episode1-5
「うわああああああッッ!!」
狭いダクトを通って、バルドとルカはとある部屋に落ちた。ルカは慣れているようで上手く着地したが、バルドは当然慣れているわけがないので顔から床へと着地した。痛む額をさすりながらバルドはルカに向かって勘弁してくれと抗議する。
「いっっっって! 落ちるなら落ちるって教えてくれよ〜〜!!」
「仕方ないじゃない、時間がなかったんだから!」
ルカは顔を膨れさせる。あれは流石に仕方なかったかと思いながらバルドは立ち上がった。恐らくぶつけたところは彼の少し日に焼けた小麦色の肌でも赤く腫れていることだろう。帰ったらウォールに頼んで氷をもらって冷やそうとバルドは心に決めた。まずは目の前のことをやらなければならないと、バルドはルカに聞く。
「はあ……俺たちはどこを通ってこの部屋に落ちてきたんだ?」
「非常用脱出経路。64階のこの部屋に落ちるようになってるの」
ルカが言うには、この非常用脱出経路は先代のルカの父親が彼女のために作ったものらしい。いつか緊急事態が起きた場合にと。緊急事態でもないのに使っていいのかという質問は置いておこう。
「へぇ……って、大丈夫なのか!? この部屋から出たらがっちり包囲されてるんじゃ……!」
バルドは思わず武器を出そうとした。その手をルカが制する。ルカの手がバルドの手に触れると彼の腕を包んでいたオレンジ色の光はふわふわと浮かんで、そして消えていった。バルドは驚いてルカに何か言おうとしたが、ルカは微笑むと人差し指を立てた。そのままルカは続ける。
「大丈夫、安心して。ここ、私しか知らないから。さ、行こう」
ルカはバルドの包帯で巻かれた手を優しく引くと部屋の外に出た。部屋の外といっても、ドアの先は会議室のような部屋へと繋がっていた。ルカの言った通り、一般兵はおろか足音一つしない。
「やけに静かだなぁ。追ってきてないのか?」
「この通路、誰も知らないから追ってはこれないよ」
「いいのかそれで」
「いいんだよそれで」
バルドとルカは歩き出した。会議室の広くて静かな雰囲気はバルドを無意識のうちにそわそわさせた。元来、バルドはどんな状況でもじっとしていられる性格ではないのだが。先程まではセルマが一緒にいて、なにかと会話をしていたからよかったのだ。気まずいなと思ってルカの名前を呼ぼうとしたが、呼び方が分からず曖昧になってしまう。
「えっと、く、クラウス……お嬢様?」
「ルカでいいよ。どうしたの?」
「じゃあ、ルカ。お前はさ、ここから出たらどうするつもりなんだ? わざわざシュナイダー指揮者の手まで煩わしてさ。ここを空けるわけにはいかないだろ?」
「んー……」
ルカはしばし考える素振りをした。そして顔を上げるといつものようにニコッと笑い、
「探してる人がいるの。ウルフヘズナルのフェンリル。その人を見つけだして、私はハンス・シュナイダーを止める」
と言った。バルドは固唾を飲んだ。ルカが言っていることは、プレイヤーでも言い出さないような、今の世界をひっくり返すと言っているようなことなのだ。バルドの様子を見ても冗談だという素振りを見せない彼女にバルドは問う。
「……それ、本気で言ってるのか? ハンス・シュナイダーは指揮者でトップで、俺たちが敵うような相手じゃ……ないし、それにフェンリルは……その姿を知られてないことで有名なはずだ。見つけられる、はずがない……」
「私は一度だけ、フェンリルに会ったことがあるの。あの日のこと……絶対に忘れない。あの人も、私と同じ考えを持つ人だった」
その日は満月で、月明かりが眩しいくらい明るかった。私は寝ようと思ってベッドに向かうところだったの。窓からいきなりドンって音が聴こえて、私は窓の方に近づいた。そこには人影があって、ひどい怪我をしてた。だから私は窓を開けてその人を部屋に入れたの。
『っ……なんで、開けた』
びっくりした。こっちを恨んでるような低い声出すんだもん。
『……ひどい怪我、してたから。どうしてそんな……血だらけ、なの?』
『ひどい怪我? オレは怪我はしてない』
彼は服に血をびっしり付けてたから、本当に怪我をしてないか私は見に行こうとしたの。でも彼は見られるのが嫌なのか、後ずさって影に隠れると声を低くしたままそう言った。
『じゃあ、返り血……? もしかして、人を、殺したの?』
『ふん……正確にはプレイヤーだ。深夜に悪いことをしたな、全部忘れろ。お前はオレと会ってないし、オレもお前と会わなかった。いいな』
