episode1-8
『本当にいいんだな? 知ればお前は後悔するかもしれないぞ?』
ハンスは本当のことを言ってたじゃないか。確かにあの時オレは知りたかった、けど、あんなことになるとは思わなかった。
『いいものを見せてもらった! 俺の力だけでは操る時間に制限があったようだが流石は人形、といったところか』
オレは人形なんかじゃない。でも、そうじゃないとは言い切れない。
──……マ!
『──お前の名前は、何だ』
『セルマ……セルマ・アインザーム』
なんで、ハンスはオレの名前を聞いたんだろう。聞かなくても、オレの名前なんか知ってるはずなのに。
──セルマ!
「!」
「もう! 話、聞いてた?」
「え? あ、あぁ……」
目の前にあるバルドとルカの顔に目をパチクリさせながらセルマはそう答えた。
あの日から早三日、セルマたち三人は一階の酒場で話し合いをしていた。といっても、セルマはずっとこうしてうわの空である。ルカとバルドが話していても曖昧に返事をするだけでちゃんと聞いているのか分からないのだ。だからその度にルカがこうしてセルマの名前を大きな声で呼ぶのだ。二人はセルマがこちらを見ると呆れたような顔をした。
「ほんとかぁ? じゃあ、これから気をつけるようにした決めごと三つ全部言ってみろ」
本当は全くと言っていいほど話を聞いていなかったセルマはバルドの言葉に心の中で頭を抱えた。でも思い返してみると二人はセルマのことについて話していたような気がするので、何となく二人が言っていたようなことを並べてみることにした。
「お、オレのことだろ? ……記憶が戻ったら報告する。単独行動する時はどちらかに主旨を伝える。後は……」
そこでセルマは詰まってしまった。聞いていなくて分からないのだ。これ以上は隠せないと思って小さくすまないと零して二人を見る。バルドはいつもの笑顔を隠したまま腕を組むとセルマに答えた。
「一人で考え込まずに俺たちを頼る、だろ?」
「あぁ……そうだったな」
そういえば、というように頷いたセルマを今度はルカが怒った。
「あぁそうだったな、じゃないよ! 大事なことなんだから、しっかり覚えて!」
「うん……分かってるよ」
ルカに言われるとセルマは弱い。セルマは包帯が巻かれた右腕で困ったように後ろ頭を掻いた。これも彼の癖である。……が、バルドはセルマのその行動を止めた。
「普通に動かしてるけど、腕大丈夫なのか? 安静にしとかないと治らないぞ」
先日のことを思い出せばセルマの右腕にはチャクラムの刃が深く刺さっていたはずだった。プレイヤーならまだしも普通の人間なら痛みで動かせないほどの傷だとバルドは分かっていた。それなのにセルマは難なく腕を動かしている。まるで初めから怪我なんかなかったかのように。
「傷なら、多分もう大丈夫。ハンスも……お前はそんなヤワな体じゃないって言ってた。よく分からないけど」
「お前に関しても調べないとな……。普通じゃねえからな、それ」
──普通じゃない、か。
恐らく初対面でそれを言われれば、特に気にすることなくセルマは生きていただろう。今はとても気にしないとは言えない。バルドにも悪気はないのだろうが、セルマは心が重くなるのを感じた。
「ハンスはああ言ってたけど、記憶はどう? 何か思い出せたりはした?」
ルカにそう聞かれてセルマは少しの間黙った。その間に何を思っていたのかは、ルカとバルドには分からない。やがてセルマはふるふると首を横に振った。
「……何も。でも、二人も見た通りだ。オレは普通じゃない。あんな姿は……人間でもプレイヤーでもない。ただの化け物だ」
セルマは目を伏せると椅子から立ち上がり、歩き始める。その方向は店の出口へと向かっていた。おぼつかない足取りのセルマの腕をバルドは掴んだ。
「おい、どこ行くつもりだ」
「……すまないが、しばらく……一人にさせてくれないか。そんなに遠くには行かない」
セルマの憔悴している様子に思わずバルドは手を離し、その場に立ち尽くした。ルカも気づいていたのか、あえて彼を止めるような真似はしなかった。取り残された二人は困ったようにお互いを見る。
