episode1-10
「ち、ちょっとバルド、どこまで行くつもりなの?」
夜の方が音楽街は人が多い。夜に演奏会をする楽団が多いからだ。小さいホールから大きいホールまで、色んな楽団が色んな公演をしている。音楽だけではなく、バレエやミュージカルだってある。それぞれの公演を観に来るために他の都市からも人が入ってくるのだ。人混みの中をバルドはどんどん進んでいった。ルカはバルドを見失わないように歩くので精一杯だった。
「俺が追われるようになるまで」
歩くのを止めないままバルドはハッキリとルカにも聞こえる声でそう言った。
「どうして?」
「それは追っかけられてからのお楽しみ。すぐ見つかるぞ? 俺の髪は夜でも見やすいオレンジだからな」
バルドは誇らしげにニッと笑った。ルカにはバルドの髪は街灯に照らされて夜でも輝きを失わないように見えた。
「ふふ、確かに。夜なのにまるで太陽を見てるみたいだね」
「だろ? これは俺のトレードマークなんだ」
バルドは自身の四方八方に飛び跳ねた髪を包帯の巻かれた指で少しいじった。それを見てルカは微笑むとそのままバルドに話しかける。
「オレンジの髪は南のムスペル地方しかいないんだよね。バルドはそっちの地方出身だったりするの?」
「え? あ、ああ……」
バルドは視線を泳がせさせながら曖昧にそう答える。バルドは自分の回転の速い頭を巡らせるとルカに向かって笑いかける。
「ああ、そうだな! あ、知ってるか? セルマは俺と反対で北のミッドガルド地方から来てるらしいぞ」
バルドは自分のことには触れられたくないのか、セルマの話を切り出した。ルカは特にそれを疑問に思うことなくバルドとの会話を続ける。
「へ〜、言われてみれば納得かも。セルマって色白だし顔も整ってていいよね〜」
「確かに……って、俺も結構顔には自信あるぞ! セルマは美人でも、俺はイケメンだからな!」
「二人ともかっこいいのは変わらないんだから、別に張り合わなくてもいいじゃない! バルドったら何をそんなにムキになってるの?」
あはは、とルカは笑った。バルドはルカが声を出して笑っているのを見るのは初めてだった。バルドはルカよりも二歳年上だが、クラウス邸のお嬢様という肩書きもあってかルカはとても大人びていているように見えていた。やっぱりルカも俺たちと変わらない一人の生きている人間なんだなとバルドはルカを見ながら改めてそう思った。ルカはその後も何度か思い出しては頰を緩ませる。
「ふふ……」
「おーい、いつまで笑ってんだ?」
「だって、バルドがおかしなこと言うから」
「はあーあ、言わなきゃよかった……」
がっくりと頭を垂れてバルドは自分の失態を悔やんだ。そんなバルドを見てルカの笑みは無くなるどころか深くなったのだが。でもバルドは同時に安心していた。
「……良かった。やっと笑ってくれた」
「え?」
「セルマがいなくなってからずっと気難しい顔してたからさ。あんまり気ぃ張るんじゃないぞ。肩に力入ってたら良い音出せないって教わらなかったか?」
「…………」
ルカはバルドの優しい笑顔を見て泣きそうな気持ちになった。だが決して悲しいからではない、温かいと感じたからだ。バルドはルカの頭を優しく撫でる。
「一人でなんでも思い詰めるんじゃないぞ。セルマもそうだけど、もっと甘えていいんだぜ? あとは信じることだな。こういう時はまず相手を信じるんだ。だから……俺たちなら絶対セルマを救える、とかそういうこと考えてた方がちゃんと目の前の事実に向き合えると思うぜ。後ろ向くよりかは……な」
「っ、バルド!」
一瞬だけ寂しそうな目をしたバルドをルカは捉えていた。それは夜の街頭の光に相まって、物悲しい夕焼けを見ているようだった。ルカはバルドの前に回って彼を止めていた。バルドは吃驚してそのまま歩みを止める。ルカはバルドを見上げた。
「ええと、その……ありがとう」
「……ああ、どういたしまして」
次に見た彼の顔は元の明るい顔に戻っていた。そのままバルドは行こうぜ、とルカに呼びかける。うん、とルカが頷けばバルドはまたスタスタと歩き出す。ルカもバルドの後を追おうとした、その時だった。二人の耳にとある少女の声が入ってきたのは。
