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episode1-2

さすがは世界最大の街である。入り組んだ街の表通りを走り、暗い路地裏に入ったところで先程の彼女を二人は発見した。彼女は疲弊して走れなくなったのか、肩で大きく息をしながら片手を壁についている。彼女を見つける事ができたバルドは見るからに嬉しそうな顔で彼女に駆け寄った。


「良かった〜! 捕まってたらどうしようか心配したぜ!」


「だ、誰ですかあなたは!?」


──知り合いじゃなかったのか?


二人から少し離れたところでセルマはその様子を傍観していた。バルドは嬉々として彼女に話しかけているようであったが、当の本人は相当困惑している。セルマはもしかしてバルドがストーカーなのではないかと疑いながら、しばらく成り行きをみていた。が、ここにいる必要がないなと思うとバルドに声をかける。元々セルマはこんなことをしにここに来たわけではないのだから。それに、他人を気にかけるような性格でもなかった。


「おい」


「お、どうした?」


「用はもう済んだだろ? 悪いがオレだって暇じゃない。ここでサヨナラだ」


「お、おい、セルマ……」


バルドはどうにかしてセルマを引き止めようとしたが言葉が出てこず、口をパクパクさせる。隣にいる彼女もしばらくしてセルマが先ほど自分がぶつかった青年だと気づいた様子だった。


「ち、ちょっと待って!」


バルドに構わずセルマが踵を返そうとした時、彼女がセルマの腕をとった。セルマは驚いて思わず足を止め、そして彼女の方を振り返る。セルマは女性から触れられた経験がない。あるのかもしれないが、記憶を失っている彼に女性の体に触れることはおろか、腕を抱き締められるなんてことは彼の気を動転させるには十分だった。その場の勢いでセルマの腕を抱き締めてしまった彼女はセルマと目が合うと恥ずかしそうに俯く。


「貴方……さっきぶつかった人、ですよね? まだお詫び、してない……」


「……いいよ、別に大したことじゃない」


セルマは彼女の腕を振りほどこうとした。彼女にショックを与えないように優しくだ。なのに。


「で、でもそれじゃあ悪いです! 小さなことでもいいので、何かお礼をさせてもらえませんか!?」


──な、なんなんだこれは?!


彼女がセルマの腕を硬く抱きしめ、彼は内心焦った。先程より彼女の体が自身に密着しているからだ。ただでさえ慣れていないのにこんなことはないだろうという思いがセルマの中でぐるぐると回る。ちらっとセルマがどうにかしろとバルドの方に視線を送ると彼は耐えられないと言うように思いきり吹き出した。


「はははは! セルマ、これはもうこの子に付き合うしかなさそうだぜ?」


「おい、冗談もほどほどに……」


「それに俺も何かお詫びしたいしさ。ちょっとくらい付き合ってくれてもいいだろ?」


はあ、とセルマから素っ頓狂な声が出る。セルマはさらに頭が混乱した。何故こんなに自分は引き止められなければならないんだ、と。そして彼は逃げることを諦めた。これ以上深く考えることを放棄した、の方が表現は正しいかもしれない。大きなため息をついてセルマは二人の方に振り返る。


「……分かったよ。暇じゃないといっても急ぎではないしな」


「やった〜! 私は……ルカ。ルカです! よろしくお願いします!」


「あ、あぁ……」


──ルカなんて、なんだか男の名前みたいだな。


そんなことを考えながら、セルマはルカと名乗った彼女の腕から気づかれないようにするりと抜けた。彼らの望みを承諾したところで、セルマの頭には一つの疑問が浮かんでいた。それは何か問題を起こすような感じではないルカがなぜ逃げていたのか、ということだ。会話こそ短いものだが、彼女が悪い人物だとはセルマは到底思えなかった。聞いていて損はないかとセルマは判断すると、二人にそれを聞くために口を開く。


「そういえば……どうして追われていたんだ?」


「え、えっと……それは……」


「?」


自分の質問に急によそよそしく目を逸らしたルカやバルドにセルマは首を傾げた。バルドの時もそうだったが、この事態に深く入り込むような質問はそんなに答えにくいのだろうか。セルマの思考は沈んでいく。バルドは困ったように髪をいじると躊躇いがちに口を開いた。


