第6話 免疫は理由を説明しない
翌朝、星ケア課の掲示板から
【惑星健康状態:良好】
の紙が、外されていた。
代わりに貼られていたのは、簡素な一文だけ。
【健康診断:延期】
それだけで、空気が変わる。
「大丈夫」と言わなくなった瞬間、人は初めて不安になる。
庁舎内は静かだった。
忙しくないわけじゃない。
むしろ逆だ。
誰もが、必要以上に慎重になっている。
「発症率、また上がってる」
「でも公表はまだ」
「“混乱を避けるため”だってさ」
混乱を避ける。
つまり、真実を遅らせる。
俺は自分の端末を開き、非公開フォルダを呼び出した。
もはや誰も止めない。
止める意味がなくなったからだ。
【免疫反応レベル:高度】
【排除傾向:都市集中型】
【優先保全対象:地表・大気・海域】
人間は、項目にすら入っていない。
「……ここまで来たか」
声に出した瞬間、背後で椅子が鳴った。
「来ちゃったね」
ミーナだった。
今日は、珍しく髪を結んでいる。
仕事用の顔だ。
「免疫ってさ」
彼女は俺の画面を覗き込む。
「理由を説明しないんだよね」
「……」
「熱が出る理由も、咳が出る理由も、身体は教えてくれない」
「結果だけ、出す」
俺は端末を閉じた。
「それでも、人は理由を探す」
「うん」
「理由がないと、納得できないから」
「……だから、誰かのせいにする」
彼女は、そう言って笑った。
笑ったけれど、その目は少し赤い。
午後、街で小さな衝突が起きた。
発症者の家に、石が投げ込まれた。
誰かが叫んだ。
「病気を持ち込むな!」
「働きすぎのくせに!」
「星を汚すな!」
——汚す。
その言葉に、胸が痛んだ。
現場に駆けつけると、人だかりができていた。
怒りと不安が、混ざり合っている。
「落ち着いてください!」
俺は拡声器を使う。
「この病気は誰のせいでも——」
「嘘つけ!」
誰かが叫ぶ。
「お前ら役所が隠してるんだろ!」
正解だ。
だから、反論できない。
石が飛んだ。
俺の足元で砕ける。
ミーナが、俺の前に立った。
「やめて!」
その声は、よく通った。
「星が具合悪いだけだよ!」
「は?」
「私たちだって、風邪ひくでしょ!」
「だからって——」
「だからって、誰か殴って治る?」
一瞬、静まり返る。
誰も答えない。
答えなんて、最初からない。
人だかりは、少しずつ散っていった。
不満を抱えたまま。
「……ありがとう」
俺が言うと、ミーナは肩をすくめた。
「正論って、疲れるよね」
夜、庁舎に戻ると、グラド局長が待っていた。
「リオ」
低い声。
「君に話がある」
応接室は、照明が落とされている。
秘密の話をする部屋だ。
「上からの指示だ」
局長は言った。
「免疫反応への“干渉案”が正式に検討される」
「……抑え込む?」
「一時的にな」
「代償は」
「星の寿命だ」
俺は、息を吸った。
「それでもやる?」
「やらなければ、都市が持たない」
「人が、減る」
「……」
局長は、俺を見た。
「君は、どちらを選ぶ?」
「俺が選ぶ立場じゃない」
「だが、現場は君だ」
重い沈黙。
「……選ばない」
俺は言った。
「今は」
「逃げか?」
「保留です」
局長は、苦笑した。
「若いな」
「分かってます」
分かっている。
でも、どちらを選んでも、誰かが死ぬ。
その夜、ミーナと屋上に出た。
星がよく見える場所だ。
「ねえ、リオ」
「なんだ」
「もしさ」
彼女は、夜風に髪を揺らしながら言う。
「人が、星にとって“ただの負荷”なら」
「……」
「それでも、私たちはここにいていいのかな」
俺は、しばらく考えてから答えた。
「……いていいかどうかは、分からない」
「うん」
「でも」
俺は星を見上げる。
「いなくなる理由を、勝手に決めさせる気はない」
ミーナは、少しだけ驚いた顔をしてから、笑った。
「それ、ヒーローの台詞じゃん」
「言うな」
「似合わない」
「分かってる」
星は、今日も静かだ。
健康診断は、延期されたまま。
だが俺は知っている。
免疫は、待ってくれない。
理由も、説明もなく。
ただ、
次の反応を準備しているだけだ。
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