「バルド=エックハルト、捕捉。私が彼を追いかけます! 各員指示された場所につきなさい!」
「お、釣れた釣れた。走るぞ、ルカ!」
「うん!」
声の主は、スカーレットであった。バルドはルカを連れて即座に大通りから離れて人気の少ない道を進んでいく。スカーレットはぴったりとついてきている。バルドの狙いはこれだった。
「待ちなさい、バルド・エックハルト!」
「よおスカーレットぉ! 会いたかったぜぇ、お前に! あ、俺が弁償してあげたメガネかけてくれてんの? 嬉しいなあ……」
バルドはしっかり逃げながらもわざと泣きそうな声を出して泣く仕草をする。その仕草が頭にきたスカーレットは握り拳を作り、顔を真っ赤にしながらバルドを指差した。
「やっぱりこれ貴方だったんですね?! 奇遇です、私も会いたかったところなので今すぐ止まりなさい!」
「嫌だね! 俺は今、人を探してて暇じゃねえんだ!」
「もしかしなくてもセルマ・アインザームじゃないんですかぁ!」
よく走りながらこんなに会話ができるものだとルカは感心していた。ルカは元々スカーレットのように軍人でもなければバルドのように運動が得意でもない。走っているだけで肺が痛いほど苦しい。スカーレットはその場で立ち止まると短い詠唱の後に右手からアヤメ色の光と共に剣を取り出した。そして地面を蹴ると再びバルドを追いかけ始める。
「はぁ……はぁ……! バルド……! いつまで続けるの、これ!」
「あと少しで広い場所に着く! アイツの相手はそこでする! ……悪い、ちょっと我慢してくれ!」
バルドは疲れたルカが離れないように、だがスカーレットに追いつかれるわけにもいかなかったのでやむを得ずルカを抱き上げ、そしてそのまま角を左に曲がった。バルドは少し離れた場所に公園があることを知っていた。スカーレットがついてきてくれることを信じながらバルドは狭い路地裏の角を何度も曲がる。ルカはグラグラと揺れるのを耐えながら体を少しでも安定させるためにバルドの首に両腕を回す。そのままルカは目を閉じていた。しばらくしてバルドが走るのをやめてルカの名前を呼ぶ。目的地に着いたのだ。
「ルカ、後ろ下がってろよ」
バルドはルカを下ろすと彼女を背にしてこちらに向かってくるスカーレットをじっと見つめていた。スカーレットはバルドから少し離れたところで足を止めた。スカーレットの鋭い視線がバルドを射抜く。
「……探し人はセルマさんでしょう? 隠してないで、はっきり言ったらどうですか?」
「なぁんでお前がそれを知ってるのかねえ? もしかして俺のことが好きで盗聴器でもつけてる?」
バルドは軽い口調でスカーレットに話しかけた。スカーレットの眉間に深いシワが入る。
「極秘ですが……任務ですよ。先日誰かさんが侵入してお嬢様を誘拐なんて大胆なことしてくれたので、私も上に隠す事なく貴方を追うことが出来てるんです」
へえ、とバルドはあくびを一つした。反省している様子は微塵もない。ルカはあの日のことがテレビや新聞などで全く情報がなかったことを訝しんでいたため、納得がいった。流石にクラウス邸の一人娘が誘拐というニュースはハンスならうまく隠すだろうと思っていたのでその辺は助かった部分ではあるのだが。
「それで、俺を捕まえようって算段か?」
「そうです。……と言いたいところですが、今は貴方に一つ謝りたいことがあります」
「謝りたいこと?」
スカーレットは頷くと神妙な顔をした。バルドも笑みをしまう。ルカも自分のワンピースの裾を掴みながらスカーレットの言葉を待った。
「私がセルマさんと接触を試みたばかりにセルマさんは今、理不尽な目に遭ってしまっています。貴方がたも、彼のゲームについては知っていますね? 申し訳ないですが、ゲリがいるのはウルフヘズナルしか知らない場所です。そもそもこのゲームは彼しか勝てないようになってます。時間的に明日の夕方でしょうか……セルマさんが引き渡されるのは」
「引き渡されるって……誰に?」
「シュナイダー指揮者にですよ、お嬢様。この任務はシュナイダー指揮者直々に下されたものですので」
「そんな……!」
スカーレットから淡々と告げられた事実にルカは数時間前の自分の行動を後悔した。嫌な予感がしたのは気のせいではなかった。あの時意地でもセルマを止めておけばこうはならなかったのかもしれない。
