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スコープ越しから見る世界は、非現実的だ。
眼球と実世界の間に、レンズと言う厚いガラスを挟む事で、実に客観的な視点からこの薄汚い街並みを覗き見る事ができる。
薄汚れた民家の屋根、埃っぽい街道、薄い布切れを身につけて走り回る子供たち。それら全てが、こちら側とは一線隔した、次元の異なる場所であるような錯覚を覚える。スコープを覗くと、それほどまでに冷静になれるのだ。
だから、レンズ越しの世界でどんな喧騒が起きようとも、いかついギャングが血しぶきを上げてくたばろうとも、醜いクリーチャー共の死体が散乱しようとも、例えそのギャングがくたばった原因が、自分が抱えている大型のスナイピングライフルから飛び出した金色の弾丸であろうとも、それは、スコープ越しの非現実世界で行われていることであり、自分自身には関係の無い、何でもない事なのである。
照準を合わせ、引き金を引く。標的から血が噴き出して、クリーチャーが全滅したら、下に降りてその飼い主をふん縛って、税金泥棒が屯する警察署にそいつらを連行し、犯罪者どもを、しわくちゃになった紙の通貨に換金する。街はまた平和になってハッピー、私は懐が温かくなってハッピー。良い事づくめ。
それが、彼女ら。見捨てられた街『メトロ』の賞金稼ぎの生活なのである。
「…あれ?」
なので、レンズの向こう側、非現実的なその場所で、非情な弾丸によって頭蓋骨が吹き飛び、灰色の脳味噌をさらけ出した血だらけの人影が、外れそうになっている防毒マスクを片手で抑えながら、まるで吹き飛んだ自分の脳味噌を掻き集めようと地面を這いつくばっているのを見ても、なんらかの特別な感情を抱く事は、無かったのである。
その時は。
<Cookie.1 Trash City Metro.>
『素晴らしい日、素晴らしいこの時。共に迎えられた事を共に喜びましょう』
早朝のラジオから、そんなうすら寒い言葉がノイズと共に吐き出される。
さびれた雑貨屋の店頭に置いてある灰色のラジオは、長く伸ばしたアンテナで、シティの電波を拾ったようだ。ラジオから流れる、若い女性のイキイキとした声を聞くに、今日もシティの連中は、そのおめでたい頭で朝を迎え、愉快で反吐がでそうになるほど平和な一日を送るのだろう。
雑貨屋の前を一瞬通り過ぎただけのカグラは、ラジオの音を少し聞いただけで、心の中の苛立ちを増幅させ、舌打ちをした。
メトロは非常に埃っぽい。埃避けの為、赤色のゴーグルと長いマフラーを巻いた彼女は、小柄な身の丈には不釣り合いなほど大型のスナイピングライフルを肩に担いで雑踏を歩く。歩く歩調に合わせて、短い茶色の髪と、首にかけられた金色のロケットペンダントが揺れていた。
シティから閉め出しを食らったメトロは、朝も夜も昼も全て同じである。日が傾いているかいないかの差はあれど、全体的に砂塵が巻きあがっていて、路地裏では喧騒が起き、電柱の下には一見死体かと勘違いしてしまう様な悪臭を放つ老人が寝そべっていて、黒ずんだ布切れのような衣服を着た子供たちが走り回る。ああでも、夜はさすがにもう少し静かかもしれない。
それが、見捨てられた街、シティのゴミ捨て場、トラッシュシティ、呼び方は様々あれど、全ては『メトロ』の意味を持つ。
メトロとシティは、高い高い壁によって完全に隔てられている。シティから閉め出しを食らった貧困層のメトロ住民は、その壁の向こう側にどんな町並みが広がっているのかを知らない。大半の住民は、それを知らずに死んでいくのだ。
