第六話 武器は重ければ重いほど
鬱蒼と苔生した木々が茂り、光さえまばらな森の奥深く。その重く湿った空気を吹き飛ばすように、巨大な白狼が咆哮を上げた。体高は少なく見て私の二倍、頭から尾の先にかけての体長は五倍はあろうかというフォレストウルフの変異種だ。陽光を滑らかに反射するその毛並みと風格は、かつて月を喰ったとかいう狼の神「フェンリル」を思わせる。
「なかなかの大物だな」
「ああ、だけど図体だけの見かけ倒しのようだぜ」
猫はそういうと狼をせせら笑った。確かにその通りで、こいつには魔獣独特の覇気というものがない。せいぜい、この間の緑鬼と互角にやりあえる程度だろうか。それでも、この森の中では強者の部類に入るに違いないだろうが。
「お前に言わせれば、大抵の奴は雑魚だろうさ」
「ファーストにだけは言われたくねえよ」
「ふん」
私が鼻を鳴らすと、猫は肩から近くの木の枝へと飛び移った。刹那、私は足に力を込めて間合いを詰める。刃のような牙が間近に迫った。どれほどの血をすすってきたのか――狼の生臭い吐息が私の頬を撫でる。私は人間すら軽く噛み砕くであろう顎の下に手を入れると、白狼の頭を一気に持ち上げた。そしてその喉元に一撃。
「グガアァ!!!!」
毛皮に衝撃が吸われたせいか、一撃では死ななかった。狼は雄たけびを上げると、半立ちのような格好となり前脚でこちらを薙いで来る。爪が宙を引き裂き、私の身体へと迫った。紙一重。それをあえてギリギリで避けると、私はそのまま脚を掴む。そして――
「ギャウ!?」
白狼の身体が地を離れた。巨大な白い身体は弧を描き、飛ぶ。轟と音を立てながら狼は木々をなぎ倒し、数十メルトは離れたところに着地した。私は奴が起き上がらないうちに距離を詰めると、もう一度その喉元を蹴る。狼は不様な呻きを上げ、命を止めた。
「チッ、破れたな」
猫の方に戻りながらコートを見ると、大きく三つの穴が開いていた。爪が掠めた部分だ。あの程度で敗れるやわな素材ではないはずだが、長い間着てくたびれていたので、そろそろ寿命が来たのだろうか。
「そろそろダブルになるんだ、記念に買い替えちまったらどうだ? ついでに武器も買うといい」
「武器は賛成だが、コートはな……。これでも少しは愛着がある」
「愛着だあ!? お前がそんなこと言うなんて」
「うるさい」
一言多い猫を拳で黙らせると、私は改めてコートを見た。王都へ来てそろそろ一か月。ギルド内での評価も順調に上がり、そろそろダブルへの昇格が見えてきたころだ。その間ずっと愛用してきたコートゆえに、それなりの愛着はある。
しかし、猫の言うことに従うのも癪だがそろそろ買い替え時だ。加えて、流石に素手も厳しくなってきたので武器も欲しい。手の汚れが毎回半端ないのだ。このままでは臭い体液の匂いが拳にこびりついてしまう。
仕方ない、ダブルへの昇格も近いしキリも良かった。私は財布の中にいくらあるのかを考えながら、王都へと帰ることにした。
「ああ!? まだ調べがつかないだァ! ふざけんじゃねえ、こちとら命かかってんだぞ!」
「そうは言われましても調査中の物は調査中でして……」
ギルドへ戻ると、何やら冒険者たちがギルドの職員と揉めていた。一体何があったんだろうか。そのあまりのうるささに閉口した私は、たまたま騒いでいる群衆の近くにいたフィーネたちに声をかけてみる。
「おお、誰かと思えばファーストたグバァ!!」
「フィーネ、何があったんだ?」
「また殴られたわね……。いやさ、ここ最近冒険者が襲われるって事件が多発してるのよ。それで被害にあった冒険者の仲間がギルドに調査を依頼したのだけど……結果がちっとも上がってこないってわけ。それでブチ切れてんのよ」