「ふーん、なら良かった」
「えっ?」
バルドの焦りのない声にルカは顔を上げた。ルカはバルドの顔を見てさらに驚いた。バルドは笑っていたからだ。
「そうだろうと思ったぜ。だから会いたかったんだ」
「私も言ったじゃないですか、『奇遇ですね』と」
スカーレットは剣を消してバルドの方へ歩いた。バルドはニっと笑いながらスカーレットが来るのを待っていた。スカーレットは自分より遥かに身長が高いバルドを見上げるとメガネの位置を直して口を開く。
「私は曲がったことが大嫌いなんです。ズルをしたからには相応の対応をするべきだと考えています。例えそれが敵に対してこちらの情報を受け渡すことになっても、ね。……私がセルマさんの居場所を教えます。その代わりといってはなんですが、ここで私たちは出会わなかったことにしましょう。それでいいですか?」
「いいぜ。気を利かせてくれて助かる」
スカーレットはバルドに屈むようにジェスチャーをすると彼の顔に自身の顔を近づけて耳打ちをした。それを聞いてバルドはうんうんと頷くとスカーレットの顔を見てまた笑った。
「ルカ、旧研究所らしいぞ!」
「あえて耳打ちにした理由考えてくれませんかね……!」
「ありがとな、スカーレット! お前が教えてくれたこと、絶対に無駄にしねえから! ルカー! 一回戻るぞ!」
ルカがバルドに返事をしようとした時、バルドはもう離れたところまで行ってしまっていた。慌ててバルドを追いかけようしたが、ルカの足はスカーレットの方へ向いていた。
「スカーレットさん」
「…………」
「ありがと、ね」
「……お嬢様。私は今、貴女様の敵であります。敵に対して情を抱いてはいけません。……次に会った時は貴女様も、私は本気で捕まえに行きますから」
「……ごめんね」
ルカはスカーレットに向かって微笑むとバルドを追いかけた。スカーレットは髪を耳にかけながら走っていくルカの背中を見つめていた。
「……あんな悲しそうな顔をされても、困りますよ」
スカーレットは唇を噛み締めながら、拳をぎゅっと握りしめていた。
「貴女は何をしようとしてるんですか? 少なくとも、その場の思いつきで軽率な行動をするような人ではないはず。なのに、何故。貴女はいったい……
……何を知っている?」
*****
「……ふ、ッ……」
意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がったセルマは手足の拘束が解かれていることに気づいた。そして、自分にニクラスが羽織っていた黒のコートがかけられていることにも。彼のコートを脇に置きながら手首を確認すると、うっすらと痕があるように見えたが照明もなく暗い部屋でははっきりとそれを断定することは不可能だった。目の前にニクラスがいないことに気づき、セルマは辺りを見渡す。
「……あいつは……」
「いるぜ、ここに」
部屋の奥からニクラスは現れた。セルマが気を失う前のような狂気さは感じられないものの、彼の姿を捉えると体が強張るのを感じた。帽子のツバを指であげながらニクラスはセルマを見下ろす。そして彼は小さく舌打ちをした。
「そんな身構えるなよ、めんどくせぇ」
どの口が言う、とセルマは目を逸らした。さっきまでセルマは理不尽に彼から殴られたり蹴られたりしていたのだから当然のことである。だがニクラスはセルマの態度が気に入らないのかドカドカと歩いてくるとコートを手に取り、セルマの頭を掴んで自分の方に向けた。
「……お前、ガチで何も分かんねえんだろ。俺ももうそれ聞こうなんざ思ってねえよ。飽きたし。だからこっち向けよ」
「……いやだ」
「あぁ?」
「嫌だって言ってるんだ。アンタは信用できない」
ニクラスはムッとするとセルマの頭から手をどけた。そのままセルマは彼にふいと顔を背ける。ニクラスはため息をつくとセルマと背中合わせになるように自分も座り、セルマの背にもたれかかった。
「……重い」
「うるせぇ、こっち向かねえのが悪いんだからな。いいからちょっと俺の話に付き合えよ。お前さ、アイツと何があった?」
