episode1-12
先に向かってきたのはニクラスだった。彼の大楯は、彼の右半身を全て覆い尽くしてしまうくらい大きい。当たればひとたまりもないことは見るだけで判断できた。咄嗟にセルマは体勢を低くしてニクラスの攻撃を避ける。ニクラスの戦い方は盾が大きい分攻撃の範囲も広く、そして攻撃が己の身を守る防御となる。マシンガンが武器であるバルドはおそらくニクラスとは戦えないだろうなとセルマは思った。
「セルマ! 俺コイツと戦うの無理だわ! だって盾とか卑怯すぎんだろ俺は銃なんだからもうちょっと譲歩したりどうせ男ならそんな卑怯な武器使わずに拳で語り合うとかさもっと俺たちに優しく」
「分かったからルカをよろしく!」
バルドのマシンガントークが始まる前にセルマはバルドにそう言うとニクラスに向かって走った。防がれるだろうと予測してセルマはチャクラムを振りかざす。めり込ませるように力を入れても彼の盾はびくともしない。盾の向こうでニクラスが笑う。
「力で俺に勝てると思わない方がいいぜ! おら、侵入した時みてえにさ、殺すつもりでかかってこいよ!」
ニクラスは腕を振るってセルマを突き放した。受け身を取りながらセルマはすう、と息を深く吸う。楽器を吹くにしても、戦う時でも、まずは呼吸が大事だ。多くの酸素を体に入れることで自分の力を発揮することができる。そして今のニクラスの言葉はセルマを本気にさせた。セルマの目が冷めていく。
「そうか。そのつもりで、な」
ニクラスはセルマの気配が急になくなったことに目を見開く。いつのまにかセルマの姿も見えなくなっていた。どこだ、と声には出さないもののニクラスは辺りを見渡す。
「……ほら、動きが止まってるぞ」
「ッ!?」
ふいに耳元で聞こえたセルマの声の方を向けばニクラスの頬に焼かれたような痛みが走った。続いて盾を持っていない左半身もいくつもの切り傷ができている。背後から強い殺気を感じてニクラスが振り向けば、セルマが彼に思い切り飛び蹴りをいれた。ニクラスの体が吹っ飛び、壁に激突する。セルマは少し上がった息を整えながらニクラスを見ていた。
「……どうだ……」
ニクラスはしばらくそのまま動かなかった。だがセルマは瞳孔を開いたまま武器を消そうとはしなかった。セルマには見えていた。ニクラスが肩を震わせて笑っているのが。ニクラスは少々よろけながらも立ち上がり、服にかかったホコリを落としながら笑った。
「ヒヒッ! お前、おもしれーじゃねえかぁッ! 俺をここまで喜ばせてくれたのはお前が初めてだ!」
帽子の影から見える彼の目は狂気に染まっていた。ニクラスのスイッチも入った。
「そうか、よ!」
ニクラスの攻撃が強くなった。さっきまでは多少なれども手加減をしていたのかもしれない。ニクラスの攻撃は一撃こそ時間があるものの受ければ大ダメージとなる。金色の大盾に加え、彼の動体視力と瞬発力、少しでも気を抜いたら力でねじ伏せられるのは目に見えていた。今はそれが顕著に表れている。向こうも本気を出してきたのだ。
「もっと、もっとだ! こんなに楽しいのは初めてだ! もっと俺に、お前の能力を、戦い方を見せてくれよ!!」
「チッ……!」
これは距離をとらなければ危ない。だが、ただ避けていれば終わるものでもない。このゲームの制限時間だってある。セルマはチャクラムを振りかぶるとニクラスの方にブーメランのように投げる。チャクラムはそのまま真っ直ぐ飛んでいくが、ニクラスの目前に迫ったところでセルマは右手を握りしめると思い切り腕を引いた。するとチャクラムも同様に引かれた。驚きを隠せないニクラスを尻目にセルマは彼と距離を取りながらそのまま右腕を動かす。チャクラムは意思があるかのように動き、ニクラスを攻撃していく。
「これならどうだ……!」
距離を取りながら確実にニクラスを攻撃していく。ニクラスもそれに翻弄され、なす術無しと言うところであろうか。ニクラスを着実に追い詰めているとセルマは確信を持つ。セルマはもう一度腕を引いた。するとセルマの指に切り傷が浮かび上がり、真っ赤な血が床に落ちる。セルマは歯を食いしばった。
