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第5話【冥府へ渡るもの】6

「こちらお冷になります。ご注文はお決まりですか?」

厨房で一旦気を落ち着かせた私は、樹の前にお冷を置く。


「お久しぶりです長谷川さん」

樹が祥吾に似た声、似たほほ笑みを私に向ける。


―長谷川さんか・・・


 私が廃人状態から抜け出してからも祥吾の母は心配して頻繁にマンションに私の様子を見に来てくれていた。足を運んで貰うのを申し訳なく思った私は、月に1度程度安否確認のため、今も祥吾の実家にお邪魔している。廃人状態から復帰後、初めて会った樹の呼び名は“舞姉さん”から“舞さん”に変わっていた。祥吾がいなくなり婚約者だった私は義姉では無くなったので仕方無いとは思いながらも少し寂しく感じた。そして、樹が高校生になる少し前には敬語で話しかけられるようになり呼び名も“長谷川さん”になった。他人として距離を置かれているようでまた寂しくなった。


「あの時は突然、咲耶ちゃんを雇って欲しいなんて言っちゃってごめんなさい・・・咲耶ちゃんは元気にしてる?」


「いえいえ逆に私も現場に出ている事が多くて事務仕事がおざなりになっていた所がありましたし、あんな真面目で仕事の出来る方を紹介して頂いて助かりました。今は仕事にも慣れてきて、今では凛と一緒に千宗くんをからかっているくらいですよ」


「ふふふっ、元気にやってるようで安心した。私も含めてみんな咲耶ちゃんに会いたがっているから、時間が空いた時にでも遊びにきてねって伝えておいて」


「はい、伝えておきます。それと注文なのですが、ホットコーヒーと・・・」

樹の視線はメニュー表のケーキの欄に向いている。


「ホットコーヒーにはケーキが合うと思うよ」


「そうですか、僕はあまり甘い物が得意では無いのですが、長谷川さんのおすすめなら仕方無いですね。じゃあ、ティラミスでお願いします」

樹は少し早口で言った。

 

―そっか、たくさんあるケーキからそれ選んじゃうのか・・・


「それではご注文を繰り返します。ホットコーヒーがおひとつとティラミスがおひとつですね」

私がそう言うと樹は頷きながら「はい」と微笑んだ。その顔に祥吾の面影を見て少しドキリとしたが平静を装い注文を受ける。


「岩崎さん、申し訳ないんだけど、あちらのお客様にホットコーヒーとティラミスを持って行くのお願いしてもいいかな?私、お手洗いに行きたくなっちゃって」

私は厨房に入ると岩崎に頭を下げながらそう言った。


―きっと樹は満面の笑みでティラミスを見るのだろう。祥吾のように・・・


 その顔を見ても平常心でいられるとは思えず嘘をついた。貼り付けた笑顔の仮面が剥がれた私はどういう表情で樹を見るのだろう。


 私は樹が帰るまで厨房の洗い場で皿洗いをしていた。あの頃と同じように・・・


 帰宅時間になり佐々木や岩崎、店長に見送られてレストランを出る。北海道といえども初夏も後半となれば、夏の足音が聞こえてきて、夜の街灯の周りには沢山の虫が飛んでいる。街灯の下をくぐる際に大きな蛾が見えたので速足で通り抜けて自宅のマンションを目指す。


 祥吾が私に残してくれたマンションは5階建ての4階で見晴らしが良い訳ではないが日当たりは良好だ。3LDKの部屋数は一人暮らしの私には必要以上に広い。度々同時期に入居した夫婦とエントランスですれ違う事がある。子供二人と家族4人で笑い合いながら外出する様子を見るといつも思う。


―祥吾が生きていればあんな未来もあったのかもしれない・・・


 そう考える度に『他人を羨んだり、妬んだりしちゃダメ。私は人に迷惑を掛けないで自立して生きるんだ』と自分に言い聞かせている。


 無言で部屋のドアを開けて灯をつける。作り置きして冷凍庫で冷凍していた総菜を解凍して食べて、入浴し、念入りにスキンケアをしてから眠りに着く。私はいつも通りのルーティンの中でいつも通りでは無い夢を見た。


「久しぶり、舞。ますます綺麗になったね。それに・・・渡せなかった結婚指輪着けてくれてるんだね」

目の前に祥吾が現れそう言った。


「えっ、祥吾さん・・・」

私の頬を涙が伝うのか分かった。


「何で会いに来てくれなかったの・・・。私10年以上待ってたのに」

私は泣きながら祥吾に抱き着く。


「本当に舞は泣き虫だね」

そう言って祥吾は、ほほ笑みながら私の頭を撫でてくれた。


「そうだ、今日はデートをしよう。映画を見て、昔行ったフレンチレストランに行こう」

祥吾は私の手を握り歩き出す。


 ちょうど初デートの日に見た恋愛映画がリバイバル上映されていたので見ることにした。初デートの日は緊張していて内容などあまり頭に入ってこなかったが面白かったという思い出があったが、数年前に見ると陳腐でつまらない映画だった。

 

 今回はどうか・・・やはり内容は頭に入ってこなかった。なぜかというと映画を見ている時間より祥吾の顔を見ている時間の方が長かったからだ。それは陳腐な映画より何倍も楽しかった。


 「楽しかったね」という祥吾の言葉に頷きながら、次の目的地であるフレンチレストランに向かう。フレンチレストランはあの時のまま時間が止まったようにお洒落だった。


「このお店が似合うような大人の女性になれたかな?」

私がそう問うと


「ふふっ、もちろん。でも、世界一綺麗になった舞と比べたら見劣りするかもね」

と祥吾は笑いながら言った。


「もう、からかってるでしょ」


「そんなこと無いよ。いつも僕は真剣だよ」

そう言って互いに笑いあった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて会計を終えた祥吾と店を出る。少し歩くと祥吾は足を止めて私の方を向く。


「舞、僕の住んでいる所で一緒に暮らさないかい?」

「はい」

私は即答した。どんな所でも祥吾と一緒にいられるならそれで良いと思った。


「それじゃあ、準備もあるだろうし6日後に出発しよう。それまで毎日この街でデートしようか・・・」


 すごく幸せな夢だった。目を覚ましてからも内容をはっきりと覚えている不思議な夢。

出勤をする前にメイクをしている私の顔が緩んでいるのがはっきりとわかった。


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