「参ったな」
「これじゃ、まだ話せそうにないね」
「まったくだよ。でも、今話しても、かえってアイツを悩ませるだけかもしれない」
バルドの言うことは尤もだった。ルカも、セルマの様子を見ていてそれは思っていた。ルカは口を結ぶとため息をつく。
「昨日の夜に二人で考えたけど、セルマに三番目の決めごとは早かったかな……」
「考えても仕方ない。アイツはまだ悩んでるんだ。気持ちの整理がついたらアイツだって俺たちを頼ってくれるさ。いつ帰ってきてもいいように、俺たちはここで待ってようぜ」
「……そう、だね」
バルドに答えながら、ルカはどこか嫌な感じがしていた。ルカの視線は今はもう閉じられたここの出入り口へと向いていた。
*****
「オレは……人形なのか……?」
酒場から一人フラフラと歩き続けて、セルマがたどり着いたのは路地裏の先にある、かつてルカを見つけた場所だった。ここなら表通りから離れていて人気もない。だから、誰も来ないだろうと踏んだのだ。壁にもたれかかり、ズルズルとセルマはその場に座り込む。
「オレは……セルマ・アインザーム、19歳、7月12日生まれ、ホルンプレイヤー……それで……後は何も、分からない。何も知らない……」
そのまま蹲ったセルマの頬を風が優しく撫でた。遠くから微かに表通りの賑わいが聞こえてくる。それは今日の予定を話していたり、通りで生演奏をしている楽器の音色だったり。普通の人間なら簡単に手にできる普通の幸せの音だった。しばらくセルマはそのまま座り込んでいた。
──バルドとルカにも、八つ当たりのようなことをしてしまった。帰ったら、謝らないとな……。
「オレは、何者なんだ……」
誰が答えてくれるわけでもないが、セルマは小さく呟いた。
「──不法侵入犯にしては、ずいぶん辛気臭い顔してますね」
突然自分の前で凛と響いた声にセルマはビクッと肩を揺らした。
「っ、誰だ……っ!?」
セルマは顔を上げて、文字通り固まった。目の前にしゃがんでいる少女含め、大勢の一般兵に銃を向けられ、囲まれた状態だったからだ。いや、彼らは一般兵とは違う制服を着用しているから普段の一般兵とは違うのかもしれない。次の言葉を発しようとしたセルマの口を彼女は小さな手で塞いだ。
「私の名前はスカーレット・ファスベルダー。ウルフヘズナルのマーナガルムといえば話は通じるでしょうか」
──ウルフヘズナル!? 何でオレを知ってるんだ……!
「安心してください。ここで貴方を捕まえるつもりはありません。今回はただ偵察に来ただけです。ですが……せっかくお会いできたので質問をさせてください」
スカーレットはゆっくりセルマの口から手を離すと、周りの一般兵に銃を下ろすようサインした。ガチャガチャと音を立てて自分から銃口が下ろされるのを見たセルマは唾を飲みこむ。
──質問に答える、か。信用できない相手だ、下手に喋らない方が良さそうだな。
「私は……いえ、ウルフヘズナルはシュナイダー指揮者から貴方ともう一人、バルド=エックハルトを秘密裏に捕まえるようにと任務を出されました。お嬢様を誘拐したことは重罪ですが、なぜ生け捕りなのか、私には理解できません」
「……そう、なのか」
「私は、知りたいんですよ。もう一人はともかく無名の貴方をなぜシュナイダー指揮者が気にするのか……貴方は彼とどんな関係なんですか?」
「どんな関係と、言われても……」
──オレが知りたい。
セルマは強くそう思った。こうなってしまった発端もセルマがハンスに自分のことを聞くために潜入したからだ。それに、とセルマはスカーレットから顔を逸らす。
「……アイツに、直接聞けばいいだろ」
「あの方は答えてくださらなかったどころか、貴方に直接聞けとおっしゃられたので」
無理やりにでもセルマの視界に入ってくるスカーレットはハッキリとそう言った。何だと、とセルマの顔が顰められる。
──違うだろ、めんどくさくて話さなかっただけだろ。
「オレは……オレも、何でアイツがオレに執着するのか、正直分からない」