「大丈夫かセルマ!」
「っぐ、問題ない!これで……っ!?」
セルマの目が見開かれた瞬間、彼の体がニクラスの方へと引き寄せられた。すんでのところでセルマは耐えるが、彼の右手からより多くの血が床に流れる。思わずセルマは苦痛の表情を浮かべた。セルマが握り締めていた拳を開けば彼の手の平や指に無数の切り傷ができていた。そこには糸が食い込んでいるような痕さえ見える。
「糸でヨーヨーのようにしてくるとは予想外だったぜ……! だが掴んでしまえばどうってことねえ!」
ニクラスが腕を引くとセルマの体は彼の元へ引っ張られる。ニクラスの元に行くまでにセルマは右手に通している糸を外そうとしたが、間に合わずにニクラスの大盾に殴られ、セルマの体は壁にぶつかるとそのまま床に倒れ伏してしまった。
「セルマ!」
「かっ、……はぁ、ひゅっ、ぐ……!」
「クックック……お前をハンスのところに連れて行くのは惜しい気もするな。良い戦いっぷりだったぜ。だが……お前もこれで終わりだ」
殴られてグルグルと回る視界でセルマはニクラスを見ていた。自分がどんな表情をしているか分からない。悔しい顔をしているのかもしれないし、情けない顔をしているのかもしれない。でもセルマはニクラスを見つめ続けていた。
「そうだ、その顔だ。俺が見たかったのはお前のその表情だ……!」
ニクラスは右腕を大きく振りかぶった。セルマは目を瞑った。その時、真っ暗になった自分の視界に金色の羽根がふわりと落ちた気がした。
ガキンッ!!
……何かが砕ける音がした。
──音が、ない。何が起きたんだ……?
恐る恐るセルマは目を開けた。そして驚愕した。目の前に立っていたのはルカだったからだ。
「……これがクラウス家の、『コンサートマスター』の力かよ」
ニクラスもさすがに顔を引きつらせていた。彼の立派な金色の大盾はルカの持っている杖に負けて崩れ落ちていってるではないか。ルカの杖からは神々しい金色の光が漏れている。彼女の綺麗な青い瞳も輝いている。
「そうよ。クラウス家は代々サックスプレイヤーであり、全てのプレイヤーの頂点に立つコンサートマスター。これはコンサートマスターの能力の一つでプレイヤーの力を抑える力。安心して。今は崩れていってるけど、すぐに元通りになる」
ニクラスは消えていく盾を見て言葉を失うと二、三歩後ろに後ずさった。彼の口は心なしか少し震えている。ニクラスにとって武器を失うなんてことは生まれて初めてだったのだ。ニクラスはルカの持っている、彼女の身長以上もある杖を見つめる。
「そんな魔法みたいな力、ありえねえって正直侮ってたが……ここまでとはな」
「ありえないって、普通ならそう思うでしょうね。だってこの力は強すぎるから、頻繁には使えない」
ルカも光り輝く杖を見つめながらそう言った。その目はどこか儚げで悲しそうな目だった。
「へえ、そうですかい。それなら何故その力を……」
「守りたかったから。私ね、友達ができたの、初めてだったの。二人は私がクラウスの血を引いてることが分かっても、自然に接してくれた。それが私は……嬉しかったの。生まれて初めての、その友達を守りたいと思った。だから、貴方なんかに渡したくなかった」
「お嬢様、分かってるとは思うがそいつは……」
「プレイヤーよ。でも、それの何が悪いのかしら。人間と何一つ変わらない同じ体で、真っ赤で温かい血が流れていて、人間よりも人間らしいわ。生きていることに喜びを感じ、仲間を何よりも大事にして、毎日必死に生きようとしてる。他人の心の傷を無視して、誰かを生贄にしてそれを娯楽として楽しむ一般人よりよほど良いわ!」
ニクラスは言葉をつまらせた。ニクラスは口に強い方ではないがそれでもだ。反論するときにはとことん反論する。だがニクラスはルカの言うことが尤もだということを分かっていた。分かってしまったという方が正しいのかもしれない。セルマはその場でへたり込んだままルカの背中を見ていた。
「ッ……強情で手のかかるお嬢様だ。こりゃあハンスの言うことも分かるな」