彼はそのまま音も立てずに窓から出て行こうとした。何かに焦っていて、急いでる感じだった。でも、何故か彼とこのままお別れをしたくなくて、私は彼を引き止めた。
『ま、待って!』
『?』
『誰にも言わないから、名前、教えて?』
いつのまにか、そう口走ってた。ハッとして口を閉じたときには彼はこちらをじっと見て首を傾げてた。それもシルエットだけで、どんな顔をしていたのかは分からないけど。
『名前……? フェンリル。ウルフヘズナルの、フェンリルだ』
『フェンリル……ウルフヘズナル……』
フェンリルは私を見るとチッと舌打ちをした。言わなきゃよかった、とぼそっと零したのも聞こえた。フェンリルは名前だけの存在で、その他は何も知られていない。こっちが驚いて、嫌だったのかもしれない。
『もういいだろ。……じゃあ』
『本当の名前は?』
『っ、何を言って……』
『フェンリルは本名じゃない、でしょ?』
だってウルフヘズナルでの名前はコードネームだって知ってるから、名前が知りたかった。フェンリルは私の言葉に声を詰まらせてた。数分間の沈黙の後にフェンリルはそっと口を開いた。
『……はあ、何を言い出すかと思えば……変な奴』
『え?』
『いいよ、分かったよ。特別に教えてやる。────。これがオレの、本当の名前』
『────……』
私が彼の名前を繰り返すとフェンリルは笑った。その笑い方はフェンリル自身を自嘲したかのような、どこか儚いものだった。その時私は、笑っているフェンリルの口元が月明かりに照らされて見えたの。
『……この名前、もう名乗れないんだ。笑えるだろう? オレはもうフェンリルとして生きるしかないんだ』
『どうして? 名前は貴方自身が存在していることを示す大切なものよ。名乗るなって誰かに言われてるの?』
フェンリルの緩やかな弧を描いていた口がキュッと結ばれた。彼の周りを包むオーラが暗くなる。
『まあな。……こういう例外を除いて、オレは仕事中は自分の意志で動けないし、気づいたとしても相手は目の前で死んでる。日中は公にできないような実験のサンプルだ。罪のないプレイヤーを殺して、この都市は何がしたいんだろうな。ほんと、くだらない』
『…………』
『……じゃあな。今日のことは絶対誰にも言うなよ。こっちは人前に姿を現すなって言われてるんだから』
そう言うとフェンリルは私の返事を待たずに窓から外に出ていっちゃったの。私が窓を覗いた時にはもう姿はどこにも見えなかった……。
「じゃあ、フェンリルは自分の意志でプレイヤーを殺しにいってたわけじゃないって言うのか?」
バルドは考えながらそう言った。ルカもそうなのだろうといった様子でバルドにうなずく。そしてルカは確信するように微笑む。
「ね、仲間にできたらいい戦力になりそうじゃない?」
「お、おう……そうだな。結局、フェンリルの本名はなんだったんだ? 本名さえ分かれば探すのだって随分楽になるのに」
「それがね、思い出せないの。聞き取れなかったわけじゃないんだけど、なんでかなぁ」
あの時の会話は鮮明に思い出せるのに、どうしてか彼の本当の名前は思い出せないらしい。顔も見えたはずなのに、モヤがかかったように思い出せないようだ。それもルカの場合はある日突然に、だそうだ。それからは何度思い出そうとしても、そこだけ無音になったようになって思い出せないようである。バルドは髪をいじりながら近くの壁に背を預けた。
「一回しか聞いてないんだろ? よくあるよくある。まあ、なにかのキッカケに思い出せるんじゃないか? 思い出せなくても、フェンリルに会ってもう一回聞けばいいんだし」
「……そう、だね」
バルドは部屋の出口に向けて足を進めた。扉を開いて、そしてルカの方を振り向く。
「とりあえず、シュナイダー指揮者を止めるとかフェンリルに関してはセルマと合流してからちゃんと話そうぜ。まず下に降りとかないとな。じゃないと、セルマが困っちゃうし、置いてかれちゃうぞ」
「うん。あ、バルド」
歩き出そうとしたバルドをルカが止める。ルカはずっとバルドに言いたいことがあった。
「どうした?」
「……ありがとね。助けに来てくれて」
ルカの言葉にバルドは少しだけ目を見開いたがすぐにいつものように笑う。
「礼なら俺じゃなくてセルマに。俺だけだったら、ルカに会えなかった」
「優しいんだね、バルドは。それに、セルマも」
「そこまで言われると照れるな。アイツ、素っ気ないし素直じゃねえけど、お前のこと心配してたから。じゃ、行こうぜ」
時間稼ぎと言われたって、時間が長いわけではない。二人は1階への道を急いだ。
*****
──これで、ダメなのか……?!