元々、広い荒野に、人が住める円形の土地が存在していたのだが、その円をドーナツの中心の様にくりぬいた場所が、シティである。対してメトロとは、シティに住んでいる富裕層が、発展する科学技術に伴って増加するゴミや汚染物質を煩わしく思い、それらの汚染物質を廃棄するために作り上げた、巨大なゴミ処理場である。シティは、メトロに様々な『ゴミ』を垂れ流す。物質的ゴミはもちろんの事、排気ガス、大気・水質汚染物質、スモッグ。そのせいで、メトロの環境は最悪だ。環境の悪い場所は、比例して治安もよろしくない。更に近年では、メトロの外の荒野で発生した化け物、『クリーチャー』が人々の脅威となっていた。
クリーチャーとは、近年急激に荒野で増加した、化け物の総称である。四足歩行に、丸い頭と凶悪な爪と牙を所持しており、まれにメトロに侵入しては人々を襲って食らうモンスターである。
しかし、あまり知能は高くないので、襲撃を食らったとしても冷静に対処すれば撃退できるレベルの危険である。単体ならば。
問題は、クリーチャーが群れで行動する事と、頭の悪いクリーチャーを飼いならして利用しようとする、人間の犯罪者の方なのである。
そんな要因もあり、メトロの地域によっては、あまりにも環境が劣悪すぎて、人が住めない場所もある。
しかし、そんな最低な環境の中でも、人間の生命力とは素晴らしい物で、メトロ内を一周できる、長い線路を引いて、互いの地域を行き来しながら、たくましく生きている。
シティを中心として、北のメトロをノア、東をイース、西をエスト、南をサースと呼び、それぞれには、その地域で一番大きなステーションがある。それを繋ぐ特急鉄道が、メトロエクスプレスである。エクスプレスは、メトロ内を五日かけて一周できる急行列車で、先に述べた四つ以外の駅は、エクスプレスの線路上には無く、非常に便利で使いやすい路線だ。
各地域を行き来して商売をする商人などは、これをよく利用している。
カグラが歩くのは、サースメトロ地区。メトロ内では最も治安が良い場所とされ、外敵の攻撃も少ない。環境も比較的良い場所として一般住民が多く住んでいる地区であり、住宅地が多い場所である。最も、それはメトロ内での基準であり、総じて治安や環境が最悪なメトロ内で、最も平和、と言うだけであるが。
雑踏を歩くカグラは、無表情ながらも酷い空腹を感じていた。つい先ほど、ビルの屋上から狙撃したギャングのボスをふん縛って、四地区に必ずある、シティに繋がる警察署で賞金をいただいて来たところだった。とは言っても、そこまで悪名高いわけではない犯罪者。警察署までの移動賃金を支払い、相棒の狙撃ライフルの掃除点検器具や薬莢などを買ってしまったら、豪遊できるほどの大金は手元に残らない。
彼女も女だ。良い物を食べ、良い衣服を着て、良い宿で眠りたい。その為には金がいる。一生遊んで暮らせるだけの大金だ。コツコツ貯金をするのは性に合わない。バクチと一緒で、人生一発逆転を狙うには、犯罪者を片っ端からぶっ殺して賞金を稼ぐのが一番良いのである。
そう考えているカグラは、ともかくこの煩わしい空腹を回復するために、通りに面して店を構えている喫茶店に足を踏み入れた。木造の、洒落たバーのような喫茶店である。店頭には、『Arms』と掘られた鉄製の厳つい看板がかかっている。喫茶店なのに、『武器』とはどういうことか。
深く考えずに、カグラは店の扉を押した。
「いらっしゃい」
扉の正面のカウンターに立っていた喫茶店のマスターが、カグラを見て言った。きっちり引き締まった肉体に、張り付くようにして着られた白シャツ。ダンディで掘りの深い顔つきには似合わない、薄ピンクのエプロンがいささか滑稽である。
そんなシュールなマスターを前に、カグラは僅かに顔をしかめると、カウンター席に腰を下ろした。担いでいたライフルは、カウンター席に立てかける。
「コーヒーと、一番安いモーニングセット。三〇〇Eで収まる様に」
