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episode1-6

「ど、どうなってんだこれは……!」


1階のエントランスに降りたバルドとルカは予想外の事態に目を見開いた。先程まで姿すら見えなかった一般兵たちが、まるで自分たちを出さないように周りを囲っていたからだ。中央にはセルマを抱えたハンスが立っている。


「バルド、セルマが……!」


「クソッ……こうなるかもしれなかったから嫌だったんだ! おい、セルマを離せよ!」


こうなると分かっていたからとはバルドは口にしなかった。悔しさのあまり、バルドは無意識のうちに握り拳を作る。気持ちだけでは、今でもハンスを殴りにいきたいところだった。だが今はセルマのためにも、それを堪えるしかない。


「そんなに騒がなくても、お望み通り離してやるさ」


ハンスは雑にセルマを床に落とした。鈍い音と衝撃にセルマは混濁している意識のままゆっくりと身体を起こした。そのまま虚ろな目で彼は二人を捉えると、ハッとして後ろに下がった。その顔には珍しく焦りと困惑が浮かんでいる。


「ハンス、二人は関係ないと言ったはずだ!」


揺れる瞳でセルマはハンスに訴えていた。セルマの右手からは武器を出す時に出る青白い光がポロポロと落ちていっている。彼自身も苦しそうに肩で息をしていた。明らかにセルマの体には異常が起きている。


「何故だ? 少なくともあのラッパはお前が記憶喪失だということを知ってるはずだ」


「おい、俺はトランペットであって、ラッパじゃないぞ!」


これについてはトランペッターが通る運命である。他のパートの奏者や指揮者からはラッパでも別に違いはないだろうと返ってくるのだが、トランペットと呼んで欲しいのだ。それが何故かは誰にも分からないが。セルマとハンスはバルドのことなど気にせず二人で会話を進めている。


「でも、これはオレの、オレ自身の問題だ! アイツらは知らなくていいことなんだ! だって、アイツらは……」


「アイツらは?」


──ただの、他人じゃないか。


その言葉をセルマは飲み込んだ。飲み込んだ代わりに彼の口からは、か細く息が出ただけだった。そのままセルマは己の唇を強く噛んだ。彼のその仕草は、彼自身がどうしようもできないと思うときにする癖だった。それを見てハンスはセルマを嘲笑う。


「ふん、お前の考えてることは分かるぞ。あの二人は他人だから関係ないとでも言いたいんだろう? ……他人だからと甘く見てないか? たかが他人、されど他人。他人というものはこちらに直接干渉はしてはこないが、異常への執着は目を見張るものがあるぞ。相手のことを知ろうともしないで己の価値観だけで相手の全てを決めてしまう。お前が今まさに他人だと決めつけた二人も、今はお前のことを仲間だと勝手に思っているだろうが……さあ、どうなるだろうな」


「やめろ!」


制止するセルマをよそにハンスは指をパチンと鳴らした。するとセルマの瞳孔が開き、彼は意識を失う前と同様に耳鳴りと頭痛に襲われる。セルマは頭を強く押さえて痛みを我慢できないかのように叫び声をあげながらその場にうずくまる。


「がっ、ぁぁぁあああああッ!!」


「た、助けたほうが……!」


「決まってんだろ! 俺が行く、ルカはここで……!」


「来るなッッ!!」


「ッ!」


バルドが武器を持って駆け寄ろうとした瞬間、セルマは持ち得る限りの声で叫んだ。額に食い込んだ指からは血がつたい、目は痛いほどに見開かれている。彼は荒い息で苦しそうに額に脂汗を多く滲ませながら、続けて叫ぶ。


「絶対に来るな! 今すぐ逃げろ! じゃないと、オレは……! う……い、や、嫌、だ!! やめろ、やめて、くれ……ッ!!」


突然の出来事にバルドもルカもその場を離れることはできなかった。一般兵たちも尋常ではないセルマの様子に息を飲む。ハンスだけが、セルマを期待に満ちた目で見ていた。


「お前の本来の醜い姿を、何も知らない奴らの目に焼き付けてやれ」


やがてセルマの声が止み、彼の左手が上がる。その動きはとてもゆっくりで、静かで、その場に居合わせた誰もが彼に注目した。そして彼の左手からはいつものような青白い光ではなく黒い霧のようなものが現れ、それは霧がかった真っ黒なチャクラムになった。そして開かれたセルマの目はいつものような落ち着いた緑ではなく、血のような赤に染まっている。バルドはセルマの異変に気づくと無意識のうちにルカを守るように前へ出た。