「そんな言葉が通用するとでも? 自分が何をしたとか覚えてないんですか?」
何も知らないくせに、とセルマはスカーレットに怒りを覚えた。だが、事実は事実だ。覚えていないのだ。痛いところをつかれたセルマはこれ以上何も言えなかった。ただ時間だけが過ぎていくことに痺れを切らしたスカーレットは大きなため息をつく。
「まさか、記憶にないとか言わないですよね」
「……ハンスからオレは記憶喪失だって聞いてないのか? 悪いがそのまさかだ。ハンスがオレの記憶を持ってるからな」
「それは、どういう……」
ことですか、とスカーレットは言えなかった。彼女が質問し終える前にセルマがそれを遮ったからだ。
「昨日オレがあそこに侵入したのは、自分がされた実験の内容をハンスに聞きたかったからだ。でも、その実験は……意志を持たないただの殺戮人形になることだった。オレはバルドを殺しかけたんだ。ハンスのところに行けば、また意識がなくなるかもしれない。オレがオレじゃなくなるのは……もう嫌だ」
「…………」
「気が済んだのなら……どいてくれ。もうアンタと話すことはない」
「……道を開けてください」
スカーレットが指示すると一般兵はセルマから離れた。セルマは壁をつたって立ち上がるとスカーレットを見る。
「すまない。オレは……アンタたちに、捕まるわけにはいかない」
セルマがその場を立ち去ろうと足を動かした時だった。頭上から大きな笑い声が降ってきた。二人はすぐに声のした方を向く。
「ハハハハハッ、コイツ陰キャのくせして結構面白いやつじゃねえか! なあ、マーナガルム?!」
「ゲリ! 貴方、なぜここに……!」
「こんな天気のいい日には外で昼寝してえに決まってるだろ! 話し声が聞こえると思ってぼんやり聞いてれば、偶然俺らが追ってる奴とマナだった。なぁんだ、面白そうだから俺も混ぜてくれよ!」
昼寝なんかしてないで仕事してくださいよ、というスカーレットの声は誰にも届かなかった。ニクラスは建物の屋上から飛び降りるとセルマの目の前にほとんど音を立てずに着地した。セルマは後ずさったが狭い路地ではすぐに壁と背中合わせになる。ニクラスは自分より頭一つ小さいセルマの顔を覗き込むとニタリと口角を上げた。
「お前がセルマ・アインザームか。ククク……コイツをねぇ……」
ニクラスはセルマから目を逸らすと思いっきり彼の鳩尾に己の拳を打ち込んだ。
「つッ──!?」
一瞬息が止まり、ビリビリと走る痛みにセルマは声を出すことすらできなかった。セルマの視界の端でスカーレットがニクラスに駆け寄るのが見える。
「な、何してるんですか!」
「何、だって? 決まってるじゃねえか!」
ニクラスはスカーレットの方を向きながら倒れかけたセルマの腕を掴んで引き上げた。セルマは腕を引き上げられた痛みと腹の痛みに呻く。
「仕事だよ仕事。コイツだけでも生け捕りにすればいいって、ハンスから個人的に言われたからな。つまりコイツさえいれば任務は半分終わるんだ。俺、何か間違ったことしてるか?」
「で、でも! 一度偵察をしてからとみんなで決めたじゃないですか! それに貴方、この仕事は受けないって……! とにかく、ここで彼を捕まえるのはフェアじゃない!」
スカーレットは必死にニクラスを説得しようとするが、ニクラスはまったく聞く耳を持たなかった。ニクラスがスカーレットを無視してセルマを連れて行こうとした時、ニクラスに腕を掴まれているセルマが抵抗をする。
「…………せ」
「まだやるか?戦うなら大歓迎だぞ」
「離せ……ッ! アンタは誰だッ!」
セルマは力の限りに腕を振った、つもりだった。その抵抗も小さいものなのか、ニクラスはそんなセルマに驚くこともなくただ彼の腕を握る力を強くしてその体を壁に押し付ける。
「おおっと、暴れるなよ。そーか、自己紹介まだだったよな。俺はそこの鉄面皮ちゃんと同じウルフヘズナルのニクラス・ヴァルター。コードネームはゲリだ。よーく覚えとけよ」
「オレを連れていくのか……!?」
