「そう。あなた、メルカ鋼を武器に使うとか言ってたけれど……本当は何に使うつもりなの?」
「ほう、なんでそんなことを思った?」
私は眼を細めると、意地悪く笑って見せた。マルは何か、メルカ鋼について重要なことを知っているかもしれない。そんな気がした。
「まず、メルカ鋼は重過ぎて武器には向かない。それにあの鋼は……特殊な方法と材料を使って精錬すると賢者の石になる」
「賢者の石だと!?」
思わず聞き返さずには居られなかった。賢者の石、それは魔法を吸い込み膨大な魔力を蓄えることができる伝説の石――正確には金属――だ。その価値は計り知れぬほど高く、あのお方ですら多くは所持していない。しかも私の『最終目標』には必要不可欠のものだ。
だが、賢者の石は忌々しき我が先祖ランプ・エルヴァンス以来、技術が絶えて今では精錬できる者がいなくなってしまったはずだが……なぜマルはメルカ鋼から賢者の石が出来るなどと知っている?
「マル、お前何者だ?」
「あなたこそ。その力は明らかに人間じゃない」
私は手刀をマルの顔の方に向けた。しかし、その冷徹な紅の瞳は動じない。私も、彼女がこの程度で動じるような人間ではないと思っていたが。
「あなたは私を殺せない。私を殺したら情報が聞けなくなるもの」
「その通り。これはただの脅しだ」
「脅されなくても、情報はいずれ話す。あなたとは協力できそうだから」
「ほう、何か目的でもあるのか」
「私の目的は一つ。魔法軍元帥ガルディア・エルヴァンスを倒すこと――」
翌朝、海は荒れていた。黒い波涛が船の周りを取り囲んでいる。華奢な木造の船体は揺れに揺れ、固定されていない家具などが横滑りしていた。まだ早朝で曇天の空は新月の夜のように暗いが、私はベッドから放り出されてたちまち眼を覚ましてしまう。
「予想以上にひどいな。大丈夫か」
船酔いでもしたのか、猫がぐったりしていた。私はそれを回収すると、廊下の方へと出る。雨漏りでもするのか、海水が少し漏れているのか。廊下はじっとりと濡れていて、木がへこんだ場所には水たまりができていた。
「た、大変です! 誰か!!」
エリーゼの叫び声が聞こえた。甲板の方からだ。こんな嵐の日に、彼女のような者が甲板になど出ていてはひとたまりもない。私は舌打ちを一つすると、甲板の方へと駆ける。階段を上り、風に押されるドアをこじ開け。そうして私が外へ出たころには、すでにそこには誰もいなかった。
「飛ばされたか……!」
手すりにつかまり、周囲を見渡す。辺りに広がるのは黒い海原だけで、エリーゼの姿らしきものは見えない。逆巻く波にのまれ、もうすでに海中へと引きずり込まれてしまったのだろうか。海に飛び込んで捜そうと思ったが、流石にこの嵐では私でも彼女を見つけることはできないだろう。
「クソ……!!」
「ファースト、こんなところにいたの!?」
いつの間にか、フィーネがドアにしがみつくようにして顔を出していた。私は彼女の方へと歩み寄りながら、事情を説明する。
「ああ! エリーゼが助けを呼んでいたから来たが……飛ばされたらしい!」
「なんですって! こっちも大変なのに!」
「何があったんだ」
「船員が……全員いなくなったの!」
この船には、私やフィーネたちのほかに私が見ただけでも五人は船員が乗っていたはずだ。私たちだけで船は動かないのだから、当然と言えば当然だ。それが突然居なくなったとなると……相当にまずい。遭難間違いなしだ。
「おい、本当に誰もいないのか?」
「隅々まで捜したけど一人も! 影も形もない!」
「馬鹿な……!」
海上の船から人がごっそり消える――。私は突如として起きた不可思議な事態に、思わず頭を抱えた。