「なるほど、気の短いやつらだ。しかし物騒な話だな」
「ええ、そうね。ただあんたには関係ないかも」
「関係ない? どういうことだ」
フィーネの口調は少し皮肉っぽかった。大方「あんた、化け物みたいに強いから」とでも言うのだろう。私は何となくフィーネの言わんとすることを予想した。しかし、彼女から聞けたのは予想外の言葉だった。
「魔力を奪うのよ」
「何? 魔力だと」
「そうよ、魔力。なんでも妙な石を使ってね、冒険者の持つ魔力を根こそぎ奪ってしまうらしいの。これをやられた人間は魔力が著しく衰えてしまうわ」
魔力を奪う石には心当たりがあった。しかし「あのお方」が動くのであれば私にも必ず連絡が来るだろう。第一、こちら側の準備がまったく完成していない。動くはずが無かった。
私が思案を巡らせていると、フィーネは不思議そうな顔をして覗き込んできた。私は彼女に「まあ、魔力なんて無縁の私には関係のないことだな」と冷めた口調で言って見せる。
その後すぐに、手早く依頼完了の報告と討伐部位の換金を済ませ、ギルドを出た。そんなはずはないと思っていても、なんとなく心が急いていた。
王都の南西部に、工房が軒を連ねる一角がある。トッテンカントッテンカンと景気のいい音が響き、職人たちの声が響く細い路地を、私はゆっくりと歩いていた。軒先に並べてある武器や防具の品質を時折手に取って確かめながら、どこの工房に武具を依頼するのがいいのかと見定めているのである。
私の武具は少しばかり特殊だ。人とは違うところにこだわりがある。ゆえに、生半可な腕の職人では仕上げることができない。ここ一カ月で増えた金貨の数を思い浮かべつつ、腕のいい職人に会いたいものだと期待を膨らませる。
そうしていると、一軒の工房を見つけた。軒先に重厚な大剣が掲げられている。黒光りするその剣は見る者にとても頼もしい印象を与えた。使うものが使えば、まさに岩をも砕く剣となるだろう。私はためしにそれを手にしてみる。
「ふむ、あと少しってところか。ここが良さそうだな」
間口の狭い工房の中へと入ると、思わず汗が噴き出すような熱気があった。その中心部で、背の低い老人が槌を振るっている。赤々とした炎に照らされるその身体は、まさに赤銅のよう。小さいながらもがっしりとしていて、そこらの冒険者よりよほど強そうだ。
「おーい、親父! 依頼に来たぞ!」
「おう? 何だ嬢ちゃん、よく聞こえなかった!」
「武器を造ってほしいんだが!」
「お前さんが使う武器か?」
「ああ、そうだ」
親父は私の方へと近づいてくると、身体をじっくりと見渡した。ケインのようなだらしない目ではない。職人の仕事をする目だ。その強い瞳で彼は私の身体を一通り上から下まで見ると、ふむと首をひねる。
「身体を見たところお前さんには軽くて小さい武器が向いてるなあ……。こりゃ、うちに頼むよりも向かいのガンディーさんのとこで頼んだ方がいいぜ」
「いや、私は親父さんが造るようなとにかく重い武器が欲しいんだ」
「重い武器!? 馬鹿言っちゃいけねえよ、怪我しないうちにかえりな」
「まあそう言わず、これを見てくれ」
呆れたような顔をして踵を返した親父。私はそれを慌てて呼び止めると、彼の身体をこちらへと振り向かせた。私は猫を下ろすと、肩から羽織っていたコートを素早く脱ぐ。すると――
「な、なんだ!?」
足元を走り抜けた衝撃。コートが石畳に落ちると同時に、地面がかすかに揺れた。そして落ちた場所を中心として、石畳に深いヒビが入ったのであった――。
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