どんどん体重をかけてくるニクラスの背中に反発しながらセルマは考えた。だが今現在の彼の思い出している情報といえば、記憶を失う前の会話とハンスがセルマの先生だったということだけだ。もっと詳しく言えば、その話の重要ポイントである「課題」は覚えていないし、どういう経緯でハンスが自分の先生になったかも知らない。
「……分からない」
「記憶なくても何か、これだけはぼんやり覚えてるとかねえのかよ。こう……ケンカしたとか、アイツの大事なもん壊したりとかさ」
──たとえばの例が友達同士でやることだな。
セルマは少しだけ振り返り、ニクラスの顔を見た。彼の深緑の髪で目元は見えないが、いつも被っている帽子を脱いで手で弄んでいるのが見えた。それをじっと見ていると、ニクラスは見られていることに気づいたのか、彼も少しだけ頭をこっちに向けた。セルマの緑の目とニクラスの焦げ茶の目が合う。
「今みてえに逃げたりとか、追いかけられたりとか……俺、お前ら見てておかしいと思う。なんていうか、普通じゃねえよ」
「そんなこと、オレに言われても……」
セルマは思わずニクラスから目をそらす。ニクラスの言うことが図星だったからだ。関係ないね、とニクラスはセルマの言葉を遮った。そのまま彼は帽子のつばをいじりながら続ける。
「なあ、大人しくアイツの所行った方がいいと思うぜ。別にこれがお前一人の問題なら逃げようがどうぞご勝手にだが、そうじゃねえだろ。お前はいいかもしれねえけどお前の仲間が持たねえよ」
「……オレの、仲間……?」
「そ。今はお嬢様がどうたらでバルドも追われてるが、お前はまた訳が違う。お前がこうなる度にバルドには迷惑がかかるんだ。いくらお人好しでも限度がくるだろうな。ていうか、ハンスの所に戻った方が実質早いんじゃね? お前の言う通りだと記憶はアイツが持ってんだろ? 仲間には迷惑かけなくていい、記憶は戻る……一石二鳥じゃねえか」
何も言わないセルマに苛立ちを感じてニクラスはふんと鼻を鳴らした。そして先程まで弄んでいた帽子をまた目深く被り直す。ニクラスの焦げ茶の目は帽子に隠れて見えなくなった。
「逆に俺は分かんねえよ。お前がそこまでハンスの元に行く選択を渋る理由が」
「オレ……だって、分からない。でも、どうしても……行きたくないんだ」
「フン。もう深夜の3時だ。どんな馬鹿でもこの街を歩くことはできねえ。お前も今は寝ろ」
そう言ってニクラスは立ち上がるとコートを着て部屋から出て行った。もちろん鍵をかけて、だが。セルマは一人、この暗い部屋に取り残されることとなった。
──そういえば、武器は……。
セルマは右腕に力を込めた。身体中に青白い光が現れ、右手が温かくなる。光はセルマが見慣れたチャクラムに形を変えた。それを見てセルマはホッとする。そして何も持っていない左手も見た。
──確かに操られていたときに……過去の自分が見えたさ。殺したくない、そう思っているはずなのに体が言うこと聞かなくて……。
セルマの右手からチャクラムが滑り落ちてガシャンと音を立てて床に落ちた。光を放ちながらふわふわと消えていくそれをセルマはぼうっと見つめる。
──ずっと夢を見ているようだった。意識が落ちて、暗闇の中をずっと彷徨ってた。意識が戻ったときにはバルドに武器を振りかざしてて……咄嗟に右腕で止めるしかなかった。
セルマは包帯を巻かれた右腕をさすった。血は出ていないし、もう痛くはない。傷はまだあるかもしれないが、心配するほどの物にはなっていないだろう。セルマはこれが普通ではないことくらい分かっていた。あの時に痛いふりができるほど自分が要領のいい人間だったならばどれほど良かっただろうとセルマは思う。生憎、それほどのことをセルマは出来ない。
──普通だったなら、バルドやルカにもっと頼れたんだろうか。いや、普通だったなら……こんな苦しい思いもしなくて済んだかもしれない。
ルカが提案してきた、三人での決めごと。その三つ目である、一人で考え込まずにバルドやルカを頼ることをセルマは最初から破ってしまった。あとから考えてもあの時は自分が悪かったと自覚している。
──でも、もう二人には……会えないかもしれない。この夜が明ければ、嫌でもオレはハンスの元に連れて行かれるんだ。でもオレは、一人でも辛くなかったはずなのにどうして
……こんなに、寂しいと感じてしまうんだろう?




