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星の免疫が働いただけなのに、人が減っていく  作者: 煤原ノクト


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2/8

第2話 風邪は気合い、気合いは統計に負ける

 災害の翌日に来るものは三つある。

 後悔、書類、そして——疫病だ。


 星ケア課の朝は、昨日より少しだけ静かだった。嵐は去り、地割れは封鎖され、街は「一応」平常運転に戻っている。

 その「一応」が曲者なのは、ここにいる全員が知っている。


「リオ、見た?」

 ミーナが机の上に書類の束を落とす。落とすというより、投げた。紙が雪崩を起こす。


「なにを」

「医療局から。発熱者の報告」

「……もう?」


 俺は受け取った紙に目を落とした。

 発熱、倦怠感、呼吸の違和感。症状自体はよくあるものだ。問題は、その数と分布だった。


「第三居住区、第四居住区、沿岸部……」

「昨日の嵐ルート、きれいになぞってるでしょ」

「偶然だな」

「偶然って言葉、便利だよね。健康と同じくらい」


 ミーナは皮肉を込めて笑う。だが目は真剣だった。

 彼女はこういう時、無理に明るくなる。明るくしていないと、気づいてしまうからだ。


 庁舎内では、医療班と事務班が入り乱れて走り回っていた。消毒薬の匂いが、昨日の湿った土の匂いと混ざる。

 誰かが咳をするたび、周囲の空気が一瞬だけ固まる。


「落ち着いてください! ただの風邪です!」

「去年も言ってた!」

「一昨年もだ!」


 怒号と不安が、廊下を反響する。


 会議室では、すでに緊急会合が始まっていた。

 グラド局長が中央に立ち、いつものように咳払いをする。


「よろしいですか。現在確認されている症状は軽度。重症化率も低く、致死性は確認されていません」

「“今のところ”な」

 誰かが小声で言った。たぶん聞こえている。


「医療局の見解では、生活習慣の偏りが原因と考えられます」

「生活習慣?」

 俺は思わず口を挟んだ。


 グラド局長が俺を見る。

 面倒だな、という顔だ。


「ええ。過密居住、過度な労働、栄養の偏り。文明が進めば、よくある話です」

「つまり……」

「自己管理の問題です」


 会議室が静まった。

 誰も反論しない。反論できない。便利すぎる答えだからだ。


 ミーナが小さく手を挙げた。

「質問いいですかー」

「簡潔に」

「発症者の職業、出てます?」

「……出ていますが」

「工場労働者、港湾作業員、商業区の住民。つまり——」

「都市部」

 俺が続けた。


 グラド局長は眉をひそめる。

「だからこそ、生活習慣です」

「でも」

 俺は言葉を選びながら続ける。

「昨日の災害ルートと、ほぼ一致してます」


 一瞬だけ、空気が冷えた。


「偶然でしょう」

 局長は即答した。

「星は健康です。免疫反応などという表現は——」

「使ってません」

 俺は言った。

「でも、統計は嘘つかない」


 ミーナが俺の袖を軽く引く。

 やめとけ、という合図だ。俺は口を閉じた。


「現場班は、医療局と連携し、発症者の搬送と説明に当たってください」

 グラド局長が会議を締める。

「混乱を招かないように。“大したことはない”と、きちんと伝えるように」


 会議は解散した。

 誰も「安心した顔」はしていなかった。


 午後、俺とミーナは医療局にいた。

 簡易診療所には、すでに人が溢れている。椅子が足りず、壁にもたれて座り込む人も多い。


「また星の気まぐれか」

「そうですよ。気にしないで」

 医療班がテンプレ通りの言葉を繰り返す。


 俺は診療記録を確認していた。

 発症者のデータが、端末に次々と流れ込む。


 年齢、職業、居住区、生活パターン。


 ——共通点が、あまりにも多い。


「……リオ」

 ミーナが小声で呼ぶ。

「この人、昨日のパン屋さん」


 顔を上げると、簡易ベッドに横たわるオルドの姿があった。

 額に汗を浮かべ、浅い呼吸をしている。娘のリナは、ベッドの横で小さく座っていた。


「おじさん……」

 リナが俺に気づき、弱々しく手を振る。


「大丈夫ですか」

 俺が声をかけると、オルドは無理に笑った。

「まあ……ちょっと、熱がな。星の気まぐれってやつだ」


 その言葉が、昨日よりずっと重く聞こえた。


 医師が言う。

「心配いりません。休めば治りますよ」

「……そうか」

 オルドは頷いたが、どこか不安そうだった。


 ミーナがリナにしゃがみ込む。

「ねえ、リナちゃん。ちゃんと寝てる?」

「……うん」

 嘘だとすぐ分かった。


 診療所を出た後、俺たちは無言で歩いた。

 風は弱く、空は穏やかだ。嵐の後とは思えないほど。


「……ねえ、リオ」

 ミーナが言った。

「星ってさ、風邪ひくと思う?」


「は?」

「ほら。熱出して、咳して、免疫が働くやつ」

「……考えたことなかった」

「私はね」

 彼女は空を見上げた。

「この星、今ちょっと具合悪いだけなんじゃないかなって思う」


 俺は答えなかった。

 答えられなかった。


 庁舎に戻ると、例の端末がまた点滅していた。

 黒いラベル。


 俺は周囲を確認し、そっと開いた。


【免疫反応レベル:中度】

【対象傾向:高密度・高負荷個体】

【副次影響:非対象個体への波及あり】


 副次影響。


 ——巻き添え。


 画面を閉じると、胸の奥が冷えた。


「見ちゃった?」

 ミーナが背後から言う。


「……ああ」

「だよね」

 彼女は苦笑した。

「で、どうする?」

「どうもしない」

 俺は答えた。

「今は」


 ミーナは少しだけ寂しそうに笑う。

「私さ、風邪ひかない体質なんだよね」

「唐突だな」

「免疫が強いって、昔から言われてて」

「それが?」

「星に褒められるかな」


 冗談のはずだった。

 でも、俺は笑えなかった。


 窓の外で、夕日が沈んでいく。

 星は今日も、何も言わない。


 ただ——

 熱は、まだ下がっていなかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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