第4話【犬神】7
トントン
「琴教寺さんから紹介された錦川という者ですが・・・」
男性の弱々しい声が聞こえた。
「お話は伺っております。どうぞお入り下さい」
そう言って小早川さんは錦川さんを事務所に招き入れる。
「はじめまして、所長の小早川と申します。本日は中学生の娘さんのご相談ということですね。どうぞお掛け下さい」
そう言われた錦川さんはふらふらした足取りでソファーに向かい腰を下ろす。
「どうぞお茶です」
『ありがとうございます』と言って、私に頭を下げた錦川さんの右頬と左頸部はガーゼが張られ、右手の親指と人差し指の間に大きな噛み跡が見られた。顔色は悪く目の下にははっきりとした隈が見える。
「5日前の深夜の事です。屋内で犬の遠吠えが聞こえて私と妻は飛び起きました。はじめは寝ぼけたのかなとも思ったのですが、妻も聞こえたと言うし、起きてからも何度も聞こえてきたので、私達夫婦は意を決し自宅内のどこに犬がいるのか探すことにしました。遠吠えは娘の部屋から聞こえているようで、ドアを開けると四つ這いで目を見開いた娘が犬のように吠えながら私に突進してきました。私は急いでドアを閉めましたが、爪でドアを引っ掻く音が聞こえました。遠吠えをしてドアに突進して爪でドアを引っ掻く、そんな事が朝まで続きました。私は体でドアを押さえる事しか出来ませんでした。
朝になって物音がしなくなってからも怖くてしばらくはドアを開ける気にはならなかったのですが、嫁に促されてドアを開けるとベッドの上で犬の様に丸くなって寝ている娘が居ました。下手に起こしてまた暴れだしても事なので寝かせておく事にして、私は念のため仕事を休んで見守る事にしました。
昼過ぎの事です。『ギャー、何これ!!』という声が聞こえてきて娘の部屋のドアを急いで開けると爪の先の乾いた血の跡を見ている娘がいました。昨夜とは違い話は出来るようでしたが混乱しているようで、夜間の出来事は覚えていないようでしたが、『そんな事もあるよ』と言って宥めました。
一時的な物だったのだろうと、元に戻った娘を見て安心していたのですが、夜の8時過ぎに家族3人でテレビを見ていたら急に娘が失神したように頭をガクンと下げたかと思ったら家中を四つ這いで走り出しました。テーブルの上の物は落ちて、食器は割れて妻は泣きながら叫んでいました。私は引っ掻かれたり、嚙まれたりしながら何とか娘を捕まえて娘の部屋に押し込みました。小柄な娘からは考えられない力でした。大柄な方で柔道の有段者の私がギリギリ抑えられるほどでした。娘の爪の先にテーピングをしていなかったらもっと酷い有様になってたかもしれませんね。
2日目も前日と同じように朝まで遠吠えを続け、ドアに突進し、引っ掻く、朝になったら丸くなって寝て、昼過ぎに叫び声と共に起きる。といった感じでした。
その日から娘には夕方になったら自室で過ごすように言って念のためドアの前には重い家具を重ねて置いて開かないようにしました。傍から見れば虐待に思われちゃいますね。
それから今日まで娘の回復を願いましたが、何も変わっていない状態です」
錦川さんは疲れ切った表情でうっすらと目に涙を浮かべている。
「詳細な説明ありがとうございます。不躾な質問になってしまうかもしれませんが、病院では無く、琴教寺さんにご相談されたのは、きっかけになるような事に何かご心当たりがお有りになるのですか?」
小早川さんにそう言われて錦川さんの顔が少し強張る。
「私の亡くなった父が『うちの家系は“犬神持ち”だ』と言っていたのを思い出しまして、私の母はその話を父がするのが嫌だったようで、『あなたのお祖父ちゃんは“犬神持ち”とかいう妄言を言ってるから、村の人たちから嫌われて追い出されるように北海道に渡る羽目になったの。だから人前で“犬神持ち”なんて言っては駄目。あなたも頭のおかしい人だと思われるから』とそう言われ育てられました。
その影響か同居しながらも私と父の間には距離があって・・・というか私が避けていたのですが、娘の方はお祖父ちゃん子に育って父にべったりでした。
ですが、娘が小学校に上ったばかりの頃『黒い影が見える』とあちこちで言うようになって、それを聞いた母が父に『あなたが変な事ばかり言うからあの子がおかしくなった。これ以上おかしくなったら困るから、もう関わらないで』と言いまして・・・その時の父の寂しそうな顔は今でも思い出します。
それ以来、父が亡くなるまで積極的に父と関わる人間は家族におらず、たまに家の床下に潜って何かをしているようでしたが干渉する者はいませんでした。それに続くように1年後に母も亡くなってしまい“犬神”について知っている
それを思い出して昨日、“犬神”に係る何かが床下にあるのでは無いかと思い入ってみることにしました。
軒下は大柄な私でも少し屈めば歩けるほどに高くて、初めて入った私はびっくりしてしてしまいました。そして懐中電灯を片手に奥に進むと厨子っていうんでしたっけ、仏像とかを入れる収納棚のようなの物、が開いていて下に割れた壺がありました。
見つけたのは良いのですが、どうしたものか、作法も分からず下手に触って祟りが強くなっても怖いので朝一番で祖父の代からお世話になっている琴教寺さんに相談した次第です」
そう言った錦川さんの表情は少しだけ悲しそうで、信じてあげられなかったお父さんへの懺悔のように見えた。
「準備のために夕方までお時間を頂けますか?その間、錦川さんはお宅の方でお休み下さい」
待ち合わせ場所の確認をして、深々と頭を下げて錦川さんは事務所を後にした。
「それでは、橘くん聞いていましたね。準備を始めますよ」
奥の部屋に向かい小早川さんが話しかける。
「はい。樹さん、壺ってここにある白磁のやつで良いんですか?」
「それで大丈夫です。お札の方もお願いします」
そう言って二人は依頼に赴く準備を始める。
「それじゃあ私も・・・」
私がそう言うとすかさず小早川さんが
「木花さんは留守番です。ご加護があってもどういうものかまだ分かりませんし、それ以前にこれ以上、ご両親を心配させるわけにはいきません」
小早川さんにそう言われて、私は渋い顔をする。
「咲耶ちゃん、私、今日お休みだから2人でお留守番しましょう。そのためにお菓子の買い出しに行かなきゃ。この辺には美味しいお菓子屋さんがけっこうあるんだから」
そう言って凜さんは出かける準備をする。
「凜さん、ありがとうございます。そういった気遣いの出来る素敵な大人の女性になりたいです。ぜひともお姉様と呼ばせて下さい!」
私は椅子から立ち上がる勢いで言った。
「私の妹ということは、ちーちゃんのお嫁さんに・・・」
「それは無いですね!」
私が食い気味に答えると凜さんと小早川さんが噴き出し笑いをし、橘くんは口を半開きで呆然としている。興味の無い女の子からでも即答されたら少しくらいは傷つくものかもしれない。私はデリカシーに欠けていたようだ。すまない橘くん。




