二、塗籠の姫
少女は妻戸を開け、建物のさらに奥へと引っぱっていく。
やがて塗籠と呼ばれる普段は物置に使われる、広い吹きさらしのような寝殿造りの唯一の壁に囲われた部屋の前に来る。
「姫様、姫様、噂の白銀の君を連れてきましたよ!」
少女は嬉色な声を上げてぴたりと閉じられた塗籠の扉へ向かって呼ばわる。
「また嘘ばっかりついて!葉月なんてきらい!そうやって私を宴に出そうって言うのね!」
塗籠の中から怒ってはいるものの、鈴のようにかわいらしい声が聞こえてきた。
ま、まさか・・・こ、この声の主は・・・。
「本当です、本物の月の君です。見たくはありませんか?」
葉月と呼ばれた少女はとんとんと扉を叩き、優しく呼びかける。
・・・どうやら自分は七の姫救出のだしに使われているようだ。
自分の顔の噂は姫の耳にも届いてたんだなーとぼんやりと思う。そりゃそうか、七の姫の御姉君方はそれぞれ今上と東宮の下に入内なされているものな。
たまにはこの美貌と言われる顔も役に立つようだ。しかしまるで天の岩戸だ。
それにしても姫はこの宴に出たくないらしいな。まだ結婚をしたくないのだろうか?15で結婚を嫌がるなど、子供っぽいところのある姫なのだろうか。
「姫様、本当です、本当なんですよ。一度なりとも見てみたいとおっしゃっていたではないですか、この機会を逃したらもう見れないかもしれないのですよ」
葉月が猫なで声で呼びかけるも、塗籠からはうんともすんとも声がしない。
「白銀さま・・・」
葉月が振り返って亮澄を泣きそうな目で見た。
仕方ないな・・・。
「姫、自らに仕える者の言葉をあまりお疑いになりませんよう・・・」
塗籠に向かって声をかけた。
「嘘・・・、本当に・・・?」
驚いた声が扉の内から聞こえてきた。
暫くの沈黙の後、塗の内鍵がかちゃりと外れる音がして、扉がそっと開いた。
「姫様っ」
葉月は嬉しそうな声を上げてぱっと扉を全部開いた。
よほど嬉しかったのだろう、後ろに自分がいることなどうっかり忘れたに違いない。
そして露わになった姫君の姿。
・・・本当に息が止まるかと思った・・・。
亮澄はあまりの衝撃に持っていた扇を取り落とした。
肌が白く美しいのはもちろんそれを際立たさせる豊かな黒髪。長く長く伸ばしているにもかかわらず先細りなどせずに、先の先までつやつやと美しく波打っている。
顔のかわいらしさは比べるもののないほど、天の名工が作ったと思えるほどに美しく整い、うるんだような黒い瞳、影を落とすまつ毛、唇はおもわず吸いつきたくなるような紅さ・・・。
思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
ふっと姫がこちらを向く。
姫と目が合った。
すると心臓が大きく跳ねてみるみるうちに自分の顔が紅潮していくのが分かる。
姫は「あっ」と小さく声を上げ袖で自分の顔を隠した。深窓の姫君は普通男の前に顔などさらさないものだ。
亮澄は取り落とした扇を拾って紫苑姫に差し出した。
「これを・・・」
「あ、ありがたく頂戴します!」
葉月がぱっと扇を取り、姫に持たせた。
そして姫の前に立ちはだかるようにして、
「白銀さま、このようなことにお使いしてしまい、まことに恐縮ではございますが、本当に助かりました。これで姫を宴に連れていくことができます。どうかお戻りになって宴の続きをお楽しみ下さいますよう」
先ほどまでとは打って変わって凛とした口調で亮澄に退出を促す。
「ああ、うん・・・」
しかし生返事で返事したものの動く気にはなれない。
葉月の後ろで打ちふるえている姫から目が離せない。
「白銀の君様・・・」
そうしていると思いがけずも姫から声がかかった。
「は、はいっ!」
「麗しいと評判のお顔を拝見できて、あの・・・嬉しゅうございました」
「と、ととととんでもございません」
「不躾なお願いを葉月がしたようで・・・」
「い、いいえっ、滅相もございません」
「どうか宴を楽しんでいってくださいまし」
「はいっ」
そう言って葉月に隠されながら姫は部屋の奥へしずしずと移動していった。