「……あのな、セルマ。俺たちは普通のお前とはちょっと違うんだよ」


「どういうことだ?」


「俺たちは……」


「見つけたぞ!」


バルドがその先を言うことはなかった。遠くから聞こえてきた声に加えて、こちらに複数の足音が近づいてくるのが聴こえてきたからだ。


「チッ、まだ振り切れてなかったのかよ!」


バルドの視線の先を追うと、アスガルデの私軍の一般兵が数人こちらに銃を向けていた。一般兵たちを見てセルマは露骨に顔を顰め、彼らの方へ足を進めていく。セルマの背後でバルドが叫んだ。


「おい、何してんだ! 殺されるぞ!」


セルマはバルドの、俺たちはちょっと違うんだよの意味が理解できた気がした。否、完全に理解した。この街の軍の一般兵が何もしていない一般人に銃を向ける理由なんて一つしかない。セルマは静かに息を吐き、持っていたケースを地面に置くと右手に力を集中させる。彼の右手に青白い光が灯り、それは円形の武器に形を変えた。


「クソッ、アイツもプレイヤーだ!」


一般兵の一人がそう叫んだ。その一言でセルマの周りの空気が変わる。


「そんなバカな!」


「セルマも、プレイヤー……」


ルカとバルドも、驚きを隠せない様子でセルマを見ている。この場にいるセルマ以外の全員の視線が今、セルマ一人に集まっていた。彼がどう動くか、全員が固唾を飲む。


「な、何を怯んでいる! 相手は一人だけだ! 進めぇッ!!」


一人の号令により、一般兵たちが銃のトリガーに指をかけ、足を動かそうとした。だがその手足は震えており、顔も心なしか覇気がない。まるで目の前のセルマを怯えているようだ。そんな彼らの方へセルマは一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと進んでいく。


「……悪く思うなよ」


セルマはそう呟いて構えると、地面を蹴り上げて一般兵たちの中に飛び込んだ。


「う、うわああああッ!」


飛び込んできたセルマに一般兵の一人は怯えたように叫ぶと彼に向かって銃を撃つ。それもセルマの視界では止まっているように見えた。右手に持ったチャクラムでセルマはより正確に確実に弾を弾いていく。まず始めにセルマに銃弾を放った一般兵が峰打ちで床に倒れ伏した。他の一般兵がそれに気を取られている間に、セルマは次々と彼らに峰打ちを決めていく。


「すごい。あっという間に……」


ルカの言った通り、一般兵たちはあっという間に全員地面に倒れ伏して動かなくなってしまった。その中央に佇むセルマはそれらを無言のまま見下ろしていた。そのままセルマは二人に話しかける。


「追われていた理由は、アンタたちがプレイヤーだからだな」


「……うん」


「あぁ、俺たちはプレイヤーさ。お前も同じプレイヤーなら分かるだろ? 楽器を武器にして戦える異質な力を持ってる俺たちは見つかり次第捕まって実験体まっしぐら。一度捕まったらもう日の光を浴びることはできないんだよ。俺は追われていたルカをたまたま見つけて助けようとしてたんだ」


プレイヤー、それは楽器を武器に変えて戦うことの出来る能力を持つ者たちを指す、演奏者という意味でつけられた名称だ。そして同時にそれは、普通の人間ではない異端の烙印を押されていることにもなる。理由は言うまでもないだろう。人の体からいきなり武器が出てきたらどう思うだろうか。異常なものは排除したいと思うだろう。


「……そうか。アンタたちがプレイヤーなら、また話が違う」


未だ地面に倒れている一般兵たちを眺めながらセルマは小さく、だが二人が聞き取れるくらいにはっきりとそう呟いた。そして彼は状況がつかめていない二人の方へ顔を上げる。


「え?」


「少し協力してくれないか。オレは人探しをしている」


「……名前は?」


「名前は……」


やけに靴音を響かせて歩く音と、押し寄せてくる嫌な予感にセルマは鳥肌が立った。ただの靴音のはずなのに、謎の威圧感がある。聴いている者の耳を支配するかのような、そんな音だ。それはセルマ以外の二人にも感じ取れるらしく、特にルカに関しては顔を真っ青にして後ずさり始めた。


「……逃げた方が、いい」


「ルカ?」


「バルド、あのね、私が追われていたのは一般兵じゃ、なくて……」


ルカが言い終える前に足音が、止まった。コツン、と小さく余韻を残して。三人はここに歩いてきた人物の姿をしばらく見ることができなかった。顔を上げることができなかったのだ。どくどく、どくどくと心臓の音がそれぞれの体に響く。声を発するための息遣いが、聴こえた。


