第5話 巻き添えという名前の選択
オルドが亡くなったのは、翌朝だった。
医師の声は、淡々としていた。
淡々としすぎていて、現実感が追いつかなかった。
「……急激な呼吸不全です」
「苦しみは」
「最小限だったと、思います」
思います。
その言葉が、胸の奥で引っかかったまま外れない。
ベッドの横で、リナは泣かなかった。
声を出さず、ただ父の手を握り続けていた。
俺は何も言えなかった。
言える言葉を、ひとつも持っていなかった。
ミーナが、静かに頭を下げる。
「……ごめんね」
何に対する謝罪なのか、分からない。
分からないけれど、たぶん全部だ。
庁舎に戻ると、星ケア課は異様なほど整然としていた。
災害も、嵐も、今日は起きていない。
空は澄み、風は穏やかで、街は“平和”そのものだった。
その平和が、怖い。
「リオ」
グラド局長が俺を呼び止める。
「感情を仕事に持ち込むな」
「……持ち込みたくて持ち込んでません」
「結果は結果だ」
局長は目を逸らした。
「個人の死と、惑星全体の安定を天秤にかけるな」
俺は、思わず笑いそうになった。
「もう、かけてるじゃないですか」
「……」
「星が」
局長は何も言わなかった。
否定しなかった。
それが、答えだった。
昼過ぎ、臨時会議が開かれた。
議題は一つ。
「免疫反応への対応方針」
言葉が、完全に隠喩をやめている。
「高度免疫反応に移行すれば、疫病は拡大する」
技術局の代表が言う。
「だが、その分、地表回復と生態系の安定が加速する」
「つまり?」
「都市部が削られる」
誰も、はっきり“人が死ぬ”とは言わない。
言わなくても、分かるからだ。
「抑制案は?」
誰かが尋ねる。
「可能だが、星の負荷が跳ね上がる」
「最悪の場合?」
「惑星機能の不可逆的低下」
——星が死ぬ。
空気が凍る。
ミーナが、ぽつりと言った。
「……じゃあ、今起きてることって」
「必要な犠牲だ」
技術局の男が即答する。
「巻き添えは出るが、全体は守られる」
巻き添え。
便利な言葉だ。
誰も殺さない。
ただ、“起きてしまったこと”にする。
俺は立ち上がった。
「その“巻き添え”に、基準はあるんですか」
「統計的に——」
「名前は?」
俺は遮った。
「顔は? 家族は? 明日の予定は?」
沈黙。
「……感情論だ」
誰かが言う。
「違う」
俺は言った。
「現場論です」
ミーナが、俺を見る。
止めない。
止める理由が、もうないからだ。
「星は、善悪を知らない」
俺は続ける。
「でも俺たちは知ってる。誰が、何を失ってるか」
「だから?」
「だから——」
言葉が、喉で詰まった。
だから、どうする?
答えは、まだない。
その夜、俺は一人で街を歩いた。
修復された地面は、昨日よりさらに暗い。
新しい皮膚が、広がっている。
その上を、人が歩いている。
何も知らずに。
パン屋の前に立つ。
扉は閉まり、看板は外されていた。
リナは、もうここにはいない。
俺は、星を見上げる。
「……なあ」
声に出してみる。
「治るために、どれくらい切り捨てるつもりだ」
返事はない。
でも、分かってしまった。
星は、最初から選んでいない。
選んでいるのは、反応の強さだけだ。
だから、巻き添えが出る。
だから、誰かが死ぬ。
そして——
それを“仕方ない”と処理する役目を、
俺たち人間が引き受けている。
庁舎に戻ると、ミーナが俺の席に座っていた。
「行ってたでしょ」
「……ああ」
「パン屋」
「……ああ」
彼女は、しばらく黙ってから言った。
「ねえ、リオ」
「なんだ」
「もしさ」
少しだけ、声が揺れた。
「免疫が“強い個体”を優先的に残すなら」
「……」
「私、たぶん——」
彼女は言葉を切った。
俺は、はっきり言った。
「言うな」
「……うん」
でも、二人とも分かっていた。
免疫は、英雄を選ばない。
役に立つかどうかも、見ていない。
ただ、
邪魔かどうかだけを測っている。
星は今日も静かだ。
とても健康そうに。
そしてその健康は、
誰かの明日を、確実に削っていた。
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