「それはそうよ。だってわざと手をかけさせてるんだもの。あの人は……ハンス=シュナイダーは、クラウス家に伝わる知識を悪用しようとしてる」
「え……?」
呆気にとられているセルマの元にバルドが駆け寄る。バルドはそのままセルマを抱き上げると彼をルカとニクラスから離した。
「バルド、ルカが……!」
「しっ!」
バルドは口に人差し指を当て、セルマにルカを見るように促す。セルマは心臓の鼓動が大きくなるのを感じながらルカとニクラスを見る。
「ああそうですね。それで何しようとしてるかは知らないですけど」
「私はそれを知ってる」
ルカは杖を消すとニクラスを見た。ふと目を閉じて、そしてゆっくりと開く。息をスーッと吐き、口をキュッと結んだ。
「ハンスに伝えなさい。『私は貴方より先にフェンリルを見つけて、貴方を倒す。貴方にクラウスの力と知識は一切渡さない』と。これは宣戦布告よ。私はこの間違った正義を正して、この世界の本来の理を取り戻す! そうして、人間とプレイヤーが共に生きられる世界を、私が作るわ……!」
ルカの振る舞いは一人の女性としてではなく、一人のプレイヤーとしてでもなく、まさにクラウス家の末裔としての振る舞いであった。バルドはこうなることが分かっていたかのように顔色一つ変えずルカを見ている。セルマは息をするのも忘れてルカに見とれていた。セルマの体がバルドの腕から落ちる。ニクラスは何も言うことはないと思ってため息を一つつくと左手で帽子を深く下げた。
「……分かったよ」
「制限時間には間に合ったから約束通り、セルマは返してもらうね」
「早めにここを出た方がいい。あと1時間でハンスが来る」
「ありがとう、ニクラス」
ルカはニクラスに向かって微笑むとセルマとバルドの元へ駆け寄った。そして座り込んでいるセルマと視線を合わせるようにしゃがみこむ。
「セルマ。私の話、聞いてくれてた?」
「ああ……」
「じゃあ、セルマにお願いをしてもいいかな」
セルマは頷いた。ルカはそのまま話し出す。
「単刀直入に言うと、私に協力して欲しいの。セルマは今、記憶を取り戻すためにハンスを追ってるんだよね? 私も、私の目的を果たすためにハンスを追いかけてる。セルマの記憶が全部戻るまでで構わない。だから……私と一緒にきてくれませんか?」
ルカはいつものように微笑むと手を差し出した。セルマはルカの顔を見る。ルカは優しい眼差しでセルマを見ている。セルマはバルドの方を向いた。バルドもニッと笑うと大丈夫だ、とセルマの背中を優しく押した。
「……分かった」
セルマはもう迷わなかった。それはセルマの覚悟だった。
己の記憶を取り戻すために、ハンスを追うことについての。
この二人と共に、今を確かに歩んでいくことの。
「協力、させてくれ」
セルマはルカの手を取り、そして彼女の手を握った。
*****
「じゃあ、セルマ救出できたしこれからの戦いの健闘を祈って!」
乾杯、と一人騒ぐバルドの目の前で先日よりも包帯をあちこちに巻かれたセルマはジュースの入ったグラスを持って不貞腐れていた。そんな彼の隣でルカが苦笑いしている。
「あはは……セルマだけ飲めないのは残念だったね」
「オレだけ未成年……バルドはともかくルカも、成人済み……」
「一年後には飲めるんだろ! さあ今日は宴だーー!!」
もう酔いが回ったのか顔を赤くしてバルドは酒場にいる友人たちに絡みに行った。必然として、盛り上がっている宴とは別にセルマとルカの二人だけの空間になる。
「……ルカ」
「ん、何?」
ルカの顔を見て、セルマはためらいがちに口を開く。
「これから、オレは狙われることが多くなる。ニクラスが言ってたんだ。ハンスはオレだけ捕らえられれば、それでいいって。だから……今回みたいにルカとバルドの足を引っ張って迷惑をかけるかもしれない。それに……オレの中には、オレじゃない何かがある。それが何かは分からないけど、多分それが……二人を傷つけるかもしれない。本当にいいのか? 迷惑じゃ、ないのか……?」