「──私から、ですよね? お嬢様」


「ッ!」


聞こえてきた声に、セルマは背筋が凍りついた。低くもよく通り、耳に残る声。セルマは恐る恐る顔を上げる。薄暗い路地裏ではっきりと見えてきたその姿はセルマを戦慄させるには充分だった。


「あ、アンタは……ッ!」


突如セルマ達の前に現れた男。

黒い燕尾服に痩身長躯の体を包んでおり、

腰まである長い黒髪を後ろで一つにまとめていて、

そして、左側だけ下ろしている長い前髪で左目を隠している。

その男は、まさにセルマが会いたがっていた人物、張本人であった。男は武器を持ったまま呆然としているセルマを見ると、彼と同じく一瞬だけだが驚いた表情をした。男はそのまま肩を震わせて笑う。


「……おっと、これはこれは。久しぶりだな。元気そうで何よりだ」


「ハンス……!」


セルマが男の名前を叫ぶと同時に彼の頭に痛みが走った。


「あっ?! う、あぁ……ッ!」


「お、おい! 大丈夫か、セルマ!」


セルマのチャクラムが彼の手から落ちて光とともに消え去る。そのまま彼は両手で頭を抑えながらその場に膝をついた。頭がズキズキと痛い。電車に乗っていた時とはまた違って心臓が破裂しそうに大きく鼓動している。今までなにかを思い出そうとしてもここまでなることはなかった。

痛い。

痛い。

立っていられないほど、痛い。


「はっ……ぅあ、ああ……ッ!」


「セルマ、セルマ! しっかりしろ!」


バルドは蹲っているセルマに駆け寄り、彼の肩を揺らした。だがセルマはバルドに応じようとしない。彼の緑の瞳が揺れる。


「オレは……知ってる……! 何を知ってる……!? 思い、出せない……ッ!」


「おい、一体どうしたんだよ!」


突然発作が起きたかのように頭痛に苦しみ始めたセルマにバルドは慌てるばかりだった。彼の肩を揺らして彼と目を合わせようとしても合わない。ルカも心配そうにセルマを見ている。ふと落ちてきた影をバルドが見上げると、距離が離れていたはずのハンスが目の前に立ってセルマとバルドの二人を見下ろしていた。


「その様子だとまだ色々と思い出せていないようだな。俺のことを名前で呼ぶのが何よりの証拠だ」


ハンスはバルドを足払いするとセルマの胸ぐらを掴んで強引に引き上げた。セルマは何が起こったのか分からず突然引き上げられたことに驚いていたが、ハンスの顔を見るとほぼ反射的に目を瞑って彼から顔を背けた。ハンスはセルマの行動を気にすることなく彼に顔を近づける。


「ッ!」


「セルマ、俺を見ろ。目を閉じるのはお前の悪い癖だ」


恐る恐る、ゆっくりとセルマは目を開けた。彼の隻眼に自分が映っているのが見え、思わずセルマは目を見開いた。それをかつて見たことがあるような気がしたからだ。ハンスの瞳の中にいる自分を見つめていると、乱れていた呼吸と頭痛が落ち着いていく。対してハンスは、セルマの顔を伺いながら心底つまらないという顔をした。


「本当に思い出せていないようだな。だが安心しろ、お前の記憶は近いうちに戻る。その為に俺を求めてここに戻ってきたんだろう? お前の思考は正しい。そのまま俺を追ってこい。記憶が戻っていないお前と話してもつまらん。その様子なら課題のこともどうせ忘れているだろうしな」


「…………くれ」


「ん?」


「教えてくれ……! アンタは、オレのことを知ってるんだろう?! だったら教えてくれ! 本当のオレを!」


セルマはハンスの腕を掴むと叫ぶようにして畳み掛けた。こんなに声を出したのは久しぶりだったかもしれない。でもそれも仕方がなかった。セルマがここに来た目的はそれだったのだから。チクチクと喉が痛むのをセルマは感じた。すると、ハンスの顔から笑みが消えた。