「お嬢ちゃん、そりゃ難しい相談だ。ウチで一番安いモーニングセットは、トーストサラダスープ付きで三〇〇E、コーヒーは二五〇Eだ」
ピンク色のエプロンで顎髭を生やしたマスターは、にんまりと笑って言った。実に良心的な価格であるが、モーニングセットの中にコーヒーがつかないとはこれいかに。
「可笑しいわね。モーニングセット、と言うからには、トースト、サラダ、スープ、とコーヒーのセットと相場決まってるわ。コーヒーがあぶれてるなんて、それでもここは喫茶店なの?」
「我儘なお嬢さんだ。わかったわかった、スープの代わりにコーヒーで三〇〇E。全く、最近の若者は少しきつく言えば何でもモノが通ると思ってやがる」
愚痴りながらも、マスターはカグラの要望を聞きいれて、がちゃがちゃとカウンター内の冷蔵庫を漁りながら調理準備を始めた。
それを見て、カグラは満足そうにニッコリと笑うと、待ち時間を持て余すように店内をぐるりと見渡した。まだ開店したばかりなのか、店内を掃除するウェイトレスの姿が見える。
客は全くいない、かと思ったら、店の最奥、スタッフルームへ続く扉のすぐ傍の窓際の席に人影が見えた。物音や、声が聞こえなかったので、入店した時は自分以外の客はいないモノだと思っていたカグラは、先客の存在に酷く驚いた。
窓際の席で、昇りかけの朝日をぼんやりと見つめる様に座る男の膝には、静かに寝息を立てる黒い子猫の姿がある。その姿は、喫茶店のマスターよりも異常な風体に思えた。
男は、カーキ色のフード付きのロングコートを着ており、黒いジーンズを履いた両足の太股には、大口径の、おおよそ人間が扱う限界を越えているのではないか、と思われる大型のハンドガンを下げたホルスターを下げている。確かにその男は、一般市民を基準にしたら、大男、と言っても過言ではない風体であるが、それにしてもあのハンドガンは巨大すぎる様に思えた。
そして何より、カグラに彼の存在をひと際特異に思わせるのが、目深に被ったフードの中から覗く、いかついフォルムの防毒マスクであった。
昨日、そういえば防毒マスクをつけた歩く死体を目撃した気がする。
防毒マスクの男を眺めながら、カグラはそんな事を思い出す。だが、空気の悪いメトロの中で、マスクを装備している人間なんて、多くないにしろ珍しいわけではない。
窓際に座る男に、並みならぬ不信感を覚えたカグラは、気が付くと立て掛けていたライフルを肩に背負って立ち上がり、男の傍へと歩み寄っていた。
「……。…!?」
カグラが近寄っても、あまり反応が無かったため、最初は眠っているのかと思い、しばしの間睨みつける様に男を見つめていたが、窓ガラスに映ったカグラの顔を見て、男がオーバーすぎるほどに両肩を跳ね上げて驚いた。表情は見えないが、カグラの存在に酷く驚き、戸惑っている事はよくわかる。
反応は、割と普通だ。どうやら、思っていたよりも普通の人間であるようで、ホッと安心しつつカグラは男の向かいの席に座った。
「ああ、驚かせちゃってごめんなさいね。いやぁ、アンタの事、どこかで見た気がして、つい、ね」
まるで状況をわかっていない、と言う雰囲気を醸し出す男に、カグラは気さくに笑みを浮かべながら語りかける。男の視線は、カグラを捕えてはいるものの、男は何か言葉を発しようとしなかった。
ただ、カラーガラスがはめ込まれた防毒マスクの中からカグラを見つめ、膝で未だ深い眠りについている子猫を撫でているだけだ。
いきなり現れて、いきなり睨みつけられていたから、警戒されているのだろうかと不安に思ったカグラは気さくな笑みを作る事を怠らないまま、親しげに話しかける。
「あ、自己紹介もしないで馴れ馴れしかったわね。私、カグラ。サースメトロを中心に賞金稼ぎをしてるわ。アンタは?」
「……」
沈黙。依然として向けられている防毒マスク。