「なんだあの黒い武器は……それに、セルマは右で戦うはず。何が起きてる……!?」


「バルド、セルマの目を見て! 今のセルマはセルマじゃない!」


「明らかマトモですって感じじゃねえな! 戦うしか……おおっと!」


そう言ってバルドが武器を出して構えた時には、セルマはバルドの目前へ迫っていた。彼のチャクラムの攻撃を、バルドは間一髪自身のマシンガンで受け止める。暗い屋内に火花が散った。


「きゃ!」


「おいおい血気盛んじゃねえか! お前がこんなに凶暴な奴だとは思わなかったぜ……!」


セルマは無言のまま目を細めると、バルドと距離をとった。バルドはセルマの今の瞳が冷たい炎のように思えた。まるで燃えているのに燃えていないかのように。映しているはずなのに映していないかのように。そしてバルドはこうも思った。


──アイツ、なんであんな悲しそうな顔をしてるんだ?


セルマは今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。いや、とバルドは考えた。セルマは記憶を失っているものの、今は記憶を失う前の本来の彼が出ているのではないかと。


──多分今のアイツは自分の意志なく戦う事しか考えられない。待てよ、それって……ルカのフェンリルの話と一緒なんじゃねえか!?


『こういう例外を除いて、オレは自分の意志で動けないし、気づいたとしても相手は目の前で死んでる』


バルドの頭の中にさっきルカから聞いたフェンリルの言葉が浮かぶ。


──でも、セルマはフェンリルじゃない。だって名前聞いても知らなかったしな。だけど……俺が頑張ってセルマの攻撃を耐え続けていれば意識を取り戻してくれるかもしれない!


「ルカ! 確証はねえが、俺がセルマを何とかする! お前は怪我しねえように自分の身を守っててくれ!」


「ん、分かった!」


バルドはルカに向かってガッツポーズをすると視線をセルマに戻した。バルドの顔は先程とは打って変わって自信に満ち溢れ、その口には笑みが浮かべられている。


「俺、こう見えても頭の回転と計算だけは自信あるんだぜ? ちょうどお前ともやり合いたいと思ってたところだ! 俺とお前、どっちが上か勝負しようぜ!」


両者が、床を蹴った。

バルドのマシンガンの銃撃をセルマはチャクラムを駆使して弾いていく。それでもさすがはマシンガンであると言ったところであろうか。流石のセルマでも弾き飛ばせる弾の数には限度があった。自身の頬や腕に銃弾が掠り、セルマは少しだけ目を見開く。だがそれも一瞬の出来事だった。すぐにセルマは接近戦に持ち込むと、バルドに何度もその黒い刃を振るう。接近戦に持ち込まれるとマシンガンを武器とするバルドは不利だ。なんとかセルマと距離を取ろうとバルドが足を動かすが、セルマは凄まじいスピードで彼を追い詰めていく。だがバルドは、ここにきた当初のようにその足を止めることはなかった。


『バルド、怖いか』


お前を助けるんだ、怖くない。

足を動かせ。

頭を働かせろ。

セルマに殺されてはいけない。

アイツの、ハンスの思い通りにはさせない!

激しい金属音と銃声がフロア全体を支配している。セルマとバルドはお互いに傷を作りあいながらも怯むことなく相手へと攻撃をしていった。そのおかげで彼らの体は打撲痕と切り傷で埋め尽くされている。


「お前速いな……! こりゃあ追いつくので精一杯だ」


──だけど、動きがどんどん遅くなってる。やっぱり操る時間にも限りがあるっぽいな。俺の計算通りだ。これは勝てるぞ……!