セルマは逃げようともがきながらニクラスにそう聞いた。逃げることができないことにセルマの中の焦りは強くなり、呼吸がどんどん乱れていく。ニクラスはハハ、と笑い声を漏らした。
「ああそうとも! 嫌か?」
「当たり前だ! また二人に迷惑が……」
セルマは続きを言いかけてやめた。彼の服のポケットの中の携帯が鳴ったからだ。
「……おい、鳴ってるぞ。確認すればいいじゃねえか」
ニクラスの発言に驚きながらも、セルマは掴まれていない方の手でポケットの中の携帯を取り出すと電源をつけた。画面に表示されたのはバルドからのメールだ。
[──出て行ってしばらく経つけど、大丈夫か? 俺もルカもこの前のことは気にしてないから、一人で思い悩むんじゃないぞ。──]
「……ふーん」
セルマが携帯をしまおうとするとニクラスはひょいとそれを取り上げた。彼は携帯の画面を見ながら笑うとセルマの方を向く。
「なあ、セルマ。俺とゲームしねぇ?」
「は……?」
何を言っているのか分からない、とセルマは思った。困惑している様子のセルマにニクラスは取り上げた携帯の画面を彼に見せる。
「今から俺がお前を誘拐する。お前はこの携帯でバルド・エックハルトに24時間以内に自分を助けて欲しいってメールするんだ。それでアイツが助けに来れたらお前の勝ち。お前を解放してやる。でも助けに来れなかったらお前の負け。俺はお前をハンスに受け渡す。どうだ?」
ニクラスから出たゲームの内容にセルマは目を見開いた。どう反応すればいいかも分からない。これは、勝てるのか? それとも、いや、目の前の男は何を考えている? すぐそばでスカーレットも同じ状態になっている。スカーレットはニクラスに慌てて詰め寄った。
「ちょっと、なんてこと言ってるんですか!」
「あーうるせぇな! 俺が全部責任持つっての! 信用できねえならそばで観察でもしてればいいじゃねえか。で? セルマ、お前はやるの? やらないの?」
セルマはもう一度、差し出された携帯の画面を見た。変わらないメッセージが画面には表示されている。何事もなかったようにあの場所へ帰ることができればそれが最も良いのだが。脳裏でそれを思ったセルマを見透かしたのか、ニクラスは掴む力をより一層強くし、低い声でセルマに囁く。
「一人でなんとかなるとかガキじみた考えは捨てたほうがいいぜ。この状態ならお前一人くらいすぐに連れていけるんだからな」
ニクラスが力を込めると骨が軋むような音がする。このままだと折れてしまうかもしれない。セルマはもう反抗することを諦めた。セルマはニクラスを真っ直ぐ見る。
「……分かった、やるよ。どうせ、オレに拒否権なんかないんだろう?」
「ヘヘっ、お前が話が通じる奴で良かったぜ。じゃ、歯食いしばりな!」
振りかぶったニクラスの一撃でセルマの視界は真っ暗になった。
*****
「は…………?」
ガシャンッと音を立ててバルドの持っていたグラスが床に落ちて割れた。オーナーのウォールの顔がみるみる真っ赤になる。それを見たバルドは逆にその顔をどんどん青くしていった。飛び跳ねてる髪もシュンとなっていく。
「バルド! 貴重なグラスを……!」
「あああぁぁぁおっさん! グラス代は後で弁償するから、今それどころじゃねえんだ! る、ルカ、ルカーーーー!」
バルドから呼ばれたルカは様子がおかしいバルドを見て何か起きたのだと感じた。なるべく平静を装ってルカは彼に近づく。
「そんなに慌てて、どうしたの?」
「ルカ! これ見てくれよ!」
バルドはルカに自身の携帯画面を見せた。ルカが困惑した表情を浮かべる。
「なに、これ……どういうこと?」
「俺だって分かんねえよ……!」
テーブルの上に放られたバルドの携帯にはこんなメッセージが表示されていた。
[──今から24時間のゲームをしよう。ルールは簡単、セルマを探せ。アスガルデのどこかに俺はセルマと一緒にいる。制限時間内に見つけてみせな。参加するかはお前の自由だ、バルド・エックハルト。そうだな、セルマのことを仲間だと思っているならまずはこのメールに返信しろ。ウルフヘズナル:ゲリ──]




