第2話 風邪は気合い、気合いは統計に負ける
災害の翌日に来るものは三つある。
後悔、書類、そして——疫病だ。
星ケア課の朝は、昨日より少しだけ静かだった。嵐は去り、地割れは封鎖され、街は「一応」平常運転に戻っている。
その「一応」が曲者なのは、ここにいる全員が知っている。
「リオ、見た?」
ミーナが机の上に書類の束を落とす。落とすというより、投げた。紙が雪崩を起こす。
「なにを」
「医療局から。発熱者の報告」
「……もう?」
俺は受け取った紙に目を落とした。
発熱、倦怠感、呼吸の違和感。症状自体はよくあるものだ。問題は、その数と分布だった。
「第三居住区、第四居住区、沿岸部……」
「昨日の嵐ルート、きれいになぞってるでしょ」
「偶然だな」
「偶然って言葉、便利だよね。健康と同じくらい」
ミーナは皮肉を込めて笑う。だが目は真剣だった。
彼女はこういう時、無理に明るくなる。明るくしていないと、気づいてしまうからだ。
庁舎内では、医療班と事務班が入り乱れて走り回っていた。消毒薬の匂いが、昨日の湿った土の匂いと混ざる。
誰かが咳をするたび、周囲の空気が一瞬だけ固まる。
「落ち着いてください! ただの風邪です!」
「去年も言ってた!」
「一昨年もだ!」
怒号と不安が、廊下を反響する。
会議室では、すでに緊急会合が始まっていた。
グラド局長が中央に立ち、いつものように咳払いをする。
「よろしいですか。現在確認されている症状は軽度。重症化率も低く、致死性は確認されていません」
「“今のところ”な」
誰かが小声で言った。たぶん聞こえている。
「医療局の見解では、生活習慣の偏りが原因と考えられます」
「生活習慣?」
俺は思わず口を挟んだ。
グラド局長が俺を見る。
面倒だな、という顔だ。
「ええ。過密居住、過度な労働、栄養の偏り。文明が進めば、よくある話です」
「つまり……」
「自己管理の問題です」
会議室が静まった。
誰も反論しない。反論できない。便利すぎる答えだからだ。
ミーナが小さく手を挙げた。
「質問いいですかー」
「簡潔に」
「発症者の職業、出てます?」
「……出ていますが」
「工場労働者、港湾作業員、商業区の住民。つまり——」
「都市部」
俺が続けた。
グラド局長は眉をひそめる。
「だからこそ、生活習慣です」
「でも」
俺は言葉を選びながら続ける。
「昨日の災害ルートと、ほぼ一致してます」
一瞬だけ、空気が冷えた。
「偶然でしょう」
局長は即答した。
「星は健康です。免疫反応などという表現は——」
「使ってません」
俺は言った。
「でも、統計は嘘つかない」
ミーナが俺の袖を軽く引く。
やめとけ、という合図だ。俺は口を閉じた。
「現場班は、医療局と連携し、発症者の搬送と説明に当たってください」
グラド局長が会議を締める。
「混乱を招かないように。“大したことはない”と、きちんと伝えるように」
会議は解散した。
誰も「安心した顔」はしていなかった。
午後、俺とミーナは医療局にいた。
簡易診療所には、すでに人が溢れている。椅子が足りず、壁にもたれて座り込む人も多い。
「また星の気まぐれか」
「そうですよ。気にしないで」
医療班がテンプレ通りの言葉を繰り返す。
俺は診療記録を確認していた。
発症者のデータが、端末に次々と流れ込む。
年齢、職業、居住区、生活パターン。
——共通点が、あまりにも多い。
「……リオ」
ミーナが小声で呼ぶ。
「この人、昨日のパン屋さん」
顔を上げると、簡易ベッドに横たわるオルドの姿があった。
額に汗を浮かべ、浅い呼吸をしている。娘のリナは、ベッドの横で小さく座っていた。
「おじさん……」
リナが俺に気づき、弱々しく手を振る。
「大丈夫ですか」
俺が声をかけると、オルドは無理に笑った。
「まあ……ちょっと、熱がな。星の気まぐれってやつだ」
その言葉が、昨日よりずっと重く聞こえた。
医師が言う。
「心配いりません。休めば治りますよ」
「……そうか」
オルドは頷いたが、どこか不安そうだった。
ミーナがリナにしゃがみ込む。
「ねえ、リナちゃん。ちゃんと寝てる?」
「……うん」
嘘だとすぐ分かった。
診療所を出た後、俺たちは無言で歩いた。
風は弱く、空は穏やかだ。嵐の後とは思えないほど。
「……ねえ、リオ」
ミーナが言った。
「星ってさ、風邪ひくと思う?」
「は?」
「ほら。熱出して、咳して、免疫が働くやつ」
「……考えたことなかった」
「私はね」
彼女は空を見上げた。
「この星、今ちょっと具合悪いだけなんじゃないかなって思う」
俺は答えなかった。
答えられなかった。
庁舎に戻ると、例の端末がまた点滅していた。
黒いラベル。
俺は周囲を確認し、そっと開いた。
【免疫反応レベル:中度】
【対象傾向:高密度・高負荷個体】
【副次影響:非対象個体への波及あり】
副次影響。
——巻き添え。
画面を閉じると、胸の奥が冷えた。
「見ちゃった?」
ミーナが背後から言う。
「……ああ」
「だよね」
彼女は苦笑した。
「で、どうする?」
「どうもしない」
俺は答えた。
「今は」
ミーナは少しだけ寂しそうに笑う。
「私さ、風邪ひかない体質なんだよね」
「唐突だな」
「免疫が強いって、昔から言われてて」
「それが?」
「星に褒められるかな」
冗談のはずだった。
でも、俺は笑えなかった。
窓の外で、夕日が沈んでいく。
星は今日も、何も言わない。
ただ——
熱は、まだ下がっていなかった。
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