途中から恥ずかしくなってセルマは目を伏せた。セルマは自分のことを話すのが苦手だった。言っても信じてもらえないかもしれない。そんな境遇に今の彼は一年前からいたからだ。実際、信じてもらえないこともあった。だから例え相手がルカだとしても、とても緊張した。ルカはセルマの手を取るとそっとそれを自分の手で包み込む。
「迷惑、じゃないよ。こう言ったら悪いかもしれないけど、確かにセルマは私たちと違う何かがある。でもね、私も、もちろんバルドだってセルマのこと、そんなの関係なしに大事に思ってるよ。会って日も浅いし、信じられないかもしれないけど……ニクラスからメールが来た時、私もバルドもすごく焦った。もう会えなくなったらどうしようって。それだけ、セルマが大事なんだよ。普通じゃなくても、一緒にそばにいて欲しいの。それにね、」
ルカははにかみながら付け加える。
「私、セルマにはセルマでいて欲しい。強いけどちょっと不器用で、頑張り屋さんのセルマに」
「……そうか」
セルマは顔を上げた。その顔は
「それなら、良かった」
柔らかく微笑んでいた。
「これからよろしくね、セルマ」
「うん。こちらこそ……よろしく」
「おーーい! 二人ともこっち来いよ! 俺だけだったら寂しいー!」
バルドの声にセルマとルカは揃って返事をしたのであった。
*****
旧研究所の奥から、騒がしい音がする。それは金属同士がぶつかる音であれば、二人の人物による話し声であり、そして誰かが倒れる音でもあった。
「どういうことだ。ふざけるのも大概にしろ、ニクラス。今の言葉をもう一度言え、何があった」
怒りを抑えきれずにハンスは足元に倒れた人物をレイピアの先を向ける。レイピアを向けられた人物、ニクラスは壁伝いに座り、口に溜まっていた血を吐くとハンスを見上げた。ニクラスの顔や手は傷だらけで、それらはセルマと戦って作られた傷ではない。たった今、ハンスにつけられた傷だ。
「……だから、お嬢様が宣戦布告だと……フェンリルを見つけ出して、お前を止めるんだとさ……ぐっ!」
ニクラスが全てを言い終える前にハンスの足がニクラスの腹を踏みつける。鍛え抜かれた体を持っているニクラスでも痛みが鮮明に伝わるような、それくらい強いものだった。ニクラスは声にならない叫びをあげてえずく。
「どうして彼女がフェンリルの存在を知っている。それにフェンリルは……」
ハンスはそれ以上を言いかけてやめた。息を吐くとニクラスを見下ろす。
「……それは置いておこう。それでニクラス、俺に言うことがあるだろう」
「セルマを逃したのは、悪かったよ。正直、俺はアイツを見くびってた。お嬢様も……」
「いつもの任務とは訳が違うんだぞ。何のためのウルフヘズナルだと思っている。お前なら遂行してくれると信じていたんだがな。今回ばかりは少し反省しろ。……お前には大切な弟もいるだろう」
「っ……ああ、分かってるよ」
軽く咳き込みながら、ニクラスは過去のことを思い出していた。それはまだ彼がスラムで喧嘩に明け暮れていた少年時代の日々のことだった。あの時は、その日その日を生きることで精一杯だった。そうだ、とニクラスは思い出した。
──そういや、あの時もこんな感じだったな。俺がここにいるのも……力を手に入れたのも……全部、アイツを……。
疲れた。そう思ってニクラスは目を閉じた。ハンスはニクラスの体から足を退かせると部屋を後にした。そのまま靴音を響かせながらハンスは旧研究所から外へ出る。空を見上げれば、丸く大きな月が夜を照らしていた。今宵は満月であった。それを見るハンスの顔は妖艶と思えるほどの笑みを浮かべている。普段表に出ている彼なら、絶対にしないような笑い方だった。
「そちらがその気ならこちらも受けて立とうじゃないか。どちらがここの覇者にふさわしいのか」
ハンスは、おもむろに前髪を手でかき上げた。そこには目の上にかつて刃物で切られたかのような痛々しい切り傷の痕が残っている。
「まあ、仮に見つかったとしてもフェンリルがそちら側になるとは到底思えんがな」
その傷を、ハンスは手袋を外した手でそっと撫ぜるのであった。




