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メトロは、どの地区でも総じて、ステーションから遠ざかるほどに治安が悪化する。
当然のことであるが、ステーションはメトロ内を急行で移動できるエクスプレスがあるが故に人が多く集まる。メトロには、エクスプレス以外にも小さな鉄道の線路が張り巡らされており、多くの駅が存在するが、どれもステーションほどのにぎわいは無く、どちらかと言えば、場所によっては閑散としている駅の方が多い。
『メトロキングス』は、そこに目をつけてか、ステーションから遠く離れたコーリン駅の傍。にぎわいは無いが、駅があるために移動手段に事欠かない場所に、アジトを構えていた。
「メトロキングスの恐ろしいところは、構成員の多さだけじゃないわ。大量のクリーチャーを飼いならし、構成員の指示通りに動く番犬を作りだしたことにある。一匹だと弱いクリーチャーも、束になって掛かられたら、並みの人間は無事じゃ済まされない。クリーチャーの知能の低さと、メトロの治安の悪さを逆手に取ったわけね」
メトロキングスのアジトである建物の壁をよじ登りながら、カグラが言った。三階建ての、廃墟のような建物である。
辺りはすでにとっぷりと日が沈み、建物の外には人の気配はない。闇夜に紛れて標的を打ち倒すのは、少人数精鋭の賞金稼ぎにとっては常識である。
「まあ、クリーチャーも構成員も、全部倒す必要はないわ。私たちがほしいのは、フィッシャー・カーンの首。騒ぎを大きくしないで事に運べたら、最高ね…っと」
先に屋上まで登りきったツキシマが、カグラの手を取って引っ張り上げる。屋上の見張りは、既にカグラがライフルで撃ち殺しており、二人がたどり着いたころには息をしていなかった。
ツキシマが、その死体の傍にしゃがみ、念のため確認を取ってみる。見張り一人につき、眉間に銃弾一発。無駄の無いヘッドショットが決まっていた。
「…!」
暗視スコープ付きとはいえ、闇夜に紛れてこうも安々と見張りを仕留めたカグラに、ツキシマは感動した様な視線をキラキラとカグラにむけ、パチパチと手を鳴らした。
「…感動してるとこ悪いけど、これくらいで驚いてもらっちゃ困るわ。私たちの仕事は、ここからが始まりなんだから」
カグラの言葉に、ツキシマは立ちあがってコクコクと頷いた。それを見て、カグラは少しだけ不安になる。
今思えば、カグラはツキシマの事を何も知らない。まあ、それはツキシマとて同じだろうが、ツキシマは、最初こそ拒否したとはいえ、見ず知らずのカグラの先導の下、このアジトまで文句の一つもこぼさずに、黙って付いて来たのである。カグラならば、美味しい仕事の話を持って来るような人間は、まずは疑うところだ。万に一つも、カグラがツキシマを陥れようとしている、とは思わないのだろうか。
カグラはツキシマに、ケイナに感じた以上の『無防備さ』を感じていたのである。
こんな世知辛い世の中だ。『無防備』は、最大の弱点になる。警戒を怠っては、いつ流れ弾に襲われて命を落とすかも分からないし、狡猾な悪党に騙されて、身ぐるみを剥がされるどころか危険にさらされることだってあるのだ。
コンビを組むことは、賞金稼ぎの間柄では良くある事、とは言うが、彼らは互いに互いを信用しているわけではない。賞金稼ぎなどと言う人種は、ならず者で、一歩間違えれば犯罪者とそう変わりない行いに手を染める事もある。つまり彼らは、自分の利益に関してしか興味を持っていないのだ。標的を捕えるにあたって、相方が流れ弾で死亡してしまっても、なんら気にかける事はない。寧ろ、賞金を独り占めできるので、喜ばしい事だと考える。
だが、それは、二人で協力して、標的を追い詰めた後の話だ。カグラとツキシマの協力によって、フィッシャー・カーンを追い詰めた後、ツキシマが、何らかの不幸な理由によりお亡くなりになってしまった場合、標的を捕えたのはカグラのみと見なされ、賞金八〇〇万Eはカグラの物になる。なんと美味しい話であろうか。それを考えると、ツキシマが無防備なのは、それはそれでやりやすいのかもしれない、と、カグラは一人考える。
「とにかく、通信機を渡しておくわ。一緒に行動するよりも、二手に分かれた方が良い。カーンの居場所を突き止めたら、それで連絡しあいましょ」
カグラはそう言って、ツキシマに手のひら程度の大きさの通信機を投げた。
ツキシマは、両手でそれを受け取るも、怪訝そうに首を傾げて、カグラに向かって自分の喉をトントン、と叩いて見せた。
「ああ、喋らなくていいわよ。何かわかったら、音で知らせてくれればいいわ。その通信機には発信機も付いてるから、知らせてくれればすぐにそっちに行く」
