第4話 免疫は善悪を知らない
オルドが倒れてから、三日が経った。
三日というのは、災害後の街では長い。
噂が生まれ、形を持ち、真実みたいな顔をするには十分な時間だ。
「聞いた? あの病気、働きすぎの人からかかるらしいよ」
「やっぱりな。最近の若いのは身体が弱い」
「昔はこんなことなかったのに」
庁舎の廊下で、そんな声が当たり前のように交わされていた。
誰も悪気はない。
悪気がないからこそ、厄介だ。
人は原因が欲しい。
そして一番楽な原因は、誰かのせいだ。
「リオ、来て」
ミーナが、俺を資料室に呼び込んだ。
ここは古い記録ばかりが眠っている場所で、普段は誰も近づかない。
星ケア課にとって“過去”は、あまり価値がないからだ。
「これ見て」
彼女が差し出したのは、黄ばんだ報告書だった。
年代は、百年以上前。
今の都市ができる前、文明が一段階跳ね上がった時代。
「疫病の記録?」
「うん。でも、これ——」
ミーナはある一文を指差した。
【当時の流行病は、港湾・工業地帯を中心に拡大】
【農村部への影響は限定的】
俺は息を呑んだ。
「……今回と、同じだ」
「でしょ」
さらにページをめくる。
【同時期、地表の回復反応を確認】
【地割れの自然閉鎖、海域の自浄作用】
——治っている。
星は、あの時も。
「これ、偶然だと思う?」
ミーナが聞く。
「……思えない」
「だよね」
彼女は苦笑した。
「星、前にも同じことしてる」
俺は椅子に腰を下ろした。
背中に、嫌な汗が滲む。
「じゃあ、なんで誰も——」
「気づいてないわけないよ」
ミーナは言った。
「気づいてた人は、きっと——」
言葉が途切れる。
消えた。
そう言いたかったのだろう。
その日の午後、医療局から連絡が入った。
オルドの容体が、さらに悪化した。
俺は走った。
ミーナも何も言わず、並んで走った。
診療所の空気は、重い。
消毒薬の匂いが、喉に刺さる。
「……厳しいです」
医師は、目を伏せたまま言った。
「呼吸器が、急激に弱っています」
「原因は」
「分かりません。ですが——」
医師は言い淀み、それから続けた。
「同じ症状の患者が、増えています」
俺は、ベッドを見る。
オルドは、意識がない。
ただ、胸が浅く上下している。
リナは、ベッドの横で眠っていた。
小さな手が、父の指を握ったまま。
——この手を、星はどう見る?
異物か。
負荷か。
それとも、巻き添えか。
夜、星の健康診断が再び行われた。
臨時。
前例のない頻度。
水晶柱の光が、昨日より強い。
脈動が、はっきり分かる。
心拍数が上がっているみたいだった。
グラド局長の声は、乾いていた。
「惑星エルディア……健康状態……」
一拍。
「……調整中」
ざわめきが走る。
「調整?」
「良好じゃないのか」
「何を調整してるんだ」
局長は視線を逸らした。
「詳細は非公開です」
非公開。
まただ。
俺の胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
その夜、俺は一人で端末を開いた。
もう躊躇はなかった。
【免疫反応レベル:中度→高度へ移行準備】
【優先対象:高負荷個体群】
【副次損失:許容範囲内】
許容範囲。
誰の?
俺の視界が、にじむ。
その時、背後で声がした。
「やっぱり、見てた」
ミーナだった。
「止める?」
俺は聞いた。
「……止められると思う?」
「分からない。でも」
俺は拳を握った。
「このままじゃ、誰かが——」
ミーナは、少しだけ笑った。
それは、いつもの明るい笑いじゃない。
「ねえ、リオ」
「なんだ」
「免疫ってさ、善悪知らないんだよ」
彼女は静かに言う。
「敵か味方かも、あんまり分かってない」
「……」
「ただ、“邪魔かどうか”だけ」
俺は答えられなかった。
窓の外で、星は静かに輝いている。
とても健康そうに。
でも俺は、はっきり分かっていた。
この星は今、誰かを守るために、
別の誰かを切り捨てようとしている。
そしてそれは、
人間が昔から、ずっとやってきたことと——
驚くほど、よく似ていた。