なんだろう、口下手なのか、と思い、しばし待ってみるも、男はクチを開く事はなかった。
ううん、まだ警戒されているのか。カグラは、僅かにクチ元を引き攣らせながら笑った。
「ええと、そう、アンタも賞金稼ぎ? それともハンター? そのハンドガン、大きいわよね。扱えるの?」
「……」
再び沈黙。ただ今回は、彼はこくりと首を縦に振った。
クチは利けんのかクチは。それとも無視か。初対面の女の子を相手に無視とはいい度胸だ。と、カグラは自分が彼を睨んでいた事は棚に上げて、額に青筋を浮かべて目の前の男を見る。シュー、シュー、と、防毒マスクのフィルターから呼吸音が聞こえる。どうやら、ちゃんと生きてるらしい、と、カグラは今さら見解を改める。こうも言葉を返してくれないと、自分は人形でも相手にして喋っているのではないか、と不安になってしまうだろう。
「ふふふ、ツキシマさんは、おしゃべりが苦手なんですよ」
風の様な笑い声と共に、透明なコップに入った水と、ホームメイドクッキーの乗った皿を運んできたのは、先程まで店内の掃除をしていたウェイトレスだった。紺色の短いスカート丈のエプロンドレスを着た、笑顔が可愛らしい少女である。肩より上で綺麗に切りそろえられた黒髪は、笑顔と共に首を傾げるとサラリと揺れ、細く、争いを知らないのであろう白い指は、カグラと、ツキシマ、と呼ばれた防毒マスクの男の前にコップと皿を置いた。
苦手、と言うよりも、全く一言も言葉を発さないわけだが。カグラは怪訝そうにウェイトレスを見上げた。
「苦手っていうレベルじゃないと思うけど。アンタ、ツキシマって言うの?」
カグラに視線を向けられると、ツキシマは素早く二度ほど頷いた。意志表示はしっかりできるらしい。
「ツキシマさんは、ウチのお得意さんなんですよ。住みついてた子猫も、すっかりツキシマさんには懐いちゃって。コルトちゃん、って言うそうです」
「へえ、アンタが名付けたの?」
「……」
ツキシマが再び頷いた。なるほど、良く懐いているのか、子猫はツキシマの膝の上で撫でられながら眠ったままだ。彼が両手にはめている、ゴツゴツした深緑色のグローブも、その子猫にとっては気持ちのいいものであるらしい。
「そのクッキーは? あんたが注文したの?」
この質問には、ツキシマは答えなかった。代わりにウェイトレスが答える。
「それは、何と言いますか。日課なんですよ。ツキシマさんには、クッキーを出す。マスターから教わったんです。でも結局、ツキシマさんが食べないから、私とコルトちゃんで頂いちゃうんですけど」
クスクス、とウェイトレスが笑う。
なんだそれは、とカグラは顔をしかめた。クッキーを出す習慣って、しかも食べないだなんて。お供え物か何かだろうか。
「なんだか、変わったお得意さんもいたものね。…ええと」
カグラは、ウェイトレスを見上げて眉を寄せた。それに、ウェイトレスはニッコリと笑う。
「はい、私、ケイナと言います。ここでアルバイトをさせていただいています」
にっこりと笑うケイナは、朝日を浴びる花の様に愛らしかった。年は、カグラよりもいくつか下であろう。年相応の明るい笑みが可愛らしい。
「ケイナ、ね。私はカグラ。最近は、ここら辺を拠点に賞金稼ぎをしているわ」
「賞金稼ぎ…、ツキシマさんと一緒ですね」
ケイナが、少し驚いたように言う。彼女の言葉に、ツキシマは僅かにビクついた。
なんだ、やはり賞金稼ぎらしい。先程問いかけた時は無視されたが、カグラの予想は当たっていた。
「やっぱりそうだったんじゃない。なんでさっき黙ってたのよ」
「……」
カグラに睨まれ、ツキシマはすっと顔を逸らす。なにやら、関わりたくない、と思われているようでカグラはイラついた。