なるほど、と、ツキシマは頷いた。
ツキシマが、通信機を使えないことくらい、彼女はお見通しだった様である。
頷くツキシマを見て、カグラも満足そうにニッと笑った。
「情報収集の仕方は任せる。隠密推奨ってとこかな。自分が対処できる範囲で好きにやって。じゃあ、他に質問は?」
ツキシマが、数回首を横に振った。
「オーケイ。互いの幸運を祈ってるわ。それじゃお先!」
カグラはそう言って片手を上げると、建物に備え付けられている排気口ダクトの蓋を乱暴に取り外し、軽やかな動作でその中に侵入して行った。ライフルを背負ってはいるものの、細身で小柄な彼女にとっては丁度良い広さの排気口である。その姿は、さながら狭いところならどこでもすり抜けて行く猫の様であった。
カグラに先を行かれたツキシマは、受け取った通信機を懐にしまい、屋上のフェンスに近づいて辺りを見渡した。
周囲に見張りの姿は少なく、代わりに、アジトである建物に付随するように建設された小さな倉庫の前に、幾人かの見張りの姿が見える。
ツキシマは、両手をコートのポケットに突っ込みながら、無言のままその様子を見つめた。
死体が動き出す事も無く、シン、と静まり返った屋上に、防毒マスク越しのツキシマの呼吸音だけが、不気味に響いていた。
*
排気ダクトを進むカグラは、暗闇の中身体を引きずっていた。
中々、光のある部屋にたどり着かない。なにやら、アジト内の人間は出払っていて、建物の中にはあまり人が良無いようだった。その証拠に、どこの部屋を覗いてみても、人の気配はなく、排気口に染みついたニコチンの臭いがカグラを悩ませる。
こんなに閑散としていると言う事は、ボスもここにはいないのだろうか。
カグラの頭に、嫌な予感が走る。だが、ここまで来てしまったのだから、今さら引き返すわけにはいかない。
もし、フィッシャー・カーンがここにいなくても、適当なギャングを数人捕まえて警察に突き出せば、それなりの恩賞は貰えるだろう。当然、フィッシャー・カーンを捕えた時の報酬金に比べたら、月とすっぽんであるが。
そんな憂鬱を心に抱いていたカグラは、ようやく前方の排気口から光が漏れているのを見つけた。それと同時に、数人の笑い声も聞こえる。
カグラは、速度を速めてその排気口の出口に近付いた。
「それにしても、今回はいい儲けになりそうだな」
排気口の真下で、体格の良い黒髪のギャングが、下品な笑いを交えて言った。
「全くだ。女だけで三十人強ってとこか。若いのばっかだからな、一人頭平均五十万Eくらいにはなるんじゃねえか?」
煙草を吸った、金髪のギャングが笑って言う。
「あ? 確か男も何人かいなかったか?」
「ああ、もう殺したよ。男は金にならねえからな。今集まってるのは、女だけだ」
「なるほど、ボスも外道な事してくれる」
二人のギャングの、品の無い笑いが起こった。ゲラゲラと、思わず唾を吐き捨てたくなるような笑い声がダクトに響く。
何やら、今メトロキングスは、何らかの商売の最中らしい。話の内容からするに、人身売買と言ったところだろうか。
話には聞いていたが、カグラ思っていた以上に悪辣な行いをしていたようだ。希望に満ち溢れた少女を絶望の淵に叩きこむだけでは飽き足らず、その同行者であった男も殺害する。
そう、メトロのギャングは、いつもこうなのである。人の夢を、未来を、生きる希望さえも、当たり前のように奪う。絶望させて暴行して凌辱して見世物にして、死よりも恐ろしい生き地獄を見せる。それがメトロのギャング。
カグラは、下劣なギャングたちの笑い声を聞きながら、今にも真下の男共の眉間に、鉛玉をぶち込んでやりたい衝動と戦っていた。
下手に動いて、応援を呼ばれたらたまらない。人が少ないとわかっているとはいえ、まだ建物の中に、どれだけの人間がいるか把握できていないのだ。慎重に動かなくてはいけない。
カグラは唇を噛みしめながら、胸元のロケットペンダントを握った。冷たいゴールドが、徐々にカグラの精神を安定させる。
高ぶった感情も、落ち着きを取り戻した時、腰に付けた通信機が、僅かなノイズ音をスピーカーから響かせた。
ツキシマだろう。真下の連中に感づかれたらまずいので、カグラは再び這って動き出し、光の漏れる排気口の出口から遠ざかって通信機にイヤホンを繋いだ。これで、スピーカーから向こうの声が漏れる心配はない。
「もしもし、ツキシマ? 何か進展あった?」
イヤホンから流れるノイズ音。僅かに、ガチャガチャと物音がする。もしかして、使い方をわかっていないのかもしれない、とカグラは不安に思ったが、その直後、怯えて泣き喚くような声が聞こえてきた。
『ひっ、ヒイイイッ! 痛でぇ!指、指がぁ! 言います!言いますからもう折らないで!』
