六、五月雨の逢瀬
外はうつうつとした雨だった。梅雨に入ったようで毎日どんよりと曇り、三日に一度は雨が降る。
そんな中紫苑姫と対面した。
外がうつうつとしていれば心もうつうつとするもので、緊張もあってさっきから一言もしゃべれないでいた。
きっと、きっとあきれてる・・・。もうやだ、やっぱり帰りたい・・・。
非蔵人となり主上の覚えもめでたくなっても自分は相変わらずだった。
左大臣様の計らいでここ土御門邸に来たものの、煌びやかな邸の造りと見事な調度品に肝を抜かれ、御簾の奥の恋焦がれて三日も寝込んだ姫を目の前にして魂だけでも抜けだしてしまえればと思った。
自分などにはやはり似合わないのではないか・・・。そんな思いだけがぐるぐると頭を回っていた。
しばらく押し黙っていると、側で控えていた女房が、
「このように長雨が続きますと心塞ぐものでございます。姫におかれましても、何やら心華やぐような話でもあればとお思いでしょう」
と気を利かせたつもりなのか言った。
それができれば苦労しない。自分は主上からも「本当にあまりしゃべらないね、物静かな人だ」とお言葉があったほど口下手なんだよ!
「え・・・その・・・」
何か、何か言わないと・・・。焦るほどに頭の中は真っ白になっていく。
「近江、退って。二人でお話したいわ」
御簾の中から紫苑姫が言った。
「!!」
「姫様・・・?」
「いいから。亮澄様は人の多いのは苦手なんだわ」
「はぁ・・・」
近江と呼ばれた女房は退がっていった。
自分より年下でしかもこれから自分の妻となる人に気を遣わせてしまった・・・。
何でこんなに駄目人間なんだ・・・。
「姫、お気遣いすいません・・・」
人が苦手なのはその通りなので礼を言う。
「いえ、白銀様・・・あ、すみません、いつもこう呼んでるので」
「いえ、かまいません。好きに呼んで下さい・・・あ、私も・・・」
「はい?」
「あ、あの、紫苑姫、と呼んで構わないでしょうか・・・」
「はい!あの歌の花の名ですね!」
「そ、そうです」
「素敵!そんな風に呼んで下さっていたなんて」
「いえ、姫の美しさに皆がそう呼んでいるのです。私が言いだしたわけでは・・・」
「でもそのことであの歌をお作りになったんでしょう?『君をわすれじ わすれじの・・・』」
「や、止めて下さい・・・。その場で作った戯れ歌ですから・・・」
「戯れ歌などと謙遜しないで下さい。とても素敵ですのに。・・・あの歌はずっと私を想ってくれるという歌でしょう?」
亮澄はかーっと顔が熱くなった。確かにそうだけど、さすがに姫の口から言われるのは・・・。
「私とても嬉しゅうございましたのに。なぜそんなに嫌そうな顔をなさるんです?」
「え、いや、嫌なわけでは・・・決して。ただ、あまりの幸運に身がすくんでいるのです」
しまった、正直に言いすぎた・・・。まぁ、いいや・・・。
姫はほぅと息をついて、
「本当、とても素晴らしい方なのだからそんなに恐縮することもないのに。もっと自信をお持ちになって」
「は、はぁ・・・」
う・・・、爺にさんざん言われていることを姫にまで・・・。
「・・・昔からこうなのです、私は・・・。何かにつけて自信がない。そうしてこんな自分のことなど、姫はお嫌いになりはしないかと、不安なのです・・・」
人も少なで姫の優しさについ本音を言ってしまった。
「まぁ!そんなことありません!好きになりこそすれ、嫌いになどと・・・」
「!!」
「あ、わ、私ったら・・・。で、でも本当ですのよ。初めてお顔を拝見した時、こんな美しい方の北の方になれたらどんなに幸せだろうと思いましたもの」
「ほ、本当ですか・・・?私ごときでいいんですか?」
「ごときなど・・・。白銀様は本当に素晴らしい方です。だからどうかそんなに畏まらないで下さい。あまり固くなられると、私の方こそ嫌われているのではと思っていしまいます」
「そ、そそそそんなことはありません!決して!」
「よかった。ではもうここを自分の家とお思いなって寛いで下さいな」
その言葉に亮澄は少し間をおいて、
「自分の家・・・か。それならもっと私は静かになってしまう・・・」
と自虐的になって言う。
「え・・・?」
「いや、これは・・・。ああ、その、私の邸には私しかいないのですよ」
「・・・?」