長時間お互いに譲らない戦闘が続いたのが応えたのか、バルドもセルマも息が上がっていた。ここがフィナーレだ。バルドは大きく息を吐くと、ここである賭けに出た。


「ははは……なあ、いい加減正気に戻れよなー。それとも、そんなにまだ俺と戦いたいか?」


「…………」


「悪りいけど、俺もう疲れちまった。だってお前強いんだもん。降参降参」


「…………」


バルドは持っていた自分の武器を上に思い切り放り投げた。それと同時にセルマの足が地面を蹴る。一瞬のことが、スローモーションのようにゆっくりと流れていく。バルドの武器が床に落ちた音が鳴るのと、セルマがバルドを押し倒したのはほぼ同時だった。


「バルド!」


「ッ!」


すぐに訪れるであろう痛みに備え、バルドは目を強く瞑った。でも、いくら待っても痛みは来なかった。その代わりに生温い液体がバルドの頬へと落ちる。その感触にうっすらとまぶたを開けば、その液体はセルマの右腕から流れ出ていた。逆光でセルマの顔は見えづらいが、綺麗に揺れる緑の目が彼が正気になったことを物語っていた。震える声で、セルマは言葉を紡ぐ。


「……間に合って、よかった。すまない、オレの、せいで……」


セルマは自分の右腕に刺したチャクラムを引き抜くとそれを床へと叩きつけた。チャクラムは黒いモヤと共に消えていく。彼の右腕からは絶え間なく赤い血液が出ている。傷口を左手で抑えるとセルマは立ち上がってバルドから離れた。その表情はまるで何かに怯えているようなものだった。


「こんなつもりじゃ……なかった。こんなつもりじゃ……」


パチ、パチ、パチ。

静かな空間に一人の拍手が鳴り響く。拍手をした主は喜びを隠せない顔をしてセルマに近寄った。セルマは後ろに下がろうとしたが足がすくんでしまい、下がることが出来なかった。狂気的ともとれるハンスの笑みにセルマはその場から動けなくなった。完全に怖気づいてしまった彼を見ながらハンスはその口を吊り上げる。


「良いものを見せてもらった! 俺の力だけでは操る時間に制限があったようだが流石は人形、といったところか」


ハンスの言葉が、嫌に響く。彼の言葉に弾かれたようにセルマは躓きそうになりながら逃げる。


「……うる、さい」


「今の戦闘でまた記憶が取り戻せたんじゃないか? お前の望み通り、お前自身を知れたのだから」


逃げようとしても、絡みついてくる。セルマは血が流れる腕を気にせず耳を塞ぐ。


「……黙れ」


「つれないな、少しは俺に感謝したらどうだ? お前が知りたがっていたお前の実験の結果はちゃんと見せてやったし、頭のいいお前なら記憶がなくとも大体は理解できただろう?」


「黙れッ!」


セルマはもう何も聞きたくなかった。敵の前でこんな情けない顔を見せてはいけない、そんなことは分かっている。だが、今はそんなことすら考えられない。全てが怖い、信じられない。


「オレは人形なんかじゃないッ! こんなのはオレじゃないッ! オレは、オレは……ッ!!」


──……誰だって言うんだ。何も覚えていないのに、何を持ってオレはオレを証明できる?


セルマは今、自分の身に起きていることを理解したくなかった。操られていたとはいえ、意識のない間に確かにバルドを殺そうとしてしまったこと。あの人格が自分の一部となるような実験をされたこと。数分前の自分を自分ではないと証明することができないこと。セルマの中で呼吸の音がどんどん大きくなっていく。ついに訳が分からなくなってセルマが叫びかけた、その時だった。


「セルマ、だめ!」


背中に走った衝撃にセルマは我にかえった。自身の背中から感じられる温もりに視線を移せば、ルカが後ろから抱きついているのが見えた。


「ルカ……?」


「深呼吸して、落ち着いて? どんなに混乱しても、自分を見失っちゃ、ダメよ」


ルカの言葉はセルマの心を締め付けた。数分前までバルドを殺そうとしていたのに、優しくされる意味が分からなかった。セルマはルカから視線を逸らすと俯く。


「……離れろよ。またさっきみたいに操られて、今度はアンタを殺そうとするかもしれないぞ」


「ううん、大丈夫。私たちは絶対にセルマに殺されたりしないよ。だって私たち、仲間でしょ?」


「っ、なかま……」


セルマの体の力が抜けていくのを感じてルカは額を彼の背中に当てる。彼の心臓の音がだいぶ落ち着いて聴こえたことに安心した。セルマの背中はとても温かかった。貴方は人形なんかじゃないよ。ルカは小さく呟く。