聞き覚えの無い声である。ギャングの声だろうか。まさかツキシマ? と思ったが、その声と共に、近くで防毒マスク特有のフィルター越しからの吐息の音が聞こえたので、喚いている声はギャングの物であると判断できた。
『あ、ああ、ええと、ボス…ボスは、外の倉庫にいるみたいっす…ギャアアッ! あ、いやほんと、俺まだ下っ端で…何をしてるか詳しく知らされてなくて…』
ゴッと、何かを殴るような音が聞こえる。隠密行動推奨と伝えたのだが、ツキシマは全くその意味を理解していなかったようだ。ツキシマがそう動くのなら、自分もさっきの薄汚いギャング共を血祭りに挙げてやればよかった、と、カグラは苦笑交じりに後悔する。
「倉庫? この建物に併設されてた倉庫の事?」
カグラが、ひとり言のつもりで呟く。しかし、ツキシマ側の通信機がスピーカー設定になっていたようで、カグラの声はスピーカー越しのギャングにも届いていた。
『あ…あ、多分、それっす。よ、よく、幹部が集まって…会議してるみたいで…』
今、メトロキングスが人身売買を行おうとしているのだとしたら、その倉庫に人々を集めている可能性も、無くはない。
ならば、急いで倉庫に向かうのが良いだろう。上手くいけば、捕えられた人たちを助けて、さらなる恩賞を貰えるチャンスがあるかもしれない。
などと、利益中心の案を思いついたカグラは、にんまりと笑ってスピーカー越しのツキシマに言った。
「ツキシマ、倉庫に向かいましょう。アンタは入り口から、中の奴らの気を引いて、その隙に私が上からサポートする」
無言のツキシマ。わかったのか、わかっていないのかわからない。
「ツキシマ、イエスなら一回、ノーなら二回スピーカーを叩きなさい」
カグラのイラついた冷やかな声が恐かったのか、ツキシマは直ぐに通信機のスピーカーを叩いた。
トン、と言う音がして、カグラは満足げに笑う。
「オーケイ、それじゃ十分後に。遅れるんじゃないわよ」
カグラは、スピーカーに向かってそう言うと、通信を切ってイヤホンを外した。
目指すは外の倉庫。その前に、先程の下劣なギャングを数人撃ち殺してから、進むとしよう。
*
通信が切れると、ツキシマは通信機をしまい、胸倉を掴まれて怯えていた若いギャングを、無言のままに開放した。
鈍い音がして、小太りの若いギャングはコンクリート製の床に尻もちをつく。彼の周りには、すでに息をしていない若いギャングの屍が転がっていた。
どの死体も、身体に空いた大きな風穴から溢れた血だまりの中に転がっている。軽い銃撃戦になったのか、ツキシマの立つ廊下の壁は、銃弾の痕を受けて僅かに剥がれていた。
ツキシマは、両手に持っていたハンドガンのマガジンを床に落とした。空の筒が、乾いた音を立てて着地する。
「へ、へへへ…。アンタら、賞金稼ぎかい? ボスを狙ってるんだな。へへっ…やめた方が良い。殺される…」
ホルスターから、新しいマガジンを取り出してハンドガンにセットするツキシマに、尻もちをついたギャングが脂汗を額に浮かべながらニヤニヤと笑みを浮かべて言った。
あり得ない方向に曲がった指で、そのギャングはツキシマを指差す。
「アンタらも知ってるはずだ。百の部下、百のクリーチャー、それを従えるギャングのキング、フィッシャー・カーン! 誰も敵わない、誰も止められない。アンタも死ぬ。さっきの姉ちゃんもなぁ!」
ギャングが喚く。ガチャン、と音を立ててリロードを終了したツキシマは、無言のまま、唾を飛ばして叫ぶギャングを見下ろした。
無言の大男、両手に携えられた大口径ハンドガン、フードの奥から覗く、無機質で気味の悪い防毒マスクに睨まれた若いギャングは、恐怖の余り、ヒッと小さな悲鳴を漏らして後ずさりする。
「ボスがやられるわけねえさ! どうせ集められた女共も色街や見世物小屋に売られる…。今回は、若い女ばっかだからなあ…。下半身持て余した色情魔にどれだけ売れるか…ゲェッ!」
ヘラヘラと笑って品の無い言葉を並べるギャングのクチに、ツキシマは先の銃撃戦で剥がれたコンクリートの破片を突っ込んだ。手のひら程度の重い塊で、ギャングの顎が外れそうになるのもお構いなしにねじ込む。
「ひっ…やへろ…やへ…ゲブッ!」
ツキシマは、コンクリートをクチに入れて後ずさる男の顎を、問答無用で蹴り飛ばした。
男のクチに含まれたコンクリートの塊を、破壊するが如く放たれたツキシマの蹴りは、男の咥内をメチャクチャに破壊し、歯を折り舌の肉をひきさいて、クチから血を滴らせながら男を床に転がした。
汚い言葉しか発しない悪いクチは、こうしておけば二度と開かないだろう。
ツキシマは、コンクリートの破片と共に血を吐いて失神する男に背を向けて、何も言わずに歩き出した。