第七話 伝説のメルカ鋼
「300キロある。どうだ、少しは気は変わったか?」
「あ、ああ……」
コートを拾いつつ、親父に声をかける。親父は茫然として、床を走った罅を見つめていた。それも当然か。彼からしてみれば、まるで赤ん坊が酒樽を持ち上げたように見えただろう。人造魔人である私の身体は、それほど筋肉量と不釣り合いな力が出せる。私の細く――自分で言うのもなんだが女性らしくたおやかな――腕は、緑鬼の丸太のような腕すら凌駕するのだ。
親父はしばらくして、ようやく調子を取り戻したようだった。彼は胡麻塩の顎を撫でながら、私の方を見て唸る。
「お嬢ちゃんの力はよくわかった。確かにこれなら重い武器が欲しくなるわけだ」
「だろう? わかったら、出来るだけ重い武器を造ってくれ。金は何とかする」
「よし、合点だ……といってやりたいとこなんだが、あいにく材料がねえよ。他を当たってくれ」
「金ならなんとかするといっただろう? 買えばいいじゃないか」
親父はわかってないなとばかりに息をついた。何かよほど特殊な物でも必要なのだろうか。私は彼のひげ面を訝しげに覗き込む。
「お嬢ちゃんの力に耐えられる素材となると、俺は三つしか思いつかない。ミスリル、オリハルコン、メルカ鋼の三つだ。うちミスリルは軽いことで有名で、オリハルコンに至っては神話の金属。嬢ちゃんに用意できる程度の金を積んだところでとても手に入らん。メルカ鋼も昔は割とよく見たんだが、最近じゃ幻だな」
妖精に祝福されし鋼ミスリル。天より来る至高の鋼オリハルコン。どちらも非常に有名な金属で、滅多に市場には出回らない。そしてまかり間違って市場に流されたときは素人が見ると桁を三つ間違えたのではないか、と思うほど高値で取引される幻の金属だ。さすがに私でも手が出るような代物ではない。
しかし、最後のメルカ鋼というのは初めて聞く金属だ。その希少性をイマイチ理解できなかった私は、親父に問いかけてみる。
「オリハルコンとミスリルが無理なのはわかる。しかし、最後のメルカ鋼というのは何故手に入らない? 枯渇でもしたのか」
「孤島の呪いって聞いたことが無いか?」
親父の声は、私を脅かすように低かった。孤島の呪い――聞いたことがある。このサウスコーネ領の遥か北西に位置する小さな島で発生した、恐るべき奇病の名前だったはずだ。その病はまず全身が水膨れのように歪に膨らむことから始まり、やがて精神がおかしくなる。そして最終的には「鬼人」と呼ばれる怪物のような存在となり、周囲の人間を殺して回るようになってしまうのだという。
孤島の呪いが発生した島は最終的に全滅したはずだ。しかしその後、島に残された莫大な鉱物資源を狙って山師たちが移住したというが――
「聞いたことはある。が、病気と鋼の間に何の関係がある?」
「病が発生したのがメルカ鋼の唯一の産地、モルテガ島だったのさ」
「なるほどな。しかし、島が全滅してすぐにまた新しい人間たちが移住したと聞いたが」
「ちょっとまってな」
親父はそういうと、工房の奥へと引っ込んでいった。ガタガタと物をどかすような音が響いてくる。そして五分ほどが過ぎると、親父は小さな蒼い石のような物を手にして戻ってきた。彼はそこらへんに落ちている黒っぽい鋼のカケラを拾うと、その石と一緒に私へと差し出す。
「この蒼い奴が全滅前のメルカ鋼。そんで、こっちの黒っぽい奴が今のメルカ鋼だ」
「これは……別モノじゃないか」
昔のメルカ鋼は青く透き通る光に満ちていた。宝石だと言われても全く違和感が無い。さながら深海の蒼い水をそのまま結晶にしたようだった。さらに指先に力を込めてみるが恐ろしく硬く丈夫で、びくともしない。なかなかどうして、素晴らしい金属だ。
一方、現代のメルカ鋼は煤けたように黒かった。手で触ってみると、ただの鉄よりはかなり硬いが昔のメルカ鋼とは比べるべくもない。少し力を入れると小さな罅が入ってしまった。
「病が大地まで冒しちまったのか、それとも今の山師どもに技術が無いのか。原因はわかってねえがこのざまなんだ。今のメルカ鋼『もどき』なら多少金をはずめば用意できるが、とてもお嬢ちゃんの力に耐えられるような逸品には仕上がらねえだろうな」
「昔のメルカ鋼はどこかに残ってないのか?」
「俺の工房にあるのはこのひとかけらだけだな。他にも中古市場を片っ端から探せばメルカ鋼で出来た武器ぐらい発見できるかもしれんが……望みは薄いぞ」
「それは厳しいな……」
「あともしかすると……モルテガ島の鉱山の奥になら残ってるかもしれん。病の発生以来、鉱山の奥に凶悪なモンスターが出るようになったらしくてな。そこに少しは残っている可能性がある」
親父は渋い顔で言ったが、私にとっては十分過ぎるほどの朗報だ。モンスターなど、どれほど沸いてこようが問題ない。鉱山の深淵だろうがどこだろうが、とっとと出かけてメルカ鋼を回収して来ようじゃないか。
「ありがとう。早速取りに行くことにする」
「おい、正気か!?」
「もちろん。親父だって私の力を見たじゃないか」
そう言ってしまうと、親父は何も言えなかった。彼は苦み走った表情をしつつも、黙って見るだけだ。肩に猫を載せ、コートを羽織り直し。私は親父の冷ややかな視線を背に足早に工房を出た。
病で全滅した忌まわしき孤島。鉱山の奥深くにうごめく凶悪なモンスターたち。その先に今も眠っているであろう、蒼き鋼。迫りくる戦いの気配に、少しだけ、そう本当に少しだけだが胸が高鳴る気がした。人造魔人になってからというもの、私の血肉は戦いというものを本質的に欲しているのだ――。
ジャンルが文学になっていましたので、訂正しました。
ファンタジーになりましたがこれからもよろしくお願いします!