「今さっきだって、バルドを助けてくれたじゃない。……頑張ったね。今日はもう頑張るの、やめよ?」


「…………うん」


セルマは小さく、そう呟いた。ルカはゆっくりとセルマから離れると、いつのまにか立ち上がってこちらに来ていたバルドへと目を向けた。バルドは武器を消して服についた汚れをパタパタと落としながら困ったように眉を下げる。


「えーと、何というか、一件落着ってことでいいのか?」


「そういうこと」


「はぁ〜〜……死ぬかと思った……」


バルドのそれに、セルマはごめんと小さく言った。いいんだよ、とバルドは笑うとセルマの目が覚めた時と同じように彼の頭をわしゃわしゃと撫でた。そんな三人の様子にハンスは静かに見ていた。


「……敵陣のど真ん中で呑気な奴らだ。どうやら周りの状況すら考えられない愚か者の集まりらしい」


先程とは打って変わって無表情のハンスが口を開く。声色も、高揚したものではなく落ち着いた、いつもの声である。ハンスは三人を見ると笑みをこぼす。


「まあ、いいだろう。特別だ、そこの素晴らしいホルンプレイヤーに免じて今日は見逃してやる」


「……行こう、バルド」


ルカはハンスの言葉をすんなり受け入れ、セルマの腕を引いていこうとした。バルドがルカに耳打ちをする。


「信じていいのか?」


彼の言葉を受け入れているルカに対し、バルドはハンスを警戒していた。それもそのはずである。彼に出会ってからの自分はろくな目に遭ってない。バルドは戦ったことがないからハンスの戦い方は知らないが、彼の実力が確かなものであることは知っている。背中を見せた瞬間に何かをされるかもしれないし、ここにいる兵士を動かす可能性だって少なくない。


「信じるも何も、俺は嘘はつかないからな。ここで捕まりたいというなら構わないが?」


──なんだコイツ、ムカつく。


すぐにバルドはそう思った。今回ばかりはバルドも眉間にシワを寄せた。ハンスの方を見つめたまま黙り込んでしまったバルドの背中をルカは優しく叩く。


「バルド、イライラするのは分かるけど抑えて。ここで乗せられちゃ、ダメ。セルマが大丈夫なうちに逃げるよ」


「あ、ああ……」


ルカがセルマの腕を引いてハンスの隣を通り過ぎる時、ハンスは何か思い出したように二人を引き止めた。


「そうそう、聞きたいことがあるんだった。セルマ、」


「…………」


「──お前の名前は、何だ」


ハンスがそう聞いた時、セルマの頭に微々たるものではあるが電流のようなものが流れたような気がした。名前と言われても、彼にはセルマという名前しかないはずだ。でもセルマはこの瞬間だけ、自分の名前に違和感を覚えた。だが、


「セルマ……セルマ・アインザーム」


そう答える他、なかった。


「……そうか、分かった」


微笑を浮かべるハンスに何がおかしいんだ、とセルマは顔を顰めて彼に向かって口を開こうとする。だがセルマが口を出す前にルカが彼の腕を引っ張った。


彼らの長い夜は、こうして幕を閉じたのである。

どんよりと重く、そして数多い謎を残したまま。


──お嬢様が何をしようとしてるのかは理解できないが、これは……記憶の関係なくアイツは早く回収しておいた方がいいかもしれないな。


人知れずハンスはその顔を痛みで顰めた。


──逃すのは今回だけだ。……自由がいつまでも続くと思うな。


セルマの背中を、ハンスは口を結んで見つめていた。その真意は周りを囲んでいる一般兵にも、バルドやルカにも、そしてそれを向けられているセルマ本人すらも、まだ知る由はない。

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