だが、イラついて言葉を荒らげている場合ではない。そもそも、カグラがツキシマに近づいたのには目的がある。よりよい賞金稼ぎライフ、つまり、よりよい金稼ぎをするための提案を、彼に持ちかけるためだ。
「まあ、そうとわかれば話は早いわ。単刀直入に言うけど、ツキシマ、アンタ私とコンビ組みましょう」
「…!」
カグラは、にんまりと笑ってツキシマに提案すると、ツキシマは驚いたように慌ててカグラを見た。そしてすぐさま首を横に振る。今までの反応からするに、これは拒否の反応だろう。
「どうしてよ? もしかして、既にコンビを組んでる相手でもいるの?」
「……」
素早いツキシマの拒否反応に、カグラは怪訝そうに眉を寄せて問いかけると、ツキシマは僅かに時間をおいて首を縦に振った。それを見て、ケイナは不思議そうに首を傾げる。
「あれ、でもツキシマさん、いつも一人ですよね」
「……!」
ケイナの言葉に、わかりやすく驚愕してツキシマはケイナを見上げた。カグラが不満そうに顔をしかめる。
何やら、嘘をつかれたらしい。理由はあれど、こうも素早く拒否反応を示されるのは面白くなかった。
「何で嫌がるのよ。見たところ、アンタは近から中距離戦闘タイプでしょう。対して私は遠距離スナイパー。アンタが前線で戦っているところに、アタシがサポートの狙撃を行えば、今互いに狙ってる賞金首よりもレベルの高い奴らを狙えるわ」
つまり、カグラとツキシマが手を組めば、二人に利益がもたらされる。互いに美味しい思いができるのだ。
コンビを組む、と言う事は、賞金稼ぎの業界では良くある事だし、突然、見ず知らずの相手と、独りじゃ難しい案件だけ手を組んで解決する、という方法は良くとられる。まあ、その後に何が起ころうとも、全ては自己責任であるが。
なので、こうも頑なに拒否されるのは、カグラとしてはイマイチ理解に苦しむし、拒否されると言う事は、カグラ自身に不満を持っているのではないか、と思ってしまう。
カグラの言い分に納得しているのか、首を横に振るのをやめたツキシマは、代わりに懐から古ぼけたチラシを取り出してテーブルの上に置いた。路地の壁や、警察署などに良く張ってある、指名手配犯のポスターである。
「…ギャング『メトロキングス』のボス、フィッシャー・カーン? …アンタ、こいつを捕まえたいの?」
「……」
ツキシマは、縦に頷いた。
ギャング団、『メトロキングス』と言えば、名前の通り、サースメトロでは最も悪名高いギャングの一つである。数あるギャング団の中でも、百を超える部下を従え、百を超えるクリーチャーを飼いならし、毒物から爆破まで、ありとあらゆる手を使って敵のギャングを壊滅させてきた悪辣極まりない組織である。昨今では、闇ルートで人身売買などと言う悪行にも手を染めており、その名前は賞金稼ぎ業界でも轟いていた。
その悪名のせいで、『メトロキングス』を標的にしようとする賞金稼ぎは皆無。いたとしても、それに喧嘩を売って帰ってきた者は居ないと言うのだ。だから、カグラも、仲間内では『キングスのフィッシャー・カーンにだけは近づくな、命が惜しければ』と言うのを良く耳にする。
だから、『フィッシャー・カーン』と聞けば、並みの賞金稼ぎならば、尻尾を巻いて逃げ出すほどの大物なのである。
そんな男を捕まえたいと言うのだ、ツキシマと対面している賞金稼ぎがカグラでなかったら、指をさして大笑いされているか、冷や汗交じりの引き攣り笑いを浮かべて、関わりたくないと席を立たれていた事だろう。
そう、対面した相手が、カグラでなければ。
「へえ、面白そうじゃない」
カグラが、ニイ、とクチの端を吊り上げてにんまりと笑った。彼女の笑みに、ツキシマは僅かに仰け反って驚く。
『フィッシャー・カーン』の悪名は、当然ツキシマも知っていた。その上で、それを彼女に提案したのだ。普通の相手ならば、関わりたくない、と言って拒否をするであろう大物を提案することで、カグラを引かせたかったのである。 なので、カグラの言葉は、ツキシマにとっては非常に予想外の物となったようだ。