「だから、寛いだところで話す相手もいないので、自然黙っていることが多いのです」
「ご両親は・・・?」
「・・・。父は三歳のころに亡くなりました。母も父の菩提を弔いたいと家を出て寺に籠って暮らしておいでです」
「ご兄弟は・・・」
「親が早く亡くなったので、私一人です」
「白銀様・・・」
御簾から泣きそうな声が聞こえてきた。
「姫!そんなお泣きならないで下さいっ。た、確かに親兄弟はいませんが、祖父は私の元服まで生きてかわいがってくださったし、家には信頼できる家司がいて親代わりにここまで私を育ててくれたのです。あなたが思うほど、私はっ・・・」
「とてもお寂しかったんですね・・・」
「そんな、私は寂しくなど・・・」
が、言うそばから涙が一筋頬を伝って落ちた。
「いや、これは・・・」
慌てて拭うが後からあふれて落ちてくる。
「あれ・・・?参ったな・・・。なんで、こんな・・・」
「・・・ずっと、そうやってご自分をごまかして生きてきたのでしょう?」
「え・・・いや・・・」
「寂しい、と言う相手もいなかったのでしょう・・・?」
思い当たることがありすぎる・・・。
「そ、それは・・・う・・・ふっ」
とうとう咽せんでしまった。
すろと御簾がはらりと開かれ紫苑姫がこちらへ出てきた。
「・・・っ姫」
相変わらずの眩しいほどの美しいお姿。
紫苑姫は亮澄の隣に来ると、懐から懐紙を出して亮澄の涙を拭った。
そうして甘えるように亮澄の胸元へ顔を埋めた。
「・・・っ!!」
亮澄はあまりのことに声も出ない。
「どうかご自分をあまり卑下なさらないで下さい。白銀様はとても強い方」
「強い?わ、私が・・・?」
「寂しさを殺して生きていくのは誰にもできることではありません。小さい時ならなおのこと」
ずっと胸に秘めてきた事実を姫に暴かれぐさりと胸を突かれる。
それでも強がって、
「そうしなければ生きていけなかった・・・、ただ、それだけですよ」
と、亮澄は苦い顔で答える。
「それはとてもたいへん立派なことです。寂しさを紛らすために放縦に生きる者の方が数が多いです」
「・・・」
たった15の、外のことなど何も知らないような姫がなんと大人びたことを言うのか。この姫にも、いろいろな過去があったのだろうか・・・。
紫苑姫はぎゅっと亮澄の直衣を掴む。
「これからは私がずっと側にいますわ。私の大好きな白銀の君様。もう寂しい思いなどさせません」
「ひ、姫・・・」
その言葉に今までのわだかまりが氷解する思いだった。この姫は自分を本当に愛そうとしてくれている・・・。
紫苑姫はさらに顔を胸にすりつける。
「そしてもっと心のままに生きて下さい。我慢ばっかりしてるから、きっとそんなに頑なになってしまったのですわ」
「あ、は、はい・・・」
返事はしたものの、どうしたらいいか分からない。
「うふふ、おもしろい方」
「え、おもしろい・・・?私が?」
「父様や兄様にこんなことしたらびっくりして甘えるなとお怒りなるだろうし、母様なら優しく頭をなでてくださいます。気の知れた女房ならだきしめてくれますわ。でも亮澄様は何もなさらないもの。おもしろいです」
いや、自分の行動のクエリにそういうのが入っていないんです。
「怒れば、いいんでしょうか・・・?」
左大臣様や兄君がそうなさるなら。
「いいえ。白銀様の心のままに」
「う・・・」
自分は何をしたい?この状況で・・・。
ふっと思い浮かんだことはあるが、そ、それはできない!まだ・・・。
とりあえずいつもの自分の解決手段に出ることにした。
「ひ、姫っ、急用を思い出しました!き、今日はお暇したいと思います!」
姫に触れないようにその身を離し、立ちあがってその場を脱兎のごとく逃げ出した。
逃げ出した部屋からは紫苑姫のくすくすと笑う声が聞こえた。
ああ、本当に本当に情けない・・・。
(でも・・・)
まだこの身に残る姫の温かさと柔らかさ。
左大臣家の姫として何不自由なく愛情いっぱいに育てられてきた姫。
自分とは全く違う幸せな生き方をしてきた姫。
コンプレックスの塊で散々不様な姿を見せたというのに嫌な顔一つせず大好きだと言ってくれた。
それに正反対だと思っていた姫から紡がれた亮澄の心を見とおすような言葉の数々。
(そんなに違うことなどないのかもしれない・・・)
次に会う時はきっともっと打ち解けよう、そう思った。




