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星の免疫が働いただけなのに、人が減っていく  作者: 煤原ノクト


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1/8

第1話 星は今日も健康です(なお都市は沈む)

 この星は、とても健康だ。

 少なくとも、報告書の上では。


 嵐が街を壊しても、

 地面が裂けて家が沈んでも、

 流行り病が人を選ぶように倒しても、

 結論はいつも同じになる。


――惑星エルディア、健康状態良好。


 だから人々は、今日も働く。

 パンを焼き、街を直し、

 次に壊れる場所を予想しながら眠る。


 この物語は、

 世界を救う英雄の話ではない。

 星と戦う勇者の話でもない。


 ただ、

 星にとっては少し邪魔で、

 それでも簡単には消せなかった存在――

 人間が、どうやって生き延びようとしたか

 その記録だ。


 最初は、少し笑える。

 役所は相変わらず無能で、

 世界は壊れかけているのに会議は長い。


 でも、忘れないでほしい。


 星は、悪意で人を殺さない。

 ただ、生きようとするだけだ。


 その「生きよう」が、

 誰かの生活を削っても。


 ——今日も健康な星で、

 いつもの一日が始まる。

 朝一番に鳴る警報って、目覚ましより腹が立つ。

 しかもこの街の警報は「今日も世界が壊れかけてますよ」っていう種類のやつだ。


「おはよー、リオ。今日の空、いい感じにキレてるね」


 出勤路の石畳を小走りに進んでいた俺の横に、ふわっと髪を揺らしてミーナが並ぶ。片手には焼きたての丸パン。もう片手には分厚いファイル。口の端にパンくず。完璧な公務員だ。


「おはようじゃない。警報鳴ってんだろ。走れ」

「走ってるじゃん。ほら、躍動感」

「躍動感で嵐は避けられない」


 俺たちの頭上、雲がぶ厚い。濡れた鉛みたいな色で、端から端までびっしり詰まっている。風はまだ静かだが、静かなのがいちばん怖い。こういう時の空は、だいたい咳払いの前兆だ。


 通りの先に見える、惑星環境調整局——通称「星ケア課」の庁舎は、今朝も無駄にでかい。無駄にでかいくせに、エレベーターがいつも一基だけ故障しているのも、なぜか妙にリアルだ。