「……俺に指図をするな」


次の瞬間、セルマは背中に走る激痛に顔を歪ませた。ハンスがセルマの体を力任せに近くの壁に叩きつけたのだ。彼の瞳は相手を射抜くような鋭くて冷たいものとなっている。


「お前と俺は対等ではない。記憶を失っているとはいえ、よく俺に向かってそんなふざけた口が聞けたな」


「……っ」


「……興醒めも甚だしい。一年ぶりの再会がこれとは……残念だ」


ハンスはセルマの服を掴んでいる手とは逆の手をセルマの額に当てた。その手は、少し汗ばんだセルマにとって気持ちいいと感じる程度に冷たいものだった。その手の冷たさを感じているうちに、徐々に心地のいい眠気がセルマを襲う。


「お前がどう足掻いたとしても、いずれは俺にたどり着く。そう焦らずともいい。今は眠れ」


意識がなくなる寸前、セルマはこの景色が過去のものに見えた。


「……せん、せい」


「!」


その一言を最後にセルマの体から力が抜けた。ハンスが彼の服から手を離すとセルマはその場に倒れてしまう。


「セルマ!」


先程まで呆然と事の成り行きを見ていた二人は我に帰るとセルマの元に駆け寄る。バルドがセルマの体を起こして抱えると、彼らの心配はセルマが静かな呼吸を繰り返していることで杞憂となった。


「そう案ずるな。寝ているだけだ」


ハンスは意識を失ったセルマを気にかけることもなくルカに近づくと彼女の腕を掴んだ。その腕を引き上げると少しだけ握る力を強める。


「さあ、帰りますよ」


「……嫌よ。私は帰らない」


ルカの態度にハンスはわざとらしく大きいため息をついた。怒っているというよりかは呆れた、何度もこれを体験しているかのような様子であった。舌打ちこそしないがかなり苛立っているのが分かる。ルカとハンスの睨み合いが続く。


「貴女は自分の立場をお忘れで? どれだけ偽ろうとも貴女の運命からは逃げられないのですよ」


「貴方が思っているほど、私はそれから逃げようと思ってるんじゃない! むしろ受け入れようとしてる!」


「話になりませんね。詳しい話は帰ってからにしましょう、クラウスお嬢様」


「クラウス!?」


バルドは目の前のルカを凝視した。そして彼をとてつもない不安が襲う。バルドは自身の頭の中でグルグルと考えを巡らす。


──クラウスはアスガルデを治め続けている家で……今は確か、先代が死んで一人娘が担ってるはずだ。じゃあ、ルカは……。


「ごめんなさい、バルド! 隠すつもりはなかったの!」


「る、ルカ……」


──なんだよ! なんなんだよ、これは!


バルドは何も言うことができなかった。腕の中にいるセルマに助けを求めようと彼の肩を揺するも、彼は目を固く閉ざしたままだった。今のバルドにとって、眠ってはいるもののセルマだけが信じられる存在だった。いや、彼も少々信じられないかもしれない。本当なら今すぐにでもこの恐怖を声に出して逃げたかった。体の中の本能が警告を出し、無意識のうちにガタガタと体が震えてしまう。ハンスもバルドのそれに気がついていた。


「大きな力を前に恐怖する。誰でもそうなる。だが……楽器を武器として扱い、戦士として闘う異能のプレイヤーがそんなものとは……とんだ臆病者だな、お前は」


「ッ……」


「ここで手にかける価値もない。腕の中にいるそいつが目を覚ますまでそばにいてやれ」


「お、おれ、は……!」


「帰りますよ。お嬢様」


バルドが口を開くも、ハンスの目がもうバルドを捉えることはなかった。代わりにハンスはルカの腕を引いた。彼女は抵抗するも、彼の力が強いのか、ズルズルと引きずられて行ってしまった。


「……情けな……」


二人の姿が見えなくなってからバルドは一人、そう呟いた。バルドは視線をセルマに落とす。


「おい、起きろよ」


セルマの体を揺さぶるが、彼は目を開けなかった。目蓋がぴくりと動くことも、増してや身じろぎすらしない。どれだけ深い眠りに落ちているのか、とバルドは深いため息をついて彼を背中に背負う。そして片手で彼の持っていたケースも持った。


「軽いな」


──そういえばコイツ、俺よりも小柄だったか。


彼の穏やかな寝息を感じながら、バルドは立ち上がった。行くあてはある。あそこならセルマも受け入れてくれるだろう。バルドはそう確信し、彼の体に負担がかからないようにゆっくりと歩きはじめた。

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