第十一話 二人目の女
海が裂けていた。黒い海原に深い渓谷ができている。渓谷は水平線の近くまで達して、波が割れていた。そのすぐ脇――わざと外した――にいたリヴァイアサンはその黄金色の眼で水の谷間を凝視する。海底にまで達したそれは、すぐに海に呑まれてしまったが、リヴァイアサンに大きな衝撃を与えたようだ。自慢のブレスを打ち破られたのだ、無理もない。長大な巨体が僅かに船とは反対方向に反り、少しずつ遠のいていく。
天破地砕拳。腕を超高速、超短周期で振動させることにより爆発的な破壊力を生み出す必殺の一撃。その破壊力は雲を貫くような大山脈に風穴を開けるほど。純粋な破壊力だけでいけば古代竜のブレスにも匹敵する。
「おい、まて」
リヴァイアサンの背中が震えた。まったく、これほど大きな身体をしている割にはずいぶんとへたれた精神の持ち主のようだ。しかし、やってもらわねば困ることがある。
「船を引っ張れ。ほら、わかるだろう?」
私は甲板を手でたたき、綱引きでもするような動作をした。さすが、人間並みの知能といわれるだけあってリヴァイアサンはその意味をすぐ理解してくれる。長い尾が船の周りを一周し、ゆっくりと船体が進み始めた。
「……もう何も言えないわ」
フィーネたちはそろいもそろって呆れ顔をしていた。私がリヴァイアサンを従えたおかげで助かったのだから、呆れるだけじゃなくて感謝もしてほしいものである。それなのに、三人は黙ってこちらを見ただけ。礼儀が実になってない。
「島」
「ん? あれがモルテガ島か」
現実逃避ぎみに窓の外を眺めていたマルが、遠く水平線の先を指差した。みると、そこだけ台風の眼のように晴れ間が差し込み、光の中に島影が浮かび上がっている。この周囲に島は一つしかないから間違いない、あれがモルテガ島だ。
「リヴァイアサン、あっちだ! あの島へ行け!」
「グアァ!!」
船室の窓から顔を出し、叫ぶ。咆哮が響くと同時に船が加速した。海獣の巨大な身体が海を切り裂き、船も洋々と突き進んでいく。荒れる海などもろともせず、頼もしい限りだ。そうしているとドンドン島影が大きくなっていく。やがて嵐も収まり、燦々と日の光が降り注いできた。
近づいてみると、モルテガ島はかなり大きな島だった。鉱山と思しき山を中心に、島全体が三角錐のような格好になっている。そのすそ野に当たる部分には平地が広がっていて、そこに港や町などの姿が見て取れた。かなり栄えているようで、白い建物が密集して並んでいる。
「このあたりでいい、止まれ」
嵐が収まり、海も穏やかになったところで私はリヴァイアサンを止めた。こんな怪物を引き連れていては、碌に近づけやしない。大騒ぎになっても困るのだから。私たちは船に積まれていた救命用と思しき小舟を下ろすと、荷物を詰め込み、ゆっくりと島へ漕ぎ出した。
リヴァイアサンは私が居なくなるとすぐに海へと潜った。よほど私が恐ろしかったのだろうか。黒い影が猛烈な勢いで嵐の方へと帰っていく。私はそれを見送りながらオールを漕いだ。やがて港の岸壁が見えてきて、小舟は無事にそこへと接岸する。すると、岸壁の近くにいた男たちがわらわらとこちらへ近づいてきた。良く日に焼けた小麦色の身体を見る限り、船乗りだろうか。
「おい、あんたたちどうしたんだ? 外から来たみたいだが、この嵐の中よくそんな船で来れたな!」
「もっと大きな船で来たんだけど、途中の嵐で船員たちがみんないなくなっちゃって。遭難しそうになってたところをたまたま島の近くまで流れてきたから、小舟に乗り換えて脱出したの」
「そりゃ災難だったなあ!」
男たちはうんうんと同情しながら私たちを迎え入れてくれた。岸壁から縄梯子が下ろされ、フィーネを先頭に私たちはそれを昇る。……ケインが私の後で行きたいとダダをこねたが、問答無用で私の前を行かせた。
岸壁の上に降り立つと、フィーネは男たちを見回した。そして彼らに尋ねる。
「鉱業ギルドの場所はわかるかしら? 私たち、鉱業ギルドに報告しないといけないことがあるの」
「ギルドなら奥の一番デカイ建物さ。あの煉瓦造りの」
男の指差した方には、三階建てのどっしりとした建物が建っていた。周囲にある建物より頭一つ高く、幅も倍ほどもある大きな建物である。看板として大きなツルハシのマークを掲げているそこは、間違いなく鉱業ギルドだろう。
「ありがと!」
フィーネは男たちに頭を下げると、鉱業ギルドの方へ足を向けた。これだけのことが起きたのだ、出来るだけ早く報告せねばなるまい。私たちは早足で島の通りを抜けると、鉱業ギルドのドアを開けた。
「こんにちは、モルテガ鉱業ギルドです。何のご用でしょうか?」
「魔物の討伐を依頼された……えッ?」
フィーネは言葉を止めた。いや、止めざるを得なかった。彼女はカウンターに座っていた受付嬢の顔を凝視して、血の気を失う。マルやケイン、そして私もその顔を見てしばし固まらざるを得なかった。それほど、衝撃的な顔を彼女はしていた。
「あの……私の顔に何かついてますか?」
「そういうわけじゃないけど……私たちの知り合いにあまりにもそっくりだったから。ちなみに聞くけど……あなた、エリーゼって名前じゃないわよね?」
「え、エリーゼですけれども。何で私の名前をご存じなんですか――?」