「何驚いてるのよ。アンタが捕まえたいんでしょ。協力するって言ってんの」
「……。 …!」
予想外の状態に陥っても、言葉を発しようとしないツキシマ。しかし、あわあわと慌ただしく両手をバタつかせるツキシマに、独断であるが、カグラは彼が何を言わんとしているかわかった。
「なぁるほど。アンタ、心配してんのね? 『フィッシャー・カーン』と言えば、賞金稼ぎも裸足で逃げ出す超大物。ランク超S級。『命が惜しくば、奴には近寄るな』私たちの仲間内じゃ良く言われてる事ね」
うんうん、と自分で言いつつも納得するように、カグラは言う。それに合わせて、ツキシマも何度も縦に首を振った。
その賞金首の危険度を、カグラはよく理解していた。しかし、そんな事実とは裏腹に、カグラの黒い瞳がキラリと光る。
「でも、全く全然万に一つも問題ないわ。私のスナイプスキルと、前線で戦うアンタの時間稼ぎがあれば、勝てる算段はいくつもある。初対面でこういうのもなんだけど、私はこう見えて、そこら辺の奴らよりもよっぽど腕の立つスナイパーなのよ」
カグラが、目を細めてにんまりと自信満々の笑みを浮かべてテーブルに身を乗り出した。
彼女が、こうも胸を張って己の能力を誇るにはワケがある。カグラは、女だてらに十五年近く賞金稼ぎを商売にしている、いわばベテランなのである。しょっ引いた犯罪者の数は数知れず、撃ち殺したクリーチャーの数など覚えていない。
コンビを組む事は多々あったが、ほとんどが己一人の力で遣りきって来たのだ。汚い酒場などで屯している、賞金稼ぎ歴数年のルーキー達とは、格が違うし、何よりも踏んできた場数が違う。
今回の件でも、目の前の男、ツキシマと組めば、簡単ではないにしろ、あの悪名高いフィッシャー・カーンを捕える事が可能だと思う。その自信があるのだ。 そして、そんな前口上以上に譲れない理由がカグラにはある。
「それに、何より、フィッシャー・カーンくらいの大物になれば、付く賞金額もでかい。二人で山分けしても、十分すぎるほどの大金が手に入るわ!」
カグラは、ぐっと拳を握りしめると、ニタリ、と悪役染みた不吉な笑みを浮かべて高らかに言った。
ツキシマが出した手配書を見れば、生け捕り時の報酬金額は、八〇〇万E。二人で山分けしても、一人頭四〇〇万Eは手に入る。
「わぁ、本当に大物なんですねぇ。でも、危ないんじゃないですか?」
ケイナが、僅かに心配そうに顔をしかめる。それを見て、カグラは目をキラリと光らせる。
「危険なんか気にしてられないわ。とにかく金、金よ。命あっても金が無くちゃ生きられない。今はそう言う世の中。金、金、金! お金が有れば何でもできるもの。その為の危険なら、歓迎。寧ろ大歓迎」
「カグラさんは、お金がとても好きなんですね」
拳を強く握り締めて熱弁するカグラに、ケイナは苦笑交じりに言った。カグラは、当然とばかりに腕を組んで椅子の背にもたれかかる。
「当然。お金で買えないものなんかないからね」
命さえも、と、カグラは静かに心の中で呟いた。
「でも本当に、四〇〇万Eもあれば、もしかしてシティに入れるんじゃないんですか?」
手配書を覗きこんだケイナが、目を輝かせて言った。ツキシマが顔を上げて、どこか興奮した様な声を上げるケイナを見る。
「まあ、裏ルートを手配すれば出来ない事はないかもしれないけど…。そう簡単には行かないわよ。シティは、完全にメトロとの交流を絶ってる。あるとすれば、シティからメトロに向けての、『ゴミ』の排出ね。逆は、法に則った公式的な手段では絶対ありえないわ」
「あ…そう…ですよね」
がっかりとしたように呟くケイナ。