 庁舎の入口には、いつも通り掲示板が立っている。


【本日の惑星健康状態:良好】

【本日の注意事項:強風・局地的地割れ・軽度の熱】

【その他:定例会議は午後に延期】


「良好ってなんだよ……」


 俺が思わず呟くと、ミーナがパンをもぐもぐしながら頷いた。


「いいでしょ。“良好”。安心する」

「いや、しない。強風と地割れついてるじゃん」

「健康な人でもくしゃみするよ?」

「健康な人は地面割らない」


 庁舎の扉を押し開けると、いつもの匂いがした。紙とインクと湿気と、誰かが隠れて飲んだ安い薬草茶。廊下の先からは早くも怒号が聞こえる。朝礼前の名物だ。


「現場班! 今日のAランク嵐、到達予測前倒し!」

「前倒しって何分!」

「五十分!」

「五十分で何ができると思ってんだ!」

「書類を減らせる!」

「増えるだろ!」


 怒鳴り合いの横を、俺とミーナはすり抜ける。ここでは「災害」が日常業務で、「平常」が休暇だ。


 執務室に入ると、机の上にすでに紙の山ができていた。誰だ、夜中に増殖させたの。


 俺は自分の席に座り、机の引き出しから対災害対応マニュアルを引っ張り出す。厚みが腕一本分ある。これを読む時間があったら、家一軒建てられると思う。


「今日の嵐、強さどれくらいだっけ?」ミーナが言った。

「Aランク」

「Aかぁ……。じゃあ橋が落ちるか家が飛ぶか、どっちかだね」

「両方の可能性があるからAなんだよ」

「そっか。じゃあ会議は午後だね」

「会議の延期理由が自然災害で確定してんの、おかしいだろ」


 机の端に置かれた青いランプが点滅した。現場出動の合図だ。


 同時に、庁舎全体の放送が流れる。


『星ケア課職員の皆さま。落ち着いて行動してください。本日も惑星エルディアは健康状態良好です。繰り返します、健康状態良好です。なお——』


 なお、の時点で嫌な予感しかしない。


『——第三居住区沿岸部にて地表の不安定化が確認されました。現場班は至急、区域封鎖と住民誘導に当たってください。繰り返します——』


 ミーナがパンを飲み込んで、俺の顔を見る。


「はい、今日も健康」

「健康って言うのやめろ」


 俺たちは支給品の外套を羽織り、簡易結界札、避難誘導用の拡声器、そして大量の“説明用テンプレート文書”を抱え、庁舎を飛び出した。


 外に出た瞬間、風が頬を殴った。空気が冷たい。雲の低さが異様で、ビルの屋上に触れそうな勢いだ。


 第三居住区へ向かう道は、すでに渋滞していた。馬車も荷車も人も、みんな同じ方向に押し寄せている。避難するために、避難路を塞ぐ。災害あるあるだ。


「またかぁ」

「去年よりマシじゃない?」

「屋根飛んだだけだし」


 住民たちの声が、妙に軽い。慣れすぎている。慣れというのは、便利だけど恐ろしい。痛みを無視する技術だからだ。


 現場に着いたとき、地面はすでに裂けていた。


 石畳が、まるで乾いたパンのようにぱっくり割れて、裂け目の奥から冷たい湿った空気が漏れている。地面の下の暗さって、見てるだけで胃が重くなる。


「封鎖線、張れ!」

「結界札、足りないぞ!」

「足りないのはいつもだ!」

「予備はどこだ!」

「倉庫だ! 倉庫が昨日沈んだ!」


 誰かが叫び、誰かがキレ、誰かが諦めて走り出す。俺は拡声器を握って前に出た。


「落ち着いてください! 裂け目に近づかないで! 線の内側には入らない! 繰り返す——」


 その瞬間、地面が“ぐにゃり”と揺れた。


 いや、揺れたというより——皮膚が引き攣るみたいに、地表がうねった。裂け目が一瞬だけ広がって、また戻る。戻ったが、戻った先は元じゃない。地面の形が“少しだけ違う”。


 俺は背筋が冷たくなった。


 地面が、意志を持って動いたみたいだった。


「……リオ」


 ミーナが俺の袖を引いた。彼女の目が、いつもの軽さから少しだけ外れている。


「今の、嫌な感じした」

「俺も」


 風が強くなる。空が咳払いをやめて、とうとう咳をし始めた。


 突風が通りを貫き、看板が吹き飛び、紙が舞い、誰かの帽子が悲鳴を上げて空へ消えた。


「嵐、来るぞ! 避難を急がせろ!」


 俺たちは住民を誘導しながら、裂け目から遠ざける。だが、遠ざける先も安全とは限らない。世界の気分次第で、どこだって裂ける。


 その時、通りの角の小さな店が目に入った。看板に、焼きたてのパンの絵。店先には、潰れた棚と散らばった小麦粉。


 パン屋だ。


 店の前で、男が呆然と立ち尽くしていた。腕に小さな女の子を抱いている。女の子は泣いていない。代わりに、父親のほうが泣きそうだった。


「大丈夫ですか!」


 俺が駆け寄ると、男はハッとして、ぎこちなく笑った。


「……ああ。大丈夫、大丈夫。ほら、リナも」

「……うん」


 女の子——リナは、俺の制服をじっと見ていた。星ケア課の紋章を。


 父親——オルドが言う。


「またかぁ、ってね。こういうの、慣れちまって」

「慣れないでください」

「慣れないと生きてけない」


 彼は半壊した店を振り返る。壁の一部が崩れ、窓枠が歪んでいる。棚の上のパンが全部落ちて、泥と小麦粉が混ざって最悪の色になっていた。


 それでもオルドは、笑う努力を続けた。


「まあ、星の気まぐれだ。生きてりゃ、また焼ける」

「……」


 俺は言葉が詰まった。慰めのテンプレ文書は持っている。「被害に遭われた皆さまには心よりお見舞い申し上げます」ってやつ。だが今ここで、それを口にしたら、俺は一生自分を許せなくなる気がした。


 ミーナがそっと前に出て、リナの目線にしゃがみ込む。


「ねえ、リナちゃん。パン、好き?」

「……好き」

「じゃあね、おじさん(※リオ)がちゃんと道あけるから。お父さん、また焼けるよ。絶対」

「おじさん言うな」

「事実でしょ」

「事実でも言うな」


 リナが小さく笑った。笑った瞬間、風が少しだけ弱まったように感じたのは、たぶん気のせいだ。


「避難所は第四通りの教会です。そこまで案内します」

「……助かるよ」


 オルドが頷き、リナの手を握り直した。


 俺たちが歩き出したとき、背後で地面が再びうねった。裂け目の奥が、薄く光る。星の体温のような、不快な熱。


 ——この星は、何をしている?