「もう来ないのか? ならば、俺から行かせてもらおうか」
「ッ!」
先程までハンスは一歩も動くことなく、セルマの攻撃を避けていた。セルマは自分の持ち得る力の限りでハンスを追い詰めていたつもりだったが、彼の肌はおろか、その燕尾服に一つも刃で傷付けられた跡はない。
ガキンッ! キィンッ!
ハンスの一撃一撃が重い。これが英雄と謳われた男の実力であろうか。今のセルマにはハンスの攻撃を受け流すことで精一杯だ。受け止めることすら、危ういかもしれない。そしてついにハンスのレイピアがセルマのチャクラムを弾き飛ばした。武器を失ったセルマの体をハンスはレイピアの柄の部分で殴り飛ばす。セルマの体はいとも簡単に吹き飛ばされ、デスクに衝突した。セルマは呻きながらその場に膝をつく。
「ぐッ……!」
「だいぶ動けるようになったんだな。驚いた」
肩で息をして時折セルマは咳き込む。対してハンスは息を上げてすらいなかった。加えて微笑まで浮かべている始末である。
「まだ俺には敵わんが、お前にしてはよくやった」
ハンスはレイピアを元の指揮棒に戻してセルマの方に足を進めた。そして彼の前まで来ると、おもむろにしゃがみ込んで目線を彼と合わせる。
「いいだろう、教えてやる。だがその前に確認しておきたい」
「…………」
「本当にいいんだな? 知ればお前は後悔するかもしれないぞ?」
「オレはオレを知りたい。後悔したとしても……それがオレの求める真実なら」
「……そうか。なら、遠慮はいらないな」
次の瞬間、ハンスはセルマの首を掴むと彼の体を床に押し付けその上に跨った。咄嗟のことにセルマは驚くだけで抵抗ができなかった。すぐに息苦しさを感じて彼の腕を両手でどかそうとするが、彼の腕はビクともしない。
「な、何を……!」
「大人しくしろ。教えてやろうとしてるんじゃないか」
片腕と片足でハンスはセルマの体を押さえつけると、指揮棒の先端を彼の額に近づけた。セルマは目を瞑りそうになったがじっと先端を見つめた。体の奥から危険信号が送られてくる。でもそれには……従えない。
「言っておくが、今からじゃないぞ。お前だけが知るのはナンセンスだろう?」
「く、やめろ、アイツらは関係な……ッ! ああぁ、ッ……!」
激しい耳鳴りと頭痛がする。ハンスの声が聞こえない。聞こえてくるのは自分の激しい呼吸と呻き声だけだ。セルマは体を捩らせて痛みから逃れようとしたが、他でもないハンスがそれをよしとしなかった。セルマのハンスの腕を掴む力が強くなる。ギリギリと音まで聞こえてきそうな勢いで腕を掴むセルマをハンスは敢えて止めなかった。ハンスがセルマの顔を見ると、生理的な涙が彼の頬を伝い、口からは苦しそうな吐息が漏れている。やがて痛みにも抗えなくなったのか、抵抗は徐々に小さくなっていく。
「……次に目が覚めた時に全て分かるさ。尤も、お前次第だがな」
恐らく聞こえてなどいないだろうがな、と思いながらハンスはそう言った。とうとう痛みに耐えきれず、セルマは意識を手放した。