カグラは、別段厳しい事を言ったつもりはなかった。メトロ住民ならば、シティに入る事は出来ない、ということは、良くわかっていることであるし、常識である。
確かに金を積めば、一般住民でもシティに入ることは可能かもしれないが、そう簡単なことではない。
だが、その当然で当たり前の言葉のせいで、ケイナを落ち込ませてしまったようで、カグラは少し心が痛んだ。
「ケイナは、シティに行きたいの?」
カグラの問いかけに、がっかりと肩を落としていたケイナは、顔を上げて輝くような笑みを向けて答えた。
「はい! あ、でも、夢の話ですけど…。シティは、メトロと違って、安全で空気も綺麗で、科学も発展していて、お洒落で、素敵な都市だと聞いています。今は、カグラさんの仰るように難しい話かもしれませんが、いつか時が来たら、私もシティに入ってみたいと思っています」
ケイナは、少し恥ずかしそうに頬を染めながら苦笑を浮かべて語った。カグラは、夢だ、と言って気恥ずかしそうに言うケイナを、馬鹿馬鹿しいとは思わなかった。
誰もが考える願望だ。メトロの住民ならば、人生で一度はシティに憧れる。
なんだか微笑ましく思い、カグラは嬉しそうに笑った。
「そうね、今は難しいけど、時間がたてば、シティとメトロの行き来ができるようになるかもしれない。時代は、変動して行くものだから」
「…そうでしょうか。私が生きている内に、変わると良いです」
「大丈夫よ。ほんの二十年前まで、メトロにはエクスプレスさえ走って無かったんだから! 時代は目まぐるしく変わるわ。シティとメトロが繋がるのも、そう遠くない未来かもしれない」
カグラがそう言うと、ケイナは、目を輝かせてニッコリと笑った。しかし、一瞬だけケイナは表情を曇らせ、カグラから目を逸らすように宙に視線を投げた後、直ぐに笑顔を戻した。
「ふふ…、二十年後、私、おばさんになっちゃってますけど。それはそれで楽しみですね」
ケイナは、手をクチに当てて楽しげに笑う。飾らない笑顔を見せてくれたケイナに安心して、カグラも釣られて笑った。
「ケイナちゃーん、お喋りも良いが、そろそろ手伝ってくれー」
ケイナの笑い声を聞いたのか、カウンターの方からマスターの間延びした声が響いて来た。ハッとしてケイナはカウンターの方に振り向く。良く見れば、既に数人の来客者が現れており、マスター自らがお冷を運んでいるところだった。
「あ、ご、ごめんなさい、マスター! すぐ手伝います!」
仕事中であった事をようやく思い出したケイナは、慌ててカグラとツキシマに一礼すると、早足でカウンターに向かった。そういえば、まだカグラが注文していた品も届いていない。ケイナを引きとめてしまって申し訳ない、と、カグラは僅かに心の中でマスターに謝罪する。
「ケイナちゃんかー、いい子ね。見たところ、働き者っぽいし」
カグラがテーブルに肘を着き、しみじみと呟く。
ツキシマは、その呟きに首を縦に振った。
「でも、シティコンプレックスかぁ…」
「……」
シティコンプレックス。メトロ住民が、シティに並みならぬ憧れを抱く事を言う。ケイナを見る限り、そう重度のコンプレックスを抱いているわけではなさそうだが、中には、シティへの羨望が高まり過ぎた余り、シティを憎む住民もいる。
そんなシティコンプレックスを持つ者は、どんな非道な手段を使ってでも、シティに入ろうと、犯罪に手を染める事も少なくない。
なぜ、シティという存在が、そうまでしてメトロ住民を魅せるのか。それは、シティを囲み、メトロを遮断する巨大な壁に原因がある。
数十メートルもの大きな壁で囲まれた向こうには、美しい近代都市が広がっている、と、メトロ住民は噂している。メトロとは、雲泥の差とも言える治安、食べるものは何でもそろっており、衣食住に事欠かない。砂塵などにまみれた地区など無く、シティの中は巨大な空気洗浄機で、毎日新鮮な空気に満ちている。そして当然、クリーチャーの恐怖もない。