 その疑問を飲み込んだまま、俺は避難路を進んだ。


 避難誘導が一段落した頃には、庁舎に戻る道は泥だらけだった。風と雨が暴れた後の街は、いつだって“誰かの生活の破片”でいっぱいになる。


 星ケア課に戻ると、執務室の空気はさらに重かった。現場報告が雪崩れ込み、机の上の紙が山脈になっている。


「リオ、第三居住区の被害報告まとめろ!」

「はいはい」


 俺は濡れた外套を椅子に掛け、報告書を書き始めた。被害規模、負傷者数、建物損壊、避難者数。数字を並べるほど、現実が薄くなる。数字の中に、人の顔が埋もれていく。


 その時、机の端の端末——古い水晶端末が、勝手に淡い光を点滅させた。


 報告データが、自動仕分けされていく。通常フォルダ、公開フォルダ、そして——


【非公開】


 見慣れない黒いラベルが一瞬だけ表示された。


 俺の指が止まる。


「……なんだ、これ」


 ミーナが背後から覗き込んできて、あっさり言った。


「それ、見なくていいやつじゃない?」

「見なくていいって言われると見たくなるんだけど」

「人間ってそういうとこあるよね。星が嫌うタイプ」


 冗談みたいに言って、ミーナは肩をすくめた。だが目は笑っていない。


 俺は端末を少しだけ操作した。ほんの少し、覗くだけ。覗くだけで済むはずだった。


 黒ラベルの中身は、文字と数式の列だった。


【災害発生地点:文明密集指数 高】

【被害規模:前年同月比 1.3倍】

【惑星負荷指数:上昇】

【免疫反応レベル:軽度→中度へ移行予兆】


 免疫反応。


 その単語が、喉に冷たい釘みたいに刺さった。


 ミーナがパンくずのついた指で、画面の端をちょんと指す。


「ね。やっぱ見なくていいやつでしょ」

「……免疫って」

「言葉が強いよねー。上の人、こういう言い方好き」

「好きとかそういう問題じゃない」


 俺は画面を閉じた。閉じたのに、文字が頭の中に残る。消えない。紙は破けても、記憶は破けない。


 その瞬間、放送が流れた。


『星ケア課職員の皆さま。本日もお疲れさまです。定例の惑星健康診断を実施します。惑星エルディアは健康状態——』


 また“健康”だ。


 全員が慣れた手つきで、診断室へ向かう。俺も流れに従った。従うしかない。従うのが仕事だ。


 診断室には、中心に大きな水晶柱が立っている。表面には星の紋様が走り、内部では淡い光が脈打っている。これが「星の状態」を測定する装置だ。装置なのか儀式なのか、もはや誰も区別しない。どっちでも結果は同じだ。


 局長——グラドが壇上に立ち、いつもの事務的な声で言った。


「よろしいですか。静粛に。惑星エルディアの健康診断結果を読み上げます」


 彼は紙を持っている。装置の結果を、わざわざ紙に印刷して読む。未来の技術を、過去の形式で扱う。これが役所だ。


「惑星エルディア。健康状態——良好」


 室内に拍手が起きた。起きるな。なにを祝ってるんだ。


 グラド局長は続ける。


「なお、軽度の熱が確認されていますが、想定内です。慌てず騒がず、定例業務に戻りなさい」

「想定内って便利な言葉だな……」


 俺が小声で呟くと、ミーナが肩で笑った。


「ね。人類の三大魔法。“想定内”“前例がない”“担当が不在”」

「二つ目からして最悪だ」


 診断室を出ると、窓の外が見えた。


 嵐は去っている。雲はまだ厚いが、暴れる気配はない。静かだ。異様に静かだ。


 その静けさが、俺は怖かった。


 俺はふと、あの黒ラベルの文字を思い出す。


【免疫反応レベル:軽度→中度へ】


 ——免疫反応。

 ——異物排除。

 ——星の身体。


 俺は窓辺に立ち、遠くの街を見下ろした。裂け目のある地区は、上から見ると傷口のように見える。包帯の代わりに、俺たちが引いた封鎖線が張り付いている。


 星は何も言わない。


 ただ、少しだけ——熱を上げていた。


 その熱が、どこへ向かうのか。

 誰に向かうのか。


 俺は知らないふりをしたまま、書類の山へ戻っていった。

 それが、この世界で生きる方法だからだ。


 ……少なくとも、今までは。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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これからもどうぞよろしくお願いします!

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