メトロ住民にとって、シティとは夢の国なのである。
しかし、メトロ住民は、シティをそう羨望するが、シティ住民はそうではない。シティは、メトロを差別して、『トラッシュシティ』と呼ぶのだ。その名前の通り、シティはメトロをゴミ箱としか思っていない。
『メトロ』という名前も、先人のメトロ住民が、シティに対して『メトロ』と言う、都市を称する地名を自ら名乗っただけなのである。
つまり、メトロ住民は、昔からシティに対して、何らかのコンプレックスを抱いていた。一つの壁で隔てられた、夢の様な世界に憧れを、時には憎しみを持って生きる世界。それが、メトロである。
「でもま、彼女を見る限り、そう重症ってわけでもなさそうだし、彼女はやっていい事といけない事の区別もできてそうだわ。アンタもそう思うでしょ?」
カグラが問いかける。ツキシマは、沈黙したままカウンターに走って行ったケイナを見つめていた。
防毒マスクに隠された彼の表情が、何を物語っているかはわからないが、何やらツキシマは、彼女を気にしているらしい事はわかる。
「…もしかして、好きなの? あの子の事」
「!?」
カグラの言葉に、ツキシマは思わず噴き出して、慌てて否定の意を表すために首を横に振った。そして、何か弁解するように両手をバタバタとばたつかせる。
言葉こそ発しないが、ツキシマはわかりやすくて面白い。感情が、こうも全面的にあらわされると、少し突いてみたくなってしまう。
「何よ、いいじゃない。あの子可愛いし、まあ、アンタみたいな変なのが、あの子に釣りあうかと言ったらどうかと思うけど」
にやつくカグラに、ツキシマは焦ったように、ブンブンと何度も首を横に振った。
まあ、本心はどうだか知らないが、ツキシマが彼女を気にかけている事は確かだろう。見たところ、ケイナはイマイチ警戒心にかけると言うか、人を疑わないと言うか。
賞金稼ぎなんて言えば、一般的には『ならず者』何て言うイメージが強いと言うのに、彼女は臆することなくカグラに話しかけてきた。それは、ツキシマ相手にとっても同じ事だったのだろう。
そんな事を考えていると、目の前のツキシマが、トントン、とテーブルの上に置かれた手配書を指で叩いた。
「ん、ああ、どうするのかって? 決まってるでしょ。コンビ結成よ」
八〇〇万Eの大物など、よほどモノ好きな賞金稼ぎでない限り狙わないだろう。
当然、と言わんばかりの顔で言いきるカグラに、ツキシマはガックリと肩を落とした。心なしか、防毒マスクから漏れる吐息の音に、諦めと疲れの色が覗える。
ツキシマの感情を察してか、今まで全く目覚めなかったコルトが、ツキシマの膝の上で目を覚まして、一鳴きした。ぼんやりとしながら毛繕いを始めるコルトをツキシマは小さなため息交じりに撫でた。
「ま、そういうわけで。短い間になると思うけど、よろしくね。ツキシマ」
ニッと明るい笑顔を見せて、カグラはツキシマに片手を差し出した。ケイナのような、細くか弱い手では無かったが、白い肌と細い指は、カグラの女性らしさを引き出すには十分すぎるほどである。その上で、彼女の手には目には見えない強さを感じられた。それが、カグラとケイナの、異なる魅力であろう。
ツキシマは、差し出された手に僅かに戸惑いの色を見せるも、ニッコリと笑みを浮かべるカグラを見て、これはもうことわりきれなさそうだ、と諦め、彼女の手を握った。
カグラが握った手は、グローブを嵌めているとはいえ、ひやりとするほど冷たかったが、既に頭の中で、『メトロキングス』を潰し、なおかつ一人大儲けする為の腹黒い算段を立て始めていたカグラにとっては、どうでも良く、そして